2005年06月14日

スススススス

皆さん最近よく眠れますか。
そうですか。
眠れますか。
足の小指を角に百万回ぶつけて悶絶してください。

どうも最近寝つきが悪いんですよ。
布団に入るのは早いのですが、眠れずにうーむうーむと布団の中でうなっていると、気がつけば朝の四時とか、今日一限からなのに、よし、しょうがない一限はやむにやまれぬ事情ゆえに自主的に休講にする方向で善処しようとかも、言っていられる間はいいのですが、今日なんかは一限が指導教官の授業な上に、九時半から再検査が活動的に入っているので、いつのまにやら睡眠時間は四時間を下回り、睡眠不足に対して強い耐性を持つとは言いがたい私は、いま、正直辛いです。
じゃあ寝ろよという話なのですが、研究室の先輩に渡すものがあったりして帰れないのでボスケテでも僕にボスはいない。助けて。
睡眠時間が少なくても動的に存在できる人を尊敬する気持ちは大きいのですが、それはつまり僕が睡眠不足では動的ではなく静的な存在に近くなることの証明でもあり、だいぶましになったとはいえ、最近体調が悪いことも重なって、コンビニでジャンプを立ち読みしていると、両足が意に反して小刻みな運動を繰り返すような事態にもなったりする。
地球が間違っている。
だいぶ間違っている。
近頃流行のローカルな視点で見ると、東京が間違っている。もう取り返しのつかないぐらい東京は間違っている。いや、都市計画とかそういう高尚なものではなく、まあ確かに都市計画とかもだいぶ間違っている気もするのですが、暑い。ということです。暑い。暑い。
もう東京の脳みそは沸いているとしか思えない。
まだ六月上旬なのに、部屋の中でじっとしていると汗が浮き出てくる自分がいることを昨日一昨日と発見した自分がいることに気がつきました。ヒートアイランドなのでしょうか。あるいはなにかより高次の不思議な僕には理解しがたい現象の結果現れたのかもしれませんが、きっと千年前の東京は、こんなに暑くはなかったと思います。つまり人間のたゆまぬ進歩の結果が僕の睡眠不足なのです。人間が頑張って科学技術を進化させ続けたために、いまここに暑い東京が僕の周り何十キロかに存在し、その暑い焦点のなかに僕の家があり、そうした日々の生活が、僕の睡眠不足という現象が現れる世界が、二十一世紀であり、これこそが進歩と調和、すなわち、人間の進歩によって生まれた利便さと引き換えに、人類は何かを失わなければならないというまるで天秤ばかりのバランスを取るような話であり、つまり失われたものとは僕の貴重であり、かつまた大切でもある、睡眠時間の大部分ということなのである、と結論付けられることに皆さん同意できるでしょう。
ただ東京が間違っているとか言っても何も意味のないところは明らかであることは実に明白であるので、僕は僕の睡眠時間の奪還のために、より積極的な睡眠時間獲得および、寝つきの改善のために、成功の見込みのある何らかの方法を見出す努力をしなければならないということは明らかであることは実に明白であるので、僕は昨年有効であった扇風機大作戦などをさりげないやさしさで実行しつつ自分の体をいたわっているのですが、東京が実に間違っていることは単に暑いから間違っているというそんな単純な話ではないことがここ最近の状況であることが大いに問題になっているのです。つまり単純に暑いということであれば、性器を守る布以外のすべての衣服を取り払った状態で、全身に扇風機の風を受けながら、熱帯夜のわびさびを楽しみながら夢の世界に下りていくという非常に日本人らしい夜を過ごすことも可能なのですが、残念ながら最近の東京が間違っていることには、単に暑いのではなく、中途半端に暑いという実に最悪かつ悪辣な状態をもう三日間も続けているので、許せん。殺す。僕は日々の睡眠をよりおおいなる幸せのために、暖かな羽毛布団の中で行うことが慣例となっていることが僕の中では通常状態であるので、僕はつまり着ている服の量で外気の変化に対抗することが、主な外気の変化に対応する方策なのですが、昨今パンツとTシャツに羽毛布団は暑すぎるという事態に直面するにいたり、つまり羽毛布団を取り払うか取り払わないかという実に重大な局面を向かえ、あるときは、取り払いかつパンツとTシャツで世界に立ち向かう心持でいながら肌寒さにノックアウトし、あるときは取り払わずにTシャツすらも脱ぎ去り羽毛布団の母性的な暖かさに包まれながら安らかな睡眠を得ようとしながら拒否され、あるときは羽毛布団を取り払った上で長袖を着ていても扇風機が寒すぎてとめたら暑かったりしてやはり睡眠という僕の最も好きないくつかの行為の一つを行うことが実に困難であるかについて納得せざるを得ない状況に置かれている私がいることを納得していただけたでしょうか。
しかし布団というまさに睡眠のために用意され、睡眠以外の何かに使われることも歩けど、まあだいたい睡眠のために発明されたと思われる道具の中で、僕はここ数日睡眠を得られずに苦労しているのですが、昔から実に不思議に思っていることがあるのです。僕はまあ、基本的には寝つきのいいほうで、普段は布団に入って二十分もしないうちに寝てしまうのが普通なのですが、普段と違う部屋で寝たり、ここ最近のように、急激に気温が変わったりするととたんに寝つきが悪くなり、布団の中で東京や地球をのろいながら次の日には睡眠不足に由来する頭痛を抱えたりしながら、埼玉から来る膨大な通勤通学人々に押しつぶされながら埼玉をのろったりするわけですが、そんなときにも不思議と、授業中は良く眠れたりするのが実に不思議であるというのが長年の不思議なのです。
板書をしている先生の文字を必死で追いかけながら、いつしか不思議と心は夢の中をさまよい、あれほど臨んでも得られなかった睡眠という行為が容易に実行できたりします。特にスライドを使う授業において、その傾向はより顕著であり、つまりネット上にスライドがアップされるためにノートを描く必要がないという油断と、部屋を暗くすることによる、講義室の睡眠行為への適応化が、僕に睡眠行為に抗するという試みを効果的に無為にしてしまうのです。その催眠効果は実に効果的であり無駄がなく、僕はいまや、睡眠不足の人々に対する、講義の出張サービスという事業を行えば、不眠症の人々はたちまち健康体になってしまい、事業主である僕は左団扇を二枚も三枚もいくらでも扇げるのではないかと夢を抱いてしまうほどであります。
しかしまあ、幸いなことに、明日は一日自主休講にするのに最適出る日であることは明白であり、また明後日は授業もなく、そして明々後日にいたってはだいぶ前から自習休講をする日に決まっているため、今僕のこの先の一週間は、夢の休日と平日の比率逆転現象がおきていて、つまり大学に二日いれば、あとは五日間家で寝ていられるというゴールデンウィークも真っ青の何でこんなことになったのかよく分からん事態に陥っている自分を発見すると思われます。
だからいま僕はいまだに来ない研究室の先輩を待ちながら頭痛を我慢してこの下らない文章を書いているわけですが、僕は僕の睡眠不足に悲観することはないというのが今の結論であるのですが、もう本当に勘弁してほしい。ねむいです。
うきょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお