2007年08月29日

埋めておく。

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そういえば前こんな髪をした先生がいたなあという思い出。

はさておき、掘った穴はなるべく埋めておく。2、3週間ぐらい経ってる気もするけど。

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微妙。

雑記


グレンラガン面白いなあ。第一部第二部もすごい面白かったけど、第三部が面白すぎる。まるで一部も二部もコレのプロローグだったかのように思われる。ストレスとカタルシスのバランスが無茶苦茶上手いし、話のスケールの広げ方も絶妙。考えてみると、プロローグでアレを出したのもようできてるなあ。
第三部のロシウの立ち位置はグレンラガンの方向性からは否定されるのは必然とはいえ、そこは何とも悲しい気分になる。うーむ。
取り合えず第四部にはスーパー期待。

しかし21話は話運びが上手すぎてちょっと笑った。超効率的。

■舞-乙HiME Zwei 第四話
おお、なんか上手くまとまった。というか凄い良かった。第一話が神懸かってたのに、第二話第三話で脱力展開だったけど、第四話はよかった。舞-HiMEにしろ舞-乙HiMEにしろ最後が肩すかしな感じだったので全然期待していなかったんけど、裏切られて良かった。
次は前の世代の話。映像を見た限りはかなりよさげ。



ニコニコはIDをハッシュ値で表示するようにしたようです。まあ、短期的な同一性がわかればいいというところで、落としどころとしてはそんなものなのかなあという気もします。実際、自作自演自体は笑えるだけで、別に誰にとっても不利益にはならんと思います。ランキング云々というのであれば、ランキングの評価方法を変えればいい話で。それにどんなにフェアなランキングにしたところで、自分が面白いと思わないと納得できない人は絶対いて、文句も出るんだろうし。
なんというか、真剣に自作自演を叩いている人を見ると、それはそれでカルシウムをとるべきではないかと思います。

■岡田斗司夫「いつまでもデブと思うなよ 」
伊集院光となにか互換性のある感のあった岡田斗司夫ですが、この一年で50キロもやせてガン!? とかいう感じなんですが、勿論病気ではなくダイエットに成功したのでそこで得られた知見とダイエット方法を本にまとめたのがこの本。ホントやせてる。
現代は外見が人の評価において非常に大きなウェイトを占めている。デブはどんなことをしていても、まずデブであると云うところから評価される。だからデブにとってやせることはコストもかからなくてリターンもめっちゃある良い方法であるダイエットしましょうやという感じ? 実際本人もやせてから仕事の評価も変わったとのことです。
あと太っている人は太る体質だからとかではなく、それだけ食べているから太るんだと言うことで普通の人と同じぐらいしか食べなかければ別に太るわけではない、とのこと。
と言うことでダイエットはレコーディングダイエットと云う自分が食べているものを全て記録して自分がどれだけ食べているのかと云うことを把握するという感じのやり方。別に苦しい思いをしなくてもやせられるとのこと。
へー。

でもやせてからはかなり老けて見える。

■サイトウ アキヒロ「ゲームニクスとはなにか」
ゲームの子供でも説明書を見なくても使い方を理解できるインターフェースなどのハードやソフトウェアの作りはテクニカルなモノであり且つ、ゲームにしか使えないモノではなく様々なところで応用可能であると言う話。
最近は特にWiiやらDSやらiPhoneで注目されている部分だと思う。結構面白かった。使いにくいモンね。色々。確かにどうにかなると良いけど。
あんまり関係ないけど、漫画でもこの辺は同じだなあ、とちょっと思った。そこまでいくと完全に一般化しすぎ何ですが。

■ヤマグチ ノボル「ゼロの使い魔」
被虐妄想+超人妄想+ファンタジーという感じがした。ずいぶん倒錯した物語だなあと思ったんですが、それは僕の読み方が間違っている気もする。まあ、それなりに。

ファンタジーなんですが、何というか。魔法とかでも顕著なんですが非常にゲーム的な感じが。ドラクエとかなんとかそういう感じ。
ファンタジーは異世界を感じさせるのが一つの大事なことだろうに、こういう孫引きひ孫引きしていくうちに漂白されて記号だけになってしまったファンタジーというか、そういった記号以外は現代社会となんら変わらないような世界を舞台にするなら、ファンタジーである必要があるのかとちょっと思う。
んですが、まあこういう百二十万回は繰り返されてて読む人が一度はどっかで触れたことのあるような世界設定なら、作品より読むときの最初の壁は低いし、よほど読まれるのかもしれない。キャラクターを楽しむのが本筋の作品のようなので、そういう意味では非常に合理的かなと思う。わざわざファンタジーにしたのも、主人公とヒロインの変態的な関係を現代では作りづらかったからとも考えられるし。

ルイズ可愛いね、キュルケエロいね、タバサ長門だねというそういう点では非常に良くできているわけで、もしかしたら必要な要素以外を全部切り捨てた刃物のような小説なのかも知れない。

■谷脇 康彦「インターネットは誰のものか」
だれのものでしょう。という話ではなく、これからもみんなのものであるためにはどうすればいいのかという話。インターネットというと話題になるのはサーバーとクライアントという端っこが主ですが、そんな陰に隠れてインターネットの幹線がヤバイことになっている、さあどうしよう。
旧来の電話サービスと違ってISPはインターネットの全体を把握してサービスを行っているわけではなく、基本的には来たパケットを目的地に近いほうへ投げる、というローカルな事をやっています。従来のインターネットでは相互扶助というかみんなでよろしくやっていきましょうで、上手くいっていたようです。しかし近年の動画サービスなどの隆盛とともに通信料が増大増大増大しているため、設備投資が必要となるのに、収益を十分に上げる当てがない。というわけでISPが悲鳴を上げ始めているという事のようです。
そんななかでかの有名な(?)「ネットワークのタダ乗り論」が出て物議を醸しているようです。ISP側からすると自分たちが投資して構築したインフラの上で大もうけしているのには納得がいかないとなり、サービス側からすれば接続料を払って居るんだからどうこう云われる筋合いはない、となるようで。まあ、それぞれ気持ちはわかるけど、なんにせよインフラに問題が起こると大変なのでどうするよ、というところ。このままルール無くインフラへの負担が大きくなると、とうぜんISPはパケットの制限などを行わざるを得なくなるが、そういった中でネットワークの中立性などを保ち、誰もが納得できる形で均衡を取り戻すにはどうすればいいかという話です。
この本では、P2Pをキャッシュサーバのようにして使うなどの方法とルールを決めた上での帯域制限と言うところで、まあそんなモンかなあと云う感じでした。というか問題提起が面白すぎて、解決策がちょっと拍子抜けというか。いや、でもそうですよねとは思いますが。そういえば技術的な〜のほうでNGNは一つの答えだって書いてあってえーっ!! とかまあ思いました。というかNGNが何か全然理解できていなかった上に、NGNの良い評判を全く聞かなかったのでびっくりしたわけです。が、読んでて何となくNGN = 日本の携帯サービス的なもの という感じがした。i-modeとかそんな感じで、通信品質を保証し、認証機能、決済機能+アルファをもった垂直統合型のネットワークを提供するんではないかと。でまあ一応インターネットにもいけるし超便利、みたいな。
んーまあでも個人的には水平分離型のほうがいい気がします。認証や決済に関してもopenIDやらpaypalみたいな方向で行けば良いだろうし。そういう方がインターネットの進化上にある気がする。
というかNGNでサービスを提供することによっぽどの利点がない限りみんなインターネット上でサービスを展開すると思うんですが! そのあたりどうなんでしょう!

■西川 つかさ「ひまわりのかっちゃん」
四年生まで足し算引き算も出来なかった主人公が、転校先の担任と春休み二週間一緒に勉強することで、学業で追いつき、卒業までには学年で一番出来る子になったという実話を元にした話。事実としても凄いし、話も良く、最後は結構感動しました。
因みに主人公は著者。
昔のことは全然憶えていないと云いつつ僕の百倍以上余裕で憶えているのは何なんでしょうね。

■パオロ・マッツォリーノ「反社会学講座」
昔ネットに連載されていたのを単行本にしたのを文庫にしたヤツ。
社会学がいかにデータを恣意的に扱って結論から事実を導き出しているのかと云うことを、笑おうという本。面白いというのもあるし、常識と思われているようなことが結構いい加減なモノなんだなあと云う感じで興味深くもある。
ただ、ここに書いてあることを判断できる知識もないし、データを調べる気もしないのでこの本の教訓を僕は実践できないなあと思う。

■「僕には数字が風景に見える」
自閉症+アスベルガー症候群の人の自伝。ある意味では非常に異質な人の視点から見た世界というのをかいま見せてくれる素晴らしい本。この人にとって数字が形としてどう見えるのか、どういう意味を持つのかについては特に興味をそそられた。

■さとう珠緒「超教養」
WEBダ・ヴィンチに連載されているのをちょっとみておもしろかと思ったんだけど。うーん。ところどころおおっと思ったけど。まあ、そのまんまという気もする。
しかし何というか、ダ・ヴィンチはなにか嫌な感じがする。雑誌自体を読んではないんですが、ウェブを見ている限り何というか本の雑誌のくせに妙に気取っているというか。本を読んでいる自分を見ている第三者の目を意識してポーズをとっているようななんかええかっこしいな感じが。なんかこう、いや、まあいんですけどね。

■「モバゲータウンは何故凄いのか」
今携帯で大流行と噂のモバゲータウンをケースにモバイルビジネスの概要とPC上のネットの違いについて書いた本。僕のようにモバイルにとんと疎い人間にも分かりやすく現状を把握させる良書。

■「スーパーコンピューターを20万円で作る。」
星の挙動をシミュレーションする専用のスーパーコンピュータを汎用スパコンでは考えられない安価で制作した研究者たちのドキュメンタリー。当事者が書いているが、三人称視点から押さえた筆致で書かれているが中々熱い本。面白い。
用途が限定されている計算機を汎用にする必要はないというのは道理だなと思った。チープ革命で安価でそれなりの性能の計算機はあるわけですが、まだまだそれでは性能が追っつかない部分は多々あるでしょうし、そういう部分に専用機を置くのは非常に賢いというか。採算のとれる範囲でならだろうけど、その点ここでつくられたスパコンは非常に安い。
とはいっても最終的には汎用計算機で全てがすむようになるのかな、とも思う。

2007年08月28日

コミティア81

にサークル参加してきました。というわけでそこそこテンションのあるうちに反省でも。

とりあえずまあ、既刊をあわせればそこそこ出たのでそれは素直に嬉しい。あくまで僕にしてはで客観的に見てどうかというとアレですが。あとは隣の席に知り合いが座っているというのは素晴らしいことだなあと思った。あそこで一人の世界はしんどいしなー。
出張編集にも初めて持って行ったんですが、結構良かった。ちゃんとしたアドバイスもくれる上に、ああいう場なのである程度甘やかしてくれるので。本当にプロになろうとして実際に編集部に持ち込むとしんどいんだろうと思うんですが。
しかし結構待つので、次いくなら一般入場前に整理券を取っておこう。

本の話。新刊出しました。
スケジュール的な所を云うと、正直結構しんどかった。結局学業にある程度しわ寄せがいってしまっているし、久しぶりに漫画で徹夜をすることになったので、その辺は悔しいというか。ちゃんと見通しを立てることが出来なかったと云うところと、あいまいに立てた見通しのようにもいかなかった末に、かなりグダグダなところで徹夜をして人にも迷惑をかけたのは、久しぶりに本当にダメだなあと云うか。こういうやり方では社会人になって描いていけるのか? というところにいく。目と鼻の先の事だし。
まあ、それはそれでちゃんとやれ、というと終わりと言えば終わりなんですが、うーんもうちょっと漫画を描くのが好きにならないとなあ、と言うところが結論になる。ネタ出しはともかく、ネームから仕上げまで。好きになるにはある程度の描けなければならないので、そこをどうするかと云うところになるんだけど。

お話。
途中まではそこそこ良かったけど、終わりがダメで、最後の三ページで全部台無しになっている、と言われる。話を聞くと、どうも僕の思っていたことと、実際に形にした物を人が呼んで理解することに、それなりに大きな違いがあったと云うことがあった。僕の表現力の問題というか、描かないことは伝わらないよね、という当たり前のことなんだけど。前回の7のに顕著な、まあ色々妄想したけどここの部分だけ描いておくので、もし読むなら適当に理解して! というついやってしまうぶん投げを、そうと意識せずに今回もやってしまったというところで、ちょっとショックを受ける。思っていることと出来ている物のズレというのは結構問題だよなあ。とはいえズレがあったらそれはそれとして、じゃあどうまとめるかと考えた方が良いと言われる。
あと自分が納得しないことでも主人公に言い切らせて、読む人にわかる形で終わらせた方がいい、というのは結構なるほどと思った。納得できなくても理解できればいいのか。この辺は僕自身の漫画の中における立ち位置が非常に視野狭窄を起こしていたなあと思う。もうちょっと自由でも良いというか、何をしたいかがぶれているというか。
あと最初2ページ使っている設定説明は三行ですむよね、と。そこは多少思ってはいたのですが……ハッキリ言われるとそうですねとしか云いようがない。そうですよね。
他には構成についてこう変えた方がより印象的になる、とか。全般的に非常に具体的且つ確かにと思う内容だった。プロの話を聞くのも良いなあと思うんですが、自分がプロを目指さない以上実際に編集部に持って行ってみてもらうことで相手の時間を使わせるというのも失礼な話だと思う。まあ、コミティアが出張編集を続けるなら、適度に見てもらえばいいかな。

絵についてはあまり具体的な話はなかったけど、意味のあるシーンを小さなコマで流してしまうのは良くないとか、そういうコマ割りによる演出というか漫画的な演出が出来ていないと云われる。うむ。
まあ、一応ヒロインは可愛いと云ってもらえたのでそこは喜ぶことにする。

絵は……今漫画にかけた時間の記憶が明確に残っているため、あれだけ時間が掛かったのにこの程度の物しかできなかったのか、というのはあったりするんですがまあ、そこは云ってどうすると言うところだし、ある程度時間が経てばそこは抜きにしてコレはコレでまあいっかという気分になるんですが。のど元を過ぎれば……。
それはそれで置いておいて。いかん、テンション切れた。
えーと読み返すと顔とか形とれていないのが結構あった。手が短かったり長かったり。漫画だと構図を考えながらアタリを取るので、アタリが非常に適当になってしまうと言うのと、普段描かない大きさを描くからだろうと思う。この辺はどうにかしよう。
線。今回かなり丁寧に引いたつもりで、実際これまでに比べれば一番綺麗に引けたと思う。もうちょっと頑張りましょうと云うところもいっぱいあるけど。
むしろ丁寧に書いたためにそのためにコレまで線の雑さに隠れていた(僕の中でだけど)ペン入れの駄目さが非常に明確に出てる。正直結構へこむ。なんだろう。
まあしかし自分が線で何を描いているのかについて全く無自覚であると云うことはわかった。無自覚であることも自覚したいなかったというか。色々云われてたけど、結局の所問題を理解できていなかったというか、言葉としてはわかっても意味がわかってなかった。
しかし無自覚であることを理解したからと云ってじゃあどうすればいいのかは今のところわからないんですが。
どうしたものか。
なんにせよ頭使わないような仕上げでは今回のぐらいが限界なのでどのみちどうにかしなければならないんですが。

2007年08月23日

これも娯楽

ニコニコ動画で自作自演が多量に晒されてその界隈では多少話題になっているようです。
自作自演とそれが晒されるのは昔から連綿と続くネットの華だなあと感慨ぶかい気分です。僕も笑いながら楽しんでみさせていただいてます。
作品との評価は別だっていう事を自作自演を曝いた動画にコメントしている人も多いんですが、ちょっとというか激しく勘違いをしています。見ている人間でさえも羞恥に顔を染めてしまうような自作自演がばれて、本人はどういう気分なんだろうと思うとココロが温かい気持ちになって仕方ない。
自作自演が晒されているところを楽しんでいる人は、そういうところを楽しんでいるわけで、別に動画自体がどうというわけでもない。
というかどうでもいい。

これをみていると2chでIDを知らない人が全力疾走で自作自演をしているのを思い出しますが、実際の所恥ずかしさではその比ではありません。
「YOU声優になっちゃいなYO!」
「ちょ、真面目に誰かファンクラブ作れwww俺入るからwww」
とか正気の人間では他人に対しても云えないような台詞を自分が歌っている動画にコメントしている時や、それがばれてさらし者になっている時の本人の心境を察するとホロリホロリと涙が出ます。
ニコニコ動画も落ち着いてきた感じで、インパクトのある動画もあまりでなくなってきたところではありますが、ここへ来て素晴らしいネタが来たことは喜ばしいことではないでしょうか。

これからも新しいサービスが出る度に恥ずかしい自作自演は出てくるのでしょうけど、これは末永く孫子まで語り継がれても不思議ではない良い自作自演だと思います。
一つの芸術ですね。

しかしニコニコもID制になってずいぶん経つし、ブラウザ上で表示されないとはいえコメントにIDが付与されていることなんて、みんな知っているのかと思ってましたが、意外とそうでもないんですね。
まあ、オミトロンも導入が面倒くさいしわからんでもないんですが、コメント+IDを調べるツールってかなり前からあったはずなのになあ。

2007年08月20日

そんな時もある

最近何となく思ったことを、ラブレターを書いたら朝起きた後に間違えなく後悔する時間帯の魔力に身をゆだねて書いて、あまつさえ公開してみる。後悔と公開とがかけてあります。


品質によらず漫画は完成させることが大変、というのは漫画を描くときにはいつも思うのですが、それとは関係ありつつもイコールではないところに、漫画を完成させられない人がいる、と言うことがある様な気がする。品質によらず。
それは漫画に限らず小説にしろゲームにしろ、音楽もそうなのかな? わからないけど、所謂モノを作る趣味では、そもそも完成させるようになるというのは結構困難なのかなと思う。
僕の知っている創作漫画の範囲ではキッチリ話を作って作品としてまとめられているのは必ずしも多くはないように思われます。続き物にしてしまったときなどは悲惨で、結構な場合まともに終わらない。
結局モノが出来てこそ評価されるし、出来なければそれに対して何か言うことは出来ない。もしかしたら大傑作となりうるモノでも、完成していなければ一切の意味はないわけです。
だからまあ、質が高くても完成させられないよりも、質が低くてもとりあえず作品としてキッチリまとめて終わらせて欲しいなあと思う。上手い漫画を描きたい、というのは結局はそれからの話ではないかと思う。

で、何で完成させられないのかなあと言うのを考えると、面倒くさいからとか手間が掛かるから、というのは四の五の言わず描けよで終わるので良いんですが(漫画が描きたいならですが)、漫画なり絵なりに思い入れがあるというのが問題としてあるような気がする。
漫画が好きすぎる、というか。
漫画が好きだと、こういう漫画が描きたいと言うところに、非常に高い理想を抱いてしまうと思うんですが、当然殆どの人は最初からそんな風に描けるわけがない。高い理想と自分の実力の差にギャップを感じてしまったり、理想的なものをどう作ればいいのかわからないと言うところで迷ってしまうと、手が動かなくなってしまう、と言うのが結構あるんじゃないでしょうか。
漫画を描くことが好きならそれでも描くんでしょうが、ある程度描けるようにならなければそもそも好きにもなれないんだと思います。経験上。
だから結局手持ちの実力で、描きたいモノを描いて、出来ないことを把握してそれを解決していくしか上手くなることは出来ないんだと思います。理想はそれで素晴らしい、OK。まあでもとりあえず描けるものを、と言うことで何か凄い短いモノでも、四ページぐらいでもキッチリ話を作って終わらせれば何か終わらせられるようになるのかなあと思ったりします。

個人的な話をすれば、僕は漫画よりはむしろ小説が好きなので、小説を書きたいなあと昔思って、色々書き散らしていたんですが、何だかんだできちんと終わらせられたモノはなかったです。それは上記の通りで、僕が好きな小説みたいな小説が書きたい! という思いがあって、でもまあ当然書けなくて、というのをやったあげく、結局漫画の方に行って小説は諦めました。
はじめから上手い小説なんて書けるわけないし、そんなふうに気負うことなく兎にも角にも書き上げれば良かったんですが、まあなんというか、結局出来ませんでした。
と言うわけで僕は漫画には一切の思い入れはなく、まんくらに入ってからもしょうもない漫画を書き散らしては居たんですが、下らないモノにせよ一応描き上げられたのはむしろ漫画にそれほど興味がなかったからかなあと思う。小説でやりたかったことをやりたいという漠然としてのはあったのですが、特にこういうのが描きたい! という強い思いはなかったので、その場その場で描ける範囲で描き上げてました。今見返すと酷いものですが。
そういうわけでダラダラ描いて居たんですが、三年ぐらいからちゃんと話を作ろうとし始めて、四年でなんとなくどういう感じで作っていけばいいのかというのがわかってきて、ようやく漫画を描くのが楽しくなりました。
んで今もM2になってまで漫画を描いていたりします。漫画を描く作業の殆どはしんどいばかりだし何でこんなことしているんだろうとも思うんですが、何だかんだ云っても漫画を描くのは好きです。

ってうわ、凄い勢いで恥ずかしい自分語りになった。
まあなんというか、実力やら技術やらがないにせよ、とりあえず出来る範囲ででも、話を作って描いて終わらせて形にしないと、そもそもスタートラインにすら立っていないよね、ということが云いたいだけです。上手下手とかはその後の話で。

どうでもいいんですが、今思い立って昔自分が書いた小説の断片を読んで凄い勢いで身悶えしているこの僕の心中を誰か察してくれると幸いです。恥ずかしさを通り越して快感に変わりそうです。

2007年08月17日

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2007年08月09日

帰省していました。
実家にいると自分の通常時間の外にいるような不思議な気分になります。まるで修論なんて夢の中のことのような感じでした。
夢だったらいいのに。

久しぶりに夏祭りに行って初めて盆踊りで踊っててみました。炭坑節。若い男で踊っている人なんていなかったのでちょっと抵抗がありましたが、やってみると結構楽しいものです。
取ってもらった写真を見たら、自分がでかくてちょっと吃驚する。
地元の夏祭りは適度に大きく活気があり良い雰囲気でした。

2007年08月02日

なんでもないことは、なんでもない

漫画というか漫画同人とかその辺についてダラダラと書こうかなあと思った。
まあ自分は何をやってんだろうか、という事をさすがの僕も考えたりするわけで、そういう僕のどうどうと巡る思考を適当に出してしまおうという。というか、前は堂々巡りで考えてたけど、こんなもんかなあという感じでだいたい自分で納得してしまったので実際あんまり悩みとかでもないんですが、何となく書きたくなったので書くぜ! と言うわけで僕の少ない知識と偏見と妬みと嫉みと自己愛で書くので内容は適当。と逃げを最初に打っておく。
恥ずかしいのでこの辺でコッソリと。コッソリとしていない気もするけどコッソリ。
見るな! 見るなよ! 絶対見るなよ!

や、まあどうでもいいちゃどうでもいい話なんですが。
同人というと最初にイメージされがちなのは二次創作同人、漫画なりアニメなりゲームなり、何か元ネタとなる作品があってその世界設定やキャラクターを流用して描かれる同人漫画っすね。コミケとかはまあ大体コレの類だと思われる。二次創作がメインのイベントとしてはコミケとかサンクリとか後はオンリーイベントの類とか無数無数無数。
次に来るのは、と言っていいのか知らんけど創作同人で、設定やキャラクターから創作する類の同人漫画。コミケの一角に領域はあるようですが基本的に人はあまり来ないらしい。プロがやっている場合は別でしょうが。大きなイベントとしてはコミティアが年四回と同系列のイベントが日本各地にそこそこあるようなないような。
あと多分旅行記とかなんだろか色々あると思うけど、気にしない! というか創作同人の範疇のはず。

とまあおおざっぱに分けてしまうわけですが、もうちょっと見ると二次も創作も中を見ると色々在るわけでこう、なだらかなスペクトラムを描いているわけです。二次だと描いた人の脳みそが死んでいることが疑われるエロとかギャグから、これは設定を使っているけど殆ど創作だろうというのまで当然色々あるわけです。創作でもツンデレとかメイドとかメガネとか所謂属性とか言うので表されるものを題材に描かれている二次創作との境界領域に近いものから、作者以外の誰が読むの? という作品まで色々。もちろん視点は色々在るのですが、それはそれで、それとして。

えーっとなんだっけ。
そうだ。でまあ、なんというか、二次創作は楽しそうなんですよね! こう、端から見ていると! みんな楽しそうで良いことですが。ねえ、盛り上がっていて。好きな作品が同じでそれを媒介にしてコミュニケーションを取っているようなものだから盛り上がりもするでしょうが。いや、羨ましいですね、と言う話です。
創作でもジャンルとしてある程度コンセンサスがあるものを題材にしている人は二次創作ほどでないにしても好きな者同士で盛り上がれているような気がする。メガネ部とかね。これはまあ羨ましくはないなああんまり。
でまあ最後にアレですよ、自分自身以外にコンセンサスがないものが来るわけです。えーと、細かい話はおいといて、好きなものや描いているものでは繋がれたりしないところ。

巨大な平面を想像すると、二次創作の人たちは巨大なクラスターを形成しているわけですよ。動きがあるにしても割と密な感じでお互い繋がっている。んで創作に行くに従ってだんだんクラスターが小さくなって、最後には一人だけ孤立している人たちが点在しているという感じです。
この人たちが他の人と繋がろうとするなら、漫画を描いているという点だけで繋がる以外手段が無い訳なんですよ。哀れな人たちなんですよ。悲劇のヒロイン、見たいな。ああ、どうしてこんなにも孤独なの私たち、みたいな! みたいな?
ただ好きな作品などでまとまるのに比べると、漫画を描くというのでまとまるのは、なかなか簡単には出来ないと思うんですよ。趣味でやっている分には基本的に個人作業だし。
というわけでそういう漫画を描くという点だけでまとまれる場を提供するのがまんくらなんだと思う。というかそうであって欲しいなあと個人的には思う。

好きなもので盛り上がるのは楽しいし、みんなが同じものというか同じ方角をむいているのならまとまりも良くなるし楽しいと思う。ただ、そこで漫画は描くけど全然違う方角を向いている人が、漫画を描くという点だけで繋がりを持ちたいと思ったとき、他の人が好きなものだけでまとまっていると、どうしても入り込みづらくなってしまうのではないかと思う。
なんというか創作漫画を描く、そしてそれに関するどこかのコミュニティーに入りたい、しかし他に行く場所が無い人たちの行く末がまんくらじゃないかと思う。趣味が全然違う人たちが創作漫画を軸に緩やかにまとまるところというか。そういう余地を残しておくと、多様性も出て色々面白いことになるのではないかと思う。
漫画なりアニメなり作品を楽しむことを核にしたコミュニケーションを取る場は色々あるし、そうでない人を意図的でないとしても排するべきではないというか。
そういうことをあんまり僕が書くべきでもないような気もするし今更なんですが、まあいいや。ぐっちーのようなものです

閑話休題。

というわけで僕は当然最後ので、アレ周りに誰もいないぞと言うところに位置しているわけです。描いた漫画は自分以外誰が読むの? みたいな。その辺り不思議なところにいるわけです。
もちろんこういうところでキッチリやって、コミティアでも結構な量裁いてる方もいます。そういう人は自分の漫画の読者を自力でちゃんと作っていくという、結構凄いことをしている。それで漫画を描くのが苦でない人はリスクとかを考えないならプロになれば良いんじゃないかという気もするんですが(いや、まあコミティアの客層はまた普通の漫画を読む人とは分布が違うけど)、当然僕はそういう所には居ないわけで、いつまで経っても誰が読むのかしらん、というあたりで漫画を描いていたりする。
そうすると当然なんで描き続けて居るんだろうというところが問題になる。まんくらだって普通修士になってまでこんなに描いたりはしない。(この辺で二週間ほど空く)
一体何故、僕はこんな趣味を続けているのだろうと考えるわけです。ああ、ようやく問題の所まで来た。
要は漫画を描く、モチベーションの話です。漫画を描くのが趣味とは言ってもどちらかというと漫画を描くのはしんどい方だし、森薫みたいに三日ペンを持たないと落ち着かないとかそういう風にはなれない。というかそういうのがプロになるんでしょうけど。だからといって出来たものを誰かに評価されるわけではない。
という風に見るとインセンティブが無いなあ、と思う。それでも何だかんだ言いつつコミティアに出続けているのは、惰性以上のものはあるんだろうと思う。その辺がわからないというか、わかっているけどまともに認めるのが恥ずかしいのであまり認めたくない気分でずっと過ごしていた気がする。
そんなこんなで一昨年辺りみんなが好きそうっていうか萌えっぽいもの! のとか考えながらやって得体の知れないものができあがっていたんですが。そこはそれ、自分で読んでもアレだったので愕然としましたが。結局漫画を描くのが労力である以上、自分が描きたいなあと思うものしか描けないですねというところで。

というわけで自己愛だなあという結論です。自己満足とも言う。
ナルシズム。別に鏡を見てどうこうというのでも性的なものでもなく、もうちょっと根深いものですが。何だかんだ言っても自分の漫画も絵も好きなんですよ。僕は。客観的な出来を置いておいたとしても、自分の漫画は好きだなあと思う。自分と切り離した単体としても漫画は自分ではどう評価すればいいのかわからないのですが、それを作るまでに重ねた妄想とか、まとめる上で切り捨てたもの、描くのに労した力とか時間とか、完成したときの達成感の記憶、そういうものの現れとしての自分の漫画が大好き。冗談ではなく。
自分が妄想した話が、自分の手によって、形にすることが出来るのは、それが人に見られたり評価されなかったとしても、昂揚するものがある。
もちろん自分の原稿が完璧だと思うわけでもないけど、自己評価はおいておいても、とりあえず好き。
絵にしろ話の作り方にしろ、昔の漫画と比べてみて明らかに良くなっているところが見えるのは非常に快感だし、駄目なところはそれはそれで愛着がある。どの頃にどういう事が出来るようになったかを思い返すのは何とも言えず楽しい。多分、僕にとってなにがしかの技術向上、というか出来なかったことが出来るようになるというのが感じられた数少ないものの一つであり、もっとも達成感があるのがが絵なり漫画なりなんだと思う。世間として意味があるかはおいておいて、自分にとって何かとなったと思えるかという。
結局僕が漫画を描くモチベーションはそこであり、今のところそこ以外はそれほど重要ではないんだと思う。そういう意味では究極の内輪受けとして漫画をやっているんだなあと、何とも云えない気分になる。コミティアに出す意味はあるのかという所はあるけど、そこはまた縛りとかその他色々あるんですがとりあえずおいとく。
他人が喜んでくれるようなものを、そのうち描きたくなるのかなあと思う。けど、その前に自分が文句なしで満足できるものが描けるか、というか今描いたより上手いものが描けるようになりたいと思わなくなるまではない気がするし、その時は上記のモチベーションは意味を失っているような気がする。
ナルシズムで同人誌をやっている以上、うちにうちに入って行くわけですしね。あとは人からどう評価されるかと言う視点を、自分に対する自分の評価にどう組み込んでいくかという所に行くんでしょうが、そこはどうなんだろう。人から侮られるものを描きたくはない、という負けず嫌いなところで間違えなく入ってはいるけど、好みという部分では完全に好き勝手やりたいことが勝ってしまっている。もちろんこれからどうなるかわからないけど。

まとめると僕は自分の漫画大好きという自己愛駆動で同人をやり続けているナルシストであるという非常に恥ずかしい結論に達してしまうので、あまり認めたくも無かったのですが、一度認めるとまあそんなものかなあと言う気もするし、すっきりもするので、せっかくなので勢いでここにも描いておきます。僕の恥ずかしいところを見て! 見て!!!
どうやら露出狂の気もあるようです。まあ、同人やってて今更ですが。
それはそうと自己愛駆動で、自分の原稿好き=満足という方向に行くと、そこより漫画が良くなることはなさそうなので、それだけは気をつけて自分に対する自分の評価の土台を緩くしないようにしよう、と思う。

でも僕みたいな人って他にも居ますよね!?