2008年03月27日

準備。

引っ越し! 引っ越し!!
という訳で引っ越しの準備中です。ああ、四年以上もすんだこの部屋ともお別れか……。
という感傷なんて吹き飛ぶくらい、面倒です。こんなに面倒くさいのは修論以来です。この面倒くささを面倒くさいという一言で片付けることなど僕には出来ません。全身を使って表現したい。右手を上げて、左手を上げて。右足を上げて。
左足を上げて。
右手を下げて。
上体を反らし。
背後の気配に気をつけながら、
立位体前屈。
つま先に指先が届かくて悲しい気分になりながら、引っ越しめんどくさい!!
それはどうでも良いんですが。

もう何から手を付ければいいのやら、という気分で何度も呆然と部屋を見回すということを繰り返していたわけですが、大分落ち着いて参りました。いや、ホントどうしようかと。とにかく作業スペースがないんですよね。ワンルームなので。
二つ三つのことを平行にやってしまうと、本当に収拾が付かなくなるので焦ります。結構いい加減に他のモノが完了する前に、目に付いたところに手を付けていたりしたから部屋がカオスに。そして呆然とする。

特に燃えるゴミの日が水曜日なので、火曜日が大変でした。部屋中をあさりながら捨てるものを洗い出す作業が結構労力で。
落書きだけで三箱ぐらい会ったのには愕然としました。ひっくり返していると、だんだん昔の絵が出てくるので、どんどん下手になっていくのが面白かった。
一二年の頃なんか特に非道いんですが、その分意味不明な落書きがいっぱいあった。良く飽きずにこんな事しているものだ。いったいどれだけの時間こんな事をしているのだろうと思うと、ちょっと気が遠くなる。
安らかに眠れ。

そんなこんなでゴミ袋12袋になりました。前回引っ越したときはゴミも何もかもまとめて引っ越してしまったので、今度こそ六年の垢をまとめて落とす。小学校の頃から持っていたモノとかも捨てたりしましたぜ!
さあ燃えろ! 燃えろ! 燃え上がれ、燃えるゴミ!
そして部屋がスッキリしていくのはKAIKANです。部屋に入ってくるモノを入力、出て行くモノを出力とすると、入力>出力が常態化すると、どんなに小さな差であったとしても十分な時間をとれば部屋は汚部屋に変態します。お腹周りと同じです。多くの人と同様に僕も入力が多いのが常態化しているため、生活を成り立たせるためには、ときにこうやって強制的なリセットを行う必要があるのです。適当なことを言ってます。
まあ、リセットといえるほど減っていませんが。いや、リセットです。
実際ある程度思い切ったリセットは二年前の夏頃に気を入れて片付けしたとき以来なので、もう大分、ゴミ部屋です。
モノが多い部屋は収納がない限り、瞬きの間に混沌におちます。

もう嫌だ! オタクなんて嫌だ!
と言って、漫画も本も全部捨てられたらどれだけスッキリするだろうか、とことある毎に思ってしまうのですが、やはりどこかブレーキが掛かります。僕でさえこんなのだから、本アホほど持っている人は本当に、どうするんでしょうね、引っ越しとか。地獄を見るのだろうなあ。早く電子ブックが一世を風靡してくれないかな。アナログ本と同じぐらいの使いやすいインタフェースで、同じぐらいのコントラスト、解像度の機械は出来ないのかなあ。そうしたら、全部処分しちゃうのに。
次は図書館がかなり近い反面、本屋が遠いので、なるべく図書館ですますようにしよう、と思う。AMAZONにはあまり頼らない方面で。
でも漫画は買っちゃうんだよなあ。

家具抜きで、4、5箱ぐらいに納められればどれだけ楽だろうかと思うのですが。まあ、無理なので。単身者パックで全部すむ人とか、どういう生活を送ってるんでしょうかね。ハードボイルドですよね。

よし、なんにせよ、あと一息だ!

2008年03月19日

「祝ってやる」

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ローゼンメイデンが連載再開(?)するということで、誰かが描く前に描いておこう。


今週前半はSF売りの成年→コミック売りの成年→PCパーツ売りの成年→残りの本売りの成年をやっておりました。PCケースを買ったときに購入したキャリヤが大活躍です。無ければどうしたモノだったか。本を詰めた段ボールを積んだキャリヤにくるぶしを打たれたりしたけど、私は健康という意味では元気です。
体力的にはしんどかったです。
野菜! 野菜を食わないとやってられない。

一応専門店風味なところで売ったけどSFはあんまり値が付かなかった。でも、元々古本も多かったし稀少な本も少なかったので妥当かな。
コミックはまんだらけで売ったのですが、思ったより高く売れてビビリました。もうちょっと買いたたかれるかと思ってたけど、定価の半額以上で売れる本も多かった。単行本出る前に売った方が良さそうだなあと思って持って行った、失楽天のハナハル特集号二冊なんかは、美本という訳でもないのに定価の倍以上で売れた。うーん。
破壊魔定光は前半は在庫過多で買い取り不可。後半だけ値が付いた。みんな途中で読むのを止めたんだなあと言うのが見える。さもありなん。そんな感じで三分の一ぐらいは値が付かなかったが、残りだけでも結構な値段に。
中野まで二往復したかいもあるもんよ。

査定はPOS(?)を使って一括管理をしているようで、本などの査定は手際が良かった。あと店員に拠らないというのは安心感はある。二人目の方が辛かった感はあるが、多分気のせい。
流れはPOSで読み取って在庫と照合して、値が付くか付くなら最高いくらか、を調べた後に本の状態が悪ければ減額、という感じっぽい。全ての本について人間が値を付けているとは思えないので、何か適当なアルゴリズムを使っているとは思うんだけど、どんな感じだろう。発売日からどれだけ経っているかとか在庫の量とか流動性とか希少価値とか、からだろうか。
同定が難しそうな同人誌、フィギュアや稀覯本の類は結構時間が掛かりそうだなー。

PCパーツはマザーボードのとっちゃいけない部分を捨てて、持って行ってしまったわけですが。まあ、なんというか、そこそこ値が付いたからいいや。DDRのメモリは現行規格のどう容量を定価で買うより大分高く付いた。古い規格は希少価値があるから、だそうだ。
PCを買い換えてメモリを売るときは、少し寝かしてから売った方が良いなあ。
そこまで手間をかけるほど高く買い取ってくれるわけでもないけど
あと査定後、控えを渡すつもりでまんだらけのを渡してしまった恥ずかしい。

新書等残った本はイーブックオフに引き取りに来てもらった。
楽ちんやけど……まあ、捨てるよりはマシ、って程度だしな。

そしてあぶく銭を手に入れたので、無駄金を使う。
ああ、こういうじぇには身に付かんなあ。
気をつけないと。


まあ、でも、大分、処分モードに切り替わったような。
とりあえず収納をあさり、処分するモノと処分するかどうかを判断しなければならないモノをより分けているわけですが。遅いですか。
そうですか。

しかし買って殆ど使ってない絵のハウツー本とか、踏ん切りが付かんです。
画集とかも結構。それでも幾つかは処分しましたが。
そういうものこそ、場所をとるし重いのだけれども。


OCNのサポセンが海外にアウトソーシングされているような気がする。気のせいかも知れないけど。違和感はあまりないが、イントネーションと言っていることが微妙に分からなかったりする。
あと、別にメモするわけでもないが担当者の名前を言わないのは何となく抵抗がある。


アーサー・C・クラークが逝ってしまった……。
なんとなく軌道エレベーターが出来るまでは生きているような気がしていました。
お迎えが来てもおかしくない年ではありましたが、ニュースをみて妙に動揺してしまう自分がいる。時は経つ。


Rollyの往く果て
かもしれない。

2008年03月17日

ニッキ

なんだかんだが終わったので、あーこれで一年間やった研究テーマともお別れだなあ。
長いようで長かった一年でした。あんまり思い出せないけど、何やってたんだろう? 
まあ、ソレにもまして思い出せないのはM1のとき何やっていたかだけど。
うーん。まあ、論文読んでた? かな?
ということにしておこう。
叫ぼう、みんなの合い言葉!
モラトリアム!!


某大学に行ったんだけど、初見では広々としたところに大学の施設が散在しており、おお、なんだか試される大地にある、春になると構内でジンギスカンをしている学生を見かけるフリーダムな大学に雰囲気が似ているなあと思った。
でもこー、よく見ていると一見新しく綺麗に見える割には、近づいて中に入ってみるとなんか、荒れている。いや、荒れている、といっても人間が生活している上で荒れてしまうような、そういう感じではなく、突然人が誰もいなくなってしまった建物が、自然の力で朽ちていくような感じ。荒廃と言うべきか。石畳は割れ、植え込みは枝が伸び放題、雑草が少しずつ建物を覆っていく直前のような、奇妙に世紀末的な雰囲気を漂わせていた。
しかもキャンパスの建物の配置は、一見考えられているかのようで、異様に分かりにくい。地図を見ても目的地に一体どうやっていけばいいのか分からなくなる。一歩歩く毎に見当識を失ってしまうような、まるで悪い夢のような場所だった。
自殺者が多いという噂を聞いた。その真否はしらないが、何となく納得してしまった。きっとどれだけ歩いても教室にたどり着けなかった学生がこの世をはかなんで命を絶ってしまうのだろう。
ここは危険だ。


ハードの進歩が非線形で破壊的なのに対して、ソフトの進歩はそれほどでもないようなのは、なぜなのだろう。
人類が扱ったことのないタイプの複雑さ、というのは本当なのか。それが原因なのか。


引っ越しの日程が決まった。次の次の金曜日。
結構時間がないなあ。段ボールを調達しないと。
ああ……。
何やらないといけないんだろうか。
電気、ガス、水道、電話、プロバイダ、家電リサイクル、住民票。
口座や免許証の住所変更は引っ越してからで良かったよな。
あばばば。
手続きも連絡するのも心理リソースを喰う。
いらないモノ探し。いらないモノ探し。
明日は古本屋に行くぜ。
明後日はE-Book Offに申し込み + 秋葉原でパーツ売りの成年。
前引っ越したときは業者が来たときも荷造りが終わってなかった。
今回はちゃんとしたいなあ。
だー。

しかし慣れ親しんだ家具を捨てさるのは、残念ではある。
溶けかけたプラスチック製の引き出しとか、破れた椅子とか、壊れかけのストーブとか。
……まあ、良い機会なんだろうな。
収納力のあるベッドは本気で残念だが。


「のび太の新魔界大冒険」
うーん、悪かあ無いけど、リメイクする意味はあったのかしら。
のび太の恐竜2006は結構、こう、いいなあ! と思ったのだけど(ピー助の鳴き声以外は)、今回印象的なのは美代子としずちゃんがカワイイことだけだった! あれ、見る側の問題か!?
チンカラホイ!!
でもよく考えたら元の自体それほど好きでもないというだけかも。
とりあえず、もしもボックスはタイムふろしきで直せよというのと、ラスボスの弱点のあまりのデカさにビビルばかりです。あとドラえもんの柔らか素材っぷりに。
アタック!


しかしニコニコ動画でドラえもん関係の動画、過去の映画の主題歌などを見たりすると、かならず旧ドラ最高、新ドラはクソみたいなコメントが出てゲンナリする。
旧ドラがいいなら、新ドラは別作品として考えればいいじゃないか、と思う。
まあ、良いんですが。
どうでも。


ニコニコ動画のニコスクリプト新機能で押すと設定したコメントが投稿できるボタンがあるけど、本当にボタンコメントだけしかない動画があったりして面白い。
弾幕動画なんかだともう、コメント打つ必要もない。
クリッククリック連打打打打打。
打打打
思考のスピードは加速するのかも知れないが。一つの帰結はクリック連打なのか? 自分で打つコメントはクリックには敵わない。あっという間に流れていく。
打打打打。


そして自分の思考停止っぷりにビックリしたりする。決断……。


ネットで人と繋がると言うが、データとして明示的に示される繋がりというのは、人が耐えうるモノなのか。mixiは言うまでもなく、ゆるいtwitterも、緩いというのは比較問題であり、十二分に高粘性であるようにみえる。それとも100も200もfollowすればそんなこともないのだろうか。
社会的にハッキリと与えられる関係であれば、また違うのかな。あるいはビジネスの人脈とか? あんまり縁はなさそうだ。そうでなければ、
皆はどうやって耐えているのだろう。というか、どうやって楽しんでいるのだろう。
ネットで真に耐えうる適切な距離感は、リファラで知ることが出来る、ハイパーリンクぐらいな気がする。言及されたことを知っているとは限らず。
見るも良し、見ないも良し。
返すよもよし、返さぬもよし。
会話をしているようで。していないようで。
関係があるようでないようで。
ノイズのようで、そうでないようで。
デジタルでも良いが1bitではない曖昧さを。

2008年03月12日

ぶらんにゅーぴーしー

某ToHeartの主題歌をカタカナで検索したときに、期せずして迷い込んでしまった邪気眼ページに妙に動揺してしまった。
なにこれ、脈拍がなんだか上がってる。助けて。

それはともかく、PCを新たにしました。そういえば「新s」の閲覧者数とかが気になる今日この頃です。
それはともかく、新しい個人用計算機を組みました。先日研究室のサーバをアップデートしにきた業者の方に、暗にあんましつかってねーんじゃねーの、ということを言われた気がします。気のせいかも知れません。
それはともかく、新しいPC/AT互換機が出来ました。PC/ATってなんだ。
教えてwidia先生(wikipediaの略)。

二桁万円は行かなかったので、良かった良かったという感じです。性能は以下のようで、問題ないであろうと思われます。
今秋葉原で品無ぎみの45ナノのCore2Duo(E8200のバルク)がCPUでメモリが2Gでうんたらかんたら。ダラダラしないでさっさと組んでおけばE8400買えたなーと思うが、その分安くすんだから、まあいいや。解像度の上限が下がっていたので、実はグラボのメモリは減っているようです。まーGeForce 8500なんで、そんなに悪くはないはず。でも3DMark06を試してみたら、5~10FPSぐらいしか出なかったので、ちょっと残念気分。いいよ! 3Dゲームなんてやらないもの!! ということにした。
3DMark06は即刻削除した。
HDDは500Gと前のPCに載っていたのをそのまま換装したので、1Tちょっとぐらいかなあ。もうちょっとデータを整理してマージしたい気はする。Spotlightみたいなデスクトップ検索が在れば良いんだけど。Google Desktopは何か好きになれないしなあ。
Windows Desktop Searchでも試してみるのは良いのかも。
Vistaんはとりあえずお見送り。もうちょっと経ってから、考えよう。

音はマザーボードにも機能が載っているけど、前のを継承してOnkyoのSE-U55GX。このハード発売以来一回もドライバの更新がないんだよなあ……。まあ、きっとそれだけ完成度が高い、ということに違いない、うん。ちなみにVista対応にするには7000円ぐらい払ってOnkyoにお願いするしかないという。高い! と思うか、あるいは有料にせよ対応してくれるというのは素晴らしいのか。
まあ、他のメーカのことを考えると後者なのかなあ。そういえば音が良くなったような気がします。気のせいですが。

今回ケースを電源抜きで一万円超えるという、個人的には結構な値のものを買ったのですが、これがよかった。全般的に取り扱いがしやすい。5インチベイも3.5インチベイも前から差すことが出来る。また、防振機能も付いている。取り扱いの面倒なCPUファンで多少相殺されてはいるモノの、これまでクソ使いづらい上に共振なさるケースでイライラしていた身としては感動を禁じ得ない。
一万ちょいで、これだけのものなら、soldamとかの三万四万のケースはいったいどれだけのモノだろう。足が生えて町中を歩き回ったりしても不思議じゃないな。

マザーボードに電源ケーブル一本差し忘れてちゃんと起動しなくて、すわ、初期不良か! とか慌てた以外は特に問題なく完了しました。購入店まで持ち込んでしまいましたが。
というわけで現在粛々と環境を構成中です。大体完了した気もします。まえのPCのHDDがそのまま刺さっているのでデータの移行もクソもないので大分楽ちんです。でももう一つぐらいHDDを買って、データをあわせちゃっても良いなあと思います。寿命もあるし。

というわけで、一日使ってよかったところ。
早い。当たり前か。前のは2.60GのNorthwoodのPentiam4だしなあ。何年前だろう。三年以上は前だな。悪くはなかったけど。しかし最後の方はニコニコを見ていると引っかからないことはなかったしなー。それ以前にまともに再生されない場合が多発してたし。多分ソフトのせいではあるけど、重かったのは間違いない。
そういや、コア数は増えているけど動作周波数はあんまり変わっていないんだよなあ。アーキテクチャが違うんだから比較してもしょうがないんだけど、どうも戦闘力=クロック数であるとインテルがアピールしていた頃のイメージが強くて、なんだかちょっと残念気分。
とりあえずOperaを使っているとかなり高速化した感じがする。前のPCではレンダリングがボトルネックになっていたんだなあ。いまは通信部分です。
他にも何をやっても快適。ウイルススキャンをしながら動画を再生しても全然重くなんないのには感動。これがマルチコアの威力か!
気になることとしてはOrchisからHDDにアクセスしたとき妙なタイムラグが最初在ったけど、今はないし気にしないでおこう。動くモノには触るなと、偉い人も言っていた。

あと静か。ケースが良いというのもあるし、CPUがあまり熱くならないというのもあるんだと思う。あとCPUファンが12cmで、温度に対応して回転数が変わるからというものあるだろうな。動作音は聞こえはするが、前のと比べるべくもない。
静かの音も同時に聞こえるぐらい。

というわけで今日は一日ダラダラパソコンを弄ったりしてました。とりあえず動画が見られないと話にならないので、Media Player Classicsを導入。あれ、なんかDivxのコーデックを入れなくても見られる……flvも……なんか不思議! とかやってました。まえ苦労したのに。
どうも内部フィルタで対応しているようです。でも画質が今一です。というわけでffdshowも導入。ぼちぼちとMPCをみながら、コレまで分からないのに適当にやっていたDirectShowを漠然とではあるけど把握する。おお、なるほど。あと、GPU支援はないのね。
というわけでffdshowのフィルタを弄りながら、アニメが何となく綺麗に見られる設定を探る。画質のプロパティで輝度とか色味を弄って、ノイズ低減を行って、ワープシャープで線を綺麗に。よく分からないのでかなりいい加減ですが。
それに、ソースによっても設定は変えないといけないんだろうけれども。

しかし、快適、快適で、とりあえず大満足です。やっていることは何ら変わらないんですけどね。

その他

この前某所の広場でどっかの学校の生徒がビッグバンドジャズというんですかね、スウィングガールズみたいなのをやっていた横を通りかかりました。音楽の善し悪しは余りよく分からないのですが、なかなか迫力もあり観客がたくさんいるのも分かるなあとは思ったんですが、お腹の緊急回避のために一旦離れ、回避終了後にまた見に行ったら終盤だったわけですよ。まあ、それはいいんですが。
で最後の曲が良い感じで盛り上がってきて、僕もなんだか盛り上がってきたわけですが、奏者たちも盛り上がってきたのか、それまで背筋を正していた彼らも、突然立ち上がり、右に左に身体をびゅんびゅん揺らし始めました。
一糸乱れぬ動きで。
それをみて、なんだか背筋がかゆくなるような何とも云えない気分になりました。僕の先入観なんですが、ジャズってどちらかというと自然体で盛り上がる、という印象があったんですよ。演奏で聞いている人を楽しませるのは勿論ですが、奏者自身も楽しむみたいな。いや、完全にスウィングガールズの印象なんですが。

それが、演奏にノッている演技を北朝鮮のマスゲームばりに合わせられると、ちょっとこう、エエエエエエッって感じです。実際はもうちょっと直接的な言葉を思い浮かんだんですが。

いやー、何というか背後に影を感じるというか。
悪いわけでは全然無いんですが、なんというか、なんでしょうね。
立ち去りました。


高度に進化したイラストトレーサーはアクリル板と区別が付かない。


ニコニコ動画がSP1になったようです。
トップページは相変わらず情報過多で、かつ散漫なので分かりにくいなーというのが正直。トップカテゴリーの表示方法は前の方が、特に解像度の低い画面では良いんじゃないかと思う。
トップカテゴリーの並び替えには少なからず意図を感じる。著作権に引っかかることの多いカテゴリーがわりと後ろに持って行かれている。ニコニコムービーメーカーとかもアレだけど、ユーザがつくった動画がメインになるようにしているんだろうなあ。
ひろゆきの対談でも、著作権的にあれな動画は単に邪魔であるみたいな事がかかれてたし。

実際の所MADとかはどういう風に考えているんだろう。音楽はJASRACがあるからどうにかなるのかもしれないけど、映像素材ってクリアにしようがないよなあ。
放送局へのアピールとかもかなりやっているよなあ。まあ、そりゃそうだ、というかんじか。

うーん。しかしニコニコでアニメを放送をするとか、新しい展開には事欠かないな。ゲームをアップしている人もいたし、時報ゲームとか。後者はまだやってないけど。
時報ウザイとはいうが、TVのCMに比べれば別に全然だよな。オンデマンドだから気になるというのはありそうだけど。

あとMikuMikuDanceと、Phunはすごいな。
どちらも自分でまともなモノが作れる気はしないけど。


mixi、の利用規約変更は良いとして、平城遷都1300年祭マスコットキャラクターの盛り上がりは気になる。自分の感情に何処までも忠実というか、前頭葉を通さない脊髄反射的な思考と行動、想像力の欠如と欠如への無自覚と奇怪な正義感、そして異様なまでの不寛容さは、まあ別に今に始まった事ではないのかも知れないし、別に人のことをどうこう云える訳でもないが。
行き過ぎと揺り戻しで適当な所に行って、忘れ去られていくのかな。既に消されてしまっているが作者が公開した批判メールは強力だ。もう一度見たいが、魚拓とかないかなあ。と、思ったらあった

ネットが人を変えるのか、声が通りやすくなったのか、社会情勢が悪いとか単純にどうこう云える話でも無いでしょうが、こういうのをみると、なんだかなーという気分と、おもしろいなーという気分が色々湧いて出たり、適当に考えてみたり。何が分かるでもないけれど、こういうアホみたいな騒動が色々見られるのは、いいなあと思ったり。

何が言いたいのか分からん文書ですが僕もよく分かりません。他人はよく分からないという話かも知れない。
自分もよく分からないという話かも知れない。

2008年03月07日

読書感想文

■三谷 直之、米田 聡「パソコンネットワークの仕組み」
TCP/IP、Windowsのネットワーク、インターネットの仕組みについて「これ以上やさしく書けない」ぐらい易しく書いた本。確かに分かりやすかったです。
実のところネットワーク関係は、というか、もあんまり得意ではないので、時々読むんですが、実践が伴わないので、すぐ忘れます。で、また時々読みたくなる。
繰り返し。
この本については僕には、Windowsの共有の話が目新しかったです。

昔ダンジョンシージというゲームを自分がホストになって友人とネットワークプレーしようとしたんですが、ポートが分からなくて、ポートの開け方も当然分からなくて、NATも静的IPマスカレードも全く分からなくて、挫折した覚えがあります。
その頃を考えれば分かるようにはなっているな、とは思います。
pingも使えるようになりました。

■速水 健朗「自分探しがとまらない」
古今東西の様々な自分探しと、そのルーツについてサーベイしてまとめ上げた本、面白かったし、内容も濃いし、なにより読んだら何か言いたいという欲求に駆られる時点で負けた気分ですよ。

個人的には所謂ところの「自分探し」はバカにしているし、且つまた周りにそんな人がいないので心おきなくバカにしていると公言してしまう。が、しかし、そういうわかりやすく「自分探し」ではないがそれに類するものが違う顔をして忍び寄ってくるのにはゾッとする。
とりあえず就活はアレだ。就活本は確かに気持ち悪い。ゾッとする。あんなものを読んで感動したり、まに受けたりするのはガードが弱いというか、心弱りすぎだ。就活の不安につけ込んだああいった輩が商売しているんだからどうかと思う。

なんというか自己啓発が嫌いだ。
宝くじは買わないと当たらないよ!!
買うだけ損だけど!!
みたいな感じがする。期待値を考えてという話ですが。

夢を持てとかやりたいことをやれ! とか言っている人はその空っぽの頭を飢えているウサギの男の子にあげて、パン屋で新しいのを一つ買ってきた方が良いとおもう。それともやれっていうのはあれか、二人の同意がないとつかまったりするアレか?

やる人はやらずにはおられないからやるわけだし、やらずにはおられないわけではない人が、そういう人を見て焦るような風潮をつくっている人間は、大罪人だ。
大事なのはやりたくないことや、なりたくない状態をどうやって避けるかだろう。

本の内容から大分ずれた感ですが、なんというか、人に不安をつくり、煽り立て、それにつけ込むようなやり口は、どうしても好きになれない。商売のやり方の鉄板なのかも知れないが、やはりどうかと思う。

自分らしさ。自分らしさ。自分らしさ。
家でパンツ下ろすのも、外で人と話ながら外面取り繕うのも、ブログで糞みたいな文章を垂れ流すのも、やらなければならないことに取りかかれないのも、やった方が良いことをやらないのも、記憶力が悪いのも、オタクなのも、いい加減なのも、自分らしい自分らしさ。自分は状態。
状態は変わりうるし、厳密な不変量は存在しない。
まあただ自分の判断の根っこ近くにあるものは分かる範囲で自覚しとくと便利かなとは思う。

成功哲学やら自己啓発やらライフハックソやらのベースになっているというニューソートの話はちょっと面白そう。

■川端 裕人「動物園にできること」
著者がアメリカの動物園を色々と取材しながら知ったこと、考えたことを幾つかのテーマにわけて書いている本。
これはすごい。読んでココまで衝撃を受けた本は久しぶり。当たり前のように街に存在する動物園に、こんな興味深い話があることを知らなかった。本を読むのは自分の無知を確認することだと本当に思う。

まず、本で書かれているアメリカの動物園の取り組みが、単純に面白い。例えばランドスケープイマージョンというものは、動物の展示に際し、その動物のもともとの生息地を模した空間を作り、柵をなくし堀を隠し、まるで自然に存在する動物を見ているかのような錯覚を客に与える。あるいは、動物が限定された空間の中でも良く生きていけるように、遊びを与えたり、あるいは餌の与え方を工夫することで、動物本来の行動を引き出したりストレスを減らしたりするようなエンリッチメント、などといった様々な展示の工夫は読んでいるだけでも、心そそられる。そして、実際に見に行った人は楽しむのではないだろうか。
しかし、それらは、実際どの程度意味のあることなのか? 
あるいは時に動物園は希少種を守るために力を尽くす。日本ではトキの繁殖などがニュースになっていた。アメリカでは、絶滅寸前のコンドルの保護、繁殖を行い、野生復帰を行ったりする。
それは素晴らしいことだが、多大なお金をかけて、必ずしも成功率の高くない繁殖、野生復帰はどの程度やるべきだろうか。絶滅の危機に瀕する動物種は多く、全てを同様にすることは出来ない。
それならば、人間が破壊し、分断していった自然を守るべきか。どう、動物園は関わるべきか。

動物園の果たすべき役割とは何か。客を楽しませること。啓蒙すること。研究すること。希少種を保護すること。繁殖させること。あるいは、生息地を守ること。
そういった数多くの、時には相矛盾し、多くの人間の考えがぶつかりあう中で、誰もが悩みながら最善の姿を模索する動物園の取り組みを作者は一人称視点から鮮やかに完結に書き出す。
そして、作者はそれぞれの取り組みに、感銘を受けたり、あるいは反対しながらも、どれにも深く入り込むことはない。適切な距離を保ちながら、思い入れありながらもするどく批判的な視点で記述していく。ある時は、動物に固有の権利を認めるアニマルライツの運動家とともに動物園を見て回ったりする。そこではアニマルライツの運動家もまた、動物園への単純ならざる思いを抱いている。

この本は作者の見たもの、考えたことを書き、動物園という一つの大きな問題を提起しているが、こうであるべきという答えはない。また、この本が出たのはもう十年近くも前であり、現状は大きく変わっているのだろうと思う。

興行としての動物園しか知らなかった自分にはいろいろ衝撃な本だった。因みに僕が最後に動物園に行ったのは何年か前で旭山動物園が最後だった。ちょうど来場者数が上野公園を越えたということで話題になっていたころだった。
面白い展示だとは思ったが、モンキー! と叫ぶ子供と、自分は何も変わらなかった。

■小島 寛之「なぜ数学でつまずくのはなぜか」
しまった、数学はもっと楽しめたかも! と思った。いや、前はこんな風に楽しかったのかな、かも知れない。
高校までは数学は割と出来る方ではあったんですが、大学になってからは……
まあ、なんかアホみたいに出来る人もいたし、授業もアレでしたし、専門になってからはあんまり難しいことはやらないので、なんだかいつの間にやら苦手意識が付いてしまったんですが、久々に心が洗われるような気分になる。

この本は、塾で子供に数学を教えてきた著者が、代数や幾何などで子供たちが何故躓くのか、そしてどうやって考えるのか、あるいは人間にとって数学とはどのようなモノなのかについて書いている本。
教わってからずいぶん立つ人間にとっては、完全に当たり前としか思えないけれども、マイナスの数字とマイナスの数字を書けるとプラスになることでさえ、自明のことではない。ましてや代数学ともなれば、分からないことは往々にしてある。中学幾何かは不自然すぎてやるのが苦痛だったりする。象はネズミより大きいぐらい当たり前なことを、なぜ回りくどいやり方で証明しなければならないのか。見れば分かる、じゃないか。
そういった数学を初めて学ぶ人たちのつまづきやいらだちを丁寧に拾い、実際はどうなのか、どう考えるべきかについていろいろなアプローチで上手く説明している。このあたりはさすがたくさんの子供を教えてきただけのことはあるなあ、と唸らされてしまった。
関数とグラフを結びつけるのは当たり前ではない! というのは個人的には大事なのではないかと思う。
しかし自分が中高、数学でつまずかなかったのは、単に考えなかったからではないのかと、ちょっと思わされてしまった。

もっとも、この本自体は教える側に向けて書かれているのかな、という気はちょっとする。著者の数学への考え方を書いているのだとは思うけど、アフォーダンスやウィトゲンシュタインの話が出たあたりは、僕にはウッとなってしまった。僕の問題かも。
あと、ノイマンの自然数の定義は、面白いなあと思ったんですが、なんだか腑に落ちない。なんだろうなあ、と思ったんですが、当たり前のように離散的な見方が使われているのが変な感じがする。なんだろう、自然数的なものを使って自然数を定義しているような感じがして。というか自分があまりに当たり前に捉えているモノを定義するのに使っている道具が、適切なものに思えない、という感じ。
というと自分は集合がわかってないのかー。まあ、勉強してないしなあ。

いやしかし、必要にならない限り勉強し直す気にはなれないけれど、もうちょっと娯楽としては数学を楽しめないものかと思ってしまいました。良い本でした。


■遠山 啓「数学入門 上」
というわけで、上記の本で言及されていた数学入門を買ってみました。初版は1959年! 歴史のある本です。数学が好きな人は結構小学校とか中学校で読んでいるという情報を仕入れました(サンプル数十以下)。
いやー濃いです。内容がみっちりつまっている。入門は入門かも知れませんが、中々容赦在りません。読めば面白いですが、結構わかんなくなったりします。しかし面白い。

数学的な内容の面白さも在るのですが、博覧強記な作者の豊富な話題が面白い。特に最初の章、数のあけぼのの面白さは感動ものです。そもそもの数という非常に根本的な抽象化、二つの卵と二日という、全く違うものを数で抽象化して同じように扱ってしまう、数の面白さから始まって、二進数の文明、四進数、五進数の文明、はたまた六十進数のそれなどから現代に至るまでの数の進化が書かれています。
離散量と連続量、負の数、分数、有理数無理数、そして虚数にまで数の体系が拡大することで数が四則演算とその逆演算に対して閉じるまで。

数学は学校で教わると歴史の空気はぬぐい去られ、もとよりそうであるもの、を学んでいるような気がしてしまいますが、この本を読むと数学が長い間を書けて辿ってきた道のり、発展の歴史、つまるところ数学が静的でまるで天から振ってくるものではなく、人の泥臭い営みから生まれてきたものであること、そしてそのダイナミックな変化を肌で感じることが出来ます。

他にも例えば中学で習う、ユークリッド幾何学。数学においてアレがなぜ重要な意味を持つのか、「原論」が聖書に次いで売れた本であるのは何故か、そして何よりなんであんなものを勉強しなければならないのか、もわかる。正直ユークリッド幾何を歴史や、数学の中で持つ意味から切り離して教えるのは、誰にとっても不幸だとしか思えない。だってあんなにつまらないの理由もなく教えられても困るし。高校行ったら使わないしね……。
まあ、そのあたり前提に頭に入れててもユークリッド幾何の章はつまらなかったのでとばしましたが。

しかし、自然数は一貫して神秘だ。

■野崎 昭弘「不完全性定理」
さらについでに、どっかの書評サイトで中学生でもゲーテルの不完全性定理がわかる! と煽られていた本を読んでみました。
そうか……僕は…………

というより、知らない話題がばんばん出てくるので、腰を据えてちゃんと読まないと分からないな、という感じです。さらりと読んだだけで分かるほど理解力があるわけではないので。

本のつくりとしては、ユークリッド幾何と論理学の成り立ちからはじまって、集合論、形式的な証明、超数学、不完全性定理という流れで、歴史を辿って基本的な知識を追いながら本題の説明に至るんですが、形式的な証明の話から読み方が雑になり、超数学で話が追えなくなり、不完全性定理では、とりあえず読んだぜ! という感じに。
まあ、雰囲気は、分かったような分からないような。途中まではかなり面白かったんですが、もうちょっとちゃんと読まないと分からないなあ。

本中にも書かれていたけど、ゲーテルの証明と情報分野への近さを感じたのは、興味深かった。あんまり自分が学んだことのルーツとか知らなかったので。

あと、スティーヴン・バクスターの「ジーリー・クロニクル」が前よりもちょっと楽しめるようになりました。それだけでもちょっと嬉しい。


■西田 宗千佳「美学 VS 実利」
久多良木健クロニクル。すごいタイトル。
プレーステーションシリーズの中心として、ソニーグループの一つの顔として有名な久多良木健の、プレーステーション以前からPS3までを書いたドキュメンタリー。いやー、コレは面白い。
ネットでは発現をおもしろおかしく取り上げられることも多く、毀誉褒貶の激しい人ではありますが、これを読むと思っていた以上にただ者ではなかったのかと感心してしまった。
技術者としても傑出しているし、ただ優秀なだけではなくビジョンが確固としていて、かつ特異だ。ゲーム業界やコンピュータに多少なりとも関心が在れば、読んで損はないと思う本だった。

本筋とはそれほど関係ないけどPSPの話。
PSPの□ボタンは発売当初散々設計の問題だと言われていたが、製造の問題であり、しかも0.6%程度だという話だった。XBOX360スキーに謹んで申し上げたい気分だ。関係ないけど。
まあ、なんというか。
どうでもいいんですが、PSPをAVプレイヤーとして売るのは、画面と十字キーとボタンという外見にした時点で不可能な気がする。

いろいろ言われたけどPS3もある程度定着している。Wiiだって言われているほど盤石でもないのかなという気はする。PS3の既知街じみた性能が発揮されるソフトが出てくるようになれば、PS3ももっと面白くなるんだろうなあ。
というわけで、ちょっとPS3が良いなあと思ってしまった。

■清水 美和「「中国問題」の内幕」
いやあ、そういえば中国ってサッパリ知らないなあ、とちょっと思ったので読んでみた。なんというか、新聞も読まないし、興味もなかったので、自然と目に入るネットでの脊髄反射的コメントしか見なかったんですが、それもなんだよなと。
共産党の政治を中心に、経済とか報道とかをザックリと。
ヘーとしか感想がないですが。あと一文字名字がいっぱい出てくるので、だんだん話が追えなくなります。
しかし政治は奇々怪々だなあと、改めて思う。もう、サッパリ何が何だか分かりません。腹芸っていうんですかね、こういうのって。

まあしかし、農業戸籍と非農業戸籍さえ知らなかった僕には、知っていることがなかったので、お腹いっぱいです。
んー文革の読みやすい本ないかなあ。

■藤村 幸義「老いはじめた中国」
中国の高齢化を扱っているようなので結構面白そうだなあと思って読んでみた。政治じゃなくて経済の話が中心なので読みやすい。
一人っ子政策の結果、日本以上に極端な年齢別人口分布になった中国がどうなるのか、とか、いろいろな事の結果出てきた歪みやら格差やらはどーなるんでしょーねーという内容。すみません適当にまとめました。

ちょっと面白かったのは中国で「中国的品格(中国の品格)」という本が売れているという話。同じような本が売れているのかなあ。どちらも読んでいないので何とも云えないけど。

2008年03月04日

アレはソレの一部です。

顔の一部を取り替えました。ビバ、サイバネティクス!!

先々週にスキーに行った際、帰りのバスで疲れて寝ているときに、座席にぶつけてひん曲げてしまったのですが、その後何度調整してもらってもしっくりこないので、もういい! じゃあ新しいの買うよ!! と短気を起こして買ってしまいました。心はともかく、懐に痛い。
その間、とにかくあわずに鬱陶しかったので、接触主義者にでもなろうかとも思いました。柔らかい接触は昔一度試して、指の眼球に対する接近への恐怖から、その後二度と使うことはなかったのですが、硬い接触であれば、装着時にも脱着時にも比較的やりやすいかと思ったのですが、まあ、とりあえずやっぱり怖いので止めました。

枠がそれなりにお高かったので、光学的部品を安くすまそうと、別の店で入れてもらったら、その部分に関しては半額以下ですんだ。面白いですね。
モダンのあたり具合が、コレまでとかなり違うのでまだちょっと違和感があるけど、まあ、放っておけばなれるだろう、と、期待する。
調整自体はもう一度いかんとならんけれども。

しかし、顔の小さい人を見ると、ずいぶん楽そうで羨ましく思える。女の人とか特に。小顔になりたいわ。大きい枠ってあんまりないんだよなあ。

そのうちサイバネの目で生体のそれより高性能なものが開発されると信じてはいるけれども、問題はそれまでどうするかと言うことです。このままずっと同じように行くか、接触主義者になるか、あるいはレーザ手術を受けるか。
レーザは気が付けばずいぶんと値段が下がり、20万よりずいぶん安くなっている。正直、安すぎて怖いぐらい。ああ、でも体験談みたいなのを読むとやりたくなるなあ。乱視+強度近視でも、一応大丈夫そうだし。

裸眼で見えたらどんなにか楽だろう、とは常々思う。裸眼で見えていたのは遙か昔なのでどんなんだったかは思い出せないが。そのころは左目2.0 右目1.5は在ったんだよなあ。信じられない。十年以上たったとはいえ、二桁下がっているってどういう事よ。

絶対大学入ってから結構下がったよなあ。


そんなわけで、このまえ、どこかにスキーに行ってきたりしてました。
おいおい、行ったのにどこかはないだろうと言われるかも知れません。しかし、たとえば行った先の地名に「長野」と書いてあった場合、それが果たして「ながの」なのか、あるいは「ちょうや」なのか、はたまた「ちょうの」、「ながや」であるのか、僕たちにはうかがい知ることは出来ません。
そう考えると、僕たちは自分たちのいる場所を確率的にしか知ることが出来ません。
漢字の神秘だ。

2008年03月01日

にっきとか?

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なんだこれ


つっこまれたのでちょっと調べてみた。助けて! グーグル尊師(グル)!!
なぜ氷の上は滑るの?。どうも圧力融解説は、既に否定されるようです。ずいぶん前にどっかの雑誌で読んだママ、ずっと信じておりましたでございます。しかし、ずいぶん前に否定されているんだなあ。寡聞にして知りませんでした。
ただどうも現在でも非専門家の間では信じられていることも多いようで、この説を元にした説明もいろんな本で書かれているようです(自分が間違っても仕方ないよね、というアピール(自分が間違っても仕方ないよね、ということをアピールすることで見苦しいことをしていることを自覚してふざけているんだよというアピール(自分が間違っても仕方ないよね、ということをアピールすることで見苦しいことをしていることを自覚してふざけているんだよというアピールをすることで自分の言説を俯瞰できる人間であることのアピール(自分が間違っても仕方ないよね、という……))))。


OPERAでニコニコ動画がまともに見られない……。すぐ止まる! すごく止まる!!
んーIEとかでは見られるし、研究室のOSXのOPERAではみられるし、これの問題だとは思うけど。めんどうなのら。

なんかしらんがほっといたら直ったっぽいけど。
ほんとうに? 多分。


即断即決! 考えるんじゃない! 感じるんだ!
という方針で。
そして振り返らない。
事にした。


久々に読んでてゴミ箱に捨てたくなる本を買ってしまった。つまらない本は単につまらないだけだから良いんだけど、腹が立つモノはかなわん。でも読み終わってもいないのに捨てるのは気が引ける。
いや、もう読まないんだけどさ。