2008年03月04日

アレはソレの一部です。

顔の一部を取り替えました。ビバ、サイバネティクス!!

先々週にスキーに行った際、帰りのバスで疲れて寝ているときに、座席にぶつけてひん曲げてしまったのですが、その後何度調整してもらってもしっくりこないので、もういい! じゃあ新しいの買うよ!! と短気を起こして買ってしまいました。心はともかく、懐に痛い。
その間、とにかくあわずに鬱陶しかったので、接触主義者にでもなろうかとも思いました。柔らかい接触は昔一度試して、指の眼球に対する接近への恐怖から、その後二度と使うことはなかったのですが、硬い接触であれば、装着時にも脱着時にも比較的やりやすいかと思ったのですが、まあ、とりあえずやっぱり怖いので止めました。

枠がそれなりにお高かったので、光学的部品を安くすまそうと、別の店で入れてもらったら、その部分に関しては半額以下ですんだ。面白いですね。
モダンのあたり具合が、コレまでとかなり違うのでまだちょっと違和感があるけど、まあ、放っておけばなれるだろう、と、期待する。
調整自体はもう一度いかんとならんけれども。

しかし、顔の小さい人を見ると、ずいぶん楽そうで羨ましく思える。女の人とか特に。小顔になりたいわ。大きい枠ってあんまりないんだよなあ。

そのうちサイバネの目で生体のそれより高性能なものが開発されると信じてはいるけれども、問題はそれまでどうするかと言うことです。このままずっと同じように行くか、接触主義者になるか、あるいはレーザ手術を受けるか。
レーザは気が付けばずいぶんと値段が下がり、20万よりずいぶん安くなっている。正直、安すぎて怖いぐらい。ああ、でも体験談みたいなのを読むとやりたくなるなあ。乱視+強度近視でも、一応大丈夫そうだし。

裸眼で見えたらどんなにか楽だろう、とは常々思う。裸眼で見えていたのは遙か昔なのでどんなんだったかは思い出せないが。そのころは左目2.0 右目1.5は在ったんだよなあ。信じられない。十年以上たったとはいえ、二桁下がっているってどういう事よ。

絶対大学入ってから結構下がったよなあ。


そんなわけで、このまえ、どこかにスキーに行ってきたりしてました。
おいおい、行ったのにどこかはないだろうと言われるかも知れません。しかし、たとえば行った先の地名に「長野」と書いてあった場合、それが果たして「ながの」なのか、あるいは「ちょうや」なのか、はたまた「ちょうの」、「ながや」であるのか、僕たちにはうかがい知ることは出来ません。
そう考えると、僕たちは自分たちのいる場所を確率的にしか知ることが出来ません。
漢字の神秘だ。