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電動ジグソーを手に入れた。攻撃力(対木材)が100上がった。理性が10下がった。なお、電動ジグソーを人体またはそれに類するものに対して用いると、各国法律に基づいて刑罰を受ける可能性があります。説明書に従って、用法、用量を守って使用して下さい。
もし、目に入ってしまった場合は、流水で良く洗浄し、違和感が残るようであれば、かかりつけの眼科に受診することを強くお薦めします。
徒歩暴走族は自分たちの足を使って走る。
雪国の冬は長く厳しい。真冬ともなれば、道路は全て雪や氷で覆われ、晴れの日の昼間でもアスファルトが露出することはない。二輪で走れる安全な道はないのだ。そのため雪国では宅配ピザもバイクではなく、軽自動車を使う。卓越した運転技術を持つ配達マンであっても雪道での運転は危険だからだ。
通常暴走族は、おそらく壊れかけであるためにエンジン音が非常にうるさいバイクで低速で町中を走り回る。低速であるのは、壊れかけだからだろう。彼らは古いバイクを修理して使い続けるエコなバイク好きであると言える。あるいはお金がないだけなのかも知れない。
また虚栄心と破滅志向が強く、周りの人間にこの古いバイクに乗っているのが自分であるということが分かるよう、ヘルメットをかぶらずバイクに乗ることが大事だと考える。ヘルメットも何も付けずに原動機付きの二輪であるバイクに乗ることは少なからず危険を伴うが、それは破滅志向ではなく単に思い至るほどの知能はないのかもしれない。僕は彼らが人間であることを確認していない。
しかしそんな暴走族も雪道でバイクを走らせることはない。扁桃体が活動するのだろうか? しかしそれでは虚栄心が満足できない彼らは、徒歩で街を走り回るという道を選んだ。コペルニクス的転回である。どうやら破滅志向はそれほど高くはないようだ。
勿論、脚でとはいえ雪道を走るのはそれほど楽ではない。新雪を漕ぐのは体力を消耗するし、時に雪溜まりに足を取られることもある。一度溶けて固まった雪の摩擦係数は低く、容易に転倒しうる。溶けかけの雪などは最悪と云っても良い。
しかし徒歩暴走族は走る。大声でエンジンの音をのどでマネ押しながら走る。ボイスパーカッションのプロも真っ青なほどの物まねだ。周りから見ると雪のちらつく曇天の下で怪音を発しつつ、時に倒けつ転びつしながら道路を駆け回る彼らは、子どものようというよりは、気の触れた人間に見えてしまうが、おそらく彼らの頭の中では真っ青な空のしたをイカしたバイクで走り回っているのだろう。
秋頃にもなると、大声でエンジン音のマネをする暴走族たちを河原で見かけるようになる。冬に向けて練習をしているのだろう。雪国の風物詩である。彼らも意外なところで努力家だ。何にせよ気の滅入る光景ではある。
しかし近年徒歩暴走族の生態に関する研究が急速に進みつつある。その中で、彼らがどんな雪道でも走り回るという性質を持つことから、彼らを社会の役に立てようという動きが出てき始めた。
雪国の除雪は重労働である。除雪車が道を大体除雪してくれるとはいえ、歩道など小さな道などは人力あるいは除雪機で除雪しなければならない。そんなとき街中を走り回る彼らを適切に誘導し、雪を除けさせる、あるいは踏み固めさせるのである。徒歩暴走族の研究は、音や光、映像を利用することで、ほぼ望み通りに場所に徒歩暴走族を走らせることを可能とした。奇声を発する徒歩暴走族が、街灯やスピーカーの出力に従って走り回る様は実に壮観である。
そんなわけで雪国の人たちは今、彼らを生きた除雪車として温かい目で見守っている。
まったくもってハサミは使いようである。

一、二ヶ月あまり絵を描いていなかったけど、久しぶりにこの前描いたら、楽しくて楽しくて、最近また家にいるときは落書きばかりしてます。絵を描いていると、他何もしなくてもいい気がしてくるのでよくない。
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絵について何か色々書きたい気分が続いたので、普段絵を描くというか、形をとるときに考えていることを幾つか書いてみました。あんまり細かい話を書いてもしょうがないので、おおざっぱなところで。何も見ないで人を描くとかアタリをとるのとかの役には立つかも。

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人体をどう分割するかという話。手足はまあそのまんまですが、胴体は、肋骨、腰骨とその間の三つに分割して把握すると分かりやすい。変形しない骨である肋骨と腰骨が、柔らかいお肉で接続されている。(��)
鎖骨を描いているのは、腕が肋骨に直接くっついているのではなく、鎖骨と肩甲骨の先っぽにくっついているのが分かりやすいようにするため。(��)
あとは、大体見たまま。
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人間の身体も立体なので、物凄い単純化すれば、立方体を使ってこんな感じに描ける。レゴみたい。実際にこんなアタリをとることはないけど、人間って立体だよねー。という気分を感じれれば幸せ。
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身体を前に倒すとき、腰骨と肋骨が��みたいに動いて、その間のお腹のお肉(赤い部分)が変形する。肋骨と腰骨は背骨で繋がっているので、基本的には、おなか側が縮む。
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腕は鎖骨と肩甲骨に接続されている。腕を上げるときは腕だけが上がるのではなく、鎖骨と肩甲骨も同時に動く。そのため、腕を降ろしているときに比べて、腕の付け根が胴体に対して上側に動く。肩をすくめたり、腕に体重をかけたりしても、腕の付け根は動く。
��'は肩甲骨。天使の羽。
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人の身体をブロックのように単純化して把握して書こうとすると、間接の可動範囲がデッサン人形ばりに狭くなってしまったりする。例えば脚を二つ円柱のが繋がったものとして把握した場合、膝を曲げると、赤い部分のように円柱が重なるところがある。実際は肉が変形するんだけど。
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遠近感のある絵を描こうとすると、赤い部分のように奥にあるものは手前にあるもので隠れる。�Δ禄鼎覆辰討い詆�分が少ないけど、実際は割と物凄く重なるはず。
あと奥行きのある形を捉えるときは、断面を意識すると幸せになれる。

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�Δ汎瑛諭�人体の各部分をこれくらい単純化すれば、どんな方向から見た人体でも、アタリをとるのはそんなに難しくはない。多分。
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実際の所人を描くのに一番大切なのって、立体として捉える云々より、プロポーションがちゃんととれているかだと思う。人に限らないけど。人のプロポーションについては、大分前にいっぱいやったけど、それ以来感覚で描いててあんまり勉強していないので細かい話は忘れてる。なので、�┐賄�当。「やさしい人物画」とかの最初に大体キッチリかいてあるので、あの辺をやるといいと思う。
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人が歩くところ。ちょっと酷いなあ。まあ、アニメの教本とか見れば人の歩き方や走り方は絶対載っているし、あとは自分で動いてみたり、動いている人を観察すれば多分オッケー。アニメーションさせるわけでもなければ。
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手を横に上げると広背筋と大円筋が赤い部分みたいに見える(筋肉が発達している人だと)ので、それを書くとそれっぽく見える。
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手がものを持つとき、親指の付け根に沿って持つ場合が多いので、大体��−2のようになる。例えば携帯電話を��ー1のように持つことは先ずない。あと指は握ったときに��ー1のように平行になるのではなく、��ー2のようにお互い向き合う方向になる。小指の外側の部分(赤いところ)は握り拳を造っても手のひらが見える。

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あれ、ないぞ。
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地平線は目の高さなので、同じ身長の人はどんなに遠くにいても図のように目が地平線の高さになる。
地平線より上のものは下の面が見えて、地平線より下のものは上の面が見える。
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ものを立体として捉える基本は立方体なので、なのも見ずに立方体をどの角度からでも描けて、且つ並べられれば幸せになれる。というか出来ないと多分ムリ。
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上は上から見た立方体。こういう角度から立方体を見ると、横の面は物凄く縮んで見える。僕はこの見え方、物凄く大事だと思う。
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例えば立方体の一部がへっこんでいる場合。緑の面と赤い面を比べると、赤い面の方がかなり長いけど、こういう角度から見た場合、赤い部分は殆ど縮むか隠れてみえる。対照的に緑の部分は大きく見える。
窓とかドアなんかはちょうどこういう形をしていたりする。斜めから建物を見た場合、窓は殆ど桟しか見えなかったりする。
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消失点が画面内にあるとき、奥行きに向かう面って殆ど縮んで見える。縮んで見えない場合はよほど手前にあるか、よほど大きいか。
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円を斜めに見る場合、楕円になる。コップの口とか。
端っこの点はちゃんと微分が出来るように描かなければならない。

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ものを描くときは、断面や隠れている面を意識して描くとやりやすい。
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立方体とか三角柱とか円柱とか三角錐など、基本的な立体が組み合わさったときどういう形になるかが分かれば、建物の基本的な構造は捉えやすくなる。左上みたいな屋根の建物は結構ある。
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床が見える絵を描くときは、パースに従った正方形などを床にガイドとして描くと、その上にものを人を簡単に置ける。
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いや、これは自分があんまり出来ていないんですが、木のマッスをちゃんと表現できたらいいなあ、出来たら楽に。とか思ってます。
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最近手前が高い斜面を捉えようとしてちょっと苦労したんですが、何となく感じが掴めたので、メモ代わり。色々いい加減だけど、大体感じは捉えているはず。
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ドンドン適当になりましたがまあ、こんな事を考えて描いていたりします。説明がわかりにくい上に短いので多分難しいですが、参考になる人がいいなあ。