2006年01月30日

↓で、テストしたのはなぜかというと、Movable Typeを2.6から3.2にようやっとアップデートしたからです。なんか物凄く苦労してアップデートをあきらめて、インストールし直したつもりが、アップデートできてました、という不思議話。どうもデータベースに情報が残っていたら問題ないようです。ファイル消したら駄目かと思っていました。
ガワは同じなので、見ている人からすれば特に変化はないわけですが、中身はそりゃもう色々パワーアップしているわけです。いろいろ新機能も搭載しているっぽいし、スタイルキャッチャーとかいう外見を簡単に変えられるプラグインも搭載しているので、いろいろ変え放題です。
変えていないけど。

最近元ちとせにはまっています。いや、前から割と好きだったのですが、この前買った「ノマド・ソウル」が実にツボに入り、こればっかり聴いています。
あと前から欲しかった「冬のハイヌミカゼ」が石丸のソフト1に置いてあったのでバイト帰りにざっくりと購入。ついでに「故郷・美ら・思い」も購入。これで元ちとせのアルバムは全部そろいました。さらについでに冬のハイヌミカゼのDVDも購入したら、アレ? 今日の給料が見えません。どこかへ旅立ちました。さようなら。
冬のハイヌミカゼは実にいいわけですが、別に映像はいらないのでDVDは無駄でした。ほんといらねえ。三千円返せ。音はCDと一緒だし。
 オーロラの空から見つめている、名前のない鳥、音色七色、千の昼と千の夜あたりは最高です。他の曲も甲乙つけがたい。ところで千の昼と千の夜というと日本人としては光瀬龍を思い出すわけですが、億が足りないと言うか、千の昼と千の夜だったら三年弱じゃんというか。だまされるな! そんなに長くないぞ! そういうことが言いたい。
 故郷・美ら・思いは島唄でした。ジャケットにそう書いてありました。
 シングルはどうしよう。カップリングがあんまりCDに収録されていないんですよね。あと二枚ぐらいだから買っちゃうかなあ。という思考の元に財布から金がだだ漏れ。

かみちゅ! のDVD六巻。四巻に続いて未放送話のクオリティが高くて満足。みこの描写がハイレベルでかわいいです。章吉→みこ→八島様→祀→…… たしかに恋は行方不明ですね! そういうことが言いたいわけではない。でもべつに八島様が祀を好きというのはみこの勘違いだと思う。
放送済みの不思議なぼうけんも、多少話の印象が変わるぐらい追加カットが多くよかったです。コメンタリーは聴いてなす。だいぶ前から。正直イラン。
当然のごとく発売日に秋葉原に買いに行った漫画版は鳴子ハナハルの絵の違和感のなさに感動。アニメと同じ話に関しては多少詰まっている感じはするものの、一部のシーンではアニメよりいい流れだと思うほどよくできています。でも「後光がさしてる」のシーンは札つけているのゆりえじゃなくて光恵だよなあ。ゆりえがつけてても意味ないし。ちょっと気になる。

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冬のハイヌミカゼを聴きながらグッタリしてたら↑がアマゾンから届いた。仕事はええええ! 
じゃなくて、また無駄遣いしてしまった。何で買ったのかというと、DVD六巻を注文したときに、いよっし、ついでに注文しておくか、という勢いが僕のなかに生まれたからです。2200円ぐらいだから別にいいんですが、どうもこういう無駄遣いが多く、実に無駄遣い。金があっても僕はろくな使い方をしません。
つか、そもそも使い道が限られているというか、(衣)食住をのぞけば、パソコン関係、小説、漫画、画集、CDぐらいしかつかわないしなあ。まあ、それはどうでもよく、とりあえずこのSRDXかみちゅ! 一ツ橋ゆりえです。フィギュア関係はほぼ無知なのですが、まあこんなもんか、と言う感じです。つまりそんなによくない。全体的に作り込みが甘いというかこの程度の作り込みだったらもうちょっと小さくしないとあらが目立つなあ、と。離れてみればいいんですが、それもどうかと思うし。そのまえに継ぎ目の目立ちっぷりは嫌がらせ? 量産の質が低いのか。原型はもっといいのかなあ。
でもパンツを作り込む前にこの適当な左手とかスカートをどうにかしてくれと思うのは間違いではないはず。見えないところをどうにかする前に見えるところをどうにかしてくれ。
しかし立体の相場がわからないんですが2000円だとこんなものなのかなあ。サイズはともかく食玩のほうが見栄がいいきがする。
今気がついたのですが、これと今日買ったCD、DVD会わせるとちょうど給料だ。もったいねー。
しっかしこれどうしよう。本棚の上にでも飾っておくか。御利益御利益。
やばいミスを見つけてしまった卒論がこのままどうにかなりますように!

2006年01月27日

てすと

2006年01月24日

ラーメン

なんか世間では人気の高いラーメン。なんでかみんな大好きですね。ラーメン専門店が定食屋並みにあるし、ラーメン好きの多さに驚きます。周りを見ても何人もラーメン好きいますし。らーめんオタ。
あそこのラーメン屋が美味しいだの、あっちのラーメン屋の何々が美味しいだの。
ラーメン通ってか。

僕は食べる楽しみというものがあまりわからないのですが、ラーメンの人気については特に理解しがたい物があります。
いや、もちろんラーメンに限らずどんな料理でも好きな人間は多かれ少なかれいるでしょう。蓼食う虫も好き好き(って失礼な言葉ですみません)。しかし、ラーメンが置かれている立場というのは一種特殊な物があるような気がします。
僕には他の料理で、「俺ラーメン好きなんだよ」とかさまざまな場で公言されたり、それで話が盛り上がったり、好物だからって週に何回も食べられたりすることは無いように思われます。
しかも御当地ラーメンとかいって札幌ラーメンだのなんだの、あと味付けとかで理解しがたいまでに細分化しています。
何が言いたいかというと、なんでラーメンがそういう地位を得たのか、さっぱりわからんと言うことです。僕は外で食べたラーメンで美味しいと思ったことがないので、美味しいラーメンと聞けば西に行ったり東に行ったりする人が"いっぱいいる"と言うのが不思議に思えます。
というかラーメンじゃなくてもいいじゃんって。料理の種類は数え切れないぐらいあるわけだし、麺類っていうならソバとかうどんとか、スパゲッティーとか。ラーメンよりよっぽど美味しいじゃん! という個人的な味覚はさておいて、ラーメンが抜きん出ているところが知りたいような気がします。
で、理由を適当にでっち上げてみた。
思うにラーメンは数ある料理の中で、もっともコダワリを持つのが簡単というか、敷居が低いんじゃないかと思います。一つの料理なのに、細かい違いでいろいろな種類があり、かつその違いも味付けや、トッピングなどほぼ体系化というか整理されている上に、違いも明白かつなので、知識も楽にたまり批評がしやすい。
定食屋なんかだと、店全体の味の善し悪しは語れても、ここの料理について語れるほどバリエーションがあるわけでもない。ラーメンなら、語る対象が一つにしぼられているために、語る言葉も割と限定されます。いかにもそれらしい知った口を聞きやすい。つまり比較的楽に食通を気取れる。
それに何処にでもあるし、入るのに抵抗があるわけでもない。何より安い。誰でも気軽に食べられる。テレビや雑誌で取り上げられる類の物のなかでは、敷居の低さが際だっています。オシャレとかそういうこともなく、どんな層でも気後れすることはありません。気安さで言えば、マクドナルド並みです。
また、情報が入りやすい。
まとめると、料理についてちょっと語れるようになりたいけど、金も労力もかけたくない(あるいはかけられない)人が通を気取るのに最適なのが、ラーメンであり、それ故に今のような特殊な地位を得たのではないか、ということです。
どうでしょう、個人的にはすっきりしました。
とは言ってもラーメンも最初からバリエーションが豊富だったわけでもなく、ラーメン屋も何処にでも在ったわけでもなく、いろんな人の努力で今のようになったのですから、乱暴な意見ではあるのですが、最近(といってもここ数十年)ラーメン好きになった人はこんなものじゃないかと思います。

なんか適当なのに割と失礼な意見を書いたような気がする。悪意はありません。
ごめん嘘。かなりあります。悪意というか、自分が理解できないのに非常に人気がある物へのなんなんだよ! と言う気分の発露です。
なので別にラーメン屋やラーメン好きを否定する訳じゃありません。
悪意はあるけど。

で、本題というか個人的な話。
もともとラーメンを進んで喰うことはないのですが、最近人に連れられてラーメンを結構食べました。食べたのですが、なんというか……正直味の違いが全然わかりません。
あの店の塩ラーメンとこの店の塩ラーメンの違いがわからないとかそういう低いレベルではなく、あの店の豚骨ラーメンとこの店のみそラーメンの違いがよくわからんとか、そういうハイレベルな話です。
こっちの方が美味しいとかは、もちろんあるのですが、それにしても後に「……ような気がする」という但し書きがつくぐらい、僕の中ではドングリの背比べです。
麺の違いはある程度わかるし、それについては好き嫌いもある程度いえるのですが、汁はもう、全然わからない。ホント。
だから自分に持っていない能力を持っている人を敬うという観点からすると、僕はラーメン好きを尊敬します。ラーメンの味の違いをわかる能力を尊敬します。
悪意はありますが。

味がわからないからってこんな文章書くなとラーメン好きに言われそうですが、そういうことではありません。

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ペンの練習。

あとSFの感想

カート・ヴォネガット(いつの間にかジュニアがおちてる)のガラパゴスの箱船を読了。おもしれー。朝読み始めて、そのまま読んじゃった。大学行くのが激しく遅れる。
ヴォネガットは、タイタンの妖女とローズウォーターさん、あなたに神のお恵みと併せて三冊しか読んでいないんですが、どれも凄いおもしろい。おもしろい上に独特の味わいがある。超越的な視点が人の人生をシニカルに書く物語は、淡々と描かれていながら、盛り上がれ的な文章よりもよほど心に響きます。
とくにこのガラパゴスの箱船は現行人類の発達した巨大な脳は、進化の大失敗作であるという一つの仮定の下、人類が地球上からほぼ滅びた後、たまたま生き残った人々がガラパゴスの一つの島で百万年かけて"生きるのに最適なように"進化していく、というなかなかすてきなお話です。こういう話やっぱ大好きだわ。うん。

あとマイク・レズニックの第二の接触もよんだー。これも面白い。キリンヤガや、パラダイスを読んだときは、しんみりした話を書くのが得意な人だと思っていたけど、エンターテイメントも物凄く上手い。僕が読んだSFの中では一位二位を争います。SFとして高い評価を受けるのは、むしろバランスの悪い何か突き抜けた部分があるところなのですが、読んで単純に面白いのはこっちの方ですね。
で、この第二の接触は前読んだサンティアゴには一歩譲りますが、ストーリーの引きつける力はさすがです。予定調和的な終わり方も、悪くない。でも全体的にサンティアゴの方がずっとよかったですね。

わりと前に読んだのでは、ウィル・マッカーシイのアグレッサーシックスというのが非常によかったです。設定はありがちな異星人とのミリタリー物です。異星人との戦争物というジャンルは個人的には今ひとつ好きではありません。異星人というか地球外知性は人間には全く理解できない存在である、というのが僕は好きなのですが、戦争物では戦争する以上、利害ができる程度には理解し合っていなければならないので、好きになれる物があんまりありませんでした。というか好き嫌いを語れるほど読んでいませんでした。宇宙の戦士も途中で止めたし。
しかしアグレッサーシックスはその辺の落としどころが非常に上手く唸らされ、楽しく読み終わることができました。理解できない地球外知性の接触はレムのソラリスが在るわけだし、そこで終わるのもつまらないのでこういう上手い折衷アプローチを読むのはうれしい。タイトルと表紙からB級臭を感じ期待しないで読んだのですが、いい買い物でした。この作者の他の本も早く翻訳されて欲しい。

2006年01月20日

いろいろ

エドモンド・ハミルトンの眠れる人の島を読みました。幻想怪奇編だそうな。フェッセンデンの宇宙からハミルトンを読み始めた僕には特に違和感はないのですが、スペオペの印象が強い人には、ハミルトンの意外な一面! みたいな感じなんだろうなあ。
久々に読んだファンタジーだけどおもしろかったし、何より非常に読みやすい。ファンタジー読む気力が起きない僕でも十二分にイメージを浮かべることができた。あと全体に漂う「古き良き」な雰囲気がたまらない。
SFの話になりますが、ハミルトンとかスミスとかからニューウェーブ前からいる作家のが一番好きなような気がする。もちろん最先端のイーガンとかバクスターとかソウヤーとかも好きではあるのですが、読んで胸が躍るのはどっちかというと昔の人なんだよなあ。
単に常識の範囲内でイメージできるから、と言うことかもしれないけど。
ともあれ僕の読書量では当分読む物がなくなることは無いだろうから、あんまり考えずに適当に目についた物を読んできゃいいか。
あと最後に収録されている生命の湖を読んで、山田章博がラストコンチネントでやりたかったのはこれかと納得しました。パルプというか。今読み返せば、前よりもっと楽しめるのかも。

そういえばブライアン・ラムレイのタイタスクロウの長編がいつの間にか出版されていました。地を穿つ魔。クトゥルフ物。
クトゥルフ系の小説も早々に飽きてしまっていたのですが、タイタス・クロウの事件簿はおもしろかったので、購入。ホラーじゃなくてマッチョなのがよかったのかな。
ホラーでクトゥルフを扱うなら小林泰三みたいに、チラッと見せるぐらいの方が個人的には好きです。体系化された設定を持ち出されても激しく萎えてしまいますし。
あとはアーカム計画みたいなのとか。しかしアーカム計画って酷い邦題ですね。直訳で怪異なる永劫とかでいいじゃん。

友人の家でかしましを視聴。なんかしらないけど宇宙人に女にされた少年がよし、女として生きていこうとか決意しつつ、ブラジャー買ったりする話だった。
正直見るのがきつい。なんかノリについていけない。最近ネギまも目がツルツル滑ってちゃんとは読めないし、どうもこの手の物への受容力が減っている気がする。
性転換ものの話だと彼が彼女になったわけ、という小説が無茶苦茶おもしろかったので、どうしてもそれが基準になってしまう。ちなみにその小説は別にSFでもファンタジーでもなく、単に歯の治療に病院に行った男が手違いで性転換手術を受けてしまうという設定なんですが、これが物凄くおもしろい。主人公が色々失敗しながら、女としての知識とか習慣とかを身につけていくところとか、なんというかグィンの幻影の都市で記憶喪失だったフォークが世界の知識をつけていくところにも似た類の興味深さとかがあります。男の僕としては。
まあ、それと比べると……、と言う話で、比べてどうするという気もしますが。でもハインラインの悪徳なんかこわくないも読めなかったし、彼が彼女になったわけがよくできすぎているだけ、なのかもしれない。というか僕の中の評価が高すぎるのか。
しかし、あのノリは何なのだろう。特に先生とか、友人の男とか、ヒロインとか。と、思ったけど、他の人から見たら、僕がはまっているかみちゅ! もかしましも別にたいした違いはないんだよなあ。女子三人だし。同じように楽しんでいる人もいるしなあ。なんだかなあ。
そういえば最後のシーン「おねにーさま」
あかほりだ。悲しいぐらいあかほりだ。そんな再利用しないほうがいい単語再利用しなくても。ああ昔の記憶が思い出……
思い出したくもないな。

卒論からの現実逃避に今更ながらにFateを始めてみたんですが、メニューに行くまでのオープニングの長さに絶望する。しかも調べてみたら、平均プレー時間60時間。あり得ない。やめました。

借りた僕の小規模な失敗をよむ。おもしろい。でもこの作者結婚しているんだよなあ。
じっと手を見る。
見るのを止める。

2006年01月12日

またチャックあいてたよ! 意味わからん。
いやもうこれはですね、新たな物理法則としか思えませんね。僕のはくズボンのチャックは自然と開く。僕の豊かな知識から察するに、多分ニュートリノとかがぶつかっているせいだと思う。
物理学者は何をやっているんだ!!!!
カミオカンデなんて大枚はたいて作っている場合じゃあないでしょう、マッタク。

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学会用の論文提出。二ページだけど。改良実験間にあわんかった。もうクローリングとかしたくない。
提出後部室に行ったら一二年が誰もいない。金曜の夕方なのに。昼とかはいるのかなあ。
絵は部室の扉の前に貼るという設定で描いたヤツ。こういうの、描くのは楽しいんだけど、なんだかなあというか。
絵が上手くなりたいなあ。
と思うけど、根本的な問題として別に描きたい絵がない。メカが描きたいとか、女の子が描きたいとか、クリーチャーが描きたいとか、エロでもいいんだけど。どうも、そういう動機になるモノがないので、練習する方向性もよくわからない。
惰性で落書きしていてもあまり上手くならんよなあ。最近は漫画描いているんだから、漫画に絞って練習した方がいいんだろうけど、漫画で描かなきゃいけない絵って面倒だから練習する気にならない。それが駄目なんだけど。
目的意識の欠如はいかんともしがたい。これで喰ってくわけでもないし。同人で有名になりたいと思っているわけでもないし。と言うところに落ち着いてしまっている感はある。
ほかに趣味も無いわけだし、どうにかならんかな。

2006年01月11日

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年賀状以外では久々に絵の更新。
もうちょっとちゃんと描き込もうかと思ったけど、ブラシの挙動がおかしくて断念。ぶち切れですよ。
つかでかすぎた。
そして理解が全般的にいい加減。

卒論の実験がいきなり意味不明なぐらい上手くいって困りました。
これでは先行研究からの改良点が無い。
何処を改良しろと言うのだ、という。
対象領域とかコーパスとか変えれば、もっと上手くいかないんだろうけど。実験対象が自明すぎたか。
クマッタ。
ホントにこの研究の問題点は新規性がないことです、とかなりそう。
Future Work 新規性のある別の研究をします。
でも個人的には新規性とか、わりとどうでもいいと思います。

あと三月上旬の学会発表で終わりだと思っていたら、三月下旬にもなんかやることになったのでちょっとブルー。
同じこと発表すればいいんだろうけどさ。
次の研究室ではもうちょっとさぼろう。

とりあえず、金曜締め切りの論文をどうにかせにゃならん訳ですが。
二ページ……。
実験結果どうしよう。

2006年01月07日

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明けましておめでとうございます。
まあ、一週間もたっているのにおめでとうございますもないものですが。

一週間。
気がつけば元旦から一週間です。一週間などはたかだか7日であり、気がつけばすぎているのは当たり前のように思います。しかしそれをたった五十回程度繰り返したものが一年です。
だからそう、ふと朝目が覚めると、一月は終わっていて二月になっているのだと思います。まあ、まだ一月だ、しかしそれにしても寒いなあとふるえているうちに三月になり、まあ二月は短いから、といいながら遊んでいるうちに年度が替わり、四月になっています。
だいぶ暖かくなってきたなあ、よし新学期だ頑張らなくちゃと思うだけ思って頑張るのを先延ばしにしているうちに五月が来て、アアなかなか新しい環境になれないなあと思っていると六月になり、梅雨だ梅雨だと外出しないで引きこもっている間に七月になり、暑い暑い試験だ試験だと言っていると八月になり、ふう、暇ができたな何をしようかと思いながらいつも通りネットをしているうちに九月になり、休みも後半だからもっと有意義に使わなきゃと思ううちに十月になり、新学期だ、少し心を入れ替えなければと決意を新たにしているうちに十一月になり、急にずいぶんと寒くなってきたなとふるえているうちに十二月になり、今年も何もしなかったし、何も変わらなかったなと憂鬱になっていると、2007年が来ているのでしょう。
大学に入ってからはずっとそうだったし、大学院に行っても多分変わらないでしょう。

類は友を呼ぶ、と言う言葉があります。
最近つくづく、この言葉は本当だなあと思います。類呼ばわりするなとか、おまえは友達じゃないよとか言われそうですが、まあそれはそれとして、このサイトを見ていると言うことはかなりの確率で僕の知り合いでしょう。
だからきっと、こんなくそみたいなサイトを見ているあなたには、これから先、間違えなく退屈で、つまらない一年マイナス一週間が待ち受けているのだと、確信しています。
ハッピーニューイヤー。