2006年07月30日

日 記


映画見て部室行って帰って寝ておきて。


見たい見たいと思っていた時をかける少女を見ました。しかも友人の奢り。
こんなに良い映画をただで見てよろしいものか、という感じでした。ここ最近で見た中では(といってもそんなにたいした量見ているわけでもないですが)ダントツで面白い。某K氏をして、耳すまより面白いと言わしめたという事からもそのすごさは想像つく……わけもないか。
なんというか、見た後で殆ど満足感しか感じませんでした。あそこさえああだったらよかったのにとか、結構面白いレベルの作品にありがちな感想も浮かびません。もちろん時間ものSFですから設定にかんする疑問とかは探せばあるわけですが、そんなものを探すことが無粋に感じられました。
まず、絵や動きが良い。体の陰を塗らないとか、コントラストの強い背景とかちょっと変わった絵作りが全くいやみな感じにならずに、見ていて気持ちの良い画面に仕上がってます。夏の強い日差しや、うだるような暑さや、夕暮れの雰囲気を肌で感じさせるような素晴らしい絵です。動きも、もちろん凄い。とにかくよく動く。オーバーでありながら、不自然さを感じさせること無い、アニメの理想のような動きです。はつらつとした主人公の動き、引っ込み思案な少女の動き、キャラクターの性格が全身の動きの細かい部分にまで行き渡っていました。おそらく、全身のシルエットだけでも主人公の感情が、喜んだり、落ち込んだり、を感じることが出来ると思います。
キャラクターがいい。それはもちろんキャラクターを感じさせる動きによるところも多いのですが。ちょっと間が抜けてて調子者で元気な主人公の真琴も、秀才で頼りがいのある津田も、考えるより先に手が出る千晶も、津田が好きな後輩の嘉穂も、消化器振り回してぶち切れる高瀬も画面の中で生き生きと動き回り、存在感を主張しています。皆一貫した個性をもち、それに従って喜び、怒り、悲しみ、それぞれのキャラクターが本当に存在することを感じさせてくれます。作品中ぶっちぎりで惨めな高瀬ですら、見ている人間にある種の魅力があります。
そしてなによりも話が面白い。時間移動という能力を主人公が持っている以上、話の流れがわかりにくくなりそうなものです。しかしこの作品では、全く中だるみを感じさせないテンポの良さを終始保ちながら、ぼーと見てても混乱しないほどわかりやすい作品になっています。それでいながら、見ていてそうとは思えないほど本当にちょっとした伏線が重なり、後で決定的な結果を及ぼしていくという、重層的である種芸術的とすら思える話が展開されていきます。
主人公が時間移動能力をもった時のとまどい。理解したときの喜び。そして全てがうまくいくように思えたことが、突然どうしようもなく手に負えなくなってしまう。見ている観客もまた、その全てを真琴と一緒に感じることになります。時間移動がもたらす、ある種の全能感、それが見えないところから少しずつ綻び、気がついた時には破綻してしまっている絶望的な気分。それらは全て自然の摂理であるかのように、抗いがたく、当然の結果として主人公に襲ってきます。
物語は小さな山場を何度も何度も積み重ねていき、見ている人間を引き込み、最後のクライマックスまで引っ張り回します。僕は瞬きを忘れるほど話に引き込まれ、主人公の馬鹿みたいな行動を笑い、主人公の悲しみにつられて泣いていました。見ている人間に物語の妙を感じさせ、その上でそれを感じさせないほど深く没入させるというその見事な作り。
この映画はエンターテイメント映画の一つの極地だと思います。観客を楽しませることを突き詰めれば、それは芸術になるという真理をこの作品は強く感じさせてくれます。
かなり期待していって、期待を上回るものを見られるという久しぶりに嬉しい映画でした。

上映映画館がもの凄く少ない上に、話題になっているため、少なくともテアトル新宿ではちょっとうんざりするほど人が多かったですが、それを乗り越えても十分見る価値のある映画だと思います。自信を持って勧められます。


月舘の殺人 下。
始末編ですね。えーっと、僕の心の奥底がぶっちゃけ納得できないって言っているんですが。これはありなんですか!? 教えて偉い人。

2006年07月27日

[日記]真心を込めて

今日のことで日記書いて? みたいなそういうよくわからない自体になったのですよ。ほら、僕あれじゃないですか。自分がやったこととか自分の周りで起きたこととかでエントリー書かないじゃないですか。その辺僕の育ちの良さがちょっと出過ぎちゃって恥ずかしいんですけど、やっぱほら、大学生ですから、ねえ。そんな物理的なことより、もっと、なんていうの、精神的と言うか、内省的というか、哲学的というか、ルサンチマンというか、小宇宙というか、ほら、そういうより高度な精神活動の結果として得られる、複雑なパターンの発露としてのブログじゃないですか、ここって。
なので、そんな今日のこと書くとか言われても僕としても困ってしまうわけですけど、そこはそれ、書くと言ってしまった物は、書くしかないだろという、精神的プレッシャーが物理的な圧力として感じられるほどの無言の何かを感じたので、さすがの僕も少し書かなきゃいけないかな、ってほら、思うわけですよ。ねえ。短くつまらないエントリーですがおつきあい願いますよ。
まあ、今日はのみだったんですよ。俗に言う飲み。砕けて言えば飲酒ですね。アルコールをドリンク。研究室ミーティングも夏休みと言うことで間が開くし、授業は終わったし、博士の方の中間報告? もすんだと言うことで、一丁ぱーっとお疲れ! 飲みをするか、みたいな流れだったんですかね? よくわからないけど。飲んだのです。酒を。英語で言うとアルコールですが。
僕もほら、弱いじゃないですか。それはどうでも良いんですけど。
いや、でも、ほんと、今日は感動しました。やっぱり今の研究室の人たちは凄いです。凄い。なんて言えばいいのかなあ。僕の貧弱な語学力じゃあ適切な表現を選ぶことが出来ないんですが、強いて言うなら……
もの凄い人間力(リキ)。
よく言うじゃないですか、ほら。大学の研究室の飲みとかですと、あるそうじゃないですか。酒を飲んでも研究の話とか。ぐびぐび日本酒のみながら、熱燗一杯行きながら、研究の話。酒の肴は、超流動。みたいな? そういう話を聞くわけですよ。酒っていうのは、大脳新皮質の働きを抑え、より動物的な部分を解放することでストレス等からの解放が起きるわけですよ、普通は。それを何ですか。東大生は、旧皮質まで超流動ですか。
やっぱりそれは動物としての人間という観点から見るとおかしいわけですよ。より高度な精神活動を抑え、ともすれば忘れがちな動物としての人間を改めて見直すことで、人間というものの本質を見いだそうというのが飲酒の真のココロなのです。それを何ですか。東大生は、旧皮質まで超流動ですか。
やっぱりそれは動物としての人間という観点から見るとおかしいわけですよ。より高度な精神活動を抑え、ともすれば忘れがちな動物としての人間を改めて見直すことで、人間というものの本質を見いだそうというのが飲酒の真のココロなのです。
アレですよ。旧皮質まで超流動というのが、理学部のダメなところなのですよ。相対論的に言えば空間のゆがみに心を捕らわれ、イデアの世界から降りることが出来なくなっているんだと思います。チャームだとかストレンジとか。そういう世界に彼らはいる、要は仙人みたいなものですね。
でも、やっぱり工学部は違うんですよ。より、なんというか、実社会に近いというか、アカデミックだけど、普通の視点を忘れないのが工学部なんですよ。そこはサイエンティストとエンジニアの違いなんですよ。どっちが良いとか、悪いとかはもちろん無いのですが、肉体というものを意識してこそ、真の工学者、というのはやはりあると思うんですよ。
そこで僕の研究室の人たちの話になるんですが、そこは、ほら、みんなやっぱり真の工学者なのですよね。情報という実態のないものを扱う人間でありながら、物理的に存在する人間としての自分を常に忘れない。そういう素晴らしい人たちの集まりです。
今日は二時間ぐらい飲んでいたんですけど、一回も研究の話なんて出なかったですからね! 情報検索とか、処理とか、そういうのってもちろん大事なんですけど、酒を飲んで大脳新皮質を休めてまでする話かって言えば、ねえ。仕事とオフの区別がしっかりついてますもん。みんな。
今日はキャバクラの話とか、メイド喫茶の話とか、大学の話でもあれですよ、そんな理論とかそんなどうでもいい話はしませんよ。あの先生は学生時代の先生の秘書と結婚したとか、そういう、より、肉体的というか、下半身的というか、そういう所に根ざした、10というビットパターンとしてのエンティティではなく実態としての人間にとって大事な話しかしませんもん。
まあ、ほら下半身的とか性欲とか言うと、ちょっと下世話というか、そういう風に思っちゃう脳みその半分がPTAでしめられている人間もいるかもしれませんが、どうして。やっぱり性欲というか、繁殖行動に対する強い欲求というのは、言うまでもなく大事、大事と言うよりも生物として不可欠なものでありまして。そういうものをキッチリ口にするというのは、僕のような未熟な人間としては、大人として見習わなければならない行動だなあというのを強く実感しました。
もちろん人間が地球にとどまっている限り、人口というのは適度なところで制限しなければならないわけですが、人間が宇宙に出る可能性ももちろん否定できないのです。いまだと第二宇宙速度を出すのにかかるコストが大きすぎ、また政治的にも必要に迫られていないので、宇宙関連の予算なんてたかがしれてその中で出来ることしかないのですが、そのうち軌道エレベーターとか出来れば、人間が太陽系にまで広がっていく、なんてことも現実的に考えられることです。生活範囲が広がれば人間がすることは一つですよ。生めよ増えよ地に満ちよです。
研究室の方々はそういう百年二百年という長い年月を見越したヴィジョンをもってキャバクラの話をしなさっているんですよ。そういうのって、大事ですよね。ヴィジョンが無くて、なにが工学者ですか。なにが人間ですか。
僕もそういう偉大な同輩、先輩を見習って、より下半身的に言動を目指すべきなのかな、って思っちゃいました。なんというか。チンコにオレがついてたー! みたいな? や、やつは遺伝子のスーパースプレッダーだ! と言われるように頑張るとか?
せっかくこんなに恵まれた人間環境の中で飲めるのですから、見習える所は見習わなきゃなって思いました。
それだけじゃないんですよ、もちろん。
まあ、ココ見ている人は大体僕が酒弱いなんて知っているじゃあないですか。すぐ赤くなるし、変な斑点出るし。僕もそれなりに自制心できる年にもなったし、ゲーゲー吐くのも惨めな気分になるし、酒はホドホドですまそうと思うし、頼むのも止めるんですよ。
そんな状況でも研究室の人の何というか、人間力は、発揮されるんですね。思いやり、とか暖かい心ですよ。やっぱり人間に大事なのは。
ほら、一応頼むかどうか聞かれるけど、断るじゃないですか。僕も、自制心出来る年になりましたし。
違いますね、でも、僕と普段交友のある人たちとはひと味もふた味も。頼んでくれますもん。僕が頼んでくれるなと言っても、ちゃんと頼んでくれるんですよ。これが思いやりですよ。社会に出たら、僕のような純朴でガラスのような繊細な心(ハート)を持つ人間は、荒れ狂う嵐のような理不尽に巻き込まれ、ニートになってしまうに違いない。そう思ったんですよ、彼は。
だから、狂犬病の犬にかまれた少年に、ワクチンをさしてあげた名前忘れた偉人のように、僕にも社会の理不尽さの一端をあじあわせ、イヤーンな気分にさせることで僕の台風の時に釣り人をさらってしまう波のような社会に対する抵抗力をつけてあげようという、そういうグリーンランドの冬の太陽のように暖かい心で、いらない酒を頼んでくれたのです。
僕はそのなんという思いやりに心で涙を流しました。
やはり、関西の方は違います。心配りのレベルが僕のような矮小な人間の遙か上、衛星軌道を行っています。歴史が違うんですよね。ぶぶづけどす、といって客を追い返すほど長い歴史を持つ土地のひとですもの、僕のように開拓されて百数十年という北の果てで青春時代を過ごした人間と比べることがおこがましい。だいたい東京だって、関西から比べれば、新興の都市ですし。たとえ天皇陛下がいなくなったって、「日本の中心」だから、文化度が桁違いだなって強く実感しました。
いやあ、こういう事をわざわざ書くのも恥ずかしいんですが、なんかこういう環境で二年間という短い期間ですが、研究できるって言うのは、本当に恵まれているなあって思います。神保町という歴史のある街で、文化的な土地からきた仲間に囲まれて、こうして研究生活を送れる幸せを深くかみしめています。
皆さん! ありがとうございます。

どちらかというと日記です。


真の自由を肉球でつかむんだ。


時折自分の不活性さに驚いたり、は今更なのでしないのですが、周りの人の非定型的な活動に対する積極性には驚いたりします。不思議だ。何なんだろうと思う。
や、周りから見ると僕の方が不思議なのかもしれないけど。

はっきり言って僕はやったこと無いことはやりたくない。割と本気でです。行ったことのないところにも行きたくない。以下同様に全てのものに適用。と、角が立たないようにごまかす。
というよりも心理的な抵抗が大きすぎてそれを乗り越えてまでやる気が出ません。
基本的に僕の行動は、やった場合とやらなかった場合の予想されるストレスの量を比較して決められる場合が多いようです。漫画なんかは例外だけど、やったことがない行動をとるかどうかはだいたいそういう基準でやるかやらないか決める。というマイナス思考がいけないような気もする。楽しいことを求めようとはあまり思わないし。楽しい思いをするためになんかしんどいと思われることをするぐらいなら、しなくて良いじゃないかと思う。で、九十九パーセントやらない。
やる場合はだいたい、その場の勢いで誰かにやると行ってしまう場合がほとんどで、それも大体後で後悔することが殆どです。だから言葉にするのは怖いなあと思ったりする。ま、やったらやったで別に問題があるわけでもないんですけど。

ある程度自分の行動パターン内で充足しちゃっているんだよなあ。そういう意味では、というかそう思えるという点では恵まれているとは思います。恵まれているのがいけないという話もあり、向上心が無いという話でもあるし、必ずしも必要ないと思ってしまうものを求める気にはなれないという事でもある。足るを知っていると、胸を張って言えるほどではないけど、少なくともそうなりたいとは思っている。

ただその辺周りの価値観とか考え方とのズレを感じ、なんとも言えない気分になる。周りに対する攻撃的な気分にもなるし、自分に対する攻撃的な気分にもなる。口にすると僻みであると思われそうだし、あまり言いたくないことも多い。もちろん僻みとかそういう要素もあるわけだけど……。

何にせよ充足していたとしても時間が経てば状況が変わるし、生活パターンは変えざるを得ない。考え方も変えなければいけない場合もあるとは思います。しかしまあ、そういう状況にならなければパターンから逸脱することも無いとは思う。
一方で時間期限がないが、漠然とどうにかしたい事については、どうにもならないまま十年に十年経ってしまいそうで、非常に恐ろしくはあります。

どうかと思うこともありますけどね。どうかと思えば自分が変わるわけでもないし、変える気もない。

なんか上手くまとまっていないし、適切な内容にもなってないな。ひきこもり感を強く演出しただけのような気がする。まあ、酒飲んでの妄言です。全部嘘です。僕は超前向きで、え、ガラパゴス!? ちょーいきてー(ジタバタジタバタ)と言うぐらい旅行好きで、彼女ほしーといいつつ合コンに行きまくり、旨いものがあると言えば西にいったり、楽しいことがあると聴けば東に行ったり右往左往したりする人間です。。


ついでにどうでも良いんですが、ココ最近いろいろなものに対する割と攻撃的な思考が多くてよろしくない。他人に対する攻撃的な思考は大体反射して自分に返ってくるのであまりお腹によろしくないから。ねー。
ただでさえ、お腹が冷えやすくて下しやすい季節だというのに、無用な下痢因をつくるのはよろしくないですね。よーしこれまでの自分が床に転がり身もだえするほど友好的な人間になるぜ!


異様なまでに書店でプッシュされていた「美しい国へ」を読む。
(´, _ `)ゝ
こうですか!?わかりません!教えてください!


放置気味だったガンダムを読む。面白い……とは思うけどなんかいらいらする。なんでだろ。過去編は何時までも果てしなく続くのですか。

2006年07月25日

Tagebuch


今日は色々漫画とかを買った。降れば土砂降りと言うけど、買う漫画が出るときは重なるものだ。あまり関係ないね。
適当に感想。


ヘルシング8
アーカードがナイスミドルだ。えーあーれー。まー。

これをそのまま映像化っつーのはなかなか無理あるよな。


オレと悪魔のブルーズ3。
面白いけど話の進みがのんびーり。


機動戦士ガンダム13
面倒くさいので読んでいない。


巌窟王2
死ぬほど絵が上手い。話もいいと思う。僕は。まあ、基本はモンテ・クリスト伯なんだろうけど。実家にあるから話の対応が確認出来ない。


エクセルサーガ16
これもう16巻とかなってたのかあ。いやあ、最近また結構面白いと思うんですけどねえ。この投げやりすぎる話の展開はまあ、何時も通り。なるほど、そういう事になってたのね。


フルメタル・パニック! 戦うボーイ・ミーツ・ガール
ふもっふの前提知識を得ておかないといけないような気がした。まあまあ。


ハイペリオンのダン・シモンズの新作SF「イリアム」が出ていた。相変わらずの分厚さ。買おうかとも思ったけど、アレなので、文庫になるまでまつか、図書館で借りるかしよう。なんかゼラズニイの光の王の臭いを感じる。間違いなく面白いんだろうけど。


ふもっふすごい。話はまあ、原作通りなんだろうけど。演出とかはやっぱり凄いんじゃないかと思う。あんまりその辺詳しいわけではないので何ともいえないけど。頭の危ない人の描写がひぐらしのアニメよりよっぽど上手い気がする。それどうよ。アクションにしろ、なんにせよあまり妥協無く見せるよなあ。あとカメラがよく動く。


あと無駄に性欲を刺激するシーンが。
それはともかく。セカンドレイドも見るか。


2.0はもう十分。
ほんともう十分。何にでもかんにでも2.0つけやがって。それで革新的なつもりなのかと。そのちょっとした実現可能かすらわからないアイデアが、いままで1.Xでありつづけたものをメジャーバージョンアップさせるほど素晴らしいものなのかと。
とりあえず2.0つけとけば目を引くんじゃねみたいな。そういうさもしい。冗談でつけているのすら陳腐すぎて嗤えもしない。
そもそも発端となったWEB2.0すら僕はどこにあるのかさっぱりわかりませんが。アレですか、アルタイルあたりに行けばあるんですかね。残念ながら恒星間宇宙旅行は僕には出来ないのでWEB2.0を見ることは出来なさそうですが。
残念ですね!

2006年07月24日

diary


昨日の日記酷いですね。いや、書いてる時点で、何かいているんだろうというか、あほくさいとは思ったけど、それでもアップしてしまうのは酔っぱらってたせいだと思う。多分。
恥ずかしいけど残しておこう。

しかし昨日はかなりしんどかったです。何で酒飲んでこんなしんどい思いしなきゃいけないんだ、とか思いつつ床をじたばたしたりしてました。ダメですね、酒。飲まされるコミュニティに入ったことはないけど、大変だろうなあ。

アルコールといえば依存症な訳ですが。いや、そんなわけでもないけど。肝臓やられて入院したことがあっても毎週酒飲んで、飲まないなら死んだ方がまし、とか言う人を見ると、悪い意味ですごいなあと思う。どう考えても飲まない方がましのような気もしますが、そう思う人は依存症にはならないのか、そう考えても飲んでしまうから依存症なのか。


ロボット三原則なんてどうでも良いだろう。と、ちょっと思う。いやなんか、ロボットが出てくる作品の批評で三原則に従っているかどうか、という感じのが時々語られているので。
三原則というアイデア自体はもちろんすばらしいものなんですが、アレはアシモフの著作の設定の中で意味のあるものであり、言及するのはともかくそのまま他の作品に適用するのは正直どうよと。そう思うわけです。
なんというか、別にロボットが三原則に従う必要性は全くないんですよ。
そんだけ。


相当今更ながら、ふもっふが面白いなあ。


無気力の心理学。
人がどういうときに無力感を得て、どういうときに効力感を得るか。それが無気力とどうつながるか。無気力にならないためにはどうすればいいか、という感じの本。
うん、だからどうしたと感じではある。面白いけど、何の役にも立たないという感じ。全編、心理実験ではこういう結果が得られた。確かにそうである。しかしそれだけではいけない。みたいな感じなので。
心理学は科学ではないというのをどこかで見たような気がします。でも、どうしようもないんじゃないかとも思う。対象が人間である以上、実験条件を厳密にすることは殆ど無理だし、同じ条件での追試は不可能。ある結果が得られたとしても絶対例外は出てくる。他にアプローチのしようもなかなか無いんでしょうし。
僕のやっているような領域もある程度人間を対象としている、というかシステムの評価が、理想的には人間になされるべき分野なんだと思うんですが、なんというか、みんなやりづらそうだなあと思います。客観的な評価が出来る分野は、そういう点で言えば良いなあと思います。そんなものはないかもしれませんが。


人類が知っていることすべての短い歴史。
本当にすべてかはさておき。物理学から古生物学とかまで広い範囲の科学史を扱ったポピュラーサイエンスの本。面白かった。内容は本当に色々なので、読みながら色々考えてたんですが、忘れてしまった。
そして「ガリレオの指」に挫折した僕は本当に理系なんだろうか。今度また再挑戦しよう。


最近SF読まないようにしていたので、またちょっと読みたくなってきた。一ヶ月も読んでないからなあ。なんか読んでないので手頃なのあったかな。


今更ながらにイノセンスを見る。公開当初は見に行こうと思っていたのだけど、気がついたら終わっていた。見に行かなくて良かった。
見に行っていたら200%寝ていた。つまり、一回見ている間に二回は寝てた。
いや、好きな人は好きなんだろうなあとは思うし、そういう意味ではクオリティも高いんだろうけど、全ての要素が僕の嗜好の正反対を行っているのでしんどかった。
とりあえず気になった点が三点。これを攻殻機動隊2として出さなかったのは詐欺だと思う。知らずに見に行った人(がもしいるとして)は、わからないはず。あと、3Dとセルの不整合はいくら意図的だからと言ってひどすぎないだろうか。それと、一度みられただけではわからないように作るというのは、何というか、傲慢な気がする。いや、忠実なファンとか、深読み好きな人はいるわけだから、需要はあるんだろうけどさあ。と言っても個々のシーン(引用とか)はともかく、全体のストーリーは割と単純だしなあ。人間が! 人形が! とか言ってればいいのかなあ。
しっかし、やっぱり最初からそこまで見る人を限定してどうするんだよとは思う。と思ったら口コミ系評価サイトの評判が結構良いなあ。1を見てないのも。
単に僕は好きではありませんと言うだけでした。はい。


ラピュタも見た。久しぶりに。
こっちは面白い。問答無用で面白い。昔の駿は凄いなあと思う。魅力的なキャラクタ、盛り上がる上に意味不明にならないストーリー。ワクワクさせられるような舞台設定。下手じゃない声優。
あと、圧倒的な小物っぷりを見せつけて見るものを魅了するムスカ。AKIRAの鉄雄並に小物だよな。

既に相当に評判の悪いゲド戦記はどうなんだろう。一応見に行こうとは思っていたけど。そこまで言われるほど酷くはないんじゃないかと勝手に思っている。


八甲田山死の彷徨を読む。面白いと言ったら不謹慎だろうか。エンデュアランス号漂流に面白さが通じる極限状態ものですね。まあ、あっちは誰も死なないけど。こういうので死ぬものと死なないものを比べると大体リーダーの差だな。多分。

2006年07月22日

酒。

飲んで。久しぶりに、割と。飲んだ。ので、飲まれた
ました。
いま、頭が痛く、床にへたり込んだら、
そのまま、動けなく、 なると、いうか、^みちすなみらし
fなるので。
頑張って、さます。
このまま寝たら、明日しんどいのは目に見えているので、さまします。
頑張って。さましましています。
頭痛い。
飲み過ぎた、といっても ビールには意図サワーいっぱいなんで絵sぐが、正直、経つのが苦痛であり、よく帰れたなあと、自分で自分うぇえおほめてあげたい。
本当に。
昔より弱くなっていsるな後は思うけどれ、最近はあまり飲まないようにしていたし。でもまあ楽しく飲めたので、いいかあ。
のです、とおもう、
尿、
だしてあるkl−るはいたら、楽になれるんだろうなあとは思うけど、omottainai.
niku .
usimokanasimunodesuj .
りろいろ醜態をさらしつつも、まあ、いいかと、楽しかったし。
ね。
酒、。
でも、そんなに飲まない王仁科家りゃなあ。たまには、mでも、良いかなあと思いまして疎プロ右。
画面見ないで売っていたら、なんかひどいことになっているけど、ひどいけど、直すのも面倒だし、僕は酔っぱらいだし、。いいかあ。
ねえええええええええ。
という神経。をもつ、僕は、どちらかというと人間です、。
えええええええええええ
あ。
さますぞ! 頑張って、さますのです。
えす、
とtば。

2006年07月18日

!ikin!

d060718.jpg

適当なパースつけたらそれっぽくなるかなと思ったら、うんこパースになった。


昨日iccに行った。新宿から行ったんだけど、思ったより遠くて疲れたんですが、帰ってから見たら、そんなに遠くなかった。しかし往復して疲れている自分がいる。眠い。

iccで初の無響音室体験をしたんですが、これが結構すごかった。シーンという音が本当に信じられないぐらい大きく聞こえるんですね。あとなんと言えばいいのかわかりませんが、頭が微妙にふくれるような変な感覚に襲われました。面白かった。
人の気配って、人の存在によって音の伝わり方が変わるからわかる、と誰かが行っていましたが、なるほど確かにそうなのかもと思いましたよ。

しかしメディアアートはまだ今一、作者の意図に技術が追いついていないのが多いような気がする。ちょっとしたワンアイデアアトラクション以上のものは感じられなかった。それはそれで面白いんですが、どうにも消化不良です。

コミックREXを購入。昨日だけど。琴線に触れる作品は無かった。まあ、好みとか、この手のファンタジーが好きになれないとか、そういうのはさておいて。
どうにも読みにくい漫画ばかりで目が滑る。ネームが下手なのかなあ。何が起きているのか理解するのに考えなければならないのは、漫画として割と致命的なのではないかと思う。
あー。

バイトをやめて時間が出来たのだから、有効に使おうと思っていたけど、全然できていない。とはいえ、バイト前日のああ、明日バイトか、とかバイト前々日のああ、明後日バイトか、とかバイト前々前日のああ、明明後日バイトか、という何というか刃物を持った人が後ろにいて刺されるとわかっているのに動けないみたいな憂鬱な気持ちから解放されただけで良いかとも思う。

2006年07月17日

niki


今日日曜日なのに外に出かけたら、驚くべき暑さで驚いた。それどころか雨も降っていたので、湿度的にも今日の東京は面白いことになっていた。冷房効いた建物から出ると眼鏡が曇るんですよね。
久々に秋葉原に行った。
久々と言っても先週の水曜日以来なので、久々でもない気もする。まあ相対的に、ですね。久々の秋葉原は人が死ぬほど多くて、どうかと思った。みんな何で休日にまで人が多いところに行くんだろうとか思ったけど、普通の社会人だと、土日ぐらいしかいけないんだろうから仕方ないんでしょう。だからこそ時間に余裕がある学生が土日に秋葉原とか人の多いところに行く必要もないんだよな。
明日は休みだ。


フリクリつまらないと言われたけど一話を見てみた。つまらないというか、よくわからない。よく動くので、その辺は面白いなあとは思うんですけど、見ている人を置いてけぼりにする話の勢いとか演出とかのせいで、さっぱり話しについて行けない。
なんかダイジェストを見せられているような気分に。
ネットで調べるとしっかり読み込んでいけば、色々面白いみたいな事を書いていますが、正直それを頑張って読みとりたいとおもうほどの魅力は感じられませんでした。残念ながら。
深読みさせる系で本当に良い作品なら、初見でも面白く、繰り返し見るたびに発見があるものなんじゃないかと思う。
二話はそのうち気が向いたら見ようと思うけど、多分見ないような気もします。


本棚を処分したい。アレがなかったらすっきりするんだけどなあ。せめて背の低い本棚にするとか。しかし何にせよ中に入っている本をどうにかしなければ、どうしようもない。本を少なくはしたいと思うけど、さすがに全部は処分できない。特にSFは駄作だと思っている本でもなかなか処分できない。漫画はさくさく出来るんだけど。漫画も三分の一ぐらいは減らしたいなあ。
あと押し入れにある程度余裕が出来たから使いたいけど、なかなか押し入れって使いづらいですよね。まだ無駄な物があるし、捨てるのと、適切な収納を買えば良いんだろうけど。
買うのが面倒なんだよなあ。
三年前ぐらいにストーブで表面とかして中のスポンジが飛び出ているイスをまだ使っているんですが、それもさっさと変え買いたいと思いつつ、結局今まで買わずに経っているし。中古家具屋さんを紹介してもらったので、そこに買いに行くかなあと思いつつ、やっぱり面倒くさい。
捨てるのもこれまた面倒くさいんですよね。特に家電リサイクル法とかあるから、でかい家電は面倒くさい。それはもう処分したけど、冷凍庫を捨てたときは八千円ぐらいかかって目剥きましたよ。置いておくコストを考えれば処分しないという選択肢はないわけですが。
早く電子書籍とか一般的にならないかなあ。そうしたら本なんか全部HD一個とまあ、バックアップ一個ぐらいで管理できるのになあ。表示デバイスも必要だけど。
問題なのは表示デバイスなんですよね。あと有効な著作権管理も必要ですが、そもそも人が本の代わりに電子書籍を使いたいと思うようになるためには、ぱっと見て本と同じぐらいの解像度、コントラスト比、操作性、軽さ、その他が実現出来ていないとダメだろうと思う。あるいは、表示デバイスの不利を覆すぐらいの利点があれば良いんだろうけど。
携帯小説というのもある程度普及しているようですが、それは新たな分野を拓いたということで、そのこと自体は大事なことだと思うけど、既存の本を置き換える物ではないしなあ。
本が無くなれば、持ち物が大幅に減るのでそんな夢を抱いてしまったりします。

2006年07月16日

日記!


成長の限界 人類の選択を読む。普段読まないたぐいの本なので時間がかかるなあ。これは環境問題の本で、人間が地球環境に与える影響は限界を既に超えている。超えてはいるけど、適切な対応をすれば持続可能な社会を築くことが出来るという内容の本です。非常におおざっぱに言うとですが。
環境問題についてはほとんど興味がなかったのですが、何というか、大変な状況なんだなあと。僕の生きている間に崩壊が起こりうるわけですから、他人事ではないんですけどね。
人間が限界を本当に超えてしまったかどうかについては、きっと色々議論があるんだと思いますが、人口や資本の級数的な増加のために、成長が必ず限界にぶち当たる、というのは非常に納得のいく考え方だなと思いました。
つまり、細かいことはさておいたとして、人口、資本というものを形成するシステムにある正のフィードバックループが根本的に問題であるという。もちろん環境への負荷を下げるための技術開発というのが大事であり、なおかつ正のフィードバックループを無くす、と両方やらないと持続可能な社会にはならないんじゃないかというのが、本の中のコンピュータシミュレーションの結果のようです。
この本の中で示されている、ではどうするべきかという内容については、実現が大変ではないかと思う。それは多分、三十年間このことを主張し続けている著者たちは一番感じているのだと思いますが。
じゃあ、僕が何を出来るかと言えば、出来ることはほとんど無いわけですが、とりあえず心の隅に止めておくと幸せになれるかもなあと思ったわけですよ。
まあ、心の隅に追いやる前にレポートを仕上げなければいけないんですが。


なんだっけ。そうだ、アレだ。
僕は考える必要のないことは、考えなくても良い。と思っているんですが、そのことを話したら、考えなくても良いことをどうやって判断するというか考えるのか、そもそもその考えるというのが考える必要のあることなのか云々と言われたような気がします。いや、細かいところは覚えていないので。
要は再帰的になっちゃうんじゃねえの? みたいなことだと思うんですが、僕は何でそうなるのか、よくわからない。というか、それは単なる言葉遊びなのじゃないかなあと思ったりする。
考える必要があるかないか、という事を判断するのは、非常に身体的な話であり、論理的な所ではないんじゃないかなと思います。いや、論理的でないというと何ですが、多分に楽しければ良いんじゃないの? みたいな要素がおおいというか。だからそんな考える必要があるのか無いのか、と言うこと自体を問うのは、無駄だと思う。もちろんそれを考えるのが楽しければやればいいのかとも思うけど。
そもそも僕のこの辺の自分の思考をどう持って行くかという指針は、単に僕がどう考えればストレスを感じずにいけるか、という事に過ぎず、もの凄く個人的であり必ずしも他人が納得できる物ではないと思う。それを人に話した時点で失敗したなあとは思います。すみません。

でも論理とか合理的な考え方というのは大事なんですが、結局感情が一番大事なんじゃないかなあと思います。もちろんそれは非常に個人的な事についてですけど。いらんことに悩んでいる、と僕が思っている、のを見たりするとそんなことを思ったりしたりします。
とはいっても、そういうのって悩むのが楽しいから悩んでいるんでしょうし、どうこう言ったりはしません。僕が一番アホだったと言うことだって十分あり得る、というかあったし。


どんな文脈だったかは忘れたけど、「君だってスレイヤーズの事とか持ち出されたらアレでしょ」みたいな事を言われて、いやもう一周して平気ですよ、と返答したんですが、あのなんというか、主人公が唱える呪文を言われて発狂しそうになった。
全然ダメじゃん。
いや、よく考えればというか外から見れば、今だって大してやっていることは変わらないんだけど、あの頃の精神状態とか、ああ! もう!! みたいな行動を思い出すとここではないどこかへとランナウェイしたくなる。
若き日の過ちよ……。と言いつつ日々過ちを量産し続けながら未来の僕がのたうち回るような恥を作り続けているのかもしれない。
例えば、このサイトとか。


そういえば、成長の限界に出てきたシステム思考って複雑ネットワークとか、複雑系とかに関係あるのかな。多少興味はあります。インターネット上の情報分析にこの辺のやり方って出来ないのかなあ。というかやっている人いそうだよなあ。


ハルヒ盛り上がっているけど、その実騒いでいる人意外とさめてるのかなあと思う。というか僕の周りで僕を含めて原作面白いと言っている人がいないし。小説読んで面白さがさっぱりわからなかったと言っていた人は、僕と話して安心して、良かった! 時代について行けなくなったのかと思ったよ、と言っていたけどそれは単に二人して時代について行けていないだけのような気がする。大丈夫最初からキャッチアップ出来ていなかったよ。
類は友を呼ぶし、本当に盛り上がっている人は僕の周りにいないのかもしれないけど。


そういえば前のエントリー見て僕がワールドカップを嫌っていると思っている人がずいぶんと多いように思いますが、そんなことはありません。別に嫌っているわけでもないし、ワールドカップを見て楽しむのは良いんじゃないかと思います。僕は単に興味がないだけです。
僕が不思議なのは、日本のカーリングが活躍すればカーリングが好きだと言い出す人が増え、カーリング教室は盛況になり、フィギュアで金メダルが出れば、フィギュアが好きと言いだし、子供向けのフィギュア教室が盛況になり、今度はワールドカップワールドカップと騒ぎだす人間の心理はどうなっているのか理解しがたいなあ、と言うことです。あるいは秋葉原の観光地化とかもそうなのですが。
個々の事象についてはまあいいんですし、みんな大いに楽しめば良いと思うし、僕に当てこするようにワールドカップの話題をされても困るんですが、そもそもどうしてそういう言動が生まれるのか、さっぱりわからないという、純粋、とは言い難い多少悪意の混じった疑問がある、ということです。
と言うことについてなんかまとめて書こうと思っていますが、なかなか面倒です。


研究室の人と話していると、当然のように海外に行きたいとか、旅行に行きたいとか言う話になるのでビックリする。旅行……行きたいですか? 僕は全然行きたいと思いません。家にいるのが、あるいは行き慣れた場所にいるのが一番ストレスを感じません。
僕がある程度ルーチンな行動を好む、と言うことでもあり、それは要はひきこもり的な考え方であり、一般的な考え方でもないのはわかっていますが、なんかみんながみんな旅行したい! したいのは当然! みたいなことを言っているのを見ると、何というか居心地悪いなあと言う気分になる。

最近思うんですけど、僕は趣味嗜好はまあ、SFとか好んでいるわけで一般的ではないのは理解していたのですが、もしかしたら考え方も一般からずれていたのか? という気がし始めています。いや、割と保守的であり(政治的な意味ではなく)、普通な人間だと思っていたんですが、意外とみんな僕と違う考え方するなあと言うか。
それは、むしろ周りが特殊なのかと思っていたんだけど、だんだんとさすがに僕の方がずれているのか? みたいな気分に。

でもやっぱり僕の考え方のほうが普通だと思うんだけど……。いや、旅行好きとか嫌いとかそういう個々の話ではなく、もうちょっと一般的な話でですが。
この辺のも上のとまとめてなんか書きたいなあ。


あーなんかこれくらい書けば結構日記っぽいなあ。うん。間違えなく日記だ。

2006年07月14日

日記?

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ラルク。また鉛筆ですが。おでこ。


相当今更ながらに、「世界の中心で、愛をさけぶ」を読みました。何で今になってといわれそうですが、単に文庫になっていたからというそれだけです。はやっているときはハードカバーを買ってまで読みたいとは思わないし、図書館でもなかなか借りれないだろうし、というわけで読んでませんでした。というかタイトルがアレなので、ネガティブな先入観を持って読むのも何だなあということもあります。さすがに時間も経ったのでその辺は気にならなくなった。
でまあ、感想なのですが、良い小説なんだろうけど、好みからはかけ離れているので面白くはなかった、という感じです。話といえるような話はなく、シーンごとの丁寧な描写で読ませ、感動させるたぐいの小説だと思うのですが、それ故、読む方に感情移入を強いる、というよりも感情移入しなければ楽しめないように思われました。で、主人公に全然感情移入できなかった僕は早く話が進まないかなあ、と思い、それどころかさっさとヒロイン死なないかなあとか考えてました。やっと死んだよ! とか。全然ダメですね。
ただ、ちゃんと感情移入できれば、そうとうくるんじゃないかなあと思います。当を得たプロモーションで売れたのもわかります。



2を見た勢いで、トップをねらえ! の方も見ました。これ完全に世界がつながっているんですね。ノノリリは1の主人公だそうで。1からどれくらい後なんだろう。数百年から数千年は経ってそうだけど。
衝撃のラストについては既に知ってしまっていたので、あんまり衝撃じゃなかったです。猿の惑星もそうだけど、有名な作品の衝撃のラストは、そのときに見ないと、後からでは同じように楽しめないことが往々にしてあるのは、なんというか、残念ですね。しょうがないと思うけど。
まあ、ラストはアレで良いんですが、正直いくつか疑問が。
銀河中心殴り込み艦隊はなんでワープ使わなかったのか。あ、いや、よく考えたら使わないと十五年じゃつかないよな。じゃあ、何で地球と艦隊の間に時間差が出来たのか。
あと、どうやって主人公二人は地球に戻ったのかよくわからない。ガンバスターに縮退炉が一つ残っているからといって、あんなにぼろぼろになって戻れるんですかね。もし推進力が得られといっても、銀河系の中心から、地球に戻るのに光の速さでも一万二千年じゃきかないような気がしますが。あと、その間、二人はどうやってガンバスターの中で生きていたのかわからない。
最後に一つ、未来人類のやつら、ガンバスターが地球に戻るその日に変なイルミネーションで迎えるぐらいなら、さっさと助けに行ってやれよ。つーか艦長とかも自力で帰らせるなよ。ランデブーポイント決めて、あとでワープで迎えに行けばいいだけじゃん。あーわっかんねー。実は戻って欲しくなかったのかな。
まあ、野暮なことはいいっこなしなのですが、最初の二つはよくわからないので、誰か教えてプリーズ。
という感想。頑張ったけどあんまり感動はできなかった。

それはともかく、トップ2はいいなあ。ラルクは久々に個人的に大ヒットなキャラだ。星を動かすものの最後の方の展開は何回も見てしまった。これが萌えだ! とノノも言っています。ノノは……アホだな。作ったやつもうちょっとましな人工知能をつくれよう。まあ、それはそれでいいんだけど。うーむ。


N.H.K.にようこそ! の第一話を見る。う〜ん。微妙に心当たりのあるところがあり、見ているとイヤな気分になる。あと、明示的には示されてないけど、どう考えても主人公薬物でラリッているようなあ。
見ないことにする。
エンディングの大槻ケンジの歌はいつもどーりだ。でもアニメーションが上手くマッチしているので面白い。オープニングはおしゃれ系? というかデザイン要素が強いというか。何というのが適切なのかよくわからないけど、最近こういうの増えているような気がする。まあ、好きなんで嬉しいんですけどね。


世界の中心で愛を叫んだ獣とか、あなたの人生の物語とか、星を継ぐものとか、アンドロイドは電気羊の夢を見るかとか、流れよ我が涙、と警官は言ったとか、果てしなき流れの果にとか、百億の昼、千億の夜とか、非Aの世界とか。割とパロディとかに使われがちなの。
どうせなら地球人捕虜収容所とか発狂した宇宙とかバベル17とか渦動破壊者とかご機嫌メモリとか鼠と竜のゲームとか分解された男とか。そういうのを使って欲しい。
嘘です。


もの凄くどうでも良いんですが、E.G.コンバット3rdでカデナが死にかけるシーンの台詞がHALが壊される直前の台詞に似ているような気がちょっとしました。したけど2001年宇宙の旅を引っ張り出すのが面倒くさいので確認してません。気のせいか、気のせいじゃなくても、両方のもとになるネタがあるのかもしれないけど。

2006年07月12日

トップ2

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いや、あんまり期待しないで見たら割と面白かった。良い感じです。結構壮絶などんでん返しがあり、ッエーって感じでしたが、それもまたヨシ。最終話はどんなもんでしょうね。
あとバスターマシンのデザインがいづなよしつねなのも個人的にはポイント高い。

SFについてぼーと考える。
SFは絵だというのは有名な言葉だけど(一部では)、SF小説に特有の面白さを考えるなら、むしろ絵に出来ない物を提示できることなのではないかと思った。映画にしろアニメにしろビジュアルで表現された物のインパクトは強いけど、表現できる物の幅というのはもの凄く狭いと思う。それは人間の知覚と想像力の限界なのだろうけど。もし映像化できたとしても、映像化してしまうが故に全くインパクトのなくなってしまう物もあると思う。ジーリー・クロニクルに出てくる、直径一千万光年で光速で回転するボールダーのリングなんてまさしくそのたぐいだと思う。あるいはAΩにでてくる、プラズマ生物である「一族」はまったく映像化できない。と、思う。しかし、小説ではいとも簡単にそれができてしまう。
想像できないことを言葉という非常に抽象的な物で(無理矢理)表してしまうというのがSF小説の利点だろうという話です。
それはSFに限らないと言われりゃそうかもしれませんが。
なんでこんな事を考えたかというと、なんというか僕がSF映画が全般的に好きになれないのはその辺かなあと思う。映像化した時点で、どんなに高等な技術を使ったとしても、どうしても陳腐にならざるを得ないのですよね。語り得ぬ物には沈黙云々という話がどこかにあったような気がしますが、映像に出来ない物なら、映像化しないほうがいいんじゃね? と思います。
単にSFにおける小説至上主義的な偏狭な考え方なのですが、いいSF小説を読んだときの衝撃は映像作品では得がたいんじゃないかと、名作と呼ばれるSF映画を何本か見た後に思いました。
それだけです。

2006年07月09日

二木


なんか下り気味だ。
お腹とかもそうだけど。久々に全力疾走して汗をかいて冷房設備のきいた地下鉄内にいたらお腹が緊急事態になる。走ったことと加えて二倍疲れた。それに限らずお腹の調子が悪くなりそうな気配はあったが。
なんだかね。なんだかねー。
ついでに疲れていると発言の閾値が下がる。
ここで、すみませんねえとか書くと、どこぞの知的でかっこいい先輩にホントにお前はヘタレだとか言われるんだろうなあ。しかし、もしポストに人格があるとして、郵便ポストってホントに赤いよなあ! とか言われたらイラッとくるんじゃないかなあと思う。
あーなんかなー。疲れているせいにしよう。



ハルヒアニメ終わったことだし、まとめた感想を書こうかと思ったけどスゲーめんどくさい気分になったので、適当に書く。
個人的には、良くも悪くも原作そのまんまだったなあという感じ。もちろん、原作読んだときのほとんどそのまんまの印象のアニメを作ってしまうというのは、もの凄いことなんだと思うけど。
良い点はアニメの特徴を上手く生かして伸ばしつつ、欠点はそのまんま。
まあ、欠点と思っているのは僕の個人的な意見だし、そこをかえると、改悪した! とか言われることも多いだろうし、アニメ化の仕方についてはこれ以上の方法はなかったと思う。というか原作ファンでこのアニメに不満を持った人間ってほとんどいないんじゃなかろうか。
なのですが、アニメのすごさになれると、当たり前だけど話には意外性がないので、大分どうでもよく感じてしまったのはまあ、僕の問題なんですが、ちょっと残念。特に最後の二話あたり。放映話もわかっていたし。ん〜。
いやしかし楽しかった。このシーンどういう風にアニメにするんだろう、という部分は大体予想以上のものが見られたし。ライブアライブのシーンとか凄かった。
まあ、多分また次のシリーズ、消失を軸にしてやるんだろうな。HPの七夕ネタもそういうことじゃないだろうか。先にKANONがあるから、来年か?



どうでもいいけど、ヘルシングOVA二巻のプロモを見て仰け反る。ヤン・バレンタイン戦でアーカードがヤンの足ちぎって調子に乗っているところの台詞、本当にそのまんまに読むんだもんなあ。「ハリー。ハリー。ハリー」て。
こう、読ませるのが前提となっていない台詞を読ませると落ち着かない気分になる。目で見ている分にはかっこいいと思うことも出来る台詞も、読むと非常に馬鹿馬鹿しい印象を受ける。
まあ、日本語になっていない英語を唐突に出す時点できっついんですが。それならいっそのこと全部英語にして、クサい台詞は字幕で読ました方がいいんじゃなかろうか。



トップをねらえ2!! の最終話のタイトルが、あなたの人生の物語だった。
あー。
あー。

2006年07月06日

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2006年07月03日

にき


昨日今日と家計簿付けてうわああああああ。
というぐらい金を使っていることが判明。そら稼いでも貯金も増えんわ。昨日も今日も特段使った気分でもなかったけどレシートみたらうわあああああ。
自分の浪費っぷりを眺めるのは精神的につらいので付けたくない気分も立ち現れた僕の心の中ですが、むしろそれを知るためにつけているのだ、という精神論で頑張ります。

思ったんだけど、時間の家計簿とかつけたら恐ろしいことになりそう。一日二十四時間のうち、何パーセントを何に使い、とかそういうのを記録し、一ヶ月、一年単位で振り返るというやつ。あなたは一ヶ月のうち186時間、すなわちまる七日ネットをしています。とかそういうのが円グラフとかでバッと表示されるシステム。
もちろん、こんなの普通の家計簿よりよっぽど大変で作れないだろうけど、ライフログとかがもうちょっと容易になれば、もしかしたら、ある程度のレベルで実現できるかもしれない。
しかし、自分の時間の使い方を客観的に見せられて、耐えられる人間がいるだろうか。特に僕のような学生などのように自分の自由になる時間の多い人間にはきっつい事になるような気もする。


ここ最近の僕は、もう四年以上もウォシュレットのない家に住んでいる自分が信じられない。もしかしたら気が狂っていたのだろうか。
あるいは、そうなのかもしれない。ともかく、正気に戻ったので、ウォシュレット。
を、買おうと思いました。電源をどうするかは多少問題ですが、たぶんどうにでもなるでしょう。とりあえず安いのを買えば三万円以下でかえるっぽい。
いらない機能はいらないので、いらない機能がないくらいのほうがいらない機能がいっぱいあるのにくらべれば、いらない機能がない分だけ精神的にいらない負担が少なくてちょうどいい気がする。
いらない機能をもしかしているかもと思ってもやっぱりいらないのは、照明器具で既に証明済みだ。安い物を買うのではなく、簡潔な物を買う。無駄に出来ることだけが多いのなんて、パソコンだけで十分。ジョークグッズだけで十分。


ネットで掃除機を多少物色。
スティックタイプは省スペースに見えつつ、縦に長いのでどこにしまうかが問題になりそう。かといって普通の掃除機はホースの扱いで発狂するんではないかとも思う。上手く本体にクルクル巻いてコンパクトにしまえるような、そんな機構が欲しい。一時期お金をどぶに捨てる場所として考慮しかけていたダイソンとかそんな感じみたいだけど、アレはそもそも本体がゲーが出るほどでかいからなあ。まあ、一人暮らしが使うような物でもないし。スーパー高いし。
ウォシュレットと違って買わないでも問題はないんで、買わないのが一番か。
よし、買わない。


漫画漫画。
日本ふるさと沈没。
「日本沈没」便乗企画? と思ったら小松左京公認らしい。ある程度気になる作家が多かったので買ったけど、どうだろう。読めるのもそれなりにあったのでまあ、いいか。猫本の時も思ったけど、アンソロジーって今ひとつ好きになれないような気がする。これだけの人を集めてそうなんだから、ほとんどそうなんじゃないのかなあ。じゃあ買うなと言われそうだけど、一回で判断するのも何なので今回も買ってみました!!
なんつーか。まとまりが感じられないのよ。これなら雑誌企画でいいじゃん。単行本にするような物なの?
僕の趣味としては、一人の人間の人間で一冊まとめて欲しい。あるいは編集の力でよっぽどカラーを統一するか。なーんか気持ち悪くってさー。
とはいえ、鶴田健二の作品なんて、何時まとまるともわからんし。まあ、いいか。


宙(そら)のまにまに1。
天文部を舞台にした漫画。本が大好き目立つの嫌いなインドアな主人公が、幼なじみで星好きな超アクティブな先輩に引っ張り回されたりなんなりな漫画。わりと好き。内容も良いけど、タイトルがすばらしい。語感も良いし、内容も的確に表している。個人的にはこのタイトルだけで買う価値があった。
というのは言い過ぎですが、非常に良いと思いました。


ぼくらの5。
ジアースにしろ、この巻で明らかにされた設定にしろ、この作品では必ずしも重要ではないんだよなあ。こういう特異な状況に置かれた少年少女がどう感じどう行動し、どう変わっていくか、どう死ぬか。納得して死ぬか、そうではないか。それが周りの人間にどういう影響を与えるか。という蟻をいじくって観察しているような作品という気もする。
基本的に次死ぬ人間に焦点を当てているため、ある意味では短編集のようになっているけど、前の話の結果が次の話に確実に影響を与えていくという形で作品全体の一貫性を保っている。前作のなるたるでも、短編のように独立した話が結構あったけど、作品が長編という形をとっている上に独立しているだけで、本筋に余り関わりがなく全体の話を散漫にしていたけど、今回のは必然的に短編集的になる設定を作り、その上で短編間に強い関わりを持たせるという形で、作者の得手不得手が非常に良い形で出ているのではないかと思う。昔読んだ、タニス・リーの闇の公子をちょっと思い出した。あれもよかったなあ。
まとめると、この作品が好きですというそういう話です。悪趣味が過ぎるという感想もわかるけど。それも含めて。


人の趣味はさっぱりわからないなあとつくづくと思う。同じように人には自分の趣味はわからないんだろうけど。

2006年07月01日

ニッキー

バイト終わって、本やら何やら色々買ってふと帰り際にいくら使ったのかなあとか暗算してみたら五千円以上使っていて、ぼかあビックリしましたよ。五千円て。まあ、何に使ったっつーか高くついた原因は間違えなく、かみちゅ!のデスクトップアクセサリー集のせいなんですが。
僕もね、馬鹿ですね。ええ、これを読んで馬鹿にしてくる人間の当ては二、三人あるのですが、まあ、貴方たちが言いたいことは、そんなことは十二分にわかっていますよ、ええ。
というわけで、デスクトップアクセサリー集の内容ですが、結構ひどい。ネット上の情報でひどいと書かれていたのでわかっていたけど、想像以上にひどかった。
これで2600円も取ることに良心の呵責は覚えないのかなあ。というぐらい。
時計にしろ、システムボイスにしろ、スクリーンセイバーにしろ使うつもりはないので、どうでも良いんですが、多少ほしいと思っていた壁紙さえ……。書き下ろしがないのは良いとして、五枚しか入っていないのは正直どうよ。あと1600×1200なんて今時普通に使われているんだから、そのぐらいの解像度のモノは入れてほしかった。
結論としてはお金のムダだろうなあと思って買ったら本当にムダだったという、そういう馬鹿馬鹿しい話です。
こういうお金を粗末に扱うのは良くないなあと思うんですけどね。使うところに惜しみなく使うのは良いとして、使わない部分には使わないようにしないとなあと思うんですが、今のところ思うだけで無駄なモノに結構お金を使ってしまいます。

家計簿を付けて、出費をある程度把握できるようにすれば無駄な金を使うことに心理的な抵抗を覚えるようになるんじゃないかとも思いますが、これまで僕は三日以上家計簿つけれたことがないのですよねー。どうしたもんですかねー。
既存の家計簿ソフトとか書けることがやたら細かすぎて、そりゃ家計簿付けるのが楽しー人とか付けないときっつい人とかならともかく、僕のような付けないならつかないで何とかなるし、ぐーたらした性格の人間にはオーバースペックで使いこなせなかったというか、使えなくなった。しんどいんだもの。人間だもの。
もっと怠惰な人間でも出来る家計簿システム、みたいな。そんなモノを教えてもらうなり、構築しないと付けられないなあと思って親との電話の中できいたら、とりあえず分類を少なくする事を提案されました。食費、光熱費等、生活費、学校にかかる費用、自分にかかる費用という感じで、僕がある程度考えていたのと視点が違ったのでなるほどと思いました。これなら確かにやりやすい。
となると問題になるのは、何に入力するか、ということなんですが、これもまたどうしたもんかな。既存の家計簿ソフトだと、作った人の思想が入りすぎているし、そんなのをわざわざ作るぐらいだから、機能をてんこ盛りにしちゃうんですよね。大体。僕にとってはオーバースペックになってしまいます。
表計算ソフトに書いてマクロでどうにかするのも良いかなあとも思うし、テキストに書いたのを、簡単なスクリプトで処理する、ぐらいでも良いのかな。gnuplotとかで表示すれば、図示も出来るし。使ったことないけど。

結局部屋の片付けの時も思ったけど、というかいつも思うけど、自分のどうしようもないほどの怠惰さをどうするか、という問題なんだよな。未来の自分に期待するシステムは絶対長続きしない。
という人は僕に限らず結構多い気もする。きちんと出来る人は、きちんとしないストレスに耐えられない人なんだと思う。
きちんとしないことにストレスを感じない人間は、どうにかなっちゃっている間は、どうにもしないもんです。実際家計簿付けなくてもどうにかなってるし。部屋が汚くても生きていけてたし。まあ、幸い汚い部屋にストレスがかかり部屋は片付きましたが。この勢いで、家計もどうにか、したい。
しかし、モノ捨てれば部屋片付くじゃんみたいな楽ちんな解決策は家計簿には(今のところ)ないし、かなり継続的な努力を要する家計簿が、必ずしも必要でもない状態で続くかという問題もある。
支払いが全部クレジットになって、全自動でマイニングさせて家計簿付けられるようになれば楽なんですけどねえ。労力0だし。
まあ、そうではないのはそうじゃないんだからそうではないなりにそれなりのものをかんがえるかかんがえるのをやめてあきらめるか。諦めるのもいつも通り、だし少しはなんかアクションとるほうがいい。とろう。
とりあえず、プレーンテキストで。
細かくつけなくても、出費の傾向だけわかればいいしね。アバウトに気楽に行けばいいし。

日記もねえ。付けると幸せになれると思うんですが。

寝るぜ!