2006年07月27日

[日記]真心を込めて

今日のことで日記書いて? みたいなそういうよくわからない自体になったのですよ。ほら、僕あれじゃないですか。自分がやったこととか自分の周りで起きたこととかでエントリー書かないじゃないですか。その辺僕の育ちの良さがちょっと出過ぎちゃって恥ずかしいんですけど、やっぱほら、大学生ですから、ねえ。そんな物理的なことより、もっと、なんていうの、精神的と言うか、内省的というか、哲学的というか、ルサンチマンというか、小宇宙というか、ほら、そういうより高度な精神活動の結果として得られる、複雑なパターンの発露としてのブログじゃないですか、ここって。
なので、そんな今日のこと書くとか言われても僕としても困ってしまうわけですけど、そこはそれ、書くと言ってしまった物は、書くしかないだろという、精神的プレッシャーが物理的な圧力として感じられるほどの無言の何かを感じたので、さすがの僕も少し書かなきゃいけないかな、ってほら、思うわけですよ。ねえ。短くつまらないエントリーですがおつきあい願いますよ。
まあ、今日はのみだったんですよ。俗に言う飲み。砕けて言えば飲酒ですね。アルコールをドリンク。研究室ミーティングも夏休みと言うことで間が開くし、授業は終わったし、博士の方の中間報告? もすんだと言うことで、一丁ぱーっとお疲れ! 飲みをするか、みたいな流れだったんですかね? よくわからないけど。飲んだのです。酒を。英語で言うとアルコールですが。
僕もほら、弱いじゃないですか。それはどうでも良いんですけど。
いや、でも、ほんと、今日は感動しました。やっぱり今の研究室の人たちは凄いです。凄い。なんて言えばいいのかなあ。僕の貧弱な語学力じゃあ適切な表現を選ぶことが出来ないんですが、強いて言うなら……
もの凄い人間力(リキ)。
よく言うじゃないですか、ほら。大学の研究室の飲みとかですと、あるそうじゃないですか。酒を飲んでも研究の話とか。ぐびぐび日本酒のみながら、熱燗一杯行きながら、研究の話。酒の肴は、超流動。みたいな? そういう話を聞くわけですよ。酒っていうのは、大脳新皮質の働きを抑え、より動物的な部分を解放することでストレス等からの解放が起きるわけですよ、普通は。それを何ですか。東大生は、旧皮質まで超流動ですか。
やっぱりそれは動物としての人間という観点から見るとおかしいわけですよ。より高度な精神活動を抑え、ともすれば忘れがちな動物としての人間を改めて見直すことで、人間というものの本質を見いだそうというのが飲酒の真のココロなのです。それを何ですか。東大生は、旧皮質まで超流動ですか。
やっぱりそれは動物としての人間という観点から見るとおかしいわけですよ。より高度な精神活動を抑え、ともすれば忘れがちな動物としての人間を改めて見直すことで、人間というものの本質を見いだそうというのが飲酒の真のココロなのです。
アレですよ。旧皮質まで超流動というのが、理学部のダメなところなのですよ。相対論的に言えば空間のゆがみに心を捕らわれ、イデアの世界から降りることが出来なくなっているんだと思います。チャームだとかストレンジとか。そういう世界に彼らはいる、要は仙人みたいなものですね。
でも、やっぱり工学部は違うんですよ。より、なんというか、実社会に近いというか、アカデミックだけど、普通の視点を忘れないのが工学部なんですよ。そこはサイエンティストとエンジニアの違いなんですよ。どっちが良いとか、悪いとかはもちろん無いのですが、肉体というものを意識してこそ、真の工学者、というのはやはりあると思うんですよ。
そこで僕の研究室の人たちの話になるんですが、そこは、ほら、みんなやっぱり真の工学者なのですよね。情報という実態のないものを扱う人間でありながら、物理的に存在する人間としての自分を常に忘れない。そういう素晴らしい人たちの集まりです。
今日は二時間ぐらい飲んでいたんですけど、一回も研究の話なんて出なかったですからね! 情報検索とか、処理とか、そういうのってもちろん大事なんですけど、酒を飲んで大脳新皮質を休めてまでする話かって言えば、ねえ。仕事とオフの区別がしっかりついてますもん。みんな。
今日はキャバクラの話とか、メイド喫茶の話とか、大学の話でもあれですよ、そんな理論とかそんなどうでもいい話はしませんよ。あの先生は学生時代の先生の秘書と結婚したとか、そういう、より、肉体的というか、下半身的というか、そういう所に根ざした、10というビットパターンとしてのエンティティではなく実態としての人間にとって大事な話しかしませんもん。
まあ、ほら下半身的とか性欲とか言うと、ちょっと下世話というか、そういう風に思っちゃう脳みその半分がPTAでしめられている人間もいるかもしれませんが、どうして。やっぱり性欲というか、繁殖行動に対する強い欲求というのは、言うまでもなく大事、大事と言うよりも生物として不可欠なものでありまして。そういうものをキッチリ口にするというのは、僕のような未熟な人間としては、大人として見習わなければならない行動だなあというのを強く実感しました。
もちろん人間が地球にとどまっている限り、人口というのは適度なところで制限しなければならないわけですが、人間が宇宙に出る可能性ももちろん否定できないのです。いまだと第二宇宙速度を出すのにかかるコストが大きすぎ、また政治的にも必要に迫られていないので、宇宙関連の予算なんてたかがしれてその中で出来ることしかないのですが、そのうち軌道エレベーターとか出来れば、人間が太陽系にまで広がっていく、なんてことも現実的に考えられることです。生活範囲が広がれば人間がすることは一つですよ。生めよ増えよ地に満ちよです。
研究室の方々はそういう百年二百年という長い年月を見越したヴィジョンをもってキャバクラの話をしなさっているんですよ。そういうのって、大事ですよね。ヴィジョンが無くて、なにが工学者ですか。なにが人間ですか。
僕もそういう偉大な同輩、先輩を見習って、より下半身的に言動を目指すべきなのかな、って思っちゃいました。なんというか。チンコにオレがついてたー! みたいな? や、やつは遺伝子のスーパースプレッダーだ! と言われるように頑張るとか?
せっかくこんなに恵まれた人間環境の中で飲めるのですから、見習える所は見習わなきゃなって思いました。
それだけじゃないんですよ、もちろん。
まあ、ココ見ている人は大体僕が酒弱いなんて知っているじゃあないですか。すぐ赤くなるし、変な斑点出るし。僕もそれなりに自制心できる年にもなったし、ゲーゲー吐くのも惨めな気分になるし、酒はホドホドですまそうと思うし、頼むのも止めるんですよ。
そんな状況でも研究室の人の何というか、人間力は、発揮されるんですね。思いやり、とか暖かい心ですよ。やっぱり人間に大事なのは。
ほら、一応頼むかどうか聞かれるけど、断るじゃないですか。僕も、自制心出来る年になりましたし。
違いますね、でも、僕と普段交友のある人たちとはひと味もふた味も。頼んでくれますもん。僕が頼んでくれるなと言っても、ちゃんと頼んでくれるんですよ。これが思いやりですよ。社会に出たら、僕のような純朴でガラスのような繊細な心(ハート)を持つ人間は、荒れ狂う嵐のような理不尽に巻き込まれ、ニートになってしまうに違いない。そう思ったんですよ、彼は。
だから、狂犬病の犬にかまれた少年に、ワクチンをさしてあげた名前忘れた偉人のように、僕にも社会の理不尽さの一端をあじあわせ、イヤーンな気分にさせることで僕の台風の時に釣り人をさらってしまう波のような社会に対する抵抗力をつけてあげようという、そういうグリーンランドの冬の太陽のように暖かい心で、いらない酒を頼んでくれたのです。
僕はそのなんという思いやりに心で涙を流しました。
やはり、関西の方は違います。心配りのレベルが僕のような矮小な人間の遙か上、衛星軌道を行っています。歴史が違うんですよね。ぶぶづけどす、といって客を追い返すほど長い歴史を持つ土地のひとですもの、僕のように開拓されて百数十年という北の果てで青春時代を過ごした人間と比べることがおこがましい。だいたい東京だって、関西から比べれば、新興の都市ですし。たとえ天皇陛下がいなくなったって、「日本の中心」だから、文化度が桁違いだなって強く実感しました。
いやあ、こういう事をわざわざ書くのも恥ずかしいんですが、なんかこういう環境で二年間という短い期間ですが、研究できるって言うのは、本当に恵まれているなあって思います。神保町という歴史のある街で、文化的な土地からきた仲間に囲まれて、こうして研究生活を送れる幸せを深くかみしめています。
皆さん! ありがとうございます。