本屋に行くたびに30girl.comを探しているのだけど、何処にも置いていない。いつも当店では扱ってはおりませんといわれてしょんぼりしてしまう。結構大きな店に行ってるんだけどなー。
おーい! リリコさーん!! 出ておいでー!
先輩から頂いた藤子F不二雄のミノタウロスの皿という短編集が、たばこ臭かったけど非常に面白かったので上のマンガを探すついでにSF短編集未来ドロボウを買ってしまった。ミノ(ryに比べるとなんだけど面白かったのでいいのだけど、表題作にそっくりな短編小説を前読んだことがあるような気がしてならないのだけどなんだか思い出せない。のど元に出かかっているのにとれないタコの刺身のようで非常に気持ち悪い。うーん。
昨日今日と何もする気が起きなくて、温帯用語の基礎知識などをだらだら読みながらニヤニヤニヤニヤしてた。グインサーガも読んだことがないし、温帯にも全く思い入れもないので、第三者視点で非常に愉快に読めていたのだけど、考えてみればトマトたちにとってのそれは僕にとってのDのようなものなのかなあ、と言う気がしてきて非常に何とも言い難い気分になってしまった。やっぱり自分が好きだった小説が、見る影もなくなってしまうのは非常に悲しいものがあるんだよなあと。
昔のDは面白かった。最初はエルリックサーガで好きになった天野喜孝の表紙絵に惹かれて買ったのだけど、すぐに小説自体に夢中になってしまった(たぶん)。
西暦一万ウン千年という当時の自分としては途方もないスケールの未来と、その世界に君臨する貴族と呼ばれる吸血鬼たち。恐るべき科学力を誇りながらも今や衰退に向かいつつある彼らと、再び地球の支配者になろうとしている人間たちの闘争を、吸血鬼ハンターであり、人間と吸血鬼のあいのこであるダンピールの主人公、Dとの関わりの中で描いていく物語は、非常に新鮮で魅力的で面白かった。なにより昔のDには雰囲気があった。中世の趣を残す城に住む貴族たちが支配する、どこかウエスタンな辺境は、文章を読んでいるとそこに感じられるほど、泥臭く実感を伴ったものだった。そしてそこで必死にいきる人たちからは、ひたむきさと汚さ、そして満ちあふれる生命力が感じられた。その一方、西暦二千年以来、人間に変わり何万年もの栄華をほこり、今や種族の黄昏を前にした貴族たちの姿は、滅びを前にしても何処までも誇り高く、そして悲哀に満ちていた。無敵の吸血鬼ハンターでありながらダンピールである故に人に受け入れられず、むろん貴族の側に属すこともなく、孤高であり続ける主人公の姿はとても格好良かった。彼は僕のヒーローだった。
DはヒーローものとSFと西部とゴシックホラーと忍法帳シリーズの全て混ぜ合わせた中から生まれた奇跡の小説なのだとおもう。あの小説を読んで心をときめかさない少年はいないのではないか。
だがしかし今やDはぐだぐだになってしまった。小説の根本にあった、興りつつある人間と滅び行く貴族の対立構造は失われ、世界はなんだかよく分からないものになってしまった。そして必然的に、二者の間をどちらにも属さず生きていたDの立場は崩れ去り、貴族に肩入れをするようになり、貴族はいつの間にか滅ぼされるべき存在では無くなり、人間は再びなんてことはない人間になってしまっていた。もとより無敵だったDはいつの間にか超常的な存在となり、なんとアカシックレコードにふれて歴史を改変してしまうほどになってしまった。エドガーケイシーも吃驚である。そして何より悲しいことは、あれほど心躍った小説世界の雰囲気が失われてしまったことだ。小説の舞台は書き割りのように平坦になってしまった。町も村も魅力的なところは何もなくなってしまった。脇役の一人一人までも生き生きとしてた人間たちは皆生気を失ってしまった。あれほど美しくプライドに満ちた貴族たちは単に肉体的精神的に超人的なだけの存在になったしまった。
近刊からは、昔あれほど感じられたDの世界は一片たりとも感じられなくなってしまった。
ついでに云うと小説の構成もひどいものになってしまった。昔は一冊一冊綺麗にまとまっていた小説が、二巻、四巻本となるうちに、なんだか作者は考えて書いているのかと思うぐらいまとまりの悪い、まとまりのない構成になってしまった。あと僕の読み方が雑なせいもあるのかもしれないが、読んでいても話が理解できなくなってしまったような気がする。もともと癖のある文章だったが、いまや突き抜けてしまい何がなんだか状況が理解できない。理解してもアクロバティックな展開をするのでついていけなくなる。多作な作家だからかもしれないが、枯れるというのを非常に強く感じさせられた。トマトも温帯を見ながらこういう気持ちになっているのかもしれない。
だがしかし、昔のD、死街譚や夢なりし、そして一番好きな風たちてを読み終わったときの感動は今でも鮮やかに思い出せる。だから今でもDが好きだという気持ちには代わりはないとハッキリ言える。ただ新刊は買わないだけ。
まあ魔天に載っていたDの短編はDの最終話であると作者自身が書いているし、もうDは終わっているという方向で。
で、ついでに昔のDの絵を見ていると、ああ昔はすごい絵を描いていたのだなあとこれはこれでまた悲しくなる。自分自身の絵の好みの変化もあるのだけど、昔の技術と想像力のバランスがとれていた頃の絵は神懸かっていると思う。具体的には死街譚か夢なりし当たりまで。エレコーゼとかエルリックのほうが好きだけど。
最近の挿絵もけっこう好きですけどね。
しかし中途の当たり、昏い夜想曲の挿絵はひどくないかな。Dの横顔がなんか笑える。