2004年11月30日

レポート

課題がなんだか。なんなんだか。
開発用パソコンの仕様を決めてお買い物リストを作れと。適当すぎて涙がでそうです。
そりゃあもう私も適当な課題を出した先生の希望に答えるべく適当に書きました。一時間ぐらいで。でも最近のPCパーツとかさっぱり分からないのでわざわざ雑誌を買ってしまったので、最近のレポートの中では一番コストがかかってますね。
しかしこう数年見ていないとパソコンの性能と値段が変わりまくりで吃驚です。予算20万ちょいあれば十二分ですね。高性能の液晶とかかえるし。いまのでかいだけのクソ液晶と交換して欲しい。今だと同じぐらいの値段で……うう。
それは良いんですが今使っているパソコンの動画再生能力が異様に低いのは昔プラスチックをも溶かすストーブ(二回ほどとかした)をパソコンの横で使っていたと言うお馬鹿なことをしていたむくいなのかと思うのです。
だってその頃は高温で半導体が壊れるなんて知らなかったのだもの。半導体のハの字も知らなかったから。それに足が寒かったから。
ですので誰か僕に新しいパソコンを熱烈にプレゼントしてくれるひとは居るわけがないので雑誌を見ながら妄想を膨らませていると少し楽しい気分になりました。

2004年11月29日

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巨人な感じ。

2004年11月27日

記憶と忘却は一セット

 このサイトを見ている人はだいたい知人だと思うので知っていると思いますが、私は記憶力があまりよくありません。どれくらい悪いかというと、もしドラえもんの道具で全世界の人間が私並みの記憶力しかなかったら、社会が崩壊するのではないかと云うぐらい。やばいですよ、もうみんな彼女とか出来ないし子供が生まれないから人口問題大解決。というか人類大滅亡。めくるめくカタストロフィー。時間旅行家も遙か未来にモーロック族もエロイ族も見いだせません。
 思うにそれは記憶力の問題ではないですね。
 記憶力です。記憶力の話です。
 しかしまあ自分で云うのも何ですが、ものを覚えるのはそんなに苦手ではないのですよ。試験とか良い点とれるし? みたいな。そんな感じで。例えば人の名前を覚えるのが得意でないっつっても人並み程度だと思います。一度聞いただけでクラス全員の名前を覚えてしまう人なんかあんまり居ないわけだし、普通は何度か聞くうちに覚えるものです。きっとそうだと思いたいのです。
 では私の記憶力が何故あまりよろしくないかというと、それはあれですよ、私の脳みその忘却力がすごすぎるということなんですよ。まあ私ぐらいの人間になったら欠点もすごすぎると云わざるをえない気分を隠すことも出来なく今一人で筋少を聞きながらキーボードをたたいていると考えがまとまらないので筋少は単純作業のときにしかBGMにできないなあと思って居るんですよ。よし、アルフィーにかえた。オーブ大好き。
 忘却力。
 人間が一度に考えられることなどたかがしれているわけで、それが私になるとさらに云うまでもない事です。もし私が記憶(する)能力がずば抜けている男で忘却力が貧弱であったら、それはもう、大変ですよこれ。なんか考え事をしていたら、考えている対象からいろいろなことを思い出していって全然考えることにならないんですよ。
 帰宅途中考え事をして居るんですよ。あー課題のプログラムどうしようかなー。先生のプログラムコメントゼロは有り得ないよなあ。せんせいって云えば宣誓僕たち私たちはスポーツマンシップに乗っ取り正々堂々戦うことをここに近いますを先生に誓って居るんだと思っていたなあ。それと乗っ取りの漢字がまちがっているようなきがするなあ。だいたいスポーツマンシップってなんだよ脂肪率の足りない人間が山と乗っている変な船かよ。あれでもこの漢字なら良さそうだなあ。
 とまあ記憶力と関係ないような気がしてきましたが。忘却力が優れている人間が忘却力の劣った人間がどう考えるかなんて分かりませんよ!!! ああ、もう何で能力の低い人間の考えをシミュレートしなきゃならんのですか!
 つまりこう考えがまとまらないと云いたいのですよ。忘却力が劣っていると。何か考えているときに集中するためには、いや別に思考に限定しなくても、もう既に不必要になった情報を記憶しておくのは無駄というか不便だと云わざるをえないと思いませんか? ゴミファイルがハードディスクにたまってる載って嫌じゃないですか?
 僕の脳みそは少しでも不必要だと思った記憶はすぐに破棄してしまう非常にスピーディ且つ効率の良い構成になっているのです。だいたい皆さん、昔のことなんか記憶していて何が楽しいというのですか。人がカッター振り回しただの椅子で殴ろうとして逆にぶん殴られたとかなんだとか。楽しいですか? そうですか、それはよかったですねー。バイバーイ、そして永久に。もう二度と会うことはないでしょう。
 小中学生の頃の記憶なんて何の役に立つというのですか。無意味。さっきすれ違った美人の眼鏡のお姉さんの出身地の名産品に含まれている添加物の数よりも価値がありません。
 従って当然の事ながら私の優秀と言わざるをえない脳はそのような下らない記憶はだいたいゴミ箱、ぽいっ!! そんな素晴らしい働きに私の脳みその感情を司る部位は感動物質の分泌をためらうことはないのです。
 考えてみましょう。世の中では忘却能力の劣った人間を素晴らしいと思う一種ゆがんだ風潮があるように感じられます。しかし、忘却能力に優れているというのは様々な素晴らしいことがあるのです。
 普通嫌なことがあったらなかなか忘れられないものです。しかし、忘却能力に優れた人間は違います。たとえものすごく嫌なことがあって深く沈みきった気分を味わったとして、立ち直るのに長い時間を要しません。いやだったことを忘れてしまうからです。もし何があったかを覚えていたとしてもその事実とともにあった感情を忘れてしまうので、とても冷静に思い返すことが出来ます。私も前とても嫌なことがあったのですが、もう忘れてしまいました。あったと思うのですが……いや、なかったかな?
 他にも気持ち悪いものを見てもすぐ忘れてしまい、あまつさせ「そんなもの見たっけ」なんて云ってしまうのです。なんて幸せな自分なのでしょう。
 他にも色々あります。
 私はSFを読むのが趣味といえば趣味なのですが、SFの内容なんて役に立つことはほとんど無いので読んでもだいたい内容を忘れてしまいます。だから一度買った本も少し時間をあければまるで初めて読んだかのように楽しむことが出来るのです! しかし忘却能力の欠如した人間は一度読んだ本は二度と新鮮に楽しめない上に、これからその本を読もうとしている人間に対して偉そうに内容を説明したあげく、殺意を抱かれるわけです。ワーカワイソーウ!!
 忘却能力に優れていたらそんなことはありません。
 これはもちろん小説ではなくても映画でもゲームでも何でも当てはまるわけです。持っている本を何度でも楽しめるのだからとっても経済的ですね! お財布もニコニコ笑っていますよ。
 勉強だってそうです。普通の人間は一度頑張って理解してしまえば、その分野に関してはもう二度と理解する至上の喜びをえることは出来ないのですが、私のように優れた人間であれば同じ分野で何度でも理解する喜びを味わうことが出来るのですよ。勉強好きにとってこれほど素晴らしいことはないのではないでしょうか。いや、私は好きではないですよ、別に。
 まあ、こんなのは忘却能力に優れていることによってえられる利点のごく一部にすぎないのですが、あれこれ例示しても仕方がないのでこの辺にしておきます。忘れちゃったし。
 そろそろ面倒になったのでまとめると、忘却能力に優れている人間は劣っている人間よりも素晴らしいと云うことです。なんたって劣っている人間は劣っているんですから! それともし私が何か忘れててもああ、この男は忘却能力に優れている素晴らしい人間なんだから仕方がないと、春の太陽のように暖かい目で見守って下さいと云うことです。
 いや何云いたいかって、昔の知り合いとかに声かけられても名前思い出せなくて困ることが多いんですよ。そもそも顔が分からないことも多いけど。しかしむしろ覚えていないことが標準なのでむしろ覚えていたら褒めて下さい。あと今の知り合いも、会わなくなって何年かしたら忘れる可能性は高いと思うのでよろしく。

2004年11月25日

何で眼鏡ばかりなの?

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描きたいから。

上の絵上手くかけたと思ったのですが、まあそれはそれとしてとある事実に気がついてなんだかもの悲しい気分になったわけですが。どんな事実かは云いませんが。
が、が。が。

2004年11月19日

なんじゃこりゃーーーー!

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 実験班の人にNHK教育のピタゴラスイッチに出てくるピタゴラ装置を見せて貰い、感動しました。これはなかなかすごい。何で知らなかったんだろうってぐらい。
インクレディブルマシーンみたいだけど実写なので遙かに多種多様で見ていて飽きない。こんなもの思いつくなんてすごいぜNHK職員。と思ったら慶応大学の人が作ってるのね。そうなのね。
 で、インクレディブルマシーンなんですが誰も知らないのですね。自分の中ではかなりメジャーなソフトだったんですが考えてみればそんなことは全然無い。古いし3以降続編出てないし。日本ではだけど。アメ国ではThe Incredible Machine: Even More Contraptionsつーのが出ているようですが。
 なんで自分がインクレディブルマシーンを知ったかというのを思い出した。ゲーム体験版を集めたムックに収録されている第一次大戦を扱ったフライトシミュレータの体験版をやりたいと思った友人に説得されて買ってしまったんだ。で、その本にインクレディブルマシーンも収録されていた。だから何だという話だが何でもない。あとレミングスとかも忘れられてそうな気がする。面白いんだけどね。ああ、レミングスと言えば小学校の頃友人ちで21か3インチのCRTで遊んだような気がする。ディスプレイでかかった。
 
 それはともかく終わんねーわ。たぶん? うん。いや、私信ですが。
 レポートかたしたらなんかやる気おこらんし。

2004年11月16日

自分

「めんどくさい」禁止。

「どうでもいい」も

2004年11月14日

どっと混む

久々に料理するかと食材を買ったら帰り際にビニールの持ち手がちぎれて路上にいろいろ散らばった。卵も入ってたのに。
工学者見習いの僕はすぐさま原因を推測した。

1.店員が未熟だったせいで袋に詰め込みすぎて重さでちぎれた。
2.袋が不良品でビニールが薄すぎたために重さでちぎれた。
3.僕が持ち手のビニールを爪で穴をあけすぎたせいでちぎれた。

 以上三つの可能性がとりあえず考えられた。
 その中から一番可能性が高いのは1だと思う。店員は手つきがおぼつかなかったし、言葉も怪しかった。どじっこだ 。次に可能性が高いのは2だと思う。最近のビニール袋はどうも昔より薄くなっている気がする。不景気でコスト削減なのかもしれないが、ちぎれるような袋は作らないで欲しい。
 というわけで何ともやりきれない気持ちで帰宅した。

2004年11月09日

見つからない! 見つからない! ほんとのことさ!

本屋に行くたびに30girl.comを探しているのだけど、何処にも置いていない。いつも当店では扱ってはおりませんといわれてしょんぼりしてしまう。結構大きな店に行ってるんだけどなー。
おーい! リリコさーん!! 出ておいでー!

先輩から頂いた藤子F不二雄のミノタウロスの皿という短編集が、たばこ臭かったけど非常に面白かったので上のマンガを探すついでにSF短編集未来ドロボウを買ってしまった。ミノ(ryに比べるとなんだけど面白かったのでいいのだけど、表題作にそっくりな短編小説を前読んだことがあるような気がしてならないのだけどなんだか思い出せない。のど元に出かかっているのにとれないタコの刺身のようで非常に気持ち悪い。うーん。

 昨日今日と何もする気が起きなくて、温帯用語の基礎知識などをだらだら読みながらニヤニヤニヤニヤしてた。グインサーガも読んだことがないし、温帯にも全く思い入れもないので、第三者視点で非常に愉快に読めていたのだけど、考えてみればトマトたちにとってのそれは僕にとってのDのようなものなのかなあ、と言う気がしてきて非常に何とも言い難い気分になってしまった。やっぱり自分が好きだった小説が、見る影もなくなってしまうのは非常に悲しいものがあるんだよなあと。
 昔のDは面白かった。最初はエルリックサーガで好きになった天野喜孝の表紙絵に惹かれて買ったのだけど、すぐに小説自体に夢中になってしまった(たぶん)。
 西暦一万ウン千年という当時の自分としては途方もないスケールの未来と、その世界に君臨する貴族と呼ばれる吸血鬼たち。恐るべき科学力を誇りながらも今や衰退に向かいつつある彼らと、再び地球の支配者になろうとしている人間たちの闘争を、吸血鬼ハンターであり、人間と吸血鬼のあいのこであるダンピールの主人公、Dとの関わりの中で描いていく物語は、非常に新鮮で魅力的で面白かった。なにより昔のDには雰囲気があった。中世の趣を残す城に住む貴族たちが支配する、どこかウエスタンな辺境は、文章を読んでいるとそこに感じられるほど、泥臭く実感を伴ったものだった。そしてそこで必死にいきる人たちからは、ひたむきさと汚さ、そして満ちあふれる生命力が感じられた。その一方、西暦二千年以来、人間に変わり何万年もの栄華をほこり、今や種族の黄昏を前にした貴族たちの姿は、滅びを前にしても何処までも誇り高く、そして悲哀に満ちていた。無敵の吸血鬼ハンターでありながらダンピールである故に人に受け入れられず、むろん貴族の側に属すこともなく、孤高であり続ける主人公の姿はとても格好良かった。彼は僕のヒーローだった。
 DはヒーローものとSFと西部とゴシックホラーと忍法帳シリーズの全て混ぜ合わせた中から生まれた奇跡の小説なのだとおもう。あの小説を読んで心をときめかさない少年はいないのではないか。
 だがしかし今やDはぐだぐだになってしまった。小説の根本にあった、興りつつある人間と滅び行く貴族の対立構造は失われ、世界はなんだかよく分からないものになってしまった。そして必然的に、二者の間をどちらにも属さず生きていたDの立場は崩れ去り、貴族に肩入れをするようになり、貴族はいつの間にか滅ぼされるべき存在では無くなり、人間は再びなんてことはない人間になってしまっていた。もとより無敵だったDはいつの間にか超常的な存在となり、なんとアカシックレコードにふれて歴史を改変してしまうほどになってしまった。エドガーケイシーも吃驚である。そして何より悲しいことは、あれほど心躍った小説世界の雰囲気が失われてしまったことだ。小説の舞台は書き割りのように平坦になってしまった。町も村も魅力的なところは何もなくなってしまった。脇役の一人一人までも生き生きとしてた人間たちは皆生気を失ってしまった。あれほど美しくプライドに満ちた貴族たちは単に肉体的精神的に超人的なだけの存在になったしまった。
 近刊からは、昔あれほど感じられたDの世界は一片たりとも感じられなくなってしまった。
 ついでに云うと小説の構成もひどいものになってしまった。昔は一冊一冊綺麗にまとまっていた小説が、二巻、四巻本となるうちに、なんだか作者は考えて書いているのかと思うぐらいまとまりの悪い、まとまりのない構成になってしまった。あと僕の読み方が雑なせいもあるのかもしれないが、読んでいても話が理解できなくなってしまったような気がする。もともと癖のある文章だったが、いまや突き抜けてしまい何がなんだか状況が理解できない。理解してもアクロバティックな展開をするのでついていけなくなる。多作な作家だからかもしれないが、枯れるというのを非常に強く感じさせられた。トマトも温帯を見ながらこういう気持ちになっているのかもしれない。
 だがしかし、昔のD、死街譚や夢なりし、そして一番好きな風たちてを読み終わったときの感動は今でも鮮やかに思い出せる。だから今でもDが好きだという気持ちには代わりはないとハッキリ言える。ただ新刊は買わないだけ。
 まあ魔天に載っていたDの短編はDの最終話であると作者自身が書いているし、もうDは終わっているという方向で。

で、ついでに昔のDの絵を見ていると、ああ昔はすごい絵を描いていたのだなあとこれはこれでまた悲しくなる。自分自身の絵の好みの変化もあるのだけど、昔の技術と想像力のバランスがとれていた頃の絵は神懸かっていると思う。具体的には死街譚か夢なりし当たりまで。エレコーゼとかエルリックのほうが好きだけど。
最近の挿絵もけっこう好きですけどね。
しかし中途の当たり、昏い夜想曲の挿絵はひどくないかな。Dの横顔がなんか笑える。

2004年11月03日

眼鏡

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西川魯介の漫画を読みながら、眼鏡はちゃんと描かなければいけないなあ、と反省しました。