2006年11月29日

マシロ・ブラン・ド・ヴィントブルーム & ミコト

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うーん。結局色塗りは易きに流れてしまった。まあ、それはそれで。

舞-HiMEでHiMEを全員は確認できなぁとか思っていたんですが、単に12人+アリッサという話だった。あと、二三のことを忘れていたと言うのもある。
そういえば、13人が舞-乙HIMEでどうなったかを見るとアリッサだけあんまりじゃないかと思う。ミコトとユキノとミドリ以外マイスター乙HiMEになってるし、ミコトは水晶の姫、ユキノは大統領、ミドリはアスワドの首領なのに、アリッサだけ鳥。
鳥て。
主要キャラクターでは黎人がサイボーグになっているけど、それはそれで見せ場があるしなあ。ミユがあんなに素敵なキャラクターになっているというのに、アリッサは鳥。
まぁ、ミユが舞-HIMEの時のと同じ個体であることを考えれば、アリッサを出さいのは適切なのかもしれん。まあそうなるとミコトはどうなるというかという話もあるけど、最終話で明らかにHiMEの能力をなくしているから、ミコトは別の人間なのかな。
舞がトキハダケだったらアリッサどころではなかったけど、普通に出番あるし。

あー。それはそうと、舞-乙HIME映像特典のネタ予告「風華大戦」は見てみたいなあ。舞-HIMEProject第四弾あたりでやってくれないかなあ。やんねえだろうな。出来がよすぎるんだよこの予告。

2006年11月26日

「イヴの七人の娘たち」について

そういえば……

と思って「人類が知っていることすべての短い歴史」の人類進化を扱っている部分を読んだら「イヴの七人の娘たち」について言及されていた。そういえばこれを読んだからうさんくさい本だと思ってたんだった。すっかり忘れていた。
言及のされ方を見ると一般的に認められていない、という感じか。研究の結果得られたデータは支持しつつも、それをあらゆる所に当てはめて解釈すると言うやりかたが、認められていないという印象を受ける。
また、マンゴ人の骨など解剖学的には現生人類でありながら、遺伝学的には全然異なるという例もある。これらはアフリカ起源では説明が出来ない。他にも説明がつかないものはいくつもあり、これが真実だ! と叫べる状態にはないということのようだ。これからもホットな話題なんだろうし、いつまでもそうなのかも知れない。
何にせよミトコンドリアDNA一つを取って全てを説明できるわけではない、という感じか。生物方面の人には当たり前なんだろうけど、僕のような門外漢はこういう本を読むとそうか! 説明できるのかと納得してしまう。

というわけで、「イヴの七人の娘たち」の話。
繰り返しだけど、とても面白いと思う。著者の自伝的な側面があるため、主観的な描写も多く見られるが、それはむしろ面白さに貢献していると思う。イヴの娘たちの生活に関する小説的描写は正直ちょっとどうかとも思ったが、ポピュラーサイエンスなんだし、分かりやすくその当時を理解させるという意味では良いのかとも思う。ミトコンドリアDNA一つで説明するのも、わかりやすくていいし。実際に研究に必要の考古学的な証拠、遺跡や土器などの話をしっかりされると、わからなくなるしなあ。この辺のわかりやすさは教科書的に扱えないモノをあえて扱ってしまうと言うスタンスによると思うが、それはわかりやすさでは長所でも最先端の分野である以上決定的な短所にもなりうるし、その辺の他の研究者には困った感じなんだろうなあ。
著者説の宣伝としての役割も見える一般向け科学書の本を読むときにどういうスタンスで読めばいいのかというのは難しい。面白さという点から見れば、気にしないでも良いし、ある意味SF的な読み方も出来ると思う。が、なるべくならやはり反対の意見を持つ人が書いた本なり資料なりに当たった方が良い。ただ手軽なのがあればいいけど、そもそもどんなのがあるのかわからない場合、面倒くさいんですよね。適度に距離を置いて懐疑的に読むのも良いけど、入れ込んで読んだ方が楽しいしなあ。
まー適当に読もう。

そういえば著者の主張の
「個人個人が、共通のDNAでつながった近い関係であることを理解すれば、民族差別や偏見、争いや攻撃をなくすことができるだろう」
というのを見て、「アリソン」のラストを読んでネーヨって気分になったのを思い出した。ただ優生学的な思想が強い社会だとそれなりに意味のある主張なのかなあと思った。著者が想定している民族差別というのは、極端なところではナチスのアーリア人に関する考え方に近いものなのかな。僕には今一現実的に考えることは出来ないけど、そういう観点での主張なのかなあと思う。

と言うわけでなんか一日で評価が逆転したような書き方ですが、そんなことはなく面白いことは間違いなく面白いです。ただ一般向け科学書も怖いよなあと思わされたので一応。

2006年11月25日

ブライアン・サイクス「イヴの七人の娘たち」

血縁関係を判定するのに遺伝子判定をするのはかなり一般的にやられているようですが、通常使われる遺伝子は交雑と突然変異の二つの原因で変化していくため、歴史的、あるいは考古学的なスケールで血縁関係を調べていこうとしても、不確実性が強すぎるのであまり使えない。しかし突然変異によってしか変化せず、母親からのみ受け継がれるミトコンドリアのDNAを使えば、適切な血縁関係のや進化の木構造が得られるはずである。しかもミトコンドリアDNAのDループという短い区間では突然変異は平均して二万年であり、年代推定にも扱いのいい区間である。
そこでミトコンドリアDNAのDループをツールに、様々な考古学的な謎を解いていった著者の研究の自伝的な紹介がこの本である。この本、タイトル自体は前から知っていたけど、ちょっとうさんくさい本だと思っていたので手に取ることもなかったのだけど、文庫化されていたのでちょっと立ち読みしていたらどうして、真面目でありかなり面白そうだったので買ってみたらアタリだった。
例えばハワイ、タヒチ、ニュージーランドのポリネシア人がどこから来たのか。すなわち海流に逆らってアジアから来たのか、あるいは海流に流れてアメリカから来たのか、と言う問題にミトコンドリアDNAは明確な答えを出している。他にもヨーロッパ人にネアンデルタール人の末裔はいるのか、ヨーロッパ人はいかに農耕を始めたか、と言う問題を解くのにもこの方法は強力に役立ち、また同時に他の手法の結果とも比較することでそれ自身の信頼性を証明している。
そこでヨーロッパ人の遺伝子から血縁関係を調べると、七つのクラスターに分けることが出来るという。そしてそれらと、世界中の血縁関係をさらに辿っていくと、アフリカにおいて全ての血縁が統合される。それが有名なミトコンドリア・イヴとなる。
これらの血縁関係分析は、ミトコンドリアDNAとは反対に父親からの未受け継がれるY染色体を元にした分析によっても支持されている。つまり地球上の全てのホモ・サピエンスは(おそらく)アフリカから発したものであり、全世界で同時に並行進化したモノではない、という結論が得られる。

グレッグ・イーガンの「祈りの海」に収録されている「ミトコンドリア・イヴ」はおそらく、と言うか確実にこれらの研究結果を基にしていると思われる。かなり面白い作品であり、これに関して背景知識を得られたのはとても嬉しい。と思って読み返そうと思ったら人に貸したままだった。
確かこの作品では、ミトコンドリアの分析もY染色体の分析も間違いが多く、平行進化が正しい、みたいな結論だったと思うけど、実際のところどちらが支持されているんだろうかというのは、多少興味がある。関係ないけどY染色体アダムという語感のちょっと抜けた感じは実に大好きです。

生物は中学以降一度も勉強したことがないんですが、こういうのとか読むと面白いそうだなあと思う。で、昔高校の時の物理か数学の先生(どっちか忘れた)に、生物は大事なんだよー、みたいなことをいわれたことがあったのを思い出した。そのときは流したけど、最近はやっぱり大事なのかなあという気になったりする。

全然関係ないけどポリネシアの話を読んでいたら、「占星師アフサンの遠見鏡」の「河」のイメージがようやく掴めた。
それはともかく文庫高いです勘弁してください。四冊で三千円超えるとレジでちょっとシマッタ気分になる。

西成活祐「渋滞学」

人や車など意志を持って動くモノを「自己駆動粒子」と定義し、それをシミュレーションするための「ASEP(エイセップ)」というモデルを使って渋滞を解析するという研究の成果を纏めた本。かなり基本的な事から説明されているため、僕のような門外漢でも分かりやすく読めた。

「ASEP」は自己駆動と、同じ所に二つの粒子がいられない排除体積効果という自己駆動粒子に重要と考えられる二つの特徴に注目した分かりやすいモデルであり、数学的にも綺麗でセルオートマトンの手法で容易にシミュレーションできる優れたモデルである。
最も簡単なモデルは次のように説明される。はじめにたくさんの用意し、ずらりと並べる。箱には玉が一つだけはいるとして、適当な数だけ玉を入れる。次に玉を一斉に右に動かすのだが、このとき動かしたい玉の右の箱に玉が入っている場合、動けないとする。
こういったルールを使って車の動きをシミュレーションしたとき、自由に車が動ける状態から、渋滞のような状態になる条件は箱の数の半分以上、玉が存在する、と言うことになるらしい。
これを、高速道路での車の流れに当てはめると、密度が一定以上になると渋滞になることがわかる。実際のデータからその臨界密度はだいたい40mに1台となる。つまり上り坂と気がつかないような上り坂である「サグ部」や、トンネルの入り口、カーブなど自然とスピードが落ちる場所では臨界密度を超えてしまい、原因のよくわからない渋滞に陥ってしまうようだ。
と、これだけならASEPを使わなくてもわかりそうな感じもするんですが、この本ではさらに、臨界密度を超えても渋滞を起こさない「メタ安定状態」さらにそのなかでも「強いメタ安定状態」と「弱いメタ安定状態」というのが幾つかのルールをASEPに加えることで解析されている。これを上手く利用すれば、密度が高い状態で一定の速度を出すという輸送の観点から理想的な事が出来るのではないかと書かれている。
他にもパニック時の群衆の行動、フェロモンを使って列を作る蟻の行動、パケット通信など分野横断的に様々な現象を分析していっている。個人的に面白かったのに、電車やバス、エレベーターの運行やなどが蟻の行動分析と同様に行われるというのがあった。蟻のフェロモンは揮発性が高く列の先頭を歩く蟻は、臭いを探しながら歩くので遅くなる。しかしその次以降の蟻は前の蟻が残したばかりのフェロモンを辿っていけるので十分早く動けるため、必然的に蟻の列はダンゴになる。同様にバスなども先に行くバスは乗客を乗せる分遅くなる。しかしそれ以降のバスは前のバスが乗客を乗せた分サクサク進めるのでやはりダンゴになる。まあ、この辺は乗客の供給がどのくらいあるかにもよるだろうし、土曜日の山手線などを見るとぜんぜんこうではないけど。エレベーターも利用者が多い階に集まるためにダンゴになり、三機並んでいるエレベータが全部上に行っていて腹を立てる事態になる訳らしい。
という感じで一つの武器を元に様々な現象を解明していくなかなか痛快な本。これらの研究結果が応用されればかなり興味深いモノが出来るのではないかと思う。ちなみに最後の方は学際関係の話が出てきていて、理学部と工学部の橋渡しになる人材が必要である、という感じの主張をしている。
理論が(応用もあんまり……)駄目な僕には耳の痛い話です。

ちょっと面白い話として、信号が青になってから実際に走れるまでの時間は、前にいる車の台数に1.5秒をかけたものになるというのがあった。

フレッド・ホイル「アンドロメダのA」

「10月1日では遅すぎる」のフレッド・ホイルの割と軽めなノリのSF。

と思ったらそうでもなかった。いや、方向性としては軽めで、宇宙からの通信を元に組み立てた計算機械とプログラムが人間に対して脅威になる、という感じの話なんだけど、著者が著名な物理学者だからか研究のやり方や、政治との関わりなどが割と細部にまでこだわって描かれている。正直必要以上という感じで読みにくかった。というか登場人物がぽんぽん出てくるので覚えられん。表が欲しい。
話は……そこそこ。ちょっと地味なマイクル・クライトンという印象を受けたのは何でだろう。まあ、マイクル・クライトンも「アンドロメダ病原体」しか読んでいないので本当に印象だけど。

日記

学祭に行ったはいいけど、誰かいるだろうと思って部室のドアを開けたら、
ので、そのまま帰った。

最近は舞-乙HIMEのサントラを延々延々。「ひなげしの花のように」から「聖乙女の祈り」の繋がりが好き。「舞」「Materialize」とか。「乙女の子守歌」
あと、BGMのメドレー「舞乙女SAGA」は最高。ホント最高。
そういえば、Ali Projectの「阿修羅姫」が舞-HIMEのゲーム版のオープニングというのは知らなかった。曲は好きだけど、「舞-HIME」あわない気がする。というか見ないで歌詞書いただろうコレ。
それはともかく「舞乙女SAGA」は最高
というわけで「舞-乙HIME Zwei」を見た。やっほーい。
以下感想ネタバレあり。


すごい、もう。最初からとばしまくり。マイスター乙HiMEらによる隕石迎撃作戦。地球をバックに乙HiMEがメテオブレイカーを構えている姿はなんというか……燃えますね!!
あと蒼天強すぎ! なんだろう。アリカの乙HiMEの適性は、母親が元乙HiMEであったことに関係あるんだろうか。あるいはアリッサの血筋であることか。勇者の血筋だ。
でもまあ、中身はあんまりかわらず。相変わらずアラレちゃん走りかよ! Materializeシーンで胸が揺れるようになったぐらい? って次回予告でネタにされてるし。というかアリカはまだガルデローベにいさせりゃいいだろうと思うんだが。あ、そうか認証できないからダメか。乙HiMEなんて猫がかぶれないとどうにもならんだろうに。しかしアリンコ呼ばわりかあ。まあそれなら素で許される気もする。
その一方でマシロは変わってきているなあ。多分。自覚さえすれば立場があるから変わるのも早いんだろうな。
つーわけで今回の敵は物体X? 最後のところでデスサイズ持っていたから真祖に関係あるのかと思ったけど、それは単に真白なる金剛石を奪ったからだよなあ。科学が復活しつつある状況を見て導きの星からなんか来たのかなあと予想を立て見る。
しかしお祭り的なOVAかと思いきや普通にちゃんとした話なのね。続き物だとは思わなかった。黒い谷はまたどっかいったし。マシロは一緒にいなくなったし、問題が山積み。続きが気になる。
次巻は二月発売でハルカがメインのようです。

2006年11月22日

無題

某大学の漫画研究会のお絵かき掲示板を見ていたら、絵に関するノウハウの継承をきちんとやろうとしている人がいてちょっと感心しました。それが実際質の向上に役立っているかまでは追っていないのでよくわからないけど。
音楽系サークルが後進育成に熱心であるように見られるのに対し、漫研やそれに類するサークルはその手の物がやられていないように思われる。まあ、少なくともうちはそうだという話で。試みがないわけでもないけど、属人的でありシステムとしては根付いていないし、これからも根付くことはないだろうと思う。
で、何でかなあと思い、教える側の要因と教えられる側の要因等を考えてました。
教える側、というか立場的に教える側に立てる上級生としては、自分が教えられるだけの技術があるとそこまで自信が持てるわけではないとか。教える技術の構築から始めなきゃいけないので大変とか。
あと後輩のが上手いなんてこともある、というのもあるか。
教えられる側としては、絵に対する好みや評価方法が異なっている場合、考え方を受け入れる気になれないとか。教わりたいと思う人があまりいないとか。まあこちらも色々考えられますが。
しかしその辺は音楽サークルでも同じ訳で、そこは上手くやって教育システムを成立させているんだと思います。んじゃ何が違うのかなあと思ったら、根本的に違うものがありました。つまり成果の評価が全体に与えられるか個人に与えられるか、と言うのが決定的な違いなのかなと。
音楽は一人の失敗や技術不足は全体に迷惑をかけるし、成功は共有される物だろうけど、漫画のうまくいく、いかないはそれぞれの作品を描いた人間にとってだけのものということです。勿論会誌という形で本に纏めて一つの成果物にするわけですが、良くも悪くも纏めるだけです。
個々人の技術向上や技術不足が全体に何ら影響を及ぼさない以上、教育システムが例え成立しても持続することはなさそうです。絵を描く系のサークルでは、共同作業になるだろうアニ研はその辺はしっかりしてそうだなあと思うんですがどうなんでしょう。ん、そういえば美サクとかはどうなんだろ。
上手く教育システムが廻れば、年を経るごとに全体のレベルがあがるのかなあとか前ちょっと思っていたんですが、難しそうだなあという話です。何もしていない僕が偉そうに言うなとという感じがしますが。

2006年11月21日

ニナ・ウォン

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2006年11月19日

ユメミヤ・アリカ

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舞-乙HIMEの主人公ね。似てないけど。
うーん。描いている途中で直していったせいでグッダグダだなあ。いろいろポーズとか考えたけど、イマイチうまくいかずつまらん絵になった。公式サイトから雑誌掲載された絵を頑張って全部落として眺めていたけど、とくに思いつかなかった。

そういえば舞-乙HIMEのもともとのタイトルである舞☆MAiDの読み方をずっと「マーメイド」だと思っていたけど、コミック版舞-HIMEの宣伝を読んだら「マイスターメイド」だった。ネットで確認してもそうだったってことは完全に僕の勘違いなんだけど、何で勘違いしたのかがわからん。不思議。
乙HIMEは乙式高次物質化能力者だけど、MAiDは何の略だったんだろう。キャラクターの服なんか完全にメイド服だし、作品の設定はMAiDで作られているはずだけど、それだと最終話の制約解除の所とかどういう風に扱うんだったのだろうか。別に放映前に全話のシナリオ出来ているわけでもないだろうしどのみち決まってはいなかったんだろうけど。

コミック版は……ビックリするぐらい違った。チャンピオンのあんまり好きではないノリだった。まんまスクライド的な感じで。それにしても違いすぎる。個人的にはメディア感の差はR.O.Dぐらいだと読みやすくて良いんだけど。キャラクターの性格まで全然違うと、読んでて違和感が強いんだよなあ。
それはそれとして舞-HIME2巻の見開きかつむっちゃでかい字で書かれたJASEAC許諾番号は面白かった。

2006年11月16日

「舞-HIME」、「舞-乙HIME」

なんだかんだ言って結局両方見てしまった。
いやー面白かった。舞-乙HIMEは。
先入観はよろしくないもんですね。

舞-HIMEはあれ、主人公が最後まで状況に流される奇妙な液状生物だったのでもう僕もイライラしっぱなしだったので、主人公が「お願い」言う度に見るのを止めようかと思いつつも、そのうち成長するのだろうと思っていたら別にそんなことはなく、最後まで何もしなかったので唖然とした。
いやほんと、吹っ切れたのかと思いきや勘違いだったの!? みたいな事を言い出して何が何だか。
というか全般的に何がしたいのかよくわからないというか、やりたいことが多すぎたのか、発散気味の話になっていたような気がする。一番やりたかったことは、前半楽しく仲の良かった可愛い女の子たちが後半バトルロワイヤルをすることになると言うことだと思うんだけど、今ひとつバトルロワイヤルへの強制力も理解しがたいし、十二人もいるから一人一人の描写がいい加減になっているし、え何でそんな戦っているの状態だった。あとHIMEがやられると、その好きな人(片思いでもOK)が死ぬという恐ろしいシステムの効果も脳天気な最終話で台無しにされているしなあ。
まあ、あそこまで投げやりなラストならもうどうでも良い感じはするし、結局主人公があんなのだとああいうラストしかないのかもしれないけど。それにしても何にもしない主人公だよなあ。なんかしたのってだいたいカグツチが勝手にやったことだし。主人公にはアレだ、クレアさんが必要だ。「あなたの愛は薄っぺらいのよ!!」と、言ってもらわないと。

と、舞-HIMEの評価は低いんですが、舞-乙HIMEはそんな欠点はなく、すごく面白かった。
まあ舞-HIMEの人間関係を知っていないと、楽しめない部分はあるという点は欠点かも知れないけど、その辺はだいたい脇役の話なので、これだけ見ている人でも多分気にならないとは思う。
まず、話の中心になるのが、アリカ、ニナ、マシロの三人であり終始ぶれないのが良かった。また、それぞれが壁を一つ一つ越えていって成長するのがちゃんとかかれていて良かった。最初はアリカにしろマシロにしろアホだったのが、最後にはキッチリ腰の据わったキャラクターになっているのは好感が持てたし。その分最初の方は何度か見るのを止めようかとも思ったけど。その辺のタメが後でキッチリ効いてきたので、まあ全話見て良かった。
乙HIMEの設定なども、世界設定や物語などとあっていたし、主人公らの葛藤や戦いも違和感なく見られるものになっていた。いや、「乙HIME拡散防止条約」はおかしいというか、すさまじい勢いで拡散しているだろうとか思ったけど。そういう細かい点はともかく、前作ではかみ合っていなかったのが、ちゃんとしていたので良かったというか、前作もちゃんとやってよ。まあ、ハルモニウムのしょぼさには愕然としたけど、それはそれでそれとして。
「舞-HIME」との繋がりを思わせるような描写もオタク心を非常にくすぐられた。というか描写しつつも投げっぱなしなところも多かったので、その辺はちゃんと描いて欲しかったなあ。スレイブとチャイルドの関係とか、そもそも高次物質化能力ってなんだよとか。あと他のキャラと違って、ミユって前作と同一かどうかとか。舞台も地球と違う星のようなことが言われているけど、どう考えても地球としか思えない。風華宮言っているし、風華学園でてるじゃん。「あなたの魂に安らぎあれ」みたいなものかな。
まあいいや。
とりあえずDを思わせるような舞-乙HIMEでのミユが僕の心に大ヒットしたので、ホロビノウタでミユが出てきたところ大好き。格好いいよね。一瞬だけだけど。
大団円だったけど、舞-HIMEみたいに投げやり脳天気な終わり方ではない。多少尻すぼみな終わりではあるけど、良い終わりだったと思う。あとニナは不幸にならなければならないと思っていたけど、あれならまあいいか。

作画も全話安定していたし、その辺安心してみられるのは良かった。特に舞-乙HIMEの方は。ロボも良く動くし。そういえば舞-乙HIMEのほうは性的な感じの描写が割と露骨にかかれていたな。あとは同人誌で描いてねって感じで。なんだろう舞-HIMEをふまえてっと事なのかなあ。

2006年11月14日

最近読んだ本

□アーサー・C・クラーク「海底牧場」
近未来、全世界の食糧供給の12%を海洋資源によってまかなうようになった時代の物語。宇宙航空士だったが事故により空間恐怖症になり、地球に降りた主人公は牧鯨局巡察隊で新たな人生を始める。人が宇宙を開拓しはじめている時代にいまだのこる海洋という未知の世界を舞台に、主人公の牧鯨局における半生を描く作品。
クラークのいわゆる工学よりに分類されるSFの良作。海にある可能性、危険性、様々な未知のものなどを堅実に描写している、派手さはない物の(書かれている内容は派手っちゃ派手だけど)、未来における伝記のようなおもしろさがある作品だった。

中学の時に読んだクラークのジュブナイル小説である、「イルカの島」が思い出された。
これにしろ、あるいは「楽園の泉」にしろ、クラークの近未来を扱うSFは未来の一部を切り出したようなリアリティがあるよなあ。何を今更と言われそうな気もするけど。
□ロバート・J・ソウヤー「占星師アフサンの遠見鏡」
恐竜型の知的生命キンタグリオは中世風の社会を構築していた。見習い占星師として宮廷で学んでいたアフサンは、神を絶対とする旧来の伝統的な価値観に固まり、星々を研究し新たな知見を得ようとしない師匠に強い反発を覚えていた。やがてアフサンは「神の顔」を巡礼する旅に出る。その途中で得た遠見鏡を使って、彼は世界に関する驚くべき事実を発見していく。
という感じでコペルニクス恐竜少年が主人公の、冒険あり、恋愛あり、センス・オブ・ワンダーありの見事なエンターテイメントSF。
キンタグリオの住む世界は、流れ続ける巨大な河を永遠に進む「船」の上に存在する。川の遙か上流には「神の顔」が存在し、彼らの世界に災厄が降りかからないようにしている。そういった世界観に生きるキンタグリオの中でアフサンは、観察を繰り返すことで「神の顔」とはなにか、自分たちが生きる世界「船」とは何かを発見していく。その事実は無論僕らの常識に他ならないわけだが、常識である知識ですら提示の仕方によってはこうも感動的なセンス・オブ・ワンダーになるのかと驚かされた。作者はアフサンに人間に科学の進歩を、社会における反発も含めて凝縮してやらせることで、パラダイムシフトと価値の転回の面白さを小説の楽しさを削ぐことなく映し出している。
この小説の面白さはそれだけではない。作者の考古学趣味によるのだろうが、キンタグリオの性格の人間らしさと非人間らしさ、その生態、あるいは狩りの描写などはそれ自体一つの物語の柱になると思えるほどリアルで興味深い物になっているし、読みやすい語り口やドラマチックな話運びなど、どう切り取ってもおもしろい。
ソウヤーはそこそこ読んでいますが、SF的なある種の荒唐無稽さによる面白みと言う点からはわりと堅実な気はするけど、単純によんで一番面白い作品じゃないかと思った。
この作品は三部作の一作目なんだけど、二作目三作目は訳されていないし、訳されることもなさそうな感じ……。「ネアンデルタール・パララックス」も訳したし、このシリーズもやってくれないかなあ。

□ポール・J・マコーリィ「4000億の星の群れ」
恒星をまたいで繰り広げられるスケールの大きなスペースオペラかと思うタイトルと見せかけて謎の惑星を舞台にした探検ミステリーSFだった。宇宙に拡張していった人類が初めて出会った正体不明の地球外知的生命体と戦争をしている星系で発見された謎の惑星を、テレパスの主人公が謎を解明していく話。その惑星には地球やその他近隣惑星の何百万年も前に絶滅したような種族が混じり合ってコロニーを形成している。という感じなど色々謎がちりばめられていて、最後の謎解きも唐突にスケールが大きくなって僕の好みに近いような気もするのですが、なんだか知らないけど恐ろしく読みづらかったので適当に流し読みしたせいでよくわからなかった。ホーガンの「仮想空間計画」のように既に日本語じゃないという感じの訳でもないのに、かなり丁寧に考えながら読まないと状況が理解できないというのは、何でなんだろう。かなり短い間に何度も何度も、しかも明示的ではなく状況が変わるからとかかなあ。
僕の読み方の問題なのか、本の方の問題なのか。読みやすい本でもないのだろうけど、僕の読み方も雑なんだよな。
それはともかく状況から逃げ出そうとする人間が主人公であるのは読んでいて疲れる。

□ポール・アンダーソン「百万年の船」
「折れた魔剣」といったハイ・ファンタジーから「タウ・ゼロ」のようなハードSF、あるいは直球のスペースオペラやユーモアSFなど幅広い作風でどれも面白い小説を書くポール・アンダーソンの歴史SF(といっていいのか)。
遙か紀元前から生き続ける不死者たちの古代から未来へと至る数千年に及ぶ人生を描いた小説。古代フェニキアで生まれたハンノ他九人の不死者の人生を、ギリシア、アラビア、ローマ、日本、中国、アメリカなどで起こるそれぞれにとっての重大な場面を短く切り取るように描写し、積み重ねることで死ぬことのない人間が歩むであろう道を見事に描いている。
全三巻で十九章、しかも三巻目は二章しか入っていないことからわかるように、各章はかなり短い。その中で舞台となる時代とその地域をリアルに描き、そして一切ムダのない話運びで物語を作っているのはさすがの職人芸。どれだけ調べたのだろうと思わされる。数百年に及ぶ不死者同士の確執と和解、定命者との摩擦から未来における不死者の最終的な運命まで舞台は頻繁に変わりながらもぶれない話があるため、読みやすく面白かった。
また、不死者に降りかかる喜ばしくない事態を描きながらも、不死者を扱うときにありがちな、不死であることを悲惨な運命とせず、最後には最後には一つの答えを見せた非常に好感が持てた。

ただ一つ翻訳がどうかと思う。途中平安時代の日本が出てくるんだけど、固有名詞が全部カタカナで処理されているのがもの凄く引っかかった。土御門いがいのツチミカドがあるというのか。チクゼン・ノ・マサミチってそのまま訳すなよー。
と思いました。

2006年11月13日

コミティア

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↑という感じの表紙でコミティアに新刊出しました。
表紙に関しては個人的には楽しくかけたし気に入っていたんですが、反応を見る限りイマイチ惹かれる物でもなかったっぽい。残念。
カラーに関して言えば、家にプリンターで出力した段階で既に色が変わっており、それがさらにカラーコピーすることで全く違う色になっているので、正直真面目に色を考えてもムダのような気がしてきました。カラーマネジメントをちゃんとやるにせよ、コピー本でやっている限りコピーの所をどうとも出来ないだろうしなあ。印刷所試してみたいとはおもうけど。
出来るかなあ。

あーなんか。学科内の発表が終わって、コミティアが終わって開放感より徒労感が先立つのは何でしょうね。まあ、そんなもんか。
発表は僕にしては信じられないぐらいきちんと準備したはずが、いざやってみるといつも通りグダグダだったので熊った。終われば後を引く物でもないし、どうでもいいけど。何というか、大人数の前での発表の苦手さは我ながらどうかと思うけど、そのうち慣れるんかなあ。慣れるといいなあ。でもあんまり気にしないのが一番なんだろうなあ。

と言うわけでいつも通りのコミティア後の低張力です。発表直後からコミティアの準備していたので、開放感をあまり感じるまもなく今の気分につっこんでいるので正直損した気分だよ!!
コミティアに関しては、ずいぶん前から用意していたつもりが結局前々日に徹夜することになったとか、起きたら十一時だったとか。何も食わずに出て会場で買ったパンが仰け反るほど不味くて一口食って捨てたとか。なんかまあ。うん。
まあ。

時間をかけた原稿を冊子にして見ると、何でこんな物にこんな時間がかかったのか不思議ゾーンに包まれるという結局それが一番ションボリするというのも、それはそれとしていいんですが、前回反省したのがあんまり改善されていないのが正直アレですよ。
あんまり人のことは偉そうに言えないなあと思った。天に唾を吐くようなもんですね。
イヤそれはどうでも良くはないけどどうでも良いことにして、何だっけ。
そうだ。
自分の原稿を見返して、惹くものが全然ないなーと思った。華がないというか。それ自体はいつも思うんだけど、今回は話が全くないので、いつも以上に強く思った。背景がないとか、引きの構図が全然ないせいでももあるんだろうけど、それを差し引いてもないなあと思った。
今度こそはもうちょっとその辺どうにかしたい。なあ。

2006年11月06日

マーカス・チャウン「奇想、宇宙をゆく」

これは面白い。まだ一般に認められたわけではない物理学の最先端で研究されている面白いアイデアを12個取り上げるポピュラーサイエンスの本。物理学界での認知度合いはいろいろだけど、どれもへえ、とういか感嘆するというか、笑ってしまうようなタイトル通りの話だった。
こういった難しい話を素人にわからせる(わかった気にさせる)著者の実力も確かな物で、わりあいすらすらと読めた。ガリレオの指に挫折した僕にも。
こういうのを読むと物理って面白そうだなあとは思う。勉強はしないんですが。適当に纏めてみたけど、物理がサッパリなので色々間違ってるかも。

□第一話 逆流する時間
時間の矢はエントロピー増大の法則と結びついて語られることが多い。それはビッグバン宇宙では初期条件が決まっていて最終条件が存在しないからである。一方最終条件が存在する宇宙、例えばビッグクランチ宇宙では最後の状態に制約がある。収縮していく宇宙では、膨張していく宇宙の人間から見ると、時間が逆に進んでいるように見える。
ここでは、そういった二つの領域が、同時に存在する可能性があるという研究が述べられている。それぞれ逆方向に向く時間の領域間で相互作用が十分弱ければ、二つの領域は共存しうる、というシミュレーション結果が出ているそうな。
すなわち、膨張宇宙が収縮に転じるところでは、ビッグクランチとビッグバン、それぞれから由来する時間の矢が同時に存在するのではないかということらしい。
これはあれだ、イメージ的にはベイリーの「時間衝突」みたいな話だ。きっと。

□第二話 多世界解釈と不死
量子力学の多世界解釈が、デコヒーレンスという概念が出来ることで多数の物理学者に指示されるようになっていると言う話なんだと思うけど、デコヒーレンスがよくわからなかった。外界の線引きとか。色々。

□第三話 波動関数の謎
超流動状態のヘリウムに電子を一つ打ち込むと、電子がヘリウム原子を押し退けて「電子気泡」を形成する。電子に適当なエネルギーその他を与えて、波動関数ががダンベル型になるようにしていくと、気泡は引き延ばされていってそのうち気泡は分離する。すなわち電子が分離されてしまう。すなわち波動関数は単なる計算装置ではなく、実体そのものである可能性がある。凄いことなんだろうけど門外漢には。

□第四話 タイムマシンとしての世界
一般相対性理論と、量子力学の統一理論の話。多くの場合量子力学から一般相対性理論が導き出せるようになるだろうと言われるが、逆をやろうとしている理論。
電子などの亜原子粒子には例外なく時間のループが備わっている。つまり粒子の状態は、過去と未来の両方に影響を受ける。つまり未來からの影響もうけるから、粒子の状態は、確率的に決まるのではないか。どう考えると、決定的な一般相対性理論から確率的な量子力学を推測することが出来、統一理論を作り出せるのではないかというはなし。また、状態が光速を越えて伝わる量子的結びつきもこれで説明できるらしい。
時間ループによる因果律の侵犯が巨視的な世界に影響を及ぼさないのは、それが事象の地平線の向こうに隠されているから、らしい。

□第五話 五次元物語
四つ目の次元という余剰次元を考えることで、重力を説明できたように、さらなる余剰次元を考えることで電磁気力も説明できるのではないか。また、さらに全部で10次元を考えれば四つの力が全て説明できる、というひも理論とかの話。
ちなみに余剰次元は、非常に小さく巻き上げられているそうな。非常に小さく、というのは一般的にプランク長と言われているが、もっと長くても存在する可能性もあり、もしそうだとしたら現在の技術、いま欧州で作られているLHCでも観測できるかも知れない、という話。物質波のエコーによって生じる粒子が観測できればいいらしい。あとはなんか超力のこととかいろいろ

□第六話 天空のブラックホール
クェーサーの長期的な高度変化は、地球とクェーサーの間に存在する小型冷蔵庫大のマイクロブラックホールの重力レンズ効果による物だろう、と言う話。その生成は宇宙誕生後のクォーク・ハドロン相転移時に出来ると考えられ、ソレによって出来るブラックホールの大きさを計算すると、丁度良いという。また、暗黒物質もそれで説明できる。

□第七話 鏡の宇宙
ニュートリノなどに見られる「左右対称性の破れ」はミラー粒子によって説明できる。ミラー粒子などによって構成される「ミラー・ワールド」は既知の粒子と関わらないため、観測にかかることはない。
すなわち、現実世界と重なるように鏡の宇宙が存在する可能性がある。ミラー・マターも重力を介しては関わりうるため、それらが暗黒物質である可能性は高い。

というか、第一話の人もそうだったけど、みんな自分の理論によって暗黒物質を説明したがるのね。面白い

□第八話 究極の多宇宙
面倒になってきた。
地球が太陽系の中で特別でないように、太陽系が銀河の中で特別でないように、銀河が宇宙の中で特別でないように、この宇宙もまた特別ではない。無数にある数学形式の中で、物理的実体がたった一つの形式に与えられているわけは、実は全ての数学形式に従う宇宙が存在し、この宇宙はその中の一つに過ぎないだけ、という話。
なぜこういう話が出ると、またぞろ人間原理の話になるのですが、所謂物理法則のパラメータがちょっとでも違ったら、宇宙はこのようにならない。これほど人間に都合のいいように宇宙が出来ているように見えるのは、無数に宇宙がある中で、都合のいい宇宙だからこそ人間が生まれ、人間が世界を認識しうるから、とかそういう話。多分。

□第九話 宇宙は天使が作ったか?
第八話のアイデアでは生命が存在しない「無駄な」宇宙が存在してしまうが、そんなアイデアはダメだ、というなんだソレな考えから生まれるアイデア。生命が存在する宇宙では、十分に発達した知的生命体が、「宇宙創生」の仕事を引き継ぎ、生命に最適な新たな宇宙を作りだす。すなわち生命が存在する宇宙には自己複製能力が存在する、という話。論拠は、宇宙が生命に最適であるように調整されていること、また宇宙が人間にとって理解可能である、という点らしい。
面白いけど、実証するのがまず不可能じゃないだろうか。

□第十話 星間宇宙の生命
生命は恒星系の惑星に存在すると考えるのが一般的であり、惑星がわりと普遍的に存在しているという観測結果から可能性も高いと思われる。しかし、地球でも太陽エネルギーを使わないで生息する生物がいることからも考えられるように、恒星が発するエネルギーが届かないところにいる星間惑星にも生物がいる可能性は十二分にある。
地球にもあるように、惑星の核からは放射能としてエネルギーが放射されている。それらが宇宙に逃げないような大気があれば、地表には十分生命が存続可能なエネルギーが持続しうる。また、恒星系では恒星のエネルギーで逃げてしまう分子上水素が、星間では惑星上にとどまるため惑星は暖かいまま、おそらく100億年は温暖な状態を保つ。

□第十一話 蔓延する生命
パンスペルミア説の話。コレについての本を読んだので、詳しいのは後で書くつもり。彗星などはバクテリアから構成されていて、地球の生命はそれらに由来するのではないか、と言うアイデア。

□第十二話 異星人のゴミ捨て場
SETIからもわかるように、人間が異星人の痕跡を求める場合宇宙からくる電波などを探す場合が多い。しかしそれはどういった周波数を仮定するか、どこを探すかなど決めるべき条件が多く困難であり、人間が思いつかないような通信手段を異星人が使っている場合、見つけるのは実際の所不可能である。
そこで、このアイデアでは、空を探すよりは、地面を探そうと言っている。人間が宇宙活動でデブリなど太陽系を汚染しているように、宇宙は異星人の活動で汚染されている可能性がある。地球は銀河の中を移動しているため、モップのようにそういった異星人のゴミを集めているとも考えることが出来る。あるいは、モノリスのような物が存在する可能性もある。フェルミ推定をすると、一億三千万立方キロメートルあたり一つ存在する可能性があり、そのうちの幾つかは地球におそらく落ちている、それらを探すのが異星人存在を確証するいい方法だろうというアイデアである。
というと「星を継ぐもの」のラストを思い浮かべてしまうのだが、もしそういった物が偶然見つかったとしても、それが異星製であると考えられることはないだろうなあ。

物理的にとか、学問的にどうというのは正直何とも言えないしわからないわけですが、SF読みとしてはこういったアイデアが実際に論じられていて、そして多少なりとも可能性が存在するという事実だけで心が躍る物があります。
読みやすく分かりやすく面白い良書。ポピュラーサイエンスの本も、高いの多いしかさばるけど結構いいなあ。

最近読んだ漫画

□篠房六郎「ナツノクモ」7巻
おお、なんかもう結構続いているなあ。
前巻の流れから、クロエ中心で話が進むのかと思ったけど、そんなことはなかった。相変わらずタランテラ防衛戦の話。
まあいつも通り面白かった。

□幸村 誠「ヴィンランド・サガ」3巻
ぎゃーなんだこれ。幸村誠は神か何かか!? 話は面白いし、絵もなんというか、上手すぎて触れそうな感じ。本編もいいけど、特別編もなかなか。もちろんユルヴァがいいというのもあるんですが、戦闘以外にもこういう生活系の話もガッツリ入れて欲しいなあと思った。
発売間隔が広い忘れがちだけど、純粋に単行本だけ見れば話の進みも結構いいし。
あえて難を上げるとすれば表紙はアナログでやって欲しかった、ぐらい。
いやほんとコレで半年に一回ぐらい単行本が出れば何も言うことはありません。

□遠藤 浩輝「エデン」16巻
ここまで来たか、という感じ。もう誰に向けているのかよくわからない感じは多々あるけど、多分僕みたいに好きな人もいっぱいいるんでしょう。僕の周りにはいないけど。
所謂「幼年期の終わり」の系譜に連なる作品なんだけど、ここまで描いてくれるとは思わなかった。この作品を描くきっかけだったと作者の行っているらしいエヴァなんて、単なる丸投げだしなあ。
色々伏線も回収され、因縁の対決にも決着がつきつつあり、話は終わりに収束し始めている感じがする。あとどれくらい続くかはわからないけど、どう終わらせるかというのは非常に楽しみ。

そういえば、みんな意外と遠藤浩輝の絵がかなり変わっていること知らないんだよなあ。元々上手かったけど、それに加えてかなり読みやすいいい絵になっているんだけど。最初の方は読んでも、最新刊まで読んでいる人ってあんまりいないんだろうなあ。

□石黒 正数「それでも町は廻っている」2巻
下町邪道メイド喫茶漫画、待望の二巻。今巻も非常に面白かった。なんというか、会話のテンポがもの凄くいいよなあ。トン、トン、トンと小気味よくやりとりが続くのが読んでいて気持ちいい。キャラもいいよなあ。今先輩がかなりいい感じでプッシュされてた。
話の幅も結構広く、工夫されていて面白い。今作では表題作も良かったけど、SF好きとしては藤子・F・不二雄チックな趣のある「穴」がかなり楽しめた。宇宙人語を訳すと、話の印象が変わるという仕掛けもいい。
全体的に作者のミステリ趣味が上手く昇華されていて、ちょっと変わっているけど目新しく面白い漫画になっていると思う。

□久世 番子「暴れん坊本屋さん」3巻
面白かったけど、やっぱり一巻に比べればパワーダウンした感じは否めない。こういう類の実録的な本は読者が知らない(けど興味のある)世界のことが読める、と言うところが大きいので、長く続ければどうやってもネタのパンチは弱くなってしまうんだと思う。というわけで、三巻で終わりというのはなかなかいい具合だと思った。
本が好きな人間に取ってある程度興味はありつつも、実態の知れない本屋の実情を楽しく読めるいいシリーズだった。