2006年12月31日

今年一年を振り返る。

今日の大晦日感の無さは極まっていて、もう一日二日正月がずれても全然気にならないと思うのですが、しかし何にせよ大晦日であることに代わりがある訳ではなく、つまり何がいいたいかというと今年は2006年であり、かつ終わりを迎えようとしているということです。であるならば、今僕のやりたいと思っていることはつまり、2006年を振り返り、この一年を僕の中で整理をつけ、かつそれを来年一年への抱負を語るための一つの材料にすることにほかなりません。
んで、自分の今年のこのサイトのログをなだらかに見ながら、何となく今年を思い返してだいたいのところを総括すると、このサイトをちゃんと読んでいる人は……どうかと思うということと、だいたい前半はともかく、後半はわりと良かったっつー感じがするということです。まあ、後半も前半のを多少引きずっていたのであまり調子が良いわけでもなかったけど。体調ではなく。あれらのストレスへの耐性のなさについて我ながら驚くほどであるのですが、果たしてこの先大丈夫なのかということへの一抹の不安は禁じ得ず、であるならばストレス・フリーな生活へ向かうための精神的転回にたいするより積極的な自覚を確立しつつある今日この頃であることは、今年の一番の収穫といえるのではないかと僕は思っています。
しかし愚痴愚痴としていたつもりもないけど、見返すと割とアレですね。ちょっとアレです。恥ずかしいことが多いですね。まあいいや。

漫画は昨年と比べるとあんまり書かなかったなあという感じがしますが、その分仕上げは前よりちゃんとしてはいる、か。三月四月に新歓用の漫画を八ページ書いて、八月にコミティアに18ページ、十一月に確か12ページ、十二月に二ページだから……。まあ、そんなもんかあ。去年の方がよほどやること多かった気もするけど、やること少ない分、気も抜けてたんだろうなあと思う。もうちょっと書きたい。

今年はアニメをけっこう見たな。涼宮ハルヒ、桜欄高校ホスト部、R.O.D、攻殻機動隊、舞-乙HiME、あたりはかなりよかった。なんだかんだで一番ツボに入ったのは舞-乙HiMEだなあ。なんでこんなに気に入っているんだろう。OVAでも作品が発表されるし、うれしい限りである。そういえばかみちゅ!のDVDは今年もかぶっているのか。もちろんかみちゅ! もよかった。DVD版の最終回も。しかし第一話とTV版最終回をセットとしてみたときの完成度の高さは目を見張るものがある、と勝手に思っている。

今年一年には関係ないけど、アニメの話。大体おもしろいアニメの第一話ってきっちり作られている気がする。つまり、世界設定、主要な登場人物の紹介、彼らの置かれている状況をうまく説明し、その上で一話だけで話をまとめ、次の話までひっぱらない。というのをおもしろいアニメは第一話でちゃんとやっている、んじゃないかと。アニメに限らず、ドラマや連載小説、漫画など話を断片的に提示しながら評価されるものはすべてそうなのかもしれないが。まあ、思ったのがアニメを見ながらなので。当たり前ですかね? いや、第一話見てつまらないアニメは大体つまらないよなあという。
あーまあ、ハルヒなんてアレだし、アレですが。よくわからないものを作画とキャラクターの力で見せてしまうというのもあるので、何ともいえないけど。

今年読んだ本で適当に面白かったランキングでも作ろうかと思って、読んだ本をリストアップしていたらそこそこの数になった。さらに今年はというか今年もというか、当たりが多かったので、順位をつけるのが難しい。よくランキング乗せている人はどういう基準で得欄伝だろうなあと思ったんだけど、とりあえず強く印象に残っているSFをあげると、
「アグレッサーシックス」、「シャングリ・ラ」、「エンディミオン」、「デモンベイン 軍神強襲」、「脳髄工場」、「逆転世界」、「魔法」、「コラプシウム」、「占星師アフサンの遠見鏡」、「ひとりっ子」あたりかなあ。このなかだと……やっぱり「デモンベイン 軍神強襲」が最高だな! 古橋秀之万歳。最後の話のスケールの驚異的なインフレーションには眩暈がした。まとめ方も見事だったし。ちょうど外伝で新刊が出ているという話なので期待。SF以外も結構おもしろかった。サイモン・シンとかマーカス・チャウンとか。まあいろいろ。

なんか結局いつも通りの感じであり、あんまり一年を振り返るという感じでもなくなってしまった。今年一年といえば所属が変わったりなんなり、それなりにあったと思うけど。ざっくりとまとめると、かなりいい年だったと思います。ありがたいことです。

2006年12月28日

日記

上野の森美術館で開催されているダリ回顧展に行ったのですが、人が多すぎてビックリした。絵を見に行ったんだか、無数の人の後頭部を見に行ったんだかよくわからん。
予想の範囲内です。
嘘です。予想よりずっと多かったです。
人の多さを除けば結構面白かった。人がいなければかなり楽しかったと思う。
みんな最初は全部見るぞと、気合いを入れてみているのでなかなか大変だけど、だんだんとみんな疲れてきて流れが良くなるので見やすくなる。自己駆動粒子でその辺を考慮したシミュレーションは出来ないかなあ。で、人の流れを良い配置とかできないかなあ。角っこは人がたまって特にしんどいので、その辺りどうにかして欲しい。
あと、映画館みたいに部屋の中心から壁に向かって低くなるように階段状にしたら効率よく見られないかなあと思ったけど、酷い混雑時以外意味ないですね。あーでも東京なら酷い混雑も結構あるから、いいのかも。
しかし、天野義孝展を見たときには小さく感じられた部屋が十倍以上に感じられた。ほら、ドラえもんに出てくる道具で、飲むと広く感じる変な薬。アレを飲んだ気分。
結構疲労して、美術館を出たときにはある種の達成感と開放感を覚えた。
あれ、何しにいったんだっけ。

最近読んだ本

□K.H.シェール「地球人捕虜収容所」
もしかしたら初めて読んだかも知れないドイツSF。
ドイツSFといえばみんな知っている作品として世界最長の小説として有名な「宇宙英雄ペリー・ローダン」があるわけですが、さすがに翻訳済みのものだけで330巻に及ぶ小説など読む気は起こらず手はつけてません。一巻ぐらいは読んでおくかという気もするんですが、その程度で。どうでもいいけど、ペリー・ローダンとグイン・サーガは近刊以外は本屋の棚からなくなって欲しいと割と本気で思う。あのスペースがあれば、もっといろんな作品が入るのになあと。
売れてるんだろうから、なくなることはないだろうけど。

地球人とグリーンズと呼ばれる異性生物が戦争をしている未来の話。捕虜を取らないと言われていたグリーンズが実は捕虜収容所を持っていたことが、二人の脱走した地球人の話によって判明する。また、その捕虜収容所では、グリーンズが地球に対して優位にたつ原因となる装置の原料が産出されていた。グリーンズの謀略を逆手に取り捕虜を解放し、戦争を終わらせるために、優秀な諜報員であるブーン大佐が派遣される。
という感じの話。
面白かった。特に目新しさがあるわけでもなく、なにか秀逸な要素があるというわけではないけど、文章は映像的で読みやすく話も良くできている。派手ではないが、押さえるところは押さえて盛り上がらせている。登場人物の名前もドイツっぽくて素敵。ネッチンガーとか。
他にどんな作品を書いているのかと思って検索したら、どうもまさしく「ペリー・ローダン」シリーズの発起人のようです。うーん。結構面白いのかもなあ。
というか面白くなかったら、ここまで続かないし、翻訳もされないだろうし。でもいまさら手を出す気にはやっぱりなれないなあ。

□グレッグ・イーガン「ひとりっ子」
気が付いたら出ていたイーガンの新刊短編集。全然チェックしていなかったのでビックリした。しかしイーガンの新刊が読めるというのは嬉しいことです。
本巻では人間の精神活動と、量子力学の多世界解釈におけるアイデンティティの問題という二つを柱に短篇を構成しているように思われた。「行動原理」から「二人の距離」が前者、「オラクル」「ひとりっ子」が後者、という感じで。
前者の諸作品は個人的にはかなり怖い作品に思えた。傾向としては「適切な愛」や「しあわせの理由」での考え方をより推し進めたような内容であり、人間の意識を主人公の思考や行動を通して冷徹に解剖し、その神秘性を徹底的に解体している。「ルミナス」では論理すらも、絶対ではないと示される。これまでの作品では通常の考え方を否定した上で、アイデンティティを認めるというものが多いのですが、むしろアイデンティティを否定して終わるものが多く思われました。これは作者自体の傾向なのか、編集者の意図なのかはわかりませんが。あ、作品の順番はもの凄く良く考えられていると思った。
後者の多世界解釈の奴なんですが「オラクル」は正直ちょっとよくわからなかった。今度またちゃんと読んでみようと思う。「ひとりっ子」は前SFマガジンで読んだときどう思ったのか覚えていないんだけど、傑作だと思う。僕の中では祈りの海にならぶ。読みやすいというのも勿論あるけど。多世界解釈にアイデンティティの危機を覚えるというのはいかにも偏執狂的ではあるけど、この先の物理学の進展によっては、現実的問題になることもあるのかな。もしそうなっても偏執狂的であることには変わらないけど。

次出るのは奇想コレクションの「TAP」か。
いつ頃になるのかわからないけど楽しみ。

□チャールズ・ストルス「シンギュラリティ・スカイ」
そういえばイーガン読むようになった頃から、最近のSFも大分読むようになったなあ。まえは古い方が多かったのですが。つーわけで、近年英国SFで話題らしいチャールズ・ストロスの処女作です。技術的特異点(シンギュラリティ)を主題にしたかなり意欲的なSF。

21世紀に突如誕生した超AIエシャントンにより人類の九割が銀河各地の植民惑星に強制移住させられたシンギュラリティ後の宇宙。技術の発展を否定し、19世紀のような社会を作っている新共和国の辺境惑星に、物語と引き替えに、どんな願いをも叶えるフェスティバルが現れる。辺境惑星は大混乱に陥り、それを侵略行為と認めた新共和国皇帝は攻撃艦隊を派遣する。

無茶苦茶面白い。とにかくいろんな要素を高密度に詰め込み、これぞ最新のスペースオペラだという作品に仕上がっている。量子もつれを利用した超高速通信、因果律侵犯をする宇宙艦隊、後進国家の革命組織から、バーバ・ヤガーの小屋まで、ありとあらゆる分野の要素が渾然一体となりめまいのするほどきらびやかな世界が作られている。素晴らしい、きっとここには電話消毒係も居るのではないかと思う。そして勿論主題となるシンギュラリティも、かなり綿密に描かれている。宇宙自体はシンギュラリティ後だが、舞台となる新共和国自体は実質シンギュラリティ前の社会となっている。そして主人公たちや、周辺国家及びフェスティバル周辺のシンギュラリティ後の社会を対比させ、さらに辺境惑星でフェスティバルによって局所的シンギュラリティを起こすことで、シンギュラリティとは一体どう行った意味を持ち、どういう現象を起こすのかと言うことを真っ正面から扱っている。とにかく圧巻。もちろん攻撃艦隊のエシャントンの目を盗むような因果律侵犯や主人公の活躍なども面白いは面白いんですが。
そういえばエシャントンが因果律侵犯を絶対的に禁止する辺りの話を読んでいて、小林泰三の短編集「海を見る人」に収録されている「門」とちょっと関わりがありそうだなと思った。どうでしょう。

というわけでとても良かったので、高速で出たばかりの「アイアン・サンライズ」を入手。
読むのが楽しみ。

最近読んだ漫画

□PLUTO4
前巻までの話の内容をすっかり忘れていたので読もうかと思ったら手元になかったので、忘れたまま読む。読み始めたけどどんな感じで話が進んでいたのかサッパリ思い出せない。
ま、どうでもいいか。
伏線とかどうでも良い気分になってくる。これはもとの作品読んでから、どうアレンジしているかを見る方が楽しめそうだな。

□宙のまにまに2
高校天文部漫画
「さくらの境」のような日常漫画のつもりで読んでいたのに、話が転がり始めてビックリ。悪くはないです。
絵が好きです。

□げんしけん9
最終巻。前巻が一番盛り上がってたな。この巻だけ斑目が主人公という感じだった。
面白かったんだけど、結局恋愛の話が一番盛り上がるのかあと言う点については微妙な気分になる。

2006年12月19日

最近読んだ本

□冲方丁「マルドゥック・ヴェロシティ」
「マルドゥック・スクランブル」の続編、というか前日譚であり前作で主人公に立ちはだかった強敵であるボイルドの物語。ボイルドとウフコックたちが「楽園」でどうやって生まれ、そして離れたのか。マルドゥック-09はどうやって誕生したのか。クリストファー教授はどういう人間だったのか。そして何故ウフコックとボイルドは離れることになるのか。等、「スクランブル」では明かされなかった、あるいは断片的にしか述べられなかった話が語られている。
「スクランブル」がルーン・バロットのマルドゥックの階梯を底辺から這い上がっていく話だとすれば、既に提示されている結末からわかるように、ボイルドがただ階梯を降り続ける話になっている。終わりをどう思うかにもそれはよるが、なんにせよ非常に陰惨な話であることは間違えなく、「スクランブル」のあのカジノシーンに象徴されるような爽快感はせいぜい一巻の終わりの方までしかなく、あとはただ予定された悲劇的結末へと落ちていってしまう。読んでいて楽しい気分になるわけではないが、それでも一気に読んでしまったのはやはり面白いからだと思う。
「スクランブル」のアニメの情報は八月以降続報がないようだけど、どうなっているんだろう。

□マイクル・ムアコック「夢盗人の娘」
ついに来た、本邦初訳のエルリック・サーガ。タイトルにもあるように「真珠の砦」に出てきた夢盗人のウーナとエルリックの娘がでてくる。
ただ、今巻がこれまでの作品と大きく違うのは、舞台が現実世界の、しかも二次大戦期のドイツになっている事である。主人公はエルリックのこの世界における分身であり、おそらく子孫でもあるウルリック・フォン・ベックと、エルリックが直接の主人公ではなくなっている。「薔薇の復讐」で既にかなりそうだったが、法と混沌と天秤、剣と聖杯、多元宇宙、という永遠の戦士シリーズにおける中心的な設定を使って現実世界をも内包させようという試みに思える。実際思弁的な色もかなり強く、前巻まで及びその他のシリーズの思想を昇華させたような内容になっている。
じゃあ話はどうなのかというと、面白くなくはない。聖杯と黒い剣を求めるナチスの手先であるゲイナー(また出たよ)がそれらを管理する家系のウルリックに迫る。という出だしから始まり、地下王国への逃走などある種俗悪とも言える題材を使いつつ重厚な描写と話の飛躍で面白いんだか面白くないんだかよくわからん作品になっている。ただ最後は圧巻。
興味深かったのは、ウルリックというエルリックに似ながらも現代的であるキャラクターの視点を通すことで、エルリックの性格が非常に客観視されているのが面白かった。似ているからこそ際だつ差異が明確に示されている。

で、次の巻は「スクレイリングの樹」なんですが、帯に予告が載ってた。


夫ウルリックが何者かに誘拐された! ウーナは魔術を駆使して夫の後を追い、大渦巻きをくだってインディアンの英雄ハイアワサとともに全多元宇宙の源であるスクレイリングの樹を目指すが!?

おもわず読むのをためらってしまいそうな予告だ。
読むけど。


□「冷たい方程式」
五十年代前半から中盤あたりの短篇を纏めたSF短編集。年代の割に暗めの話が多かったが、良作揃いのいい短編集だった。特に表題作は素晴らしい。

□マイク・レズニック「アイボリー」
どれを読んでも外れのないマイク・レズニックということで、この作品もやはり面白かった。個人的な印象では、マイク・レズニックのなかでも一位二位を争う面白さだった。
キリマンジャロ・エレファントという超巨大な象牙を巡る物語。遙かな未来に生きる最後のマサイ族はその象牙を求め、<調査局>の人間にその捜索を依頼する。象牙はいったいどこにあるのか、なぜ彼は象牙を求めるのか、という疑問の中から象牙の歩んだ八千年に渡る道のりとそこに関わった人間たちの無数のドラマが浮かび上がってくる。そして象牙の歴史の現在と始まりに主人公がたどり着いたとき、マサイ族の宿命が明らかになる。
マイク・レズニックの物語は寄る辺なき人間が、居るべき場所、成すべき事などを見つける物語が多いような気がする。だから、なのかはわからないけど、どれも非常に完成度が高い。物語は本の中で綺麗に完結している。読後感も良い。それでいて読んだらああ面白かったで投げられるようなこともなく強く印象に残り、考えさせられる。エンターテイメントSFの理想のような小説だと思う。
今書店で容易に手にはいるのが「キリンヤガ」だけ、というのは残念に思う。

最近(?)読んだ漫画

□あずまきよひこ「よつばと6」
面白かった。
今回は自転車がメイン。のたりのたりと。
よつばが小学校に入るぐらいまではやるのだろうか。
ってずいぶん先だが。
一巻と比べるとはっきりとわかるけど絵がどんどん緻密になっている。大王の時はこんな絵になるとはおもわんかった。清潔感のある絵で大好きです。
ついでに紙も変わっていた。

□あずまきよひこ「よつばと白と黒のどうぶつ」
どうしろと。

□山田秀樹「涙そうそう」
自分で進んで買う類の漫画でもないけど、描いているのが前からサイトを除いている人だったので買ってみた。ヨルダいじめの人。この漫画はヨルダいじめのようなギャグではなく情感たっぷりの漫画だった。
漫画は上手いし読ませるし良かったけど、一巻で終わらせるには内容が多かった感じもする。全二巻ぐらいで描いたら、最高だったなあという感じ。

□佐藤 大輔 伊藤 悠「皇国の守護者4」
一区切りという感じ。先は気になるんだけど、漫画で読みたいので我慢する。

□熊倉 隆敏「もっけ6」
ある程度似た類の漫画の「蟲師」と比べると、「蟲師」がエピック・ファンタジー、「もっけ」はエブリディ・マジックという感じ。
すみません適当なことを言いました。
ただ前者が作者の想像力によって作られているのに比べ、先人の想像力をフル活用している「もっけ」のほうが個人的には楽しく感じる。
すみません適当なことを言いました。
お姉さんは全寮制の高校に行って、妹は中学へとだいぶ環境が変わった。わりとさっくりと時間が経つんだなあと意外に思う。
照魔鏡の話が好き。
アニメ化されるそうで。どうなるんだろう。

□冲方丁 伊藤真美「ピルグリム・イェーガー6」
第一部終了。ようやく第一巻の冒頭へとたどり着く。比べてみると同じシーンなのに演出が圧倒的に良くなっていてビックリした。絵も大分変わって、良い感じ……と言いたいが正直三巻ぐらいの絵が一番読みやすかった。
第二部はあるのかなあ。まあ、話はまだまだ終わってないので、きっとやってくれるに違いない。
「シュヴァリエ」よりこっちをアニメ化して欲しいと個人的には思う。しかし「シュヴァリエ」を面白いとは思えないのを考えると、「ピルグリム・イェーガー」の面白さの多くは伊藤真美によるものなのかなあ。小説はマルドゥックシリーズとファフナーしか読んではいないけど、面白いと思うので、そうではないと思うんだけど。

□志村 貴子「青い花2」
絵が大分密になっていて読みやすかった。この人の漫画はテンポが変なので読みづらいことが多いけど、今回はそれほどでもない。
中は……しんどい。
良い意味で(多分)。

□小島 アジコ「となりの801ちゃん」
いや、面白いけど。
千円か。
自分で買ったわけではないのでいいけど。
千円か。


六巻目が三つもある。

2006年12月18日

日記

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部屋を片付けていたら、メモに「注口」とか書かれていて思わず自分を疑った。音すらあってねえ。PuTTYの読み方はプティでもペティでもなくパティだった。唇寒し。なんだかもう。あと今日はチャックが開いていた。あ、これはいつも通りだ。
Blog→タグ手打ちと言う流れに新たな時代の息吹を感じる。CMSから顔を背け、お仕着せのテンプレートを否定し、より低い階層(計算機的な意味で)に降りていく。誰もが容易に発信できるシステムを拒絶し、労多くして功少ないところへ。
僕は今更Blogよりしんどいもので更新をしたいとは思わないけど、手打ちで更新するサイトの面白みというものも、あるのかも知れない。
ところでBlogといえば最近日本でもかなり勢力を増しつつあるPHP+MySQLでかつオープンソースのWordPressというブログツールをインストールしてみたらなかなかよさそう。まずインストールが驚くほど簡単で、僕は驚いた。プラグインの管理も分かりやすい。拡張しやすい。動的生成であり、かつ日記的ではないページも統一的に管理できる。日本語のドキュメントも十分に増えてきている。ただ管理ページは重い。
移行したいとも思うけど、ログの移行が面倒なのと、テンプレートを作り直すのが面倒なのと。
レンタルではなくユーザがインストールするタイプのブログツールとして日本でも標準的なものになりそう。Movable Typeはどうなるんだろう。SixApartのVOXとかいうSNS色の強いブログも面白そうではある。ただまさにそのせいで僕は使う気にはなれないけど。
ブログではないけどSecond Lifeもかなり流行しているという。日本でもサービス始めるみたいだし。ただああいうのは僕のようにネット上ではコミュニケーションできない人間には完全に入りがたいと感じる。
人が繋がることを主目的においているウェブサービスにはなにか近寄りがたいものを感じるのかな。違うな。キャッチボール存在が前提となるのが問題であるだけか。ブログもコメントやトラックバックを一つの売りにして広まったわけだが、このサイトには両方ともないし、それでも別に問題ない。まあ、適当に。

2006年12月11日

日記

あんまり何も書くことがないかと言えばそういうわけでもなく、例えば青色LEDをつかったイルミネーションのあり得ないまでの許し難さとか気力と勢いがあれば書きたいことは書きたいのですがそれはそれとして、最近何をしているかといえば、大体いつも通りです。
そういえば中学以来愛用していたシャープペンシルの最後の一本が壊れました。今ではも売っていないようなのでかなりションボリしました。しょうがないので家にあったシャープを使っているのですが、定価が六千円近くするモノが定価100円のより書き味がよろしくないというのは正直いかがなものかと思います。いや、作りは良いしバランスも良いのだけど……、まあ勿論僕の慣れの問題もあるけど、それでもなあ。
今度メーカーに問い合わせてみようと思っているけどやっていない。
今やってみた。
ずっと前に生産終了したから在庫もないそうだ。まあ1990年に発売の商品だからそうだと思っていたけど!! サイト調べてたし後継の製品もないだろうとは思っていたけど!!


舞-乙HIMEをもう一度通して見て、さらにもう一度通して見るか悩んだけど、せっかくなので攻殻機動隊SACをみた。それはそれとして舞-乙HIMEのOVAの最初にかかるBGMが効いたことあるのにわからないなあと思っていたら、ひなげしの花のようにの声をなくしたやつだった。見返してたら、17話の干渉波を発動させるところでも使っていた。サントラに入れてよ。
それはそれとして攻殻機動隊が面白かった。特に第一シリーズ。最初は映画の印象が強かったので、特に少佐の割と情熱的な性格に違和感を覚えたけど、これはこういうものだと納得してからは楽しく見られた。課長が格好良い。素子はハイレグ。
「モォートォーコォー」
第二シリーズでは原作からのシーンやキャラクターなどのネタを使っているのが多かった。最後のシーンもそうだけど。嬉しいような悲しいような。ただもうちょっと爽快感が欲しかったです。SSSは最後が凄かった。
合い言葉はサイバーパンク

久々に原作を読み返してみたら、記憶通りの読みにくさだった。そんなところまでサイバーパンクじゃなくてもいいのに、とニューロマンサーを途中で投げた僕は思いました。
思いました。


足の小指の爪が床に落ちていた鞄に引っかかって

2006年12月07日

落書き

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2006年12月04日

フレッド・ホイル/チャンドラ・ウィクラマシンゲ「生命(DNA)は宇宙を流れる」

地球上に生命がどうやって生まれたかについての説明は色々あるが、一般的には、原始地球上で水蒸気や二酸化炭素やメタンなどの単純な化合物に雷や宇宙線などのエネルギーを受けて化学反応を起こして出来たアミノ酸、核酸塩基などの低分子化合物が、海水で混ざり合って、反応しあう中で高分子化合物が出来て、それらが組織化されて最初の生命が出来るという、化学進化が科学者の間でも一般的に受け入れられている。
しかし一方で、全てのタンパク質が「偶然」出来たと考えその事象が起きる確率をおおよそで計算してみると、10の四万乗分の1という普通に考えると0と言っていいほど小さい値になってしまう。つまりランダムな過程で地球から生命が生まれると考えるには、地球の規模も歴史も短すぎることになる。
とはいえ勿論、今現在地球上は生命で栄えているしどうやってか地球上で生命は誕生しなければならない。ではどうやってというとこの本では、地球の生命はバクテリアという形で宇宙から来た、という説を採っている。
地球生命が地球起源ではないという考え方は「パンスペルミア」仮説と呼ばれ、かなり昔から存在するしかし、一般には生命誕生にブラックボックスを増やしただけであると考えられ、受け入れられてはいないが、著者らはより科学的な方法でパンスペルミア仮説を復活させている。

宇宙物理学者である著者らは、星間粒子の正体を研究する中で、その赤外線スペクトルが感想凝固したスペクトルと綺麗に一致しているがわかった。少なくとも宇宙物理において物質を判別するのに十分なぐらいには。一方でバクテリアは超低温、真空、放射線、などあらゆる過酷な条件にも耐えられるという性質が知られている。強力なX線の照射にすら対応できるものもいる。バクテリアが宇宙で生き残れないと考える理由はない。
また十分な条件がそろっているときのバクテリアの幾何級数的な増殖速度を考えれば、星間粒子の莫大な量も説明することが出来る。そしてその条件がそろっている場所として、彗星が上げられる。
様々な証拠から、彗星の組成はバクテリアであると考えることが出来る。彗星が有機物のポリマーであることは認められているし、さらに彗星が吹き出すダスト粒子の大きさや密度は凍結乾燥したバクテリアのそれにきわめて一致している。また、その赤外線スペクトルを比較するとピークの特徴が一致するという結果が出ている。一方で他の有機物でここまで綺麗に特徴が一致するものは見つかっていない。また、彗星をバクテリアの固まりと考えると、ガスやダストの放出メカニズムも綺麗に説明がつく。
彗星には水、有機物があり、暖められれば条件はそろう。彗星で増殖したバクテリアは超新星などで宇宙へとばらまかれることが出来る。
すなわち、バクテリアが宇宙に蔓延するメカニズムは十分説明することが出来るという。そしてもちろん宇宙に蔓延するならば、バクテリアが原始地球にも落ちてくると考えるのは自然というよりは必然となる。
地球上の生命誕生以外にも、バクテリアが宇宙から来たと考えると説明できることがいくつもある。
その一つは進化のメカニズムである。ダーウィン進化論に否定的否証拠を説明するための新たな進化論として、ウイルス進化論がある。生命が進化するためにはDNAが変化しなければならないのだが、それを行うのがウイルスであるという考え方である。適当にいうと。しかし一方で進化をウイルスによる病気だと考えると、進化が同じ時期に広い範囲にわたる門、種で一斉に進化しているという事実と反する。進化は地球規模で起きる。その例としては恐竜の絶滅及びほ乳類の大出現、海の生物層の劇的な変化がおきた6500万年前がある。そしてその時には巨大な彗星が地球に落下しているという証拠がある。すなわち進化に関わるウイルスは地球外から来ているのである。
ほかにも病気流行がある。インフルエンザの流行を考えると、社会から孤立して生活している人間が、都市に住む人間と同時に同じインフルエンザにかかっているという症例がある。他にも全寮制の学校などの感染状況から、インフルエンザが人から人に水平感染すると考えると納得のいかない事例も多々出てくる。そこでインフルエンザウイルスは彗星から放出され地球におりて気流に流れてくると考えると、複数の地域で同時に流行するということの説明も出来る。あるいは百日咳など数年おきに流行する病気については、数年周期の彗星を考えると綺麗に説明がいく。
などなどパンスペルミア仮説によって説明される事象は様々あり、パンスペルミア仮説が単なる荒唐無稽な仮説ではない、ということが多分出来る。

この後この本は、星間粒子(ここではバクテリア)と恒星系の形成の関わり、太陽系など地球外生命体について、説明し、最後にコズミックインテリジェンスは存在すると言う結論に達している。

パンスペルミア仮説は批判者も言うとおり、生命発生を先送りにしているに過ぎない。では、いったい生命はどうやって本当に生まれたのか、それについてはパンスペルミア仮説は基本的には何も言わない。むろん先送りは恣意的に行われたわけではなく、事実と論理を重ねることで行われている。では、地球の生命の元であるバクテリアはどうやって生まれたのか。10の四万乗分の1の確率を乗り越えてランダムに生まれたと考えるよりは、何らかの知性が働いたと考える方が自然である。すなわち、宇宙から「自然に(偶然に?)」生まれた、通常の生命より単純な構造を持った知性が、それらを作り出したという結論に至る。それが著者らのいうコズミックインテリジェンスである。

正直な話、このあたりまでくると、どう受け取って良いのか悩んでしまう。本を読んだ限りでは、それが論理的な帰結になるというのはわかるが、それは本に載っている条件から考えたからこそだと思う。
コズミックインテリジェンスというのは実証の方法はないだろうし実際のところ、科学の俎上に上げるのは不可能だと思う。「奇想、宇宙を行く」にもあるように、理論物理の方面などでは実証が不可能だったりきわめて困難なことが真面目に語られていたりもする。しかし生命の発生や造物主など宗教にも関わってきて、反感を買いやすい非常にナイーブな問題について、これだけの論理でここまで言い切ってしまって良いのだろうかという疑問もある。SF好きとしてはより単純な構造を持った知性体が、進化のメカニズムを持った複雑な生命の種子を生み出す、という骨格にはかなり魅力を感じる。進化や病気のメカニズムについてはコズミックインテリジェンスにくらべ信憑性も高く思われるし、実証も不可能ではないだろう。しかしとりあえずは、彗星がバクテリアから出来ているという、動かし難い証拠が得られて初めて、パンスペルミア仮説は真剣に語られるようになるんでしょう。
現状で化学進化に関する学説がどう行った流れになっているかもわからないし、10の四万乗分の1の確率というのも、別に他の可能性でも生命は生まれたけど、たまたまそれになっただけであり、その確率には意味はないのかも知れない。
最終的にどうなるかはわからないが何にせよ興味深い話ではあるし、研究の進展について知ることが出来るなら知りたいと思う。

そういえば五十嵐大介の「魔女」の二巻の話はここから来ているのかなという話が一つ。1908年にシベリア、ツングース地方に彗星が落ちたことにより、植物や昆虫などに劇的な遺伝的変化が生まれたり、トナカイが奇妙な病気で次々と死んだり下らしいとのことです。これについては確実に彗星が落下したと言うことは出来ないようだけど。