2006年08月31日

日記


寝て起きて出かけて帰ってもうすぐ寝る。


オノマトペって大事だな……と言うことに今更ながらに気がつく馬鹿が一人。
いや、どうもなんか照れくさいというか、この状況にこんなのでいいのだろうかとか思って、あまりちゃんと使ってなかったけど、実際読むモノではなく、見るものだし、ということをようやく認識しました。
あんまりレパートリーは無いけど、マネしていこう。


人工知能と人間
人工知能の考え方と実現している技術を哲学的な背景を含めて概説している本。十年以上前の本なので、古いっちゃ古いんだけど、今でも根本的なところでは結局あまり進歩していない気がする。計算機資源の増大とかもあるし、アプリケーションレベルではかなり進歩しているとは思うんだけど、根っこところではなにも変わっていない。
技術は色々あるけど、それぞれの技術間には明確な繋がりはないし。体系立てて、メタ理論を立てようという話がこの前読んだ雑誌に載ってたけど、どーなるんだろう。
結局全て発見的に導かれただけであり、物理のような厳密さはなく学問として云々というのは人間の、しかも知能とかいうよーわからんものを相手にしている以上ある程度しょうがないとおもう。心理学とかのうさんくささも今なら共感できそう。
脳の研究とかそーいった方面からのはどうなっているんでしょうね。前読んだ考える脳、考えるコンピューターなんてのはそういうアプローチだとは思うけど、続報が見あたらないのでどういう成果が上がっているのかよくわかんない。

本についてだけど、哲学と人工知能の関係をちゃんと書いている本は読んでなかったので、多少興味深かった。でもそのおかげで分かりにくくなっていた気もする。哲学の素養がないせいでもあるんだろうけど。
あと、僕がアレなのかもしれないけど、この本文章が読みにくいので睡眠導入にもおすすめ。何度か眠った。


げんしけん8
今更ですが。書き下ろしとか荻上好きにはたまらんとかそういう話は置いといて。
この巻は異質だなあと言うか、荻上が異質だなあ。げんしけんでトラウマとか持っているキャラクターがいなかったので、重い昔話とかやったせいか、作品が荻上に食われているというか、お前主人公かよ。いつの間に荻上が救われるのがテーマの作品になったの。
カップルは高坂と名前忘れただれだっけ、まああのひととか、コスプレカップルとかあるけど、前者は初めての宙だし後者は気がついたらだし、なんかカップル成立に異様に障害のある荻上主人公が不思議、というわけでもなく、まあしっかり伏線張りまくってたわけだし非常に自然且つスムーズな展開なわけで、別に何も言うことはないんだけど、せっかくなので何か言いたい。
いや、邪気眼のガイドラインを五秒見ただけでお腹いっぱいになる僕としては、オタクのトラウマ話というのはあんまり読みたくもないという、そういう話でもあり、ぬるーいオタクばっかりのコミュニティで何でお前だけローゼンの主人公も真っ青のトラウマ持ってるんだよ! というか別にそういうものは見たくないです。
面白かったんですが。不思議気分。


割れた爪をアロンアルファで修復していたら、指にたれていた。何でアロンアルファってのは意図しないところに付着するのか。粘度を高くすればそんなこともなくなるような気がする。色々種類があるみたいだし、そういうのもあるのかなあ。
ああ、突っ張ってやなかんじ。


表紙にドン引きしていっぺんの興味すら湧かなかったコラプシウムが、アグレッサーシックスのウィル・マッカーシイだということにようやく気がついたので購入。
こういう不必要に購買意欲を削ぐことははやめてよねー。

2006年08月28日

ティア



コミティア終わりました。
↑みたいな表紙の本、中身は「駒場六十七人殺し」という漫画。
表紙で手に取ってくれる人はいっぱいいましたが、中を見て戻される率もかなりのモノになっていました。そこまで差を作ったつもりはなかったのですが、外見と中身の差が激しかったようです。
まあ、売れたのは結局いつもと同じぐらい。もーちょっと売れたいなー。とは思うけど。どうすればいいのかは、なんともかんとも。

自分自身の反省と、周りの人に話を聞いて、色々問題点も明確になったりならなかったり。
とりあえず絵的な面では、下書で完成図を想定できていないのが、あまり良くないことになっている気がする。ペン入れしたモノを前に、さて、どうするかでは、場当たりになるし、全体の統一感もない。デジタルでやったので、不用意にトーンを使いすぎたというのもある。そのせいで割と頑張ったつもりの背景も、かなりつまらない絵になってしまっている。
あと、致命的なまでに、動きのある漫画が描けない。というのも改めて認識。効果線とかもちゃんと使わないと……。あとパースの付け方とか、色々あるんだろうけど。とりあえずアクション漫画をちゃんと調べてみるか。
それと女キャラをもっとメインで出した方が、買ってくれるのかなあ、と邪念を抱く。

話は、……結局内輪向けに過ぎたなと思う。コミティアに出すには。実際にいる人を弄っている側面もあるわけで、まんくら内である程度受けるのは、当たり前と言えば、当たり前かもしれないけど、それをティアに出したのは、結局どうだったんだろうという気はする。
もっと上手くネームが作れれば、関係のない人が読んでも面白いモノになったのかも。

こまわりとか話運びとかについては、何とも言えない。
キャラクターも結局、というかまあ、全然作れない。そっちをちゃんとして方が、読んでて面白いモノになるんだろうけど。ううん。しかし書きたいと思うネタで、しっかりとキャラクターを組み込むのは、正直どうすればいいのか想像できない。
どうしようかな。

それより何より、かかる時間をどうにかしたい。効果的な手抜き方法を考えないと、これから先、書いてなんていられないよなあ。就職したらもちろんだけど、大学が。

ああ、それにしても現実に向かいたくない。



「黙示の島」佐藤大介
二年ぐらい? 前に借りたままなんか読んでなかったのをようやく読みました。なんか僕こんなんばっかだな。すみません。
今度お返しします。

孤島モノで研究所、とくれば当然まあ、そういう雰囲気のモノになるのですが、正直ちょっと前振り永杉。とか、意味もなくエロ大杉とか。
ハザードが表面化するまで、ずいぶんかかるし、それ以後がちょっと物足りないことになっている。主人公たちが、ゾンビー化(といっていいのか)しない理由も今一。そんなものかなあ。と
まあ、読ませるというか、面白かったことは面白かったです。


トップをねらえ2!「あなたの人生の物語」
そのうち感想を書く。


新装版「ヴィンランド・サガ1」
二巻までしか出ていないシリーズの新装版をわざわざ出すことの是非はともかく、中身はそのままであり、面白いけど、既読。追加のおまけ4コマは……。その辺はほら、プラネテスの4コマと同様です。それにしても買ってしまう自分が情けない。

2006年08月26日

二月記


漫画を描いていました。
あんまりココで書いていなかったですが、ここ最近ずっと。やらなければ行けない事から微妙に目を背けていたような気もするけど、まあ、なんにせよ、ようやく製本出来ました。
今日はのび太の亡霊が取り憑いたかのごとくのミスの連発で、自分になかなか辟易しました。千円ぐらい無駄に使ってしまった。まあ、即売会会場で製本しようと思っていってから印刷ミスに気がついた時よりかは遙かに状況はましなのだけれども。
今回はカラーなのでそこそこ見映えする表紙になった気がしたので、ちょっと多めに刷ってみました。まあ、売れ残るとは思いますけど、中を見られなければ、そこそこ売れないかなあ、と期待をすると、売れないので、期待しないぞ!! しないぞ!

と言うわけで日曜日のコミティア77にサークル参加します。今回は一人で参加するので、きっとスペースで寂しい思いをしているので、コミティアに来る人は陰からのぞいて指さして笑っていただければいーんじゃないでしょうか。
スペースは「つ02b」です。

まあなんかこんなに余裕を持って準備が出来たのは初めてなので、なんか結構心が安全地帯にいます。せっぱ詰まると、心も危険地帯に突入するので、余裕が大事ですね。サークル通行証を忘れたりするし。無くしたりするし。



豊かさの精神病理

自己を持っているモノで確立する人たちが、人間関係をモノを媒介してやりとりしている。
それは生の感情の衝突を避けることで人とのやりとりを円滑にもするけど、逆にちょっとした葛藤があるとどうしようもなくなり、精神科にかかる人が多い。
とかそんな感じ。

ケーススタディが多いのでサクッと読んで面白いし、なるほどそんな人もいるのか、と思った。けど、価値観が違いすぎて、全く理解できない。なんというか、みんな成金趣味が過ぎるんじゃねーの?
まあ本が90年発行と古く、さらに言えばまさしくバブル真っ盛りなので、こんな感じだったんかなあとしか言えない。
あとケーススタディで出てくる患者がバブリィなところもちょっと面白い。とにかくブランド品、ブランド品、ブランド品、ブランド貧。
ココに出ている人の何人かはバブルはじけて大変なことになっているのだろうけどね。

ところで今はどんなモノなんだろう。なんだかんだ言ってブランド売り上げにおける日本人の割合は多いって聴くような気がする。データが無いので何とも言えないけど。
僕はブランド品を見る目も知識もなにのでわからないけど、街でちゃんと見ていれば、ブランド品を持っている人っていっぱいいるんだろうな。
まあ、金を持っていない人がブランドを買いあさるのは問題だろうけど、金を持っている人はいっぱい持ってるんだろうし、そんなものなのかなあ。

よくわからない。

2006年08月22日

日記


日記。
研究室行って、神保町で本買って帰って寝て起きたら六時だった。で、買った本を読んだりダラダラしたりしていたら十時半ぐらいになったので、食材買いに行って、飯作って食ったらもう日付が変わりそうな時間に。


もの凄く久しぶりに自炊をしたような気がする。なんか置いてあった調味料とかがことごとく賞味期限切れになってて萎える。あんまり気にしないことにする。でも、この前容器が醸されていると指摘された醤油は買い換えた。

まあなんか最近塩が有れば何でも食えるような気がしてきたところなので、それはそれで良いのかも。おいしくはないけど、素材の味? という雰囲気を醸し出していきたい。


R.O.Dの小説に今更ながらに読んだりする。その現実逃避への引力は、昨日今日で六巻まで買って読んでしまったことからもわかるのではないだろうか。まあ、別にR.O.Dでなくとも良いのではないかという気もするけど、それはそれ、これはこれ。
結構面白い。
主人公の本気違いっぷりを読んでいると、本を読みたくなる。いや、これも本だけど。

まあ、それはともかく、一冊で話が終わらないのってイライラするなあ。
すっきりしたいわけですよ、僕は。なので、一冊読み終わったのに、話が終わっていないのは、納得がいかない。すっきりさせろー!

漫画もそうだけど。好きな連載作品は早く終わらないかなあと、いつも思う。
よく好きな作品は終わらないで欲しいとか云う人がいるけど、気が知れない。何を読んでいるんだろう。


ディープ・ブルー
リプレイの人のヤツ。途中で投げたー。なーんでリプレイみたいにクソ面白いものを書く人が、こんな作品を。
環境問題とか緑平和系の話はうーむ。


左足の小指をしたたかに打った。痛いと思った。ああ、なんて馬鹿なんだろうと思っていたら、今度は、全く同じ場所で、薬指をしたたかに打った。
段ボール箱だから、そんなに痛くはなるまいと思ったけど、中に入っていたのが本だったせいか、もの凄くいたかった。
ああ、自分は間抜けだなあと驚きあきれ、扇風機の位置を変えた。

2006年08月20日

二十三区、憶えていますか?

東京って二十三区もあるの?

という疑問が大分前からあります。
いや、確かに有るんだろうとは思います。イデア的に云って有るんでしょう。理念上の東京には確かに、二十三区有るんだと思います。でも、そういうのを現実の東京に押しつけるのってどうかと思うんですよ。そういう、何というか、頭でっかちって云うんですか? 理論専攻型の考え方は、必ずしも実際には良いやり方だとは思いません。だいたい東京には23区あるって教えられた小さい子がら、現実の東京都に棲んだとき、その落差に絶望して性格がゆがんだらどうするんでしょうね。教育崩壊というか、根深い日本の教育問題を感じます。
僕の感覚だと、そうですね、だいたい十区ぐらいですか? 現実の東京にある区ってそれぐらいだと思います。それを二十三区とは。失笑するしか有りません。
理論上の直線が一次元とはいっても、現実に直線を引けば、どうやっても幅が出来てしまうものです。同じように、理論上の東京は二十三区と言っても、現実の東京はそんなに区があるものではありません。
そういう、理論と現実の差をこそ、きちんと教えるべきなのではないでしょうか。

2006年08月17日

今日の日記


昼起きてなんか描いてたら夜になっていた。
二回コンビニに買い物。

数ヶ月前からいる底辺高校生くさい店員の接客がいちいちいちいち癇に障る。
なんであんなのがコンビニで働いているんだ?


テレビがないと世間への距離感が全く変わっているんだろうなあと思う。例えあまり見ないといってもテレビを持っていたら、やはりそれはテレビを持っている人の距離感何じゃないかなあ。

僕の近くでは停電になっているところがなかったので知らなかったのですが、停電停電と騒ぎになっていたようす。が、テレビを持たない僕からすると、NY大停電並みに遠い世界の話に思えるんですよね。よりホットな話題で云えば小泉首相の参拝とかも。
多分テレビを見ている人にはどちらもかなり生々しい話なんだろうけど。僕には「養殖ウナギの1割の背骨曲がる」というニュースと同程度の距離感なんですよね。もちろん、どうでも良いとは思わないんですが。


H・ジェイムス「ねじの回転」

よくわからない……。イギリスの田舎の屋敷に棲んでいる子供たちに幽霊が取り憑いて、それを家庭教師がなんかする話なんだけど。

最初から最後まで、というと問題があるけど、だいたい主人公である家庭教師の一人称視点で、この人の書き方がかなりもったいぶったものなので、だんだんしんどくなって流したら、なんだかよくわからないうちに終わっていた。
いや、結局どうなの? という気分になってしまったんだけど、どうも後書き読むとむしろそれが目的のようで。究極の悪を描くために、明確に書かないようにしているみたい。
物語の解釈をすることで、読み手がどんな人間なのか逆にあぶり出されるような作品という事らしいです。
僕は主人公の頭がおかしくなっていると思ったのですが、特に正解のない話なのでしょう。

恐怖を描くのなら、善悪ではなく、人間が全く理解できないものを描くほうが良いのではないかと思う。そういう意味でHPL等のやり方の方が一歩進んでいるような気がする。単に好みの問題ではありますが。


「必勝小咄のテクニック」

笑い話を十のジャンルに分類して、その作り方を解説した本。まあ、そういうものなのかなあという感じ。結構面白かった。


アニメ神様家族の一話をみる。アウト!
二分で見るのを止める。なんだか気持ちが悪い。

テレビ版R.O.Dを見る。面白い。外縁から見れば変わりもしないのだろうけど、何が違うのだろう。いやまあ、色々違うんだけどさ。

2006年08月13日

日記ではなく、主に本の感想

  


「脳髄工場」小林泰三
僕がもっとも好きなSF作家の一人である小林泰三のホラー短編集が出ていたので、購入、読了。えげつない文章が何時も通り冴え渡ってます。表題作中で主人公の友人が人工脳髄を取り付けられるシーンとかなかなか気持ち悪い。

小林泰三のホラーは論理付けで一つ一つ人間の尊厳や価値などが幻想に過ぎないことを理解させ、読んでいる人間の価値観を否定するという点に怖さがある。自由意志、人間関係、客観的な幸福、人と動物の境目、そういった普通の物語では人の特質として賞賛されるようなものが、一歩引いてみたとき実は存在しないということを適切な舞台設定のなかで鮮やかに証明してみせる。
空間的、時間的な点で見たとき、人間が宇宙といったスケールの中で極小の点以下であり、その存在は有ってもなくても変わらないものであるといった、人間を相対化してみせるやり方は、わりとSFに特有なものではないか。普通のホラーとは一線を描く小林泰三の作品はまさにSF作家ならではないかと思う。そういう意味で当時最先端の科学による宇宙的な視点から、人間に絶対理解できないものの恐怖を描いたラブクラフトの作品群と小林泰三の作品が相性が良いのは当たり前といえば当たり前なのかもしれない。この短編集に収録されている「C市」は、良くできたクトゥルーものだったと思う。

もちろん「家に棲むもの」といった普通のホラーも十分怖いんですが。


神保町のヴィレッジ・バンガードに行ってみた。こんな所に有るとは最近まで知らなかった。店内がごちゃごちゃしているのはちょっと嫌ですが、そういう店なのでしょう。まあでも結構面白かったです。本買っちゃったし。良くできてるなあと思った。


「時をかける少女」筒井康隆
他の収録作品も含めてそんなに面白くない。が、映画は原作をしっかり尊重した上でふくらませてるんだなあと云うのはわかった。
あと、一昔前のジュブナイル小説といった感じがする。何となく少年探偵団を思わせる文体だし。感じというかそのまんまな気もするけど。ただ著者の存在が露骨に出てくるのは、読んでてどうにも引っかかる。


「トモネン」大場賢哉
同人作家の作品をまとめた短編漫画集、らしい。宙出版だし。どうでもいいけど、数年前まで、「ちゅうしゅっぱん」って読むんだと思ってた。ずいぶん直球で的を射ているなあと(偏見)。
宮崎駿とわんぱくとその他を読者が想像する適切な数で割ったような絵柄。親しみやすいし、上手い絵なんだけど、仕上げが鉛筆に薄墨なのでちょっと読みにくい。でも上手い。
内容も絵柄にあったホッとするようないい話が多い。愛と勇気は名前。

2006年08月11日

記<->日


本当の自分を探す旅に出たい。
などという言葉をよく聞く。
という言葉をよく聞く。

若い頃、よく使う言葉の一つだろう。
と、老人がよく思う言葉の一つだろう。

つーかんじで緩やかな笑いを誘うゲドの広告を適当に改変出来ないかと思ったんだけど、先が思いつかない。


僕はあんまり野球とか、そこから派生したものに興味があるわけでもないので、詳しくは知らないんですが、最近はキャッチボールで危険球とかなげるのが主流なんでしょうか。いやほら、僕みたいな門外漢のイメージだと、キャッチボールって受け取りやすい球を投げるのが普通だと思っていたんですよ。どれくらい続けられるかみたいなのが大事だろうし。手が滑ってとかならともかく嫌がらせみたいな球をなげ続けたらキャッチボールしれくれる人なんていなくなるだろうし。
でも最近だとむしろ頭とか急所とかに剛速球投げたり、受け取れないぐらい外れた方向に投げるのが、むしろトレンドなんでしょうかねえ。時々見ていると、そういう球を投げる人が多いような気がします。そういう危険球をいかに見事に受け取るか、とか外れた球を鮮やかにキャッチして、受け取れない球を投げ返すという感じの勝負的なキャッチボールがいいのかなあ。これなら受けとれんだろ! みたいな。まあ、お互い勝負とわかってやっている分には良いんだろうけど、従来式のキャッチボールをやるつもりだったのに勝負式のをやられると面食らうんだろうなあと、たまたまやっていたキャッチボール(?)を見ていて思いました。


この間高校時代の友人と三年ぶりぐらいにあったら、
「あれ、そんなに座高高かったっけ? こんなに見上げなかったような気がするけど」
と言われた。
高校の時から高かったよ。


テレビCM崩壊というマーケッティング関係の本を読む。内容はテレビCMなんて効果のないマーケッティングまだやってんの? プゲラ。オレがもっとましなの教えてやるから参考にしな、馬鹿どもが。という感じ。
いやまあ、マーケッティングにはあまり興味は無いのですが、昔からテレビCMには不思議感を抱いていたので、ちょっと気になって読んでみた。

この本はアメリカの市場を対象にしたアメリカ人が書いたアメリカ人向けの本なので、日本にそのまま当てはまることはないと思います。亀田のやゲドとか見ていると、非難されようが、マスマーケッティングには十分以上の効果はあるようですし。
トヨタがこの前決定したアメリカのテレビネットワークに対して効果のないCM費用は払わないというのが日本でも適用されるようになったら違うかもしれないけど、現状ではかなりの影響力はあるわけで。

まあしかしそうはいっても、日本でもテレビの特権的な地位はそのうち無くなるだろうし、今でも揺らぎ始めているんじゃないかと思う。僕の周りでテレビ無い人とか見ない人とか増えてるし。それがいつ頃までにかはわからないけど、ネット世代が大きくなる頃には、テレビ見ない人はむしろ主流になるのではないんじゃないかなあ。

現在テレビに求められているものは、話題提供能力じゃないかとエスパーする。逆にそれ抜きだったら割と多くの人はテレビ見なくてもいいよねって感じだし。話題提供能力って要は、人と話すときとりあえずテレビの話をしとけば盛り上がるかという感じのことですが。テレビのチャンネル数が少ないこととメディアの中でそーとー特権的な地位を得ているからだと思いますし、なかなかその地位もゆらがないかもしれないけど、SNSを見ていると結構それについてもやばいんじゃないかと思います。それなりに近しい人間がSNSなりBlogでつながっていると、そのなかで取り上げたコンテンツはメジャーじゃなくても必要十分な話題提供能力を持っているような気がします。
もしWebメディアが十分な話題提供能力を持ったらテレビの存在価値は危機的な状況を迎えそうな気がします。

ただ、youtubeを見ればテレビのコンテンツには需要があるのはわかります。しかしそれこそyoutubeでわかるように、テレビである必要はないんですよね。求められているのはオンデマンドテレビ放送というか。若い世代がオンデマンドテレビという非常に便利なものが存在することを知ってしまった以上、いくら地上波デジタルで画質きれいですよ云ったって、現行のテレビよりよほど不便なものをまともに受け入れるとは思えない。

ナップスターは違法と云うことで結局だめ出しされたけど、そこでみんなが知ってしまった便利さ、そこから生まれた需要はITMSでAppleが上手く掬って、音楽配信ではAppleは大成功しています。テレビもyoutubeでみんなが知ってしまった便利さを上手く掬えるサービスを提供できない限り、結局は消費者にそっぽを向かれるような気がする。現在ではテレビないしそれに類するマスメディアは著作権者のほうにばかり目を向けているような印象を受けるんですが、このままだと誰も見なくなり、結果として広告もなくなり、コンテンツ制作者もウェブに流れ、衰退しちゃうんじゃないかあと思います。

現状でもSNSにしろBlogにしろソーシャルネットワークに上手くのったコンテンツは凄いこと消費されるわけで。
なんというか、youtubeがあれだけ注目され利用されていることを、テレビ局がポジティブな方面で理解すれば、また結構面白いことになるだろうにと思います。実際需要のあるコンテンツ制作能力があるのに、旧態依然とした配信形態にこだわる必要はあるのかなあ。まあGyaoは見事にこけていますが。

なーんてテレビ局の人は僕が考えるようなことは考えているんだろうし、考えても現行法上では著作権とか肖像権とかクリアしなければならない問題がかなりあるって云うし、なかなかそうはいかないんでしょうね。
どうやって金取るかとか上手いビジネスモデルを考えるのも大変なんだろうし。
下らない内容ですが、テレビCM崩壊を読んだ感想です。


気楽に殺ろうよ 藤子・F・不二雄の短編集。ドラえもんではあまり露骨には出ていない、SFのホラー的な部分というか、現実に対する批判的な部分が中心となった短編集ですね。どれも一ひねりきいていて面白かった。

2006年08月06日

日記という旧態依然とした形式の


家神保町駒場渋谷家


秋葉原から高速撤退中の"詐欺"版画商人どもが靖国通りの神保町にほど近いところに転移していて鬱陶しい。というか選択的に僕をねらってくるのはアレですか、僕がアキバ系だからですか。つーか秋葉原から撤退することになったのは、秋葉に生息する生き物がラッセン葉書クバリストに耐性が出来たからだろうに、移った先でもアキバ系ねらってたら意味無いじゃん。馬鹿か。

いやまあ、どんな場所であれ、僕のようなタイプの人間が引っかかりやすいというのはあるんでしょうが。ある場所で効果がなくなったら、別の場所に移って同じ商売すれば、版画詐欺に耐性のないのがまた引っかかると。というわけで別に馬鹿ではないとは思いますが、鬱陶しい事には変わらないというか、選択的にオレに葉書を押しつけるな馬鹿。


弘司の画集が出てた……。
この画集は僕が大学一年の時に出るという話だったのに、何時までも何時までも何時までも出ないまま、いつの間にか忘れていたんですが、気づかないうちに出ていたようです。これでBeast of Eastの新刊が出れば、高校からの待ちリストが大体無くなるような気がする。と思ったけどE.G.C.Finalとかもあるなあ。

弘司についてはもう昔ほど好きでもないのですが、何となく買わないといけないような気がしたので買ってしまった。画集は大体買った後無駄金と後悔するので、最近は買わないようにしていたんだけど。後で殆ど見ないし、場所とるし、高いし。

帰って見たけど、最近の作品があまり入っていなかったのがちょっと残念。最近の絵の方が好きなので。パラケルススの魔剣新装版の絵とか。なので書き下ろしは良かった。これで2000年以降の絵ももっと収録してくれればなあ。

でもやっぱり余剰収入が無くなった僕が後悔する程度には高い。


こっそり漫画をアップ。台詞がないのはデフォ。
勝手に三太

2006年08月05日

日記かと言われれば、日記と言っても問題ない。


最近はとりあえず亀田亀田八百長八百長審判買収893とか言っておけばいいような気がするので、言っておこう。買収1971!!!
ようし、珍しく時流に乗れたぜ。


youtubeで多少見たんですが、ボクシングは全く知らないのでなんともわかない。1ラウンドだけなんでか見られないんだけどね。不思議。この試合じゃないらしいけど、金的攻撃は男としてどうかと思う。
それよりなによりあの君が代はなんだよ。笑い死にさせる気か。

しっかしTVが無いと浮世離れしていく。
まあ、大学一年の時から無いので、今更だけど。
それでもネットがあるからかわりはない。とは言い切れないよなあ。ある程度興味のあるところでしかニュース見ないし。
今回のは僕の見ているサイトのことごとくで取り上げられていた、というかバッシングされていたから、そして周りの人で見ている人がいたから知ったけど、そうでもなければ知らなかったよなあ。別にこんな人間知らなくても何の問題もないっちゃないんだけど。
実際エンターテイメントをマスメディアに求める必要は無い。問題になるのは、誰でも知っておいた方が良い情報だろう。しかし、それが本当にあるとして、僕がネットで普段目にするもの以上でどの程度得るべきなんだろう。

芸能人とか有名人がさっぱりわからないのは会話してて困ったりするけど、まあ、それは子供の頃からそうだし、今更だな。コミュニケーションのための情報収集というのも重要だとは思うんですが、そんなのが出来るなら、僕はこんな趣味を持ってはいない。


願い星、叶い星。
奇想コレクションのアルフレッド・ベスター短編集。サイコSFの傑作ごきげん目盛り以外は初見でした。うん、まさしく奇想だな。それでいて結構道徳的なのは何時も通り。
最後の人間ものであるイヴのいないアダム、昔を今になすよしもがな、バランス悪いけど鬼気迫るようなおどろおどろしさがある地獄は永遠にあたりが結構良かった。もちろんごきげん目盛りは素晴らしい。


秋葉原に行って買い物して、神保町に行って本買って、疲れたし、かなり遅くなったのでので研究室行かずに帰ってから、事務書類提出するために出かけたことを思い出して、しょんぼりした。何やっているんだろうね。面倒だけど明日提出しよう。

2006年08月04日

ここ三日ぐらいの日記をスクランブルしてまとめて。


昨日(一昨日?)部室に行ったら学館自体が閉館日で、ぶち切れそうになった。家に帰ったら疲れて動けなくなるし。なんでかねー。なんでかねー。


フルメタルパニックTSRの二話でユイランがゲイツに口に銃つっこまれてガツガツやられるシーンの歯とか、口の周りとかがすげーリアルだった。リアルだけどそんなに浮いていないので凄いなーと。つーかむちゃくちゃ痛そう。いや、それだけですが。


ドージンワーク1を読む。あー。好きな人は好きなんじゃないかしら。という感じ?
主人公の絵云々に関してはちょっと面白かったけど、下ネタはげんなり。
どーでもいーけど、何でこの手の話は安易な超人が出てくることが多いんだろう。不思議。


久しぶりに華氏四五一度を読んだ。最近の自分の問題意識と微妙にリンクしていたので、読んでてなんだか悩む。なんだろう。モンターグのように慣れはしないが、ピーティのように割り切ることもできない、みたいな? ちょっと違うけど。そんなにまじめに悩んでいるわけではないですが。


新装版エルリックサーガ2巻。この世の彼方の海と、白き狼の宿命収録。エルリックの運命が下り始めるのはこの巻からですね。夢に燃えているエルリックが挫折し、虚無的になっていく。しかし、ただひたすら懐かしい。何回読み返したのかわからないけど、我ながらよく覚えているもんだ。
昔はエルリックとDは僕の一番好きなヒーローだったなあ。


デモンベイン 軍神強襲。古橋秀之の新作ですよ、新作。最高。僕はこういうのが読みたいんだー!!
期待を裏切らず、それを上回るノベライズだった。
サムライ・レンズマンでもみせた、原作の設定をキッチリ踏まえ、雰囲気を壊さずにそれを広げた上で、スケールのでかい話を見事に作り上げている。傑作。
ラストの怒濤の展開、ハイパーインフレーションは実に燃える。デモンベインでしか許されないような、ちゃぶ台をひっくり返すようなラストも、素晴らしい。

まあラストは賛否分かれそうな気もしますが。勧善懲悪的な話でありながら、善が決して悪に勝てないという不条理さ、それでも決して諦めずに主人公たちは戦い続けるというデモンベインの魅力をよく感じさせる終わり方だったと思う。

しかしやっぱり古橋秀之は最高だ。

今やもう八月ですよ。英語で言うとオーガスト。
ゆく河の流れは絶えずして、だいたいもとの水と同じ。

時間が溶けていく気分。外には出たくない。が、外に出ないと一日が瞬く間に終わる。
少しは外に出よう。


時かけを見たとき、久々に劇場で映画を見たので、大音量に驚いてしまった。音量下げないと! と、反射的に思ってしまった。隣の部屋を気にせず音楽とか映画とかアニメとかみたいなあ。
あとこの作品の監督、もともとハウルやる予定だったけど、途中降板になって宮崎駿が監督することになったそうな。この人がやっていた方がよほど面白くなっていたのじゃないかとか思ったりする。どうだろうね。


ゲドは……良い評価をあまり見ないな。見ていない人間の悪評は問題外だが。客が落ち着いたら、一応見るかなあ。あと友人が意味不明だと言っていた読売新聞の広告(読売新聞は、おおすじゲドの意見に賛成です。とか書いてあって笑わせてくれるやつ)は、まあ、言いたいことの雰囲気はわかるんだけど、なんかなあ……。原作の台詞なのかなあ、コレ。


人斬り龍馬。もやしもんの人の二作目。へらっしゅ!! 今一。それが僕が歴史物に興味がないからかもしれないが、少なくともそれを乗り越えて訴えるものはなかった。


漫画漫画。ティアに向けて書いてはいるのですが。全然進まない。今日なんぞ一日うんうんうなってペン入れ一ページと一こましか進まなかった。しかもこれから先のページはどんどん下書がいい加減になっていくという……。
しっかし背景とかちまちま書いていると、何で残り少ないモラトリアムにこんな事しているんだろうと思ったりもする。いや、やりたいからやってるんですが。だれか才能下さい。