2007年09月30日

らくがき

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2007年09月28日

そんな日。

そういえば、もうすぐで終わりだったなあと思って、男鹿和雄展に行った

ら、平日の昼間なのに、ロビーは人で埋まっていて、今並ぶと六十分で入場できます、という中々挑戦的な看板が掲げられていたので、多少逡巡したけど、さすがにねーなと思って諦めてパンフレットだけ買って帰ろうと思った。
学生ならともかく、結構なトシの人たちが、なんでこんな昼まっぱらから美術館に来るかなあと思うんですが、特に不思議はないです。もうちょっと早めに行こうねという事なんだと思う。

しかしそれだけで帰るのも寂しかったので、近くのシネコンでやっている新劇場版エヴァをついでに見てきました。

いやーよかった。なんか凄い良かった。泣けた。TV版にはあまり思い入れも無い僕ですらこんなんなので、これは好きだった人にはたまらないだろうなあ。
感想としては大体出尽くしてるような気もするんですが、とりあえず思ったところを適当に。今更ですが。
とにかくディテールが凄い。書き込みもそうだし、コレも動くのかって言うところまでキッチリ動く。CG万歳。ラミエルなんか顕著だけど使徒も全般的に良い感じで良くなってる。というかラミエル凄すぎ。
ディテール目当てで見に行ったんですが、それだけでも十分価値があったなあと思う。画面の説得力が全然違う。断然良し。

TVシリーズの重要なところのみを残して話を作っているので、最初から最後までだれることなくテンポが良かった。ハイライトのヤシマ作戦をキッチリ山になるよう上手く持ってきているので、すごい盛り上がりました。ヤシマ作戦はテレビ版と大分演出が変えられていて迫力が増している。最初のN2爆雷の時も思ったけどこの辺は劇場でこその迫力だよなあ。音響とか。
あと人類補完計画等、物語の根幹に関わる設定が早め早めに出てて良かった。エヴァって使徒迎撃と人類補完計画が話としてあんまり繋がってない気がするので、その辺今回上手くやってくれそうなので。

キャラクターの性格も少しずつ変えられているように思えた。シンジがテレビ版ほど後ろ向きというか鬱陶しい性格ではなくなり、状況を考えればわりと自然な反応だと思えるようになった。あとミサトが凄い良かった。シーンが追加されたせいかもしれないけど、ミサトがシンジに対して思っていることがリアルに感じられて、なんかこう、ちょっと涙腺がゆるみそうに。ヤシマ作戦の前のやりとりとかホントやばかった。いかん、コレでなく人はいないだろう! 常識的に考えて。とか思ってました。いや、ちょうどイリヤの空の3巻までを読み返していたところだったので、椎名真由美とミサトが脳内でガッチリリンクして保健室フルボッコシーンが浮かんでしまったからというのもあります。過剰な責務を押しつけざるを得ない立場というのはワーという気分になります。そういう意味ではシンジよりミサトの視点が胸に来る。
家出したシンジをスネークするMIBがダンディー。
他は……特に違う印象は今のところ感じなかった。やっぱりゲンドウはよく分からない。この人なんか無能な司令官に見えるのは僕だけでしょうか。

それはともかく。
テレビ版を見たときにもエヴァの導入って腑に落ちず、今回映画を見たときもやっぱり腑に落ちなかった。そのせいで最初の方はあんまり身が入らなかったんですが。
なんというか、シンジが呼ばれてすぐ急にエヴァに乗せられるというのが、やっぱり不思議。うーん。いや、僕もあんまりエヴァに詳しいわけではないので理由があるのかも知れないのですが、一応。
とりあえず、ゼロ号機の機動実験に失敗してレイが大怪我したから、替わりのパイロットとして呼び寄せられた。そしたら使徒が来ちゃったので、乗せちゃったのかなあとか思ったんですが、それはそれでおかしいよなあと。
使徒が必ず来る。使徒はエヴァでしか倒せない。エヴァは特定の子供でしか動かせない。というのに、手持ちのパイロットが一人しかいないという状況でずっといたというのは変じゃないかなあと。もともといっぱいパイロットいたけど、減って減って一人になっちゃったのでしょうがなく呼んだ、とかなら分からんでも無いんですが、特にそういう描写はなかったと思うし。
一人しかいないんだと、そいつが使徒が来た瞬間に階段で足を踏み外して頭を打って重傷とかなったらどうするんだよと。いや、レイはいっぱいいるよ! とかなしで。それこそ何でシンジを呼んだんだろうという感じになるし。人類補完計画との絡みとか? よくわからん。
多分ちゃんとした設定はあると思うんですが、そういうのは積極的に出して欲しいなあ。

あと何度見てもリツコ博士の「歩いた!」は面白い。なんか、クララが範馬勇次郎と戦おうとしている時に「クララが立った!」って喜んでいるような感じ。
いや、暴走前提なんでしょうけど、なんかね。

なんくせ付けてはいますが、かなり良かったのは間違えないです。こんなに楽しめるとは思っていなかった。なんだかんだいって全部見に行く様な気がします。


エヴァの影響を受けた作品としてはイリヤやEDENが結構好きだったりします。イリヤもエヴァもエヴァの地に足の付いていない投げっぱなしな部分を排して細部のリアリティを徹底的に重視することで、とんでもない設定に血肉を通わせているところが良い。そういう意味で投げっぱなしだった部分を更に投げはなったラーゼフォン(映画版しか見てないけど)とかはちょっとどうかと思う。
イリヤとEDENではそれぞれ使徒迎撃と人類補完計画を元にして作られていると思う。
イリヤはエヴァの使徒迎撃の部分を、主人公をケンスケのように傍観者として、最初から最後まで事態の中心にいることができない人間にしているのが好きだったりする。シンジがレイのクラスメイトでしかいることの出来ないという感じ。
EDENは意味プーな人類補完計画を解釈し直し、キッチリしたモノにしているだけでもうOKです。いや、どっちかというとSFの流れで読んでしまうけど、作者がエヴァからの影響をキッチリ明言してるので。
んーエヴァの新映画をみて、改めてこの辺に与えた影響というのを感じたのでなんとなく。

2007年09月26日

時事ネタ


京都の親殺し事件の影響でスクールデイズやひぐらしが放送されなかったことで、一部界隈で結構色々云われているようです。うるさがたからの抗議があったら嫌だから一応ぐらいだとは思うし、そんなものかなあという気もします。あんまり急だしどうかとも思うんですが、だからといって過剰に反応するのもそれはそれでちょっとなあと思います。ただ、放送中止の理由がちょっと面白いよなあと思った。
テレビ局はいつも視聴者や関係者を不快にさせない番組作りをしていたのかと。建前って大事ですね。


しかし、ゾーニングって見る側にとってもそうかもしれないけど、むしろ作る側にとって身を守る手段として物凄く大事だよなあと改めて思う。ひぐらしやスクールデイズを誰でも見られる地上波で流すと抗議が来かねないと思うのは分かるし、それは流している側もそう思うからこういう事になったんだろうと思う。ただ、それは放送前に分かることじゃない。分かった上で放送することを決めたんじゃないかと。こんな事件が起きたぐらいで流せなくなるなら、最初から地上波で流すなよなー。と言うのが率直な感想です。

それはそれとして、結局のところお金の問題になる気もする。何処で儲けるかとか、誰が金を出すかとか。いや、アニメの収益構造とか全然知らないので、何とも云えないんですが。ただ、現状日本でゾーニングをしっかりして映像作品を流すというのは難しいという感じはする。グレイ(宇宙人)な部分でやっていくというのも状況が良ければ良いとは思うけど、どこかが本気になれば一気に消されてもおかしくないと思う。なんというか、少なくともなにがしか言い分が立てられる程度には手を打つと良いような気がする。だから適当なことを書くなと言う話ですが。


欲しいモノはいらない、というスタンスで生活必需品と本とPCまわり以外はなるべく買わないようにしているんですが、それはそれとしてグレンラガンとか電脳コイルとか好きなアニメに対してお金を払いたいというのは思うことはある。ただその手段がDVDかあるいはあってもPPVしかないというのは何というか、正直どちらにもお金を出したくない。DVDは高いとか邪魔だというのが一つあるけど、それ以上にDVDってPCでしか見られない人間のことターゲットにしてないんですよね。多分。メディアとしてテレビに最適化しすぎている。
かみちゅ! のDVDを買ったときに思ったんですが。アニメDVDをPCで綺麗に見ようと思うと、結局エンコードし直さなければならないっぽいんですよ。僕が悪いのかも知れないけど、PowerDVDでもWinDVDでもクソみたいな画質でしか見られず、結局調べてリッピングしてエンコードしてとかして、面倒だったわけですよ。壱話二千円も払ってあんな面倒なことするのかと、(ピー)したらよっぽど高画質で見やすいのが簡単に手にはいるのに、お金を払ってまで面倒なことをするのかと思うととても買う気がしない。
勿論僕がパッケージに価値を認めないからと言うのもあります。今更ディスクを抜き差しして見る時代でもないだろうと。
だから個人的にはDVDとPPVのあいだに、何か新しい課金方法があっても良いだろうと思います。と言うので妄想したことを一つ。

地上波などで放送する替わりに、ニコニコやらYouTubeで期間限定……あ、いや出来ればしないでアップして基本は無料で見られるようにする。で、お金を稼ぐところとして高画質(DVD画質ぐらい?)な動画を1話500円ないし1000円ぐらいでDRMフリーでダウンロード販売していつでも見られてうれしい、あるいはパッケージメディアとして次世代DVDでコレまで道理の値段で超高画質なのを販売、モノが欲しい人もうれしい。PPVとかはナシで、低画質なのはいつでも見られる。
というのはどうでしょう。
おたく向けアニメであれば地上波の一部地域で流すよりかは、ニコニコなどネットでのほうがよっぽど見たい人に届くだろうというのもあるし、地上波で流せば絶対ニコニコでアップされるんだから、権利者がやっちゃえよというのもある。また、地上波デジタルチューナーがアナログ出力を禁止していない以上、あるいはコピーワンスのフラグを無視する記録装置があれば放送したモノは高画質且つDRMフリーで「どこか」に流れるし、欲しいと思った人間はまあ十中八九手に入るという状況はある。そしてそれはこれからも多分変わらない。多少面倒かもしれないけど。
WinMXが音楽のイリーガルなダウンロードを普及させた後に、iTMSが同じように手軽で安価でリーガルな音楽データを売る事で大成功を収めたように、多少お金を払っても楽ちんで法的にも問題もなくアニメが手にはいるようにすれば、そっちを選ぶ人間というのはそれなりにいるんじゃないかと思う。もちろんコレまで通り違法ダウンロードはあり続けるだろうけど、十分に使い勝手がよく納得の出来る代替手段を用意すれば、そういうのをキッチリつぶしていっても、変なのがなんか言うことも無いんじゃないかと思う。

なんというかお金を払う手段と、アニメというかコンテンツを見るための経路をもうちょっと多様化してくれよ、と思う。勝手な言いぐさですけどね。
勿論僕の妄想みたいなのが上手くいくかは分からないし、そもそもPCを使うことを前提にしすぎているのかも知れないけど、なんというか、もうちょっといろいろなやり方を実験しても良いんじゃないかなあと正直思う。実験のためのインフラ整えるの大変かも知れないけど、それこそ最初はiTMSとか使っても良いんじゃないかと思うし。
アニメは特に制作会社がよく認知されているんだし、テレビから離れた形で成立させる可能性は一番高くはないのだろうか、とか、思うんですが。もちろん今のアニメ業界がどうやって儲けているのか知らないので、勝手なことを言うなと言う気もするんですが。
楽ちんであって欲しいというのと、DVDもPPVも勘弁してほしいなあ、という僕の勝手なニーズなんですけどね。


ついでに。
放送自粛周りでアニメが芸術か否かとか、芸術とは何かとか言われているのをみて何とも言えない気分になる。どうでもいいけど定義に関する論争って不毛な地へ旅立ちがちだなあと思う。結局の所どんなのも誰かを楽しませるために、あるんじゃないの、とか思ったりするので出来不出来はあるにせよ、あんまり貴賤をどうこういうのはなあ。
あと芸術って衰退した表現様式や一般にウケない表現様式とかを成り立たせるためのお題目という印象を勝手に持っています。権威づけることで放っておいたら消えてしまうかもしれないものを存続させるための手段。多様性の担保するための手段じゃないかなあと。
何が芸術か芸術でないかを区別する誰でも納得できる基準を決めるのは難しいと思うけど、少なくとも一般に受け入れられ商売になるモノはとりあえず芸術であると主張する必要はないよなあと思う。そういう意味ではアニメも漫画も芸術では無いよなあと思う。だからといって下に見られるのは気にくわないというのも分からないでもないけど、そういうこと言っても良いことはあまり無いと思うのですが、うーん、まあどうでもいいや。


さらについでに。
親殺しなんてニュースとしての価値は皆無だと思うんですが、インパクトはあるようで
こういうニュースが好きな方へのエンターテイメントなんだろうなあと思えばまあ、多数が求める娯楽を提供するのがメディアなんだろうし、視聴率も大事なんだろうし、こういうニュースを取り上げるのも分からんでも無いのですが、人死にをそういう悪趣味の対象に提供するためにあること無いこと云うことも十二分に不謹慎だと思うんですが、どうでもいいや。
総裁選があったから大して取り上げられてもいないようですし、結局埋め草なんですね。


それはともかく、福本伸行がしっかりと下書をしているという衝撃。

2007年09月24日

らくがき

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2007年09月23日

らくがき

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うーん。
自分がどういう絵が描きたいのかよくわからない。

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こういう適当なのは楽ちん。

2007年09月22日

かおかお

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真っ正面からの俯瞰というのは色々難しいなあと思います。
パースの効いた頭とかもそうだし、腰が上手く入りづらくなります。頑張ってアタリとっても服を描くとあんまり意味無かったり。
膝からしたが長かったかなあ。

2007年09月20日

いろいろ。

■coco「今日の早川さん」
マニアックな本好きを主人公にしたおたくネタ漫画。
SF好きの早川さん、ホラー好きの帆掛さん、純文学好き岩波さん、ラノベ好きの富士見さん、レア本好きの国生さんというまあ、そのまんまな名前の五人があーあるある的なネタを繰り出す110ページ。
早川書房とか東京創元社とか富士見書房とか国書刊行会とかそういうところが出してる割とジャンル色の強い小説に一定の反応をしめす人が楽しめるらき☆すたという感じで、ああ、なるほどコレがらき☆すた好き(主に原作の)の感覚かと膝を打った次第です。純文学? 何それ。

ただ、もとがネットで連載されていたものなせいか、正直本という形式だとそれほど面白く感じなかった。何でか分からないけど。もうちょっと上手いやり用はなかったのかとちょっと思います。
あと結構売れているようなので、続きが出そうな気もします。


■小松 秀樹「医療の限界」
「医療崩壊」の著者が新書で書いた医療崩壊の本。内容は「医療崩壊」に近く、日本人の死生観の問題、医療と司法の問題、医療システムの問題点と改善法、現場の取り組み、公共財としてあるべき医療、アメリカやイギリスとの比較、云々について丁寧に説明していく感じ。
医療崩壊に関してはずいぶんとネットでも見かけるようになったようなきがします。産科関係は特に。マスメディアではどうかは知らないけど。正直そういうのを読んだりこういう本を読んだりすると、もう駄目なんじゃないの? というかもう既に崩壊しているんじゃねーのこれという感じなのですが、自分に出来ることは病気や事故には気をつけようと云うぐらいしかないので、精神衛生のためにあんまり考えないことにする。
しかし現在というか僕がイメージするような医療は多分維持できないんだろうなあというのは分かるんですが、なんだろう、結局誰も幸せにならない結末なのかな。まあ、それぞれが自分の狭い領域内でベストと思うことをやると、他が大変なことになるというそういうことなのかなあと思ったりする。あとは無謬性の仮定か。間違えを認められないというのは恐ろしいことではある。
全般的に冷静な筆致では書かれているけど、著者の危機感は伝わってくる。というか下手なホラーより怖いのは自分の身に影響が及ぶ可能性が高いからだろうなあ。


■佐藤 哲也「未来を予測する技術」
日本最強のスパコンである地球シミュレータの偉い人が書いたシミュレーションの本。科学において理論と実験に加わるもう一つの柱としてのシミュレーション、すなわち要素還元的な考え方ではどうしてもとりおとしてしまうシステム全体の複雑な振る舞いを予測、検証する力のある新しいパラダイムを、主に地球シミュレータを例として語られている。
んですが、凄いですね地球シミュレータ。情報系にいるのに恥ずかしながらピーク演算能力が凄い程度の理解しかしていませんでしたが(あとでかいとか)、非常にエポックメイキングなスパコンであるようです。すなわち以前のシミュレーションではあくまで部分のシミュレーションに過ぎず、システム全体の振る舞いを予測出来ない、理論、実験の補助的な役割しかしていなかったのを、地球シミュレータではシステム全体、たとえば地球全体をそのままシミュレーションするという大きなパラダイムシフトがあるようです。
実際に地球シミュレータをつかって行われている研究が色々のっているんですが、どれも面白いというか、色々この先どうなるんだろうという期待でワクワクします。素晴らしい。

汎用京速計算ではおそらくこの本に提唱されているマクロシミュレータとミクロシミュレータを組み合わせたホリスティックシミュレータを踏まえ手だと思うけど、スカラ・ベクトル複合型システムになるようです。人体シミュレーションを目指すと云うことで中々、ぶちあげたなあという感じですが。
しかしPCでもGPUを汎用ベクトル型プロセッサとして使う流れも出来ているようだけど、こっちの方はどうなるんだろう、とかいろいろ面白そうではあります。

■前野 隆司「脳のなかの「私」はなぜ見つからないのか」
ロボティクスの専門家が、ロボットの意識を作ろうと色々研究した結果、意識は幻想で自由意志なんて存在しないよね! みたいな結論に達し、それを踏まえて古今東西の哲学や宗教や科学の意識に関する歴史とかを読み解いていく本。
なんとなーく全般的に我田引水感も否めないわけでもないんだけど、僕の考えが著者のそれにかなり近いためウンウンうなずきながら読めてしまった。そしてあらかた忘れた。でもこう、厳密さを追求すると面白さが多少スポイルされるんだなあと思いまして候。
自由意志については定義の問題のような気がする。ただまあ、個人的には意識とかは決定的ではないかと思う。量子力学的な効果に関してはシステムとしては影響がないのではないかと。まあ、だからどうしたと言う話ではあるけど。どうもしません。決定的であることが個性なんだよ! とか適当なことを云ってみる。どうでもいいけど哲学的ゾンビの話を見ると、いつも鉄コミュニケーションの最後のルークとイーヴァのやりとりを思い出して目頭が熱くなります。
あとは飛ぶ石の意識とかそういう話は面白いというか、結構本質的な気がする。フィードバックはあるんだろうから、全くそういう話ではないんだろうけど。うーん。
意識って昔から今まで色々考えられているけどよくわかんないねーでもそのうちわかるんじゃね? という本だということにした。僕の中で。
で、クオリアって何?
「赤の赤らしさ」
ギャーッ!!

それはともかく最後の哲学者との談話がちょっと面白かった。いや、内容は個人的にはちょっとアレというか、かったるいんですが、色々議論したあげく、お互い使っている言葉にたいして違う理解をしていた! これじゃあ議論してもかみ合わないわけだ! という素晴らしくラディカルなオチがついた所があってちょっと笑った。いや、こういう商売しているなら、笑い事ではないのかも知れないけど。うん。
とりあえず哲学はよく分からないので趣味というブラックボックスにつっこんでおくことにする。哲学は趣味だ。

■ゆずはらとしゆき、海野十三「十八時の音楽浴−黒髪のアネット−」
海野十三の「火葬国風景」と「十八時の音楽浴」という関係ない二作品に共通するベースとなる設定を加え、エピローグを付け足すことで一つの小説にしたもの。
昔のものを元に新しい作品を作るガガガ文庫の跳訳という企画の第一弾だそうです。そういえば超訳というものがありまして、シドニィ・シェルダンとかの作品がそれで訳されていたものを昔読んだなあと云う思い出。それはどうでも良い。まあ、なんというか新しいレーベルらしい奇抜な企画なんですが、こういう変なことはどんどんやって欲しいなあと思う。
いやあ、面白かったです。結構。元の小説からして両方相当変なんですが、これまた変な新要素が上手いことカッチリはまって、元々関係ない小説だったとは思えないほどです。あとこの手のグルグル回る話は僕のツボなのでそれだけでも超高得点です。うん。

難点としてはライトノベルのジャンル的な特徴を意識しすぎているというか、ライトノベルに仕様としすぎたせいか、わざとらしいキャラクターがちょっときつい場面もあったのですが、それも悪し良しなのでなんとも、まあ、コレでも良いのかな。
もう一点、挿絵が……。いや、良いんですけどね……。いや、良くない。表紙や口絵はまあ、いいんですが、本文の挿絵がなんとも。ハルヒ的酷さというかなんというか。でも最近ラノベって大まかにはこっち方面ですよね。グレースケール。だから僕の理想も古いんだとは思いますけど、それにしてもなあ……。

そういえば元になった二作品は青空文庫にありました。良い時代です。

■マルキ・ド・サド「悪徳の栄え」「美徳の不幸」
いやまあ、たまには古典的名作(?)も読んでみようかと思いまして。
なんか家が没落して身寄りを亡くした姉妹がおりまして、姉が淫蕩の限りを尽くしたり人を欺したり殺したりしながらおもしろ可笑しく暮らしていたらなんか良いご身分になるけど、真っ当に生きようとした妹がなんかまあ、不幸になると言う道徳的なお話。多分。
美徳がいかに下らなく、人は悪徳を尊ぶべきである見たいな哲学が登場人物の口を借りて延々延々延々延々何度も手をかえ品をかえて出てきてかったるいんですが、それをおいておけばまあ、それなりに楽しく読めたけど、それをおくとこれって単なる変態小説じゃない? みたいな気もしないでもない。まあなんというか、キリスト教的というか西洋的な道徳観が下地にあった上での作品だと思われるので、そういった下地が無く背徳的な味わいを楽しめないという時点で直球での面白さというのはどうしても分からないものです。ああ、でも道徳的行為を強く否定する人が、逆に触れることでそれはそれで規範に縛られるというのは面白いのかも知れない。
ただまあ基本的にかなり酷い話だった。うん。僕みたいな良識的な人間には心が痛くて読めないぐらい!
教養のあるひとが書けば変態ファンタジーも名作になるという事にしておこう。勝手に。

■ザッヘル=マゾッホ「毛皮を着たヴィーナス」
サドを読んだからマゾッホも一応読んでおこうと思いまして。
↑を読んだ後だからかも知れないけど、割と真っ当な小説に思えた。けど全然面白くないので超絶とばし読み。うーむ。
サディストはマゾヒストがいなくてもどうにかなるけど、マゾヒストはサディストがいないとどうにもならないと言う話か!? えーと、鞭で打たれたいからって好きな相手をサディストにするのって大変だなあと云うお話だった。

■ジョルジュ・バタイユ「眼球譚」
……。
やっぱり読む下地がないので、かわった変態小説としか思えなかった。
卵、眼球、睾丸。うーん。
メタファーとか、どうでも良いや。とりあえず。
あるいは「目玉の話」と読み比べると、またなんかあるだろうか。

こんな感じで将来エロライトノベルが珍重されたら面白いなあと思ったけど、教養と希少性がないと駄目ですかね。

■小寺 信良 津田 大介「Content's Future」
コンテンツの未来について、それらの産業に関連のある人たちへのインタビューをまとめたモノ。正直インタビュアーの対談が一番面白かったのはまあおいといて。
著作権関係の話はこれからダイナミックに変わっていく面白い分野だろうし、今実際に色々と審議をされていてそういったニュースについてはある程度読んだりはしているんですが、実際旧来からのコンテンツ産業に関わる人がどういったことを考えているかというのをまとめて読んで見たかったので読みたんですが、その辺の話は半分、後はCGM話とかだったので、期待した内容とは違いました。が、まあ、話としては後半の方が良かった。

「ネットでしかできない映像表現」というのはうーん。解像度の問題とかはさておき、なんかこうネットによって一番変わってしまっている状況というのは映像コンテンツの中身と云うより、それが取り巻く状況という気もするので、なんかこうレイヤーが違うような気もするんですが、いや、そうでもないのかなあ。
なんとなく、コンテンツで金を儲けるのって、広告か、コピー可能なデータを安く売るのか、コピーできるデータに付加価値を付けたパッケージを高く売るか、コピーできない体験とかを売るかとか、そういう感じかと勝手に思っていたりします。そういう意味でネットを使って最後のを出来るのかなあとかそういうのがネットでしかできない映像表現かなと思ったりもするのですが、しまった! 本の内容とは全然関係なかった!
しかしそれにしても第2日本テレビのサイトは酷いな……。トップページを見ただけでそれ以上見る気がなくなるぜ! こんなの誰が見るんだろうなあ。不思議。

YouTubeは大きく取り上げられているんですが、ニコニコが全く取り上げられていないのは残念だなあと思う。日本のその手の界隈での存在感はもうYouTubeなんか問題にならないほどだし、YouTubeよりよほど新しいというか色々面白いし。なんかこう、うん。

どうでも良いけど、著作権関連ってネットやら何やらでゴタゴタしている感はあるけど、結局の所何が一番問題って、著作権があまりにもよく分からないことだよなあと思う。んー。権利者側から見ればP2Pも動画共有サイトも色々言語道断なのはわかるけど、視聴者側から見るとアレですね、そもそもテレビで無料で放送しているものを見て何が悪いとか、レンタルCDなんてコピーを前提とした商売をやっているくせに! 私的複製ってどこまでだよ! とか思ってしまいますよね。別にネットでモラルハザードが起きたわけではなく、コレまでのコンテンツを取り扱ってきた考え方で同じようにやっているだけだと思います。それがネットで無視できないほど強まったというのは分かるんですが、なんというか人ってコレまで出来ていたことを制限されるのに反発するそうなので、ネットが出たからってコレまでのコンテンツへの接し方を説明もなく変えさせようとしたのは、反発を受けるのはしょうがないんじゃないのと言う気もする。法律だから! で推し進めるには、著作権はあまりに不可解すぎる。電波で放送するのとネットで放送するので扱いが変わるというのは、うーん。
まあ、なんというか、視聴者としては好きなコンテンツを作ってくれる権利者が潰れられては困るだろうし、権利者としては視聴者にそっぽを向かれては商売が成り立たないだろうしどっかで落としどころを見つけるか、あるいは行くところまで行ってその分野の産業が潰れるかのどっちかという気もします。昨今楽しむモノはいくらでもあるし、それで喰っている人以外は誰も困らないだろうし、質はどうあれ映像表現、音楽表現が無くなることはないだろうしなあ。
すくなくともコピーは一世代のみで9回までなら可能! 素晴らしい成果! とか云っている場合でもないんでしょうが、利害がいろいろ絡むと大変そうだなあという。べつにいーじゃんコピーワンスで。こういうのは極端に駄目な方で行くところまで行った方が後色々ありそう。
自分としては、この辺り何もかも潰れたりするところが見てみたいなあと思います。ならないでしょうけど。

と、たいして知りもしない人間が適当に書くのはよろしくないんですが、まあ。

■和月 伸宏「武装錬金」
初めてちゃんと最後まで読んだ。
結構面白かった。戦闘がサクサク終わるのが良いね。最近のあり得ない長さだったりするし。ケレン味が強すぎる気もするけどキャラも良いし、ストーリーも良いんだけど、なんかこう武装練金とか戦団とかオリジナルなファンタジー設定に広がりを感じないというか、今一説得力を感じない。
るろうに剣心みたいに、オリジナル要素ではないしっかりとバックボーンのある上で作られた話を読みたいなあと思った。

■西 義之「ムヒョとロージーの魔法律相談事務所」
小笠原 エミがラスボスで、美神が男のGS美神と勝手に理解。いや、設定が。

■松井 優征「魔人探偵 脳噛ネウロ」
思ったより面白かったけど、一巻と十巻で絵が変わってない……。なんともいえない衝撃。

らくがき

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適当なパースを付けて。
ここまで手が大きくなるなら、もうちょっと腕をこっち向きにしないといけなかったかも。
なかなかGペンらしい線にならない。

2007年09月14日

なんか適当に。

ドラゴンボールという漫画があります。ほとんど誰でも知っているような漫画なので、ありますもくそもないのですが。特に二十代ぐらいのリアルタイムで読んでいた世代には熱狂的なファンも多いようです。
まあ、そんなことはどうでもいいんですが。
ドラゴンボールを語る言説を見ると、よくキャラクターの強さがインフレーションをおこしているという切り口で語られる事が多いような気がします。また、そういったときはほぼ間違えなく、ネガティブなモノとして扱われます。あるいは冗談のネタとして。
ドラゴンボールは面白いでも強さがインフレーションしちゃってるのがね……とかまあ、そういう感じで。あるいはもうちょっと強い言い方だったりするのですが。そういう場合はたいがい異能力バトルものの漫画など比較対象として出てきて、そういった強さのインフレーションを起こす漫画に比べて、良い漫画として、あるいはドラゴンボールはこうするべきだった……みたいな語り方をされるわけですが。一部で。

いやでも、不思議なんですよ。
どう考えても強さ、戦闘力、あるいは物語のスケールのインフレーションそのものの問題というのがわからないんですよ。というか全然オッケーじゃん。インフレーション。いやほんと、何が駄目なんだかわからないんですが、その手のモノを読んでも、インフレは悪いモノという前提があって語られるので、何故悪いのかがわからない。
僕にはインフレーションは基本的には話を面白くするとしか思えないんですよ。考えても、インフレーションがもつ本質的な悪さというか、話をつまらなくする要素なんてものが分からない。
主人公のインフレーションなんかさせるだけさせて、これ以上はないと云うところまで行ったなら、止めればいいというそれだけじゃないでしょうか。勿論そういう意味では終わりどころを間違えると、完成度が下がるというのは分かります。ドラゴンボールはインフレーション漫画ではあったでしょうし、そういう意味では綺麗に終われるところで終わらなかったというのは分かるんですが、しかしそれは別にインフレーションが悪いわけではない。
むしろ、インフレーションを起こしていたところは面白いんですよ、圧倒的に。こんなに面白いのに、インフレーションが悪いわけ無い! と思ってしまうんですが、そう考えていない人も多いような気がします。

微妙に脇道にそれますが、絵で描けてサマになるスケールの大きさというのは、たいしたことが無くて、精々が惑星、恒星レベルぐらいだと思います。漫画だといい例が思いつかないんですが、アニメだとトップ2の5話6話あたりの感じ。それ以上の、例えば星系レベルになってしまうとどうやってもそのスケールを絵では表現できず、文字で説明するしか無くなります。当たり前ですが。ダイソン環でさえかなり辛いと思います。いや、いけるのかな。まあ、それぐらいが多分限界。
だからドラゴンボールでも惑星を壊せる敵であるフリーザを倒した時点で、絵的なインフレーションは限界を迎えてしまったんじゃないかと思います。なんというか絵的な派手さでフリーザを超える敵を漫画では出しようがないから、その後は失速したのかなーとか思います。勿論戦闘力的な意味ではインフレーションは起こっているんですが、それを絵で支持することが出来ないため説得力がないのかなと。そういう意味で終わりどころが悪いというのは分かります。ただ、むしろそういう所を超えてしまってもなお面白い話を作った鳥山明は凄いなあとも思います。

まあ、いいや、というわけでバトル漫画の強さのインフレーションというのにある、敗北→修行→パワーアップ→勝利という構造は圧倒的なカタルシスがあるし、娯楽漫画として褒められこそすれ貶されるところではない。王道というかワンパターン的と捉えるのも分からないでもないけど、それは面白いから何回も使われるのであって、問題があるとすればその構造ではなくどう表現するかでしょう。インフレーションを悪いというのは面白いということを馬鹿にしているんじゃないかと思います。とくに上でもちょっと書いたことですが、インフレーションは悪、だからインフレーションを起こさないバトル漫画は素晴らしい。インフレーションを起こしにくい異能力バトルものの漫画は素晴らしい。という前提が間違っている論法を駆使したりしているのでもう、僕はアレですよ。ぐったりですよ。
異能力バトル > インフレバトル漫画。
という不等式? いやでもドラゴンボールのほうが面白いじゃん! どれと比べてとは云いませんが。
確かに異能力バトルもの走りである(と言われる)甲賀忍法帳なんか凄い面白いんですが、それは個々の作品の問題というか、まあ、異能力バトルものでおもしろモノもあれば、インフレバトル漫画で面白いモノもあるよね。好みの問題だよね。というだけで、それ以上でも以下でもない。少なくとも異能力バトルものを描いている人だってインフレーションを押さえるために異能力を使っているわけではないと思います。もしそうだったらそんな下らないことするなよ! という感じですが。
まあ、はい。

構造的な問題で云えば、異能力バトルは一貫性のある設定が作りづらい、というよっぽどな問題があると思うんですけどね。それも好みの問題ですが。まあ、なんというか僕は個々の作品で面白いと思うのはあるけど、異能力バトルものは大きなくくりでは好きではなかったりします。あ、どうでもいいですか。そうですか。

閑話休題?
印象としてはドラゴンボールが後半失速気味になった理由をインフレーションに押しつけているのかなと云う気がします。僕としてはドラゴンボールの面白さはインフレーションに大きく拠っていると思うので、そういう言説は非常に倒錯しているように感じられて、なんだかなと。
ただなによりヤなのはインフレーション=悪 → インフレを抑えた異能力バトルものは素晴らしい! みたいなのです。自分の好み、ひいてはそれを好きな自分を上に置きたいからと行って変な論理でインフレバトル漫画を貶すなという話です。

変な能力でちまちま戦っている異能力バトルものよりインフレバトル漫画の方がよっぽど面白いつーの!!
僕にとっては。
という非常に相対的なお話。

ということをグレンラガンをみながら思いました。
なんか云われそうな気もしますが、云いたいことがある人はその気持ちをそっと心の中で暖めると、来年にでも富良野あたりで綺麗な花が咲くかも知れません。

2007年09月11日

風が吹けば、盲人が増える。


紙に落書きをする。
ペンを入れるためにインク壺の蓋を開ける。
落書きにペンを入れる。
ペンのインクを拭き取るために、ティッシュを片手で取る。
ティッシュ残量が少なくなっていたため、箱ごと持ち上がる。
反射的に箱を下ろそうとする。
インク壺に当たる。
インク壺の口からインクが飛び出る。
インクが机と壁にダイブする。
掃除する。

2007年09月08日

iPodの新製品発表を見て

だいたい事前に流出していた情報があってるなあということであんましモノ自体に驚きはない感じですが。とりあえずminiの格好良くなさに感銘を受けているところではあります。あの寸詰まり感は、近年風当たりが厳しい水平方向に旺盛な方々へ、貴方たちはそんなに悪いモノでもないのだよ、全世界で一億台以上を売り上げている超売れ筋マルチメディアプレーヤーの新製品ラインナップにあなた方を参考にしたデザインの商品を付け加えても後悔しないほどのモノなのだよ、と優しく呼びかけるためのジョブス総裁のメッセージなのかも知れません。それはそれでいいんですが、必要以上に小さくする必要はないんだし、もうちょっと縦の長さを長くしても良いんじゃないのかと思った。
iPhone - (電話機能その他)というイメージで語られるtouchはまあ、なんというか。すげーなーとも思うし、面白そうだなあとも思うし、触ってみたいなあとも思うんだけど、今一位置づけがよくわからない。何をするための商品なんだろうと。iPodブランドなんだからマルチメディアプレーヤーなのは間違えないのだろうけど、最初触って目新しくて面白いの先にあるものがよくわからない。
初代からのiPodの延長上の進化としてはiPod Classicで完成されてしまっている感もあるし、完全に新しい方向に行こうとしているんだとは思うんだけど、何処に行こうとしているのかなあというのがハッキリとは提示されていないようなきがする。
youTubeやら何やらを見ると、ネットに繋がることがマルチメディアプレーヤーの方向性とうのもわかるんですが、なんというか、ネットに繋がると色々余計なモノが付け加わってしまうと言うか、iPhoneとしては良いんですが、iPodとしては何でも出来るPDA的な方へ行って欲しくはないなあと勝手に思ってたりするので、WiFi対応だからSafariでネットも見られる! っていやそれiPodである必要ない、つうかiPodでやっちゃダメじゃん! とか思ってしまう。いやほんと、SafariのせいでiPhoneの劣化版的イメージが決定的になってしまっている気がする。iPhoneとtouchって全く違う方向性の製品なのに! 多分!
ただiTunes Wi-Fi Music Storeは結構衝撃だし、おお! ついにと言う気分でもある。これまでAppleTVがでようが、iPhoneがでようがiTunes Storeはパソコンでやらなければいかん! 絶対ダメ! みたいだったAppleがここでコレを出してくると云うのはようやくかよ! と言うのもあるけど、強い意図が感じられるし面白いなあとも思う。iTunesが完全に定着したからかも知れないけど。iPhoneやAppleTVにも搭載するかなあ。なんにせよこういう方向性にはちょう期待。あとニコニコ動画ビューアでも標準搭載されれば完璧ですよ、完璧。
でもRingtoneはかんべんな。

まあ、僕の場合携帯マルチメディアプレーヤーはいらないので、あーだこーだ云っても買うことはないんですが。云うのが楽しいだけ。あーでも誰か買っていじらせてくれないかなあ。や、発売されたら店頭でいじればいいんですが。

2007年09月06日

雨は降ったり止んだり。

d070905.jpg

とりあえず、Gペンらしい線が引けるようになりたいなあと思った。


週末に軽井沢へ行ってました。一応勉強に。
結構涼しくて、避暑だ避暑だ、と喜んでいたら東京戻ったらやっぱり涼しかった。僕の避暑を返せ! と思ってたらまた暑くなってるし。何コレ?
暑くなったり、寒くなったりしながら冬になるんだなあ
みつ

そういえば軽井沢はなんと長野にありました。驚きです。
こうやって人は成長していくんだなあ


ニコニコ。
音声合成ソフトのVocaloidが結構凄い。
ついに合成音声も不気味の谷に入ったのか(適当なことを云ってます。)。
Vocaloidシリーズって結構色々あるのに、ニコニコには女性ボーカルのしかないのは値段が高いからかなあ。男性ボーカルのも聞いて見たいんだけど。

そういえばこの前某というお笑い芸人と君は似ているといった趣旨のことを言われたので、ニコニコで確認してみたら、目眩がするほど面白くなくてビックリした。なんだこれ。つまらないこと云っても喰ってけるなら別にいいのだと思いますが、十年後何をしているのかなと思うとちょっともの悲しい気分になります。さすがにお笑い芸人続けてはいられないだろうなあ。どんな仕事しているのかなあ、と。
似ているかに関しては正直自分ではよくわからなかった。似ていると云われれば似ている気はする。そうでないといわれれば、そうですかという感じ。


最近ようやく知ったのですが、受動喫煙防止条約というのに締約したそうです。あれ、言葉の使い方あってるのか? これ。まあいいや。
相も変わらず煙草の煙が苦手な僕にとっては非常にありがたいことです。A.C.2010以降にはあらゆる公共の場所で煙草の煙を吸わずにすむようになるというのはまあ、希望の溢れる話じゃあありませんか。
リンク先の解説を見てもアレだし、千代田区のアレもナンだったので、そこまで強い期待をしているわけでもないのですが、ちゃんとなるといいなあとは思います。
こういう風にタバコに関する規制が増えていくと、喫煙者の一部はカルト化していくんだろうなあとは思うけど、まあそれはそれで面白いのかもしれません。あ、カルト化というのもあまり穏当でもない表現ですが、喫煙者同士仲間意識が強くなると言うか、そんな感じになっていくんだろうなあ、という話。一部ね一部。

しかしゾーニングがキッチリしていくというのは僕のような嫌煙者にとっては勿論、喫煙者にとっても良いことだと思います。


米国でWikiscannerというのが開発され、Wikipediaのそれぞれの項目をどういった団体がどのように編集しているのか容易にわかるようになったようです。日本語版も先日公開され、企業やら官公庁やらが色々面白い編集をしているぞ! とかまあ、そういうことが暴き出されてて面白くあるし、Wikipediaがある一定の存在感を持っている以上、こういうツールが出てくるのはそれなりに良いことだと思います。もちろんこれから先はWikiscannerでばれないように気を遣って怪しい編集をする団体は増えるのでしょうが。
それはともかく、この前のニコニコでの自演や、Wikipediaでの自演的書き込みが暴かれているのをみたり、昔の掲示板での自作自演などを思い出すにつれ、基本的な構造は結構一緒だなあと思います。
一見匿名に見える(が全然匿名ではない)サービスが広く普及し、それなりに社会に定着して一定時間経った後で、この一見匿名に見える部分をはいでしまうと、色々面白いモノが見えるというプロセスが繰り返されているのではないかということです。
このパターンに適当な名前を、つけなくても良いんですが。個人的にはAmazonのレビューあたりで匿名性が曝かれると色々面白いモノが見えると思うのですが、まあ、ないと思いますが。
なんというか、ネットでなんかするとだいたい思っている以上に情報を出してしまっているということを知らないと、恥ずかしい思いをすることもあるんだなあ、という感慨であったりもします。