2007年09月14日

なんか適当に。

ドラゴンボールという漫画があります。ほとんど誰でも知っているような漫画なので、ありますもくそもないのですが。特に二十代ぐらいのリアルタイムで読んでいた世代には熱狂的なファンも多いようです。
まあ、そんなことはどうでもいいんですが。
ドラゴンボールを語る言説を見ると、よくキャラクターの強さがインフレーションをおこしているという切り口で語られる事が多いような気がします。また、そういったときはほぼ間違えなく、ネガティブなモノとして扱われます。あるいは冗談のネタとして。
ドラゴンボールは面白いでも強さがインフレーションしちゃってるのがね……とかまあ、そういう感じで。あるいはもうちょっと強い言い方だったりするのですが。そういう場合はたいがい異能力バトルものの漫画など比較対象として出てきて、そういった強さのインフレーションを起こす漫画に比べて、良い漫画として、あるいはドラゴンボールはこうするべきだった……みたいな語り方をされるわけですが。一部で。

いやでも、不思議なんですよ。
どう考えても強さ、戦闘力、あるいは物語のスケールのインフレーションそのものの問題というのがわからないんですよ。というか全然オッケーじゃん。インフレーション。いやほんと、何が駄目なんだかわからないんですが、その手のモノを読んでも、インフレは悪いモノという前提があって語られるので、何故悪いのかがわからない。
僕にはインフレーションは基本的には話を面白くするとしか思えないんですよ。考えても、インフレーションがもつ本質的な悪さというか、話をつまらなくする要素なんてものが分からない。
主人公のインフレーションなんかさせるだけさせて、これ以上はないと云うところまで行ったなら、止めればいいというそれだけじゃないでしょうか。勿論そういう意味では終わりどころを間違えると、完成度が下がるというのは分かります。ドラゴンボールはインフレーション漫画ではあったでしょうし、そういう意味では綺麗に終われるところで終わらなかったというのは分かるんですが、しかしそれは別にインフレーションが悪いわけではない。
むしろ、インフレーションを起こしていたところは面白いんですよ、圧倒的に。こんなに面白いのに、インフレーションが悪いわけ無い! と思ってしまうんですが、そう考えていない人も多いような気がします。

微妙に脇道にそれますが、絵で描けてサマになるスケールの大きさというのは、たいしたことが無くて、精々が惑星、恒星レベルぐらいだと思います。漫画だといい例が思いつかないんですが、アニメだとトップ2の5話6話あたりの感じ。それ以上の、例えば星系レベルになってしまうとどうやってもそのスケールを絵では表現できず、文字で説明するしか無くなります。当たり前ですが。ダイソン環でさえかなり辛いと思います。いや、いけるのかな。まあ、それぐらいが多分限界。
だからドラゴンボールでも惑星を壊せる敵であるフリーザを倒した時点で、絵的なインフレーションは限界を迎えてしまったんじゃないかと思います。なんというか絵的な派手さでフリーザを超える敵を漫画では出しようがないから、その後は失速したのかなーとか思います。勿論戦闘力的な意味ではインフレーションは起こっているんですが、それを絵で支持することが出来ないため説得力がないのかなと。そういう意味で終わりどころが悪いというのは分かります。ただ、むしろそういう所を超えてしまってもなお面白い話を作った鳥山明は凄いなあとも思います。

まあ、いいや、というわけでバトル漫画の強さのインフレーションというのにある、敗北→修行→パワーアップ→勝利という構造は圧倒的なカタルシスがあるし、娯楽漫画として褒められこそすれ貶されるところではない。王道というかワンパターン的と捉えるのも分からないでもないけど、それは面白いから何回も使われるのであって、問題があるとすればその構造ではなくどう表現するかでしょう。インフレーションを悪いというのは面白いということを馬鹿にしているんじゃないかと思います。とくに上でもちょっと書いたことですが、インフレーションは悪、だからインフレーションを起こさないバトル漫画は素晴らしい。インフレーションを起こしにくい異能力バトルものの漫画は素晴らしい。という前提が間違っている論法を駆使したりしているのでもう、僕はアレですよ。ぐったりですよ。
異能力バトル > インフレバトル漫画。
という不等式? いやでもドラゴンボールのほうが面白いじゃん! どれと比べてとは云いませんが。
確かに異能力バトルもの走りである(と言われる)甲賀忍法帳なんか凄い面白いんですが、それは個々の作品の問題というか、まあ、異能力バトルものでおもしろモノもあれば、インフレバトル漫画で面白いモノもあるよね。好みの問題だよね。というだけで、それ以上でも以下でもない。少なくとも異能力バトルものを描いている人だってインフレーションを押さえるために異能力を使っているわけではないと思います。もしそうだったらそんな下らないことするなよ! という感じですが。
まあ、はい。

構造的な問題で云えば、異能力バトルは一貫性のある設定が作りづらい、というよっぽどな問題があると思うんですけどね。それも好みの問題ですが。まあ、なんというか僕は個々の作品で面白いと思うのはあるけど、異能力バトルものは大きなくくりでは好きではなかったりします。あ、どうでもいいですか。そうですか。

閑話休題?
印象としてはドラゴンボールが後半失速気味になった理由をインフレーションに押しつけているのかなと云う気がします。僕としてはドラゴンボールの面白さはインフレーションに大きく拠っていると思うので、そういう言説は非常に倒錯しているように感じられて、なんだかなと。
ただなによりヤなのはインフレーション=悪 → インフレを抑えた異能力バトルものは素晴らしい! みたいなのです。自分の好み、ひいてはそれを好きな自分を上に置きたいからと行って変な論理でインフレバトル漫画を貶すなという話です。

変な能力でちまちま戦っている異能力バトルものよりインフレバトル漫画の方がよっぽど面白いつーの!!
僕にとっては。
という非常に相対的なお話。

ということをグレンラガンをみながら思いました。
なんか云われそうな気もしますが、云いたいことがある人はその気持ちをそっと心の中で暖めると、来年にでも富良野あたりで綺麗な花が咲くかも知れません。