2009年06月22日

徒歩暴走族

徒歩暴走族は自分たちの足を使って走る。
雪国の冬は長く厳しい。真冬ともなれば、道路は全て雪や氷で覆われ、晴れの日の昼間でもアスファルトが露出することはない。二輪で走れる安全な道はないのだ。そのため雪国では宅配ピザもバイクではなく、軽自動車を使う。卓越した運転技術を持つ配達マンであっても雪道での運転は危険だからだ。
通常暴走族は、おそらく壊れかけであるためにエンジン音が非常にうるさいバイクで低速で町中を走り回る。低速であるのは、壊れかけだからだろう。彼らは古いバイクを修理して使い続けるエコなバイク好きであると言える。あるいはお金がないだけなのかも知れない。
また虚栄心と破滅志向が強く、周りの人間にこの古いバイクに乗っているのが自分であるということが分かるよう、ヘルメットをかぶらずバイクに乗ることが大事だと考える。ヘルメットも何も付けずに原動機付きの二輪であるバイクに乗ることは少なからず危険を伴うが、それは破滅志向ではなく単に思い至るほどの知能はないのかもしれない。僕は彼らが人間であることを確認していない。
しかしそんな暴走族も雪道でバイクを走らせることはない。扁桃体が活動するのだろうか? しかしそれでは虚栄心が満足できない彼らは、徒歩で街を走り回るという道を選んだ。コペルニクス的転回である。どうやら破滅志向はそれほど高くはないようだ。
勿論、脚でとはいえ雪道を走るのはそれほど楽ではない。新雪を漕ぐのは体力を消耗するし、時に雪溜まりに足を取られることもある。一度溶けて固まった雪の摩擦係数は低く、容易に転倒しうる。溶けかけの雪などは最悪と云っても良い。
しかし徒歩暴走族は走る。大声でエンジンの音をのどでマネ押しながら走る。ボイスパーカッションのプロも真っ青なほどの物まねだ。周りから見ると雪のちらつく曇天の下で怪音を発しつつ、時に倒けつ転びつしながら道路を駆け回る彼らは、子どものようというよりは、気の触れた人間に見えてしまうが、おそらく彼らの頭の中では真っ青な空のしたをイカしたバイクで走り回っているのだろう。
秋頃にもなると、大声でエンジン音のマネをする暴走族たちを河原で見かけるようになる。冬に向けて練習をしているのだろう。雪国の風物詩である。彼らも意外なところで努力家だ。何にせよ気の滅入る光景ではある。
しかし近年徒歩暴走族の生態に関する研究が急速に進みつつある。その中で、彼らがどんな雪道でも走り回るという性質を持つことから、彼らを社会の役に立てようという動きが出てき始めた。
雪国の除雪は重労働である。除雪車が道を大体除雪してくれるとはいえ、歩道など小さな道などは人力あるいは除雪機で除雪しなければならない。そんなとき街中を走り回る彼らを適切に誘導し、雪を除けさせる、あるいは踏み固めさせるのである。徒歩暴走族の研究は、音や光、映像を利用することで、ほぼ望み通りに場所に徒歩暴走族を走らせることを可能とした。奇声を発する徒歩暴走族が、街灯やスピーカーの出力に従って走り回る様は実に壮観である。
そんなわけで雪国の人たちは今、彼らを生きた除雪車として温かい目で見守っている。
まったくもってハサミは使いようである。