2008年06月19日

きこきこ

■「伝説巨神 イデオン 接触編/発動編」
たいらいさおの復活のイデオンが格好良すぎたので、実習先の飲み会の二次会のスナックのカラオケで歌ったら、その時代生で楽しんでいた方がいらっしゃって駄目な会話になってDVDを貸していただけることになるという、楽しげな話があった。気をつけろ! 奴らは何処にでも居るぞ! 例えば自分の部屋とかな。
しかし会話中にダメだよ、こんなの見たりしてちゃとか何回も言われた。
そんなこと言われましても。


イデオン

なんだこりゃー
こりゃー
りゃー
ゃー

……

接触編はテレビの総集編という話で、わりと要領よい導入になっていて某Zの一作目みたいになんだか訳分からん気分になることもあまりなくほー結構面白いなーと思っていたんですが、発動編はじまると物凄い勢いで話が飛んでいて、見たことのないヒロインが出てきて、主人公と喧嘩したと思ったら仲良くなって次の瞬間に死んだのでビックリした。
接触編と発動編の間にコスモ発情編(ゴクリ……)とか隠れているんじゃないかとDVDボックスを調べ直してしまった。
なかった。
まあどうも、打ち切りになったTVシリーズをちゃんと完結させるために、総集編作って、真の最終話をつくった、それがそれぞれ接触編と発動編と言うことらしく、物語としては起と結だけを見させられたという感じなので、僕がビックリするのも無理がないと言えましょう。

第六文明とかなんとかいっているけどイデオンのデザインをゴーした人は頭がおかしいと思うんですが、見ている内にだんだん格好良く見えて来るのは気のせいでしょうか。
気のせいでした。
ストーリーは起結しか見ていないので何とも言えません。多分最終話をちゃんと楽しむためにはTVシリーズをちゃんと全部見る必要があるんだと思います。トラウマアニメと言われるのは理解できる、が、それを実感するためには映画の尺では短いんでしょう。

しかし、特に女性がどんどん頭がパーン!! してくんですが、あれは監督の好みでしょうか。まあ、なんでもいいです。それなりに重要なポジションのキャラが前振りなしでアッサリ死ぬと割とビックリしますね。連続したので後の方はそうでもなかったけど。

結構楽しかった。
ただ、個人的にはイデの設定はあまり好きにはなれません。ホントに好みの問題だけど、超越的な力が卑俗なモラルに左右されるというのはどうにも違和感がある。別に良い悪いの問題じゃないけど。それが第六文明人なんだよ、と言われれば返す言葉もございません。

ラストは……まあ……どうでもいいや。


理解できない事物を原因と位置づけることで、何故か理解できた気分になると言う不思議。
というか罠。
というとお前は何か理解していることがあるのか、と聞かれそうな気がします。うーん。
理解できないことを理解できています! 
とか。
ダメですか。
そうですか。
そうですね。


人が楽しく自己嫌悪に浸っているときに話しかけられるとマジで困る。
こう、堂々巡りの思考で不毛な事に糖分を消耗しているというのに、いきなり返事を返すことなど出来ますか。
出来ますが。

一人で黙々と出来ることだからと言って、仕事中にそういう脳暇つぶしはよろしくないですね。そんなことをしているときに限ってミスしません。なんですかね。急いでないからかな。


まあ、なんか働いてます。
まだまだ現場実習で、一日約八時間立ちっぱなしで働く生活がもう四週間以上続いています。なんだかんだで結構疲れるので、もしかしたらそろそろイケメンになっているのではないかと毎日鏡をチェックするのですが、特に変わる様子もありません。
不思議です。


最初は露骨に溜息をつかれたり空気読んでよみたいなことを言われたりする度に気にしていたけど、単にそういう人だと分かってからは、そういうものかと思うようになった。特に意図を込めているのではなく、本当にそう思ったから言っただけということがわかったので。


工場は標語が多い。


コンサルの人と現場の何とも言えない空気が素敵です。コンサルの危ない流儀を読んだせいかもしれないけれども。
事前と事後でどれだけ効率化できたのかを数値で出せないのかしら。


パーツがバーン!!!


実習生が出来るミスは一通りこなした気がする。


もうすぐおわり。


中高大と僕も大概チャックの開けっ放しが多い人間ではありましたが、十年前の僕は社会人になってもチャックを閉め忘れるどころか、半開きだよと指摘されて全開にしてしまうような人間になるとは想像しても居なかったでしょう。
哀れなことです。

しかし社会の窓とは言った物ですが、字面を考えるなら、社会の窓、社会への窓が開いているというのは社会ときちんと関わっている人間であるということを暗喩するのではないでしょうか。逆に考えると、社会の窓が閉まっているというのは、社会に対して閉鎖的な人間であると言うことを意味するのではないかと。
そこで僕は胸を張っていいましょう。

僕の社会の窓はよく開いてます。