2005年03月15日

無駄なことが書きたい。

 気がついたらまたXREAのレンタルサーバーの容量上限が増えていました。最初は50Mと認識していたのですが、つぎ見てみたら300M、そして500M。ついには1Gになっていました。ギガメールなどもよく聞くようになりましたし、これも時代の流れなのでしょうか。
 ただほかのサービスと違って全然宣伝していないので、いつもなんとなく調べてみるまで気がつきません。せっかくなのだからもっと宣伝すればいいと思うのですが。

 そもそもXREAは無料ウェブスペースはだいたい新規募集していないし、有料サービスにいたってはお金を払う方法が以上に分かりにくいという、なにがしたいのかよくわからないサービスです。いや、もしかしたら支払方法を調べられないような人間はうちのサービスは使わせんでっせ、という職人気質の人たちが運営しているという可能性も否定できません。
 とはいってもXREAが何を思って運営しているのかなど僕には関係ないわけで、あまり気にはなりません。それより、僕がサーバースペースを使う以上のスピードで容量が増えていくので、不思議なフラストレーションを感じてしまうのです。いくら使っても使っても使い切れない。走っても走ってもゴールは自動車に乗って時速60km、法廷速度を遵守して僕から遠ざかっていく、そんな虚しさが僕の胸を通り過ぎます。
 たしかに動画等を適当に作ってアップすれば1Gでもいとも簡単に覆いつくすことができるでしょう。しかし、僕にはそのようなことはできません。僕は目的のために、自分の信条を曲げるようなことはしないのです。たとえレンタルスペースを埋め尽くすという目的のためとはいえ、無意味な情報をこの広大なネット空間に撒き散らすという害悪を進んでやることなどできないのです。なにか、意味のある情報でなければ、1Gを埋めたところで、前以上の寂寥感に襲われるだけでしょう。僕は僕の心を裏切りません。
 だからとりあえず、無駄なことをいっぱい書いてみようかと思うのです。千里の道も一歩から、と先人たちは言いました。僕もそう思います。たとえ、1G、二バイト文字で約5億万文字の容量とはいえ、毎日毎日少しずつでも文章をかき続けていけば、いつか必ず1Gは埋まるはずです。そう、これは単純な算数の問題です。一日五千字ずつ書き続けていればたったの10万日で終わるのです。え、10万日! と驚く矮小な世界観を持つ卑俗な人間もこのサイトを見ている人の中にもいるかもしれません。残念なことです。もしかしたら、ゆとり教育の弊害でしょうか。
 10万日を365日で割ってみましょう。がっかりしないでください、筆算できないかわいそうな貴方にも電卓という強い味方がいますよ。 
 まず1を一回、次に0を五回押します。そして÷記号を押してから、3,6,5を順番に押して、それから=を押します。はい、簡単ですねー。
 そうそう、よくできましたー。そう、答えはたったの約274年です。え、274年と驚く人もいるかもしれません。かわいそうな人です。でも嘆くことはありません。落ち込む必要はありません、貴方が悪いんじゃない。社会が、この社会が全て悪いのです。
 274年は確かに一人の人間の尺度から見れば長いといえなくもありません。残念ながら現在の医療技術では一人の人間が二百年以上生きるというのは、先ず不可能といっても差支えがないでしょう。しかし、それだけのことで不可能といっていいのでしょうか。僕にはそれは、あまりに個人主義的過ぎると感じられるのです。
 人間とはたとえ独立したひとつの存在と思えたとしても、その中には連綿と続く人類種の、そして僕らをはぐくんだこの社会の歴史がぎっしりと詰まった、フォアグラのようなものです。たとえそれは脂肪肝に見えたとしても、変な物好きのお金持ちのようにお金をどぶに捨てたくて仕方ない人たちにとっては、十二分、いや十三分に価値があるものなのです。
 そう、僕たちは一人じゃないのです。いま暗い部屋の中で、あまりにもすることがないあまりに、このサイトを見て、限られた人生の大切な時間の一部を、路側帯のどぶの中に深く埋め込んでしまっているかわいそうな人、引きこもり予備兵力のあなたも、消して一人ではありません。
 雑然とした部屋の中、ゲームコントローラーを片手にFFをやりながらもう、独りじゃないという妄言を吐いている悲惨な人たちも、決して独りではないのです。
 人間は文化遺産を次の世代に渡すことで、他の動物とは比較にならないほど効率よく発展してきた生物です。ついでなので負債も次の世代に渡すことで、消化してもらう、つまり果たせなかった夢を時代に渡すことで、子孫に実現してもらうというそんな手段も、別にいいんじゃないかなあと無責任に思わなくもない自分がいることを否定できません。
 つまり子孫にも毎日毎日文章を五千字書かせればいいじゃないかと、無駄な文章を省いていってしまうとそういうことです。子孫全てにちゃんと毎日毎日書く事を共用すれば、きっと末代までには1G全部埋めることができるのではないか、そんなばら色の夢を僕はいま見ています。
 1G全てが文章でうまったウェブスペース。なんと夢のような個人サイトでしょうか。断言してもいいですが、世界、いやウェブ広しとはいえ、1G全てが文章でうまった個人サイトというのは先ず間違えなく、存在しないでしょう。そして、今後も存在することはないでしょう。そう、僕の子孫が完成させるまでは。
 え、お前で末代だろうって。はっはっは。
 もし僕の夢が達成すれば、きっとギネスにも認定されるのじゃないでしょう。そして、そのような快挙を成し遂げるような偉人が、他に存在するとは思えません。僕の名前はギネスの続く限り、この世界の一部に知られ続けることだと思います。
 歴史に名を残すというのは、多くの人が夢見ることで、そして当たり前ですが容易に達成できるようなことではありません。ゴットハンドのように醜態をさらして、ある意味歴史に名を残してしまうこともあります。それもまたいいやり方なのかもしれません。
 でも歴史の片隅の片隅ですが、このような方法で名を残すのもありなのではないかと思います。誰かやってみませんか? いまならお金を払わなくてもこのアイデアを譲りますよ。いや、僕のような壮大なビジョンを共有できるような人はいないかもしれませんから、これは無駄な呼びかけかもしれません。きっと時代を先取りしすぎているのでしょう。まあ仕方がないことだとは思います。天才は! いつの世も理解されないものなのです。天動説を、ではなく地動説を唱えたガリレオを教会はどう扱いましたか。ピカソの絵をみて、人々はなんと言いますか。「俺にもかけそう」
 いつも凡夫は天才を認めず、出たくいを木槌で叩くようにこんこんやりながら階段で足が引っかからないように気をつけています。僕も、そのように気の配ることのできる繊細な人間になりたいと思います。だいたい天才というのはろくでもないものです。天で才ですよ。天が与えた才能。おいおい、じゃあ天才以外の才のは天がくれたのではないのですか。誰がくれたんでしょう。あ、親ですね。つまり天才の種は天上にまします存在のなにかでしょうか。つまり天才総処女懐胎説。恐るべき神。人類の発展にはすべて神が深くかかわっていたのです。
 いや、いまネット上で使われる「神」の用例を見れば、いまや人類社会に神がかかわっているというのは全く珍しいことではないことが分かります。むしろ神は天にましますことをやめ、よっこらせっと下界へと降りてきているのだと思われます。例えば掲示板にエロ画像をさらせば、神キタ━━━━(゚∀
 
 不適切な発言があったことを謝罪します。
 さて、貴方の時間はこの文章を読んで十分に浪費されたでしょうか。もし浪費されたというかたがいらっしゃったら、僕はとても喜ばしく思います。ただ、忘れないでください。貴方が浪費した時間以上に、僕はこの文章を書く事で貴重な時間を浪費しているのです。貴方だけがつらいのではないのです。僕は、もっとつらいのです。でもみんなが時間を浪費する姿がみたくて、ただその一念で僕は頑張っているのです。だから、貴方が時間を無駄にしたと思ったとき、いつもそれ以上の時間を無駄にしている僕がいることを、ぜひ覚えていてください。
 もし、皆さんに覚えていただけるのなら、これからも僕は皆さんが時間を浪費できるよう、頑張っていきたいと思います。あなたの時間浪費の友、巽でした。
 おやすみなさい。