2006年02月06日

さて、馬鹿臭いと言ったすぐ後ですが、萌えについて熱く妄想を語ってみようと思います。僕は、そういう! 馬鹿馬鹿しいことが! 大好き! です!

 今更アレなんですが、萌えってよくわからなかったんですよ。ネットとかのオタク界隈では萌えが使われるようになってずいぶんたつし、僕が萌えという言葉をしってずいぶん経つんですが、ずっと実感として理解できませんでした。いや、エロゲ歴が十年に至らんとしているオタクが何を言うかとか誰かから言われそうですが、じゃあ萌えは性欲かと言えばそれだけじゃ無いという。かわいいと言う感情にキャラを慈しむ気持ちが云々で、萌えがわかれば立派なオタクだとかなんだとか。
 そうかじゃあ僕はオタクじゃないんだとエロゲとかラノベとかを否定してみるのも、それはそれで、おいお前そんなこと言うけどこれまでお前はそういう物を好きだと言っていたじゃないかと、そういわれると実に全くその通りで恥ずかしい、と言うことに恥ずかしい言動を繰り返してから気がついたわけで。
よしそれならキッチリ、萌えを理解して一人前のオタクになってやろうじゃないの、と思ったかどうかはよく憶えてないけど、多分そんなことをちょっとは思って、月姫とかマリ見てとかネギまとかそういった流行物に手を出してそれなりにしっかりはまったのですが、んー何というか、萌えがわかったかと言えば、わかったようなわからないような。
 例えばキャラクターを可愛いと思うことは普通にあるわけですが、そういうことを萌えというのかというと、萌え萌えしている人との温度差を在る程度感じてしまうわけで、じゃあキャラで抜けばいいのかというと、キャラクターを汚しているという。萌えの定義も人によって色々変わってくるし、それ自体議論の対象になるのに、萌えの存在自体は当然の物として受け入れられているわけです。
 上の世代が萌えがわからんというのも当然です。まさに萌えオタ全盛世代の僕にもよく理解できたいない訳ですし。
 で、わかったようなわからないような、何ともいえないのがずっと続いていたのですが、なんかこの前唐突にすっきりしました。
 結局萌えって単に創作物のキャラクター(主に異性の)に対する好意的な感情、それは単に可愛いとかだったり、あるいは性欲、本気の恋愛感情とかも在るんでしょうが、それらをひとくくりにして萌えと呼んでいるだけのいい加減な言葉なんですよ。実体があるかと言われれば、全く存在しない。なぜそのキャラクターに対して抱いた好意的な感情を説明することを放棄して、なんとなくわかった気分にさせるための便利タームだから広まったんじゃないかと思います。
なぜそのキャラクターがいいか? 萌えるから。
何となくわかった気分になるけど何の説明もしていない、思考停止に近いけど便利はいい。とはいえ結局その後なぜ萌えるか、という話になったりもするんですが、萌えるというオタクの世界に限定された言葉を使った時点である程度話題の領域が狭くなるから、やはり便利は便利なんでしょう。ツンデレが、とかメイドが、とか絶対領域が、とかまあ、何でもいいですけどね。
厳密な定義もあり得ない、いい加減だからこそ、許容量も大きいし、広く使われる。ついでに厳密な定義を決めるための終わりのない議論でいくらでも時間がつぶせるなど便利づくしもいいところです。
そう考えれば僕はいろいろな物に萌えてきたと言えるわけです。パラケルススのフランカとか、タツモリ家のバルシシアとか、腐り姫の蔵女とか、ゆりえとか、なるたるとか。うん、これで僕もこうして立派なオタクとして胸を張って秋葉原の歩行者天国でライン上を馬鹿歩きできるってもんです。
 しかしそもそも実体はないとはいっても萌え、と言われればある種の作品群が頭に浮かぶように、今現在では萌え系という一つの確固たるジャンルがあり、それがオタクの代表のように語られている現状を考えると、結果的に実体が出来てしまっているわけです。
 それはなぜかと妄想すると、萌えと言う言葉が汎用的で便利に使え、しかもそれをつかうことでオタクしての主張がしやすいために、多用され、結果的に作品の中のキャラクター要素が特に取り上げて楽しまれ、次にそういった物を楽しむ層のためにキャラクター偏重の作品が提供され、というサイクルが回ったせいじゃないかと。実際売れるみたいですしね、キャラクター偏重作品。そしてサイクルが高速で回るに従って萌え系の様式がキッチリと決まり、それにはずれた作品が売れなくなり、さらに様式が厳密になり、その結果が萌え系たんですよ。僕の妄想によると。
 実際いまの萌え系の先端ってかなり奇形化していると思います。妹萌えとか、姉萌えとかツンデレもそうだけど、そういった視点でキャラクターを見る時点で最早キャラクター自体が好きと言うより、萌え系の様式美としてどうかというそういう状態に陥っているような気がしますが。キャラクターも画一的だし、キャラクター同士の関係も画一的だし、状況も画一的だし。ってまあそこまで様式的な作品が爆発的なヒットを起こすことはないわけで、一世を風靡するのはある程度そこからはずれた作品なんでしょうけど。そうはいってもそういった様式的な作品が一定の人気を博し、萌え系を確立させているのはあるわけです。明らかにどん詰まりなんですが、作品だけは供給され続けているのは凄いですよね。電撃とか三十万部ぐらい売れているみたいだし、そりゃ供給側は作るよなあ。あ、そうだ。あと萌え系が売れるのって参入障壁が低いのもあるよなあ。アニメなんか特にそうなんだろうけど、漫画とかライトノベルもそうだろうし、情報なんかネットにあふれているし、萌え系は体系立っている上に単純だし理解しやすい。面倒な原点とか在るわけでもないし。せいぜいエヴァの何とかがとか葉っぱが鍵がとかとがとかセーラームーンがとか言えばいいだろうし。語れることの量を情報収集に必要な時間で割った指数を考えると、それが異様に高い。内容もないけど。結局みんな語りたがるというか、物はポテンシャルの低いところにおちるように、心が易い方向に流れるのは物理的といえます。
 あと話が微妙にずれますが、萌えとは切っても切れない属性の話。ああいうのがあるのは、結局作品が多すぎてふれるキャラクターも多いために、何らかのキャラクターの分類分け(属性分け)をして好き嫌いを決めないと、いちいち一つの作品を深く楽しんで好きなキャラクターを考えるのがめんどくさいのかもしれませんね。そんなところで楽をするならふれる作品を減らすとか、そもそもオタクなんか止めればいいんですが、そうすると周りの人間やネットでの話題に乗り遅れるから、ある程度話題になっている作品には触れて……とかなるんだろうなあ。ネットで話題になる漫画のシーンなんて異様に画一的なんですよね。いくつかパターンがあってそれに当てはまると、騒ぐ、みたいなかんじ。全部とは言わないけど、ほとんど。一般向けの作品で、女の子がエロいアプローチをすると、話題になるとか。何とか単行本が秋葉原から消えた! とかだいたいそんなパターンの作品のような気がする。いいけどね。でも萌えー萌えー言っても半年後憶えてなさそう。
 作品の回転が早い中で、キャラクターを処理していくために便利な道具、というかフィルターが属性とかなのかなと。そうじゃなきゃあのキャラはツンデレだからいいとか、お嬢様キャラだからとかそういった発言はでないよなあ。なんだかな。
あーずれたずれた。
適当にまとめ。つーわけで萌えはなんとなくみんな使っているうちに、結果的に実体を持ち、よくわからない方向に進化しているよね、と。キャラクター的な部分が強調されて、他の要素があまり注目を浴びないと言うのは、気持ち悪いというかそれはオタクなのかというか。とりあえずエヴァのせいにしておく。エヴァが不毛な深読みをさせオタクをうんざりさせた上に、キャラクター要素が高かったために、キャラクター的な流れが強まったとか。
 萌えをしてオタクと言われてももにょってしまうんですが、それがメインストリームの一つであることは確かであり、それらのなかに自分の好きな作品もあるので複雑な気分。

とまあ書き散らしたけど眠い頭で適当に印象だけで嫌オタク流ののりで書いただけなので、内容は適当です。面倒なので読み返してもいないんで、誤字脱字も多そう。