2006年09月30日

正午

ですね。


「火星人の方法」アイザック・アシモフ
言わずと知れたアシモフの初期の充実した時期に書かれた短編集です。同時期に書かれたものとしては、「鋼鉄都市」「はだかの太陽」「永遠の終わり」と誰でも知っているような作品が並んでいる、そういった時期です。アシモフは多分一番冊数を読んでいるSF作家で、突き抜けたような所はないけれど、堅実でかつビジョンのあるSFの代名詞のような作品を書き、どれも安定して面白いので大体安心して読むことが出来ます。
因みに個人的な位置づけで対極にあるのがディック。両者多作だけど、ディックは突き抜けてるわ、凄い作品の直後に意味不明な作品があったり、全く安心して読めない。それはそれでまたいいんですが。
そんなわけでアシモフの短篇集なんですが、どれも水準は高く面白いのですが、いかんせん古さがネックになってしまっている部分もある。古さが逆転して面白さになるところまではいっていない感じはします。


「火星人の方法」
開拓途上にある火星は地球の資源に多くを頼っていた。しかし地球で台頭しつつある<反浪費者>たちの政治活動のために、火星は地球からの水資源の供給を絶たれてしまう。火星を捨て、地球に戻るしか道はないように思われたが、火星の人たちは「火星人の方法」で問題の解決に当たることになる。

表題作。火星と地球の確執、資源問題など、比較的最近の火星を扱ったSFでは典型的なテーマの短篇です。ただ書かれたのが50年代と言うことを考えると、むしろ走りと言った方がいいのかも知れません。多段ロケットの切り離したものをどうするかとか、作中では資源問題として扱われているけど、今ならデブリ関連の扱いになるんでしょうね。
宇宙開発に伴う地球からの資源の流出という視点は見たことがなかったので面白いなあと思いました。だいたい逆の扱いの方が多いですし。


「若い種族」
二人の少年が田舎で見つけた奇妙な小動物は、実は宇宙人だった。

これもまあ(今となっては)割とありがちな雰囲気の作品。話も特に面白いこともなく終わるなあと思ったら、最後にちょっとどんでん返しがありました。


「精神接触」
恒星が死んだ星系に、熱エネルギーを求めて惑星の地下に居住区を移した種族がいる。しかし時間が経ち惑星の核すらも徐々に熱を失いつつあり、種族は緩慢な絶滅の危機にあった。そこで彼らは生き残りをかけて、他の惑星への移住を試みる。

恒星とか熱エネルギーとかは割とどうでも良く、異種族の文化ギャップの話です。テレパシーを当たり前のように持つ種族にとって、地球人はいったいどういう風に見えるか、ということがテーマだと思いました。ちょっと「神々自身」に近い雰囲気を感じます。

話はずれますが、ある程度昔のSFだと精神接触とか念力と言ったものがハードSFでも普通に出てきます。一方で今のものを見てみると、ある程度かっちりしたSFでそういったものがまじめに取り上げられることはないように見受けられます。
元々はSFの範疇だった精神の力、といった類のものはいつしか真面目に扱うにはうさんくさいものである「超能力」として切り離されてオカルトに吸収されていったのでしょう。脳神経科学の発達とか、あるいはもっと社会的な問題かも知れませんが、人間の精神が特異なものではない、(ある程度既知の)物理法則の範疇内で語りうるはずだという事になり、進化した人間は今はまだ未知の精神の力を持ちうるのではないかという考え方が廃れてしまったのではないでしょうか。
検証していないのでわかりませんが、その辺はサイバーパンクとかが一つの転換点なのかなあと思うんですがどうでしょう。人間と機械を等価に扱う、その境界を限りなく曖昧にする。あるいは人間の精神を”スキャン”して計算機上でシミュレートする。そういった考え方、アイデアは、精神を優位とする中では生まれないアイデアではないでしょうか。
そういえばクラークの宇宙の旅シリーズですが、「2001年宇宙の旅」でスターチャイルドになったボーマンですが、シリーズが進むにつれいつの間にかモノリス上で実行されているシミュレーションになってましたね。個人的にはそれがシリーズのスケールの矮小化の一つの表れのようで嫌だったのですが、SFというジャンルの流れの中ではある程度必然的だったのかもしれません。


「まぬけの餌」
人口爆発により既知の惑星が手狭になってしまった頃、地球にそっくりな居住可能と思われる惑星ジュニアが発見された。しかしそこは以前既に植民されたことがある星であり、しかもその人たちは星に住み始めて一年ほどで、謎の理由で全滅してしまっていることがわかった。新たな植民の前に、科学者たちが理由を探るために派遣された。その中には特別な理由のために完璧な記憶を持っている少年も同行していた。

アシモフ一流のSFミステリです。一見地球にそっくりに見える、理想的な惑星。大気は呼吸可能だし、植物動物は食べることが出来る。人間に致命的な病原菌がいるわけでもない。植民惑星として完全に見える星は、しかし昔移住してきた人間を絶滅させている、何故? とくる訳です。様々な分野の科学者が集まり、それぞれの専門に応じてその原因を探るがわからない。しかし、無数の分野の知識を持つ少年は……とくるわけですよ。
謎があり、探偵役がいる。読者の目をそらすものもあり、煙に巻かれてるが、最後まで読めばなるほど! となる。いやまあ、読んでいる最中にわかる人はまずいないだろうという点でミステリ好きには好ましくない作品かも知れませんが、ちゃんと解く鍵は途中に出ているし、”フェア”なミステリだと思います。

もう一点いかにもアシモフだと思わされたことがあります。アシモフは数多くの科学解説本を書いているポピュラーサイエンス作家としても有名であり、自身医学者でありながら科学の様々な分野に造詣の深いジェネラリストでした。作中では専門家がたくさん出てきます。天体物理学者、医学者、地質学者、生物学者、等々。それぞれその分野では最高の人材ではあるものの、他の分野についての専門知識は全くないスペシャリストたちです。彼らは科学が深化するに従って、専門が細かく分化していく現代の科学の状況の象徴的な存在になっています。人間の知能も寿命も有限である以上それはある程度仕方がないのですが、それだけではうまくくはない。作中でも専門家がいくら集まっても惑星が人間を殺す原因を知ることは絶対に出来ません。
それはジェネラリストとしての性質を持つ少年が存在することで初めて解くことが可能でした。この少年は特殊な才能を持ち、特殊な教育を施されることで、一度見たものをその意味を理解することなく完璧に覚え、その能力を使ってありとあらゆる事に関する知識をため込む。そして人間に固有の連想能力を使うことで、隔たった分野の知識をつなげ、新たな知識を生み出すために育てられた、現実に考えてみればあり得ないのですが、ある種抽象的なジェネラリストです。そのジェネラリストの少年がスペシャリストたちと協力することで、初めて困難な謎が解かれることになります。
こういった構図はおそらくアシモフの問題意識のものだったのではないでしょうか。一つの専門を突き詰める人間、そして一歩身を引いて科学全体を概観する人間、その両者がいてはじめて科学は発展することが出来るという信念なのだと思います。アシモフはジェネラリストである自分に満足していたようですが、一方で専門家が不可欠であることも勿論強く認識していたはずです。しかし現状の専門家はたっぷりいるが、ジェネラリストは不足しているという認識と、自身の誇りがこの作品をこういった主張にしているのだと思います。
最近では学際というものが良く取り上げられています。取り上げられるということは今も変わらずジェネラリストは足りないのでしょう。うちの大学でもつくられている学際組織は、学生の受けはあまりよろしくないようですが、上手く設立目的を達成して欲しいと思います。


異能力というと「ジョジョ」の真似、といった主張をネットにしろ実際にしろ聞いたり見たりすると、個人的にはどうかと思ったりする。まあ、今の世代に広げたのはジョジョかも知れないので、「ジョジョ」で初めて異能力を見た人にとってはそう思うのは仕方がないのかも知れない。
それにしたってウン十年も前に一世を風靡した忍法帳シリーズで山田風太郎が人口に膾炙してしまっているわけだし、菊池秀行といったフォロワーもそれなりにいる。僕の知らない作品だってたくさんあるだろう。漫画で言ったってX-メンなんか七十年代には少なくともあるわけだし、読んだことはないけど忍法ものも結構あると聞く。異能力=ジョジョというのでは余りにも視野が狭すぎる。
ジョジョに特異なのはあの幽霊みたいなスタンドを出すことで異能力が発揮されることであり、異能力そのものではない。そう考えると、実際ジョジョ後の異能力バトルものにしたって、ジョジョのフォロワーと言うよりは、連綿と続く異能力というジャンルの一つとして考えるが自然ではないか。勿論必ずしも影響がないとは言わないけど。
ジョジョは個性的すぎる絵や台詞や演出により、オリジナリティが過度に印象づけられてしまっていると思う。そのために、必ずしもジョジョオリジナルでないものも、オリジナルと認識されてしまっているのかなあ、とふと考えた。
凄い作品だけど、持ち上げすぎるのもね。みんながみんな好きな訳じゃあない。


ネットをぼーっと見ていて、嫌煙家に対する不快感、みたいのが結構語られていた。というか論争になっていた。中身はどうでもいい感じですが。
僕はまあ、自他共に認める嫌煙家なわけですが、確かに、キライキライ言い続けているのを端から見るのは気分悪いものなので、その気持ちもわかるっちゃわかります。
それは嫌煙に限らないことですが。

僕も嫌煙日記に関して割と近しい人に散々嫌みを言われてガックリきたので、とりあえずネットにしろ面と向かってにしろ表に出すのは、基本的には止めようと思い何も言わないことにしています。まあ、僕の書き方もたいがいだったし、一方で大分慣れたというのもありますが。

なんというか、不快であることを相手に言う、といううことが褒められる行為ではない事につけ込んで、「拒否されなかった」からタバコを吸う類の人が、あまり好きにはなれない(控えめな表現)。ようは吸っていいかきくぐらいならそもそも吸おうとするなよ、と言う話です。
そういった話はタバコに限らないことですが、端的なのがタバコ、というのと僕がタバコの煙が苦手というのと。

そんなことを言えばお前はどうなの? という話になり、うーんと唸ってしまうんですが、たまにはいいかなと。

もちろん吸っていいか聞かないで吸う奴は(以下自粛)