2007年07月11日

まとめて

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多分誰もわかってくれないと思うので一応書くと、帽子を外した真紅です。背景の色を適当にグダグダ塗ってからあー、赤っぽいし真紅でも描くかあと言うかんじ。相変わらず愛のない二次創作絵。


本の感想とかをまとめて。読んでから時間の経っているのもあるので、というか、読んでからの時間とは関係なくいい加減な内容が含まれているのでそのへん適当に。

■西村 博之「2chは何故潰れないのか」
タイトルの答えは最初の章で示されて、後はもっと大きなWEB2.0の話とか、ネットの話とかについての西村博之の考え方について書かれている。全般的に身も蓋もないというか、WEB2.0とかSecondLifeとか盛り上がっているように見える物に対して水をかけるような感じ。言っていることはもっともで、みんなが思っているうさんくさい感じをうまく言語化しているように思える。グーグルに検索に関する技術力はないと思うと言い切ってしまうというのはさすがというか、でも運営力って技術力ではないのかとも思わなくもないし、みんなが凄いと思っているのもそういったところではないかと思わなくもなくもない。あれ、なんだっけ。まあ納得できるところもそうかなあと思うところもあるけど、内容自体もおもしろいし、2chの管理人がこういう事を考えていると言う意味でもおもしろかった。こういう考え方をするから2chの管理人なんて出来るんでしょうが。でも一番おもしろかったのは最後の小飼弾との対談でした。この二人は何というか、すごいなあ。

所々で示されるデータとかも凄い興味深いのが多い。アクティブユーザ数で言うとSecondLifeよりFF11の方がよほど多いというのは、そうだろうなと思っていたけど、今の日本のネットのバックボーンの1/20がニコニコが占めているというのには目を剥いた。まじか。
そういえばYouTUBEに対するニコニコ動画はいいんだぞと言うのが感じられた。そうだよなあ。


■ロバート・L. パーク「わたしたちはなぜ科学にだまされるのか」
科学のように見せながらも、その実全く科学的でない物が、人を欺したり社会に大きな損害を与えたりする。この本ではそういったものをブゥードゥー・サイエンスと名付け、それはどう云ったモノか、何故生まれるのか、そして何故受け入れられてしまうのか等と言うことについて物理学者が分析したもの。所々多少専門的な話もあるが、基本的には分かりやすく楽しい読み物になっている。

作者はブードゥーサイエンスを
・「病的科学」……科学者が自分で自分を欺す科学
・「ジャンク科学」……司法関係者の科学の知識が浅いことにつけ込み、集団訴訟で企業を食い物にする「集団訴訟科学」
・「ニセ科学」……詐欺で金儲けを企む「詐欺科学」
の三つに分け具体例を豊富に挙げながら分析していく。ニセ科学というと、科学の皮をかぶった宗教や、「あるある」といったエセ健康科学などがパッと思いつくが、ここで取り扱うニセ科学はもっと広く、有人宇宙開発など、実質科学的な意義も経済的な意味もないのに見栄やロマンチシズムのために大きく金が無駄になっているものも俎上に上げられている。その辺はSF好きでありそういったロマンを持つ僕には辛くもあるが、いわれていることは正鵠を射ているように思う。たしかに人が行く必要はない。
それはそれとして。

ニセ科学を取り上げるとき、そもそも科学とは何かというのが大きな問題となる。この本では生物学者のE・O・ウィルソンの言葉から引用し「科学は、万物に関する知識を収集し、系統立て、検査や分析が可能な法則や理論に要約する、起立正しい大事業である」としている。そして科学をニセ科学から区別する条件として、
・実験を再現し、検証することが出来るか?
・それにより、以前より万物の予想が立つようになるか?
の二点を挙げている。この二点を満たすために、科学者は、自分の成果を全て公開し、誰でも追試できる様にし、また自分の考えよりも完璧な、あるいは信頼が置ける物があれば、自説を修正するなり放棄する。というルールを守らなければならないとする。
科学の本質的な部分は目的とそのプロセスであり、得られたここの結果や理論ではない。そのために科学は何かの事象に対して断言することが困難であるため、容易に断言してしまうニセ科学やらあるいは、宗教、占いといったものが人気を博すのかなと思う。
とはいえ多くの外乱にも関わらず、科学というプロセスは恐ろしく上手くいっている事は感動的だと思う。凄すぎる。

脱線しますが、この前大学祭で似顔絵を描いていたとき、妙齢の女性のお客さんがいらっしゃったんですよ。でまあ普通に描いたんですが、僕最後に顔の周りに適当に色を塗るんですよ、華やかしに。女性ではだいたいピンク色に。んでまあいつも通りそうしていたら、描かれていた人が「ピンク色のオーラ見えます?」とか言ってきたので目眩がした。その場から逃げ出したくなったんですが、まあ、なんというか、うん。あー見えますよ、と適当に流したんですが、いや、冗談だったと思いたい。何だったんだアレ。ピンク色好きなんですよって言われてもなあ。
まあ、何というか、テレビで江なんとかとか、細なんとかという奇妙な物体がよく放映されるというし、まあ、そんなものかなあ。個人的には冗談でも初対面の人間に言うのは気持ち悪いんで止めて欲しいんですが。

とまあ日本やばいとか言うのをネットで見るけど、アメリカもたいがい大変そう、とこの本を読んで思いました。何処も色々。

■ラメズ・ナム「超人類へ!」
タイトルを見るとなんやねん、という感じなんだけど、内容は遺伝子治療や抗老化とかサイバネティクスなどのわかりやすいサーベイになっている。というわけでもろ僕好みの主題なんで楽しく読めました。技術的な解説がメインなのですが、一方で一冊まとめて人間を対象とした技術に反対する勢力、バイオ保守主義者への反論ともなっている。例えばクローン人間は殆どの国で禁止されている。それは現状で通常のプロセスで生まれる子供にくらべて障害を持っていたり寿命が短かったりするからなのだが、そういった保守主義者(といっても西洋のだけど)はクローン技術をまとめてES細胞の研究などでさえ禁止しようとする。「神の領域」を犯すものだとか、そういう理由によっているのだが、この本ではそういった保守主義に対して徹底的に抗戦している。実際、こういった新しい医療によって、そのままだと死ぬはずだった人が生き残れば結局は社会はそれらの医療を受け入れることになるだろうし、長寿や抗老を実現する薬があれば、国が禁止しようが広まるだろう。かつて輸血に反対する人は多かったが、エホバの証人の事件に見られるように、今では輸血しない方が倫理に反する。有用な医療はどうやっても最終的には受け入れられるだろう。やるべき事はそれらの医療がブラックマーケット化しないように、安全で誰の手にも入るようにすることである。
という話。

「神の領域」とか「人間本来の」とかそういうマジックワードはおもしろいなあと思う。なんというか。そういうのって結局変わっていくんですが。

■上橋 菜穂子「精霊の守り人」
アニメの進みがあまりにかったるいんで、もういいよ! 原作読むよ! とか思ったら導入と設定だけ一緒であとは全然違う話だった。あ、いやアニメも終盤でまた原作に合流するのかも知れないけど。
和風のハイ・ファンタジーを読むことがあまりなかったのですが、思っていたよりずっと良かった。話も勿論いいんだけど、存在感のある世界設定とその描写が非常に魅力的。ファンタジーはこうでなくっちゃなあ。話がおもしろいのも大事だけど、別世界を感じられないならファンタジーである必要なんてない、というのは極端な話ですが。

■上橋 菜穂子「闇の守り人」
「精霊の守り人」がおもしろかったので、出たばっかの文庫版「闇の守り人」も読んでみた。これはいい! すごくいい。「精霊の守り人」も良かったけど、「闇の守り人」はずっとおもしろい。「精霊の守り人」はわりと単純なファンタジーであり、ニュンガ・ロ・イムのみを中心として話が回っていたのですが、「闇の守り人」ではファンタジー的な謎とともに、バルサの過去に存在する謎、現在進行している陰謀などが絡まり合い、それら全てが最後のクライマックスを盛り上げるという非常に質の高い物語になっている。
設定も良い、人物描写も良い、話も良い、と完璧じゃなかろうかと思う。

アニメの方は脱線していたのがようやく本筋に戻ってきた感じだが、既に小説とは全然違うことになっているので全くわからない。監督インタビューではジグロの死を扱うと言うことで、シリーズの複数の作品をあわせた形になるのかなあ。何にせよもうちょっとテンポ良く進んで欲しい。あとやっぱりOPのラルクの曲の台無し感はすごい。すでに嫌がらせレベル。本編の音楽作っている川井憲次がやってよ、と思ったのは僕だけではないはず。

■ロマン・ローラン「ジャン・クリストフ」
ケン・フォレットの「大聖堂」を読んで面白いよと言ったら、それならジャン・クリストフも面白いんじゃないのと薦められたので読んでみた。
面白い。
まあさすが長く残っているだけある面白さだなあ。と。文体は重くて読みづらいのでなかなか最初はのりづらいけど、のってくると切りのいいところまでつい読んでしまう。時間が……。
うーんなんだろう。読んでいるときは色々思ったけど、うん。中高生の時に読んでいたら、強く影響されただろうなあと思う。大河小説というか、偉人を書く小説というのはそういうものだと思うけど、何か自分にも、という気分にさせられてしまう。色々と。

名作も読むと面白いんだろうなあ、と思うんだけど、なかなか気力がいるので気後れしてしまう。この作品も同じ内容で半分ぐらいになるんじゃね!? とか思ってしまうし。やっぱりああいうのは根気と時間のあるうちに読まないと。とおもって古書店で魅せられたる魂を買おうかと思ったら四巻で六千円したのでやめた。借りて読めば良いんですけどね。

■岡田斗司夫「「世界征服」は可能か」
漫画やアニメや特撮の悪役を題材に世界征服について分析している本。それぞれの作品における世界征服の目的、そして悪役のタイプを分類し、世界征服をどうすればいいかというのをシミュレーション風読み物にしている。そして最後の章ではそこまでの分析をもとに、悪とは何かとか、支配とは何かと言った根本的な問題について問いかけている。
面白げなタイトルであり、実際読んでいても楽しいのですが(特に前半)、なかなか内容は踏み込んでいるように思われる。
一方で現在勧善懲悪的な物語を、読む人間が楽しめるような形で作るのの難しさというのが感じられる。実際世界征服の目的なんて、理詰めで考えて納得できるのなんて、自分が読んだ作品でもあんまり無いような気がする。そういった議論を超越した絶対悪、というのもまあ、好きですけどね。レンズマンのボスコーンとか魅力的だし。とはいえそういうのばかりで納得出来る物でもないし。
ああ、そういえばR.O.D The -TV-とかガンソードの敵方なんて言うのは結構納得できるかも。理想的な世界を実現するために完全に滅私の精神で頑張るというのは宗教的というかなんというか、理想主義的でモチベーションとしてはアリなのかなとおもう。気持ち悪さもダントツだけど。あとはーうーん。なかなか難しいもんですが。
そういえばR.O.Dの小説最終刊はいつになったら出るんだ。
まあいいや。
というわけで、結論を言うとバビル二世のヨミ様は偉いなあと言う本です。バビル二世は自重しろ。

■バートン マルキール「ウォール街のランダムウォーカー」
株、というか投資に関する本。臆病者のための株式投資入門をよんで存在は知っていたんですが、読むのだるそうと思っました。しかしこの前本屋でちょっと立ち読みしてみたらなかなか面白そうだったんで読んでみました。
株の価値に関するフォンダメンタル価値学派と砂上の楼閣学派というふたつの考え方を解説し、過去連綿と続くバブルの歴史の紹介。ファンダメンタルとテクニカルというふたつの株価分析の手法を取り上げ、パフォーマンスを評価。リスクについて、効率的市場仮説に対する反論への反論。行動ファイナンス。そして実際にどう投資するべきかという指針と中々盛りだくさんな内容。
テクニカルが役に立たないというのはいろんなところで見るので、まあそうなんだと思っていたんですが、一応相関があるという研究結果が出ているというのは吃驚。あっても手数料を超えられるほどではないそうですが。結局の所、短期的には色々あるにしても長期的に見れば市場は効率的であり、積極運用で市場平均を超えるというのは難しいと言う話のようです。バイアンドホールドが望ましい、と。また、投資の総リターンの9割は投資家の選択したアセットミックスによる、という事らしい。投資するにしてもあまり頭を使いたくない僕にとってはそういう結論は非常に嬉しい。山っ気は無いので。

そういえばバブルの章でイギリスの昔の南海バブルについて解説があるのですが、その中で事業に実体のないバブル会社に投資していた人は、それらの事業が不可能であると思う分別があったとしても、「自分よりもっと愚かな物が存在する」と信じ、株価が上がり、かならず買い手がつき、自分たちは利益を得られると信じていた。ということが書かれていた。結局ネズミ講と同じでどこかで破綻するが、それまではその行動は理にかなっていると信じられる。で、まあ破綻してみんな大損するわけですが。
こういうのを読むと人間の欲について色々考えさせられる。というか自分の欲についてですが。なんでしょうね、欲って。周りのみんなが大もうけをしている横で自分だけ何もしないって言うのは難しいんだろうと思う。自分の欲をどう取り扱うべきかというのは、どういう方向に持って行くのかというのは正直結構悩む。悩んで変えられる物と変えられない物はあるんですが。

そういえばWEB2.0は……危険な香りもするようで、海の向こうのブログではいろいろ語られているようですが、もしそうだとしたらバブルの間隔短いなあ。

■ジョン・キャンベル「暗黒星通過!」
SF作家としてよりかはむしろ、アシモフやハインラインらを見いだしたアスタウンディング・サイエンスフィクションなどSF雑誌の編集者としてのほうが有名な気もするジョン・キャンベルの若き日の作品を集めた短編集。ロボット三原則はアシモフと彼とのやりとりの中で生まれたんですよね。
というわけで若き日のキャンベルと言うことで作品が書かれたのは実に1930年頃。約八十年も前です。短編集としてまとめられたのは1950年代で、そのとき著者による序文が書かれているんですが、いやもう、序文を読んだだけでホロリと来てしまった。SF好きは序文だけでも読むべし!! というか序文を読むべし。初期のSF作家が何を思ってSFを書いたのかというのが熱く伝わってくる。

中身はE・E・スミスに影響されたと言うだけあって、レンズマン(というかスカイラークなんだろうけど、読んだこと無いので)に似たものを感じる。
基本的には何か世界に大きな問題が降りかかり、それに対して才能のある科学者(理論家と実験家)と技術者が様々なアイデアを出し、新しい発明品などをつかってそれらを解いていくという話。まあ、キニスンとソーンダイクが主人公というかんじ。
話はそういったアイデアの細かい描写を中心として進むので多少かったるいと言えばかったるいですが、SFらしいといえばまさしくそうです。なんというか、今ではそれほど感じられない、科学に対する希望というか、科学者に対する英雄視というのが見られます。この辺は時代の違い、なんだろうなあ。いまではこういう風に科学者が主人公のSFってあまりないようなきもするけど。あーいや、マッカンドルー航宙記なんてまさしくこんな感じですね。探せば結構あるのかもなあ。
部屋を。

作品としては「遊星よりの物体X」の原作「影が往く」のほうがよっぽど面白いんですが、この時代の空気のような物が感じられて良かった。
そういえばあと、表紙と挿絵が天野嘉孝。まだ絵柄を色々試していた時期だとは思うんですが……。

■池田 信夫「ウェブは資本主義を超える」
電波利権が面白かった著者のブログをまとめて書き足して本になったと言うことで読んでみた。内容はウェブ2.0などネットの話題、通信・放送の問題、イノベーション、著作権問題、政治などかなり多岐にわたっている。細かい話は書きませんが、問題を分かりやすく明晰に書いていて、それに対する著者の意見もきっぱりとして、思わずそうかそうかと納得してしまう。
しかし、この本に限らないのですがこういう自分にバックグラウンドとなる知識がない分野の本を読むと、著者の意見をそのまま受け入れてしまうので危険だなあと思う。結局の所、自分で考えて意見を持つなんてことは僕には殆ど出来ないわけで、精々が対立している意見をそれぞれ読んでどちらを受け入れるかを選ぶぐらい。殆どの場合はその労さえとらない。結局一方からの意見を読んで、それを自分の考えに取り込んでしまう。偏っているとわかっていてても。で、また別の物を読んでふらふらとそっちに意見を移したりする。そういう自分の怠惰さというのは、自分が何か責任を持つ分野でなければ別に問題ないというかどうでもいいと思うんですが、それを元に人に色々言うのはちょっと恥ずかしいなあと思う。言うんですけどね、結局。

というわけで盛大に本の話からずれてますが、本はすごい興味深かったです。内容が広すぎてすぐ忘れた物もおおいですが。あと、タイトルについては僕は今一内容との関連がわからなかったのですが、書評を読んで何となくわかった、様な気がする。こういうのを読むと自分は全然読めていないんだなあと思う。つーかマルクスとかサッパリですよ、実際。

■「電脳コイル アクセスガイドブック」
電脳コイルのガイドブックです。キャラ、エピソード解説。設定資料、インタビュー、と普通すぎるぐらい普通の構成。監督のインタビューを読めたのが一番の収穫。設定についても結構色々語っています。古い空間というのは昔のバージョンの電脳世界、らしいです。他にも色々。ただ厳密に設定を決めているわけではないようなので、いろいろ妄想の余地はあるなあと思いました。

■最近のアニメとか

絶望先生。一体コレをどうやってアニメ化するんだと発表時は思いましたが、蓋を開けてみればほぼそのまんまアニメ化されていた。しかし意外なことにコレが面白い。漫画より面白いかも。キャラが漫画より魅力的とかあるかも知れませんが、それをのぞいても面白い、ように感じる。演出が上手いんだろうなあ。ネギま!? の監督と言うことでこういうギャグは十八番なのかも。でも黒板ネタは鬱陶しいので止めて欲しい。アレは存在する意味がわからないし、アレをおもしろがる人も理解できない。確実に作品をつまらなくしているよなあ。

グレンラガンが第二部終了。スーパー燃える展開で、僕のココロは奮い立ちました。いや、ロージェノムとの対戦は、最終決戦にふさわしい最高の戦いだった。舞-HiMEもこれぐらい頑張ってください。次の語り手はシモンかな? しかしシモン復活後のニアのいらなさは凄い。シモンが落ち込んでいるときはニアは素晴らしい存在感を示していたんですが、シモン復活して話の比重が獣人との戦いに移ってからの存在感のなさは凄い。まあ、可愛いので良いんですが。って華やかしだけかい。いやもう、タイトルがニアの台詞なんですが、無理矢理過ぎ。それはともかく第三部にも期待。期待。期待。

電脳コイル、は言うことなし。八話のきれいなダイチにほろりとしてしまったわけですが、どうも僕はこういうのに弱いようです。あ、でももうちょっと電脳バトルもやってほしいなあ。

らき☆すたは新キャラが投入されていた。いやまあ、どうでも良いんですが。本編もそれなりにまんねりな訳ですが、季節の変化なりイベントなりがありそこそこメリハリはあるんだけど、らっきーちゃんねるがやばい。コレはもう、キツイにもほどがある。一話から今までほぼ同じネタを手も品もあまり換えずに出し続けるというまんなりにもほどがあるぞ。いやなら見なければいいじゃない。そうですね。でも、つい見て……、となるんですよ。

ハヤテのごとく! が面白いよ。とお薦めされたので見てみた。おー結構面白い。超人物とはいえ普通に楽しめたんですが、主人公に殴られた男が「親父にもぶたれたことがないのに!」とか言ったので見るの止めようかと思ったんですが、頑張ってみた。いやまあ、全般的には手堅く、良くできてるし面白いんですが、何なんですかね。こういう思考停止型パロディというか、必然性の全くない上に作品に没入するのを止めさせて強制的にメタな視点を読者に持たせようというのは嫌がらせでしょうか。パロディをやるならやるで作品における必然性を持たせるなりなんなりしないなら、やらない方が億万倍ましでしょう。殴られる→「親父にも(ry」ではいかにも知性がなさ過ぎる。私は馬鹿です、って言っているようなもんじゃないか。そんなのを楽しむ連中も後略
と思って原作を読んだら、そんな台詞は無かった。というわけでアニメを見るのを止めて原作を読んだ。うん、まあ良かった。なんというかサンデーと言うよりガンガンという感じがしたけど(他意は無し)。