2008年02月27日

すべる話、すべらない話。

なんとか秋刀魚という有名らしい芸能人の方が、お笑い芸人が面白い話をするのは当たり前なので、「すべらない話」という名前の番組がバカウケしているという状況はメタ的に見てお笑いぐさである、と難癖付けたそうですが(脚色有)。
ちょっとまて、ちょっとまてよ!。
その話には明らかに、すべる話は良くない! という固定観念が在る。
しかし待て。
それは正しいのか。お笑い芸人はすべらない話をしなければならないという考え方は本当に正しいのだろうか。そもそも、常識的に考えて、万人にとって笑えるネタ、という物は存在しない。AとBという二つのネタがあったとき、Aに笑えるけど、Bには笑えない人はいるだろうし、逆もまた然りだろう。無数のネタがある中には、百人のうち、千人のうち一人しか笑えないようなネタも出てくるだろう。
当然の結論として、お笑いの感受性には、無数のバラエティが存在する。まあ、多分。

さて、そういった点を考慮すると、すべる話を暗に否定することから、彼や同様の考え方をする人たちの恐るべき思想がかいま見えてくる。

すべる話が良くない=自分が笑えない芸人はダメ=自分が笑えない芸人を笑う人間はダメ=みんなが笑えない芸人を笑う人間はダメ=みんなが笑えない芸人はいなくなるべきなので、それらを笑う人間は笑いを楽しむ権利はない=みんなが笑えない芸人を笑う人間には基本的人権はない=みんなが笑えない芸人を笑う人間は列島劣等人種である=ゆがんだ思想を持つ少数派を処分することはみんなのために大事だよね!
21世紀の日本に旧時代の亡霊の再来が! ファシズムの発現である。というわけで、お笑いの批評をしている人間は全体主義者に違いない! きっと! という話です。
怖いですね。お笑いブームは劣等列島を吹き荒れるファシズムの嵐です。

とはいえ、安全に生きていきたい僕としては、寄らば大樹の陰、体制におもねるのが僕の信条です。長いものには巻かれろ。牛後となるも鶏口となるなかれ。先人たちは素晴らしい格言を残していかれました。ニュートンが言ったように巨人の肩に立ち、そういった偉大な知見の数々に則るのであるならば、興味なくともみんなが大好きなお笑いというのにも果敢に挑戦していくべきではないかと、そう思ったりするわけです。

というわけで、すべらない話ですべってみる。

今朝起きたらなんと道路に雪が積もっていたので、車のタイヤにチェーンを付けた。

あ、しまった。これはすべらない話ではなくて、すべらないようにする話だった。仕切り直しで。
スケートが快適にすべれるのは、体重によって刃の下の氷が少し溶け、薄い水の膜が出来るからであり、余りにも寒いととけないので上手くすべれない。

おお、これぞすべらない話だ。
調子が良くなってきたので、もう一つ。
スタッドレスタイヤは細かい切れ込みと柔らかいゴムでなんか水をはじいたり路面に密着したりするのであんますべらんらしいですよ! でも雨の日は夏タイヤよりよくすべるので気をつけて!

さらにおまけを一つ。
雪道ですべったときは、無理に体勢を立て直そうとするのではなく、上手く転んだ方が安全だったりするよ! そうしないと腰を変に捻っちゃったりするからね! あと周りの人間につかまろうとしたりするのはもってのほかだよ! みんなで転けるだけだから! でも考えてどうにかなる物でもないから諦めて!!

おしまい。