2008年08月17日

小学校と同じぐらい。

今更ですが、ああ、サイト作ってもう六年になります。
OCNで二年弱。XREAにうつってからでも四年。最初に作ったサイトも今でも残ってます。一回デザインしなおして以後の内容だけですが。
日記を付ける前のイラストサイトのつもりだったことのは残っていないです。WayBackMachineを見れば一応見られるけど、見る意味はない。

六年前のネットというと一人暮らしを初めてADSLの速さに感動していたなあとか、テキストサイトとか、FLASHのMADとか、なんとかを思い出す。あれ、六年より前だっけ。
動画MADはそうだよなあ。既知街2を修学旅行で買ってやって世界窓協会の幾つかのネタが分かって嬉しかった覚えがある。時系列が逆かも知れないけど。北斗のメモリアルとか飽きるほど見たなあ。
YouTUBEやらニコニコやら想像もしなかったのに、でた瞬間慣れるのだから人間良くできている。

改めて、よくもまあこんなモノを続けているなあと、あまり感慨は湧かないけど、不思議な気分になる。良く見るブログ論とかだと読む人のことを考えてとか、更新は頻繁にとか、話題の分野は絞ってとか、トラックバックをしろとか、コメントしろとか、コメント返せとか、目を引くタイトルを付けろとか云々あるけど、何もやってないしね。
まったくやっていないというか、もし読む人がいるとすれば、個人的にはバカにするつもりで書きたいと気分になっているぐらい。なんというか、読む人の時間泥棒になればいいと思う。一人一人が読む時間が僕が文章を書く時間の二十分の一でも。二十人が読めば、同じだけの時間をどぶに捨てられる。
いや、その、二十人読んでないですけどね、多分。

より実際には基本的にネガティブな意味でしか読む人を意識することはない。というかそういう風にしたいと思ってた。理想は壁にむかってブツブツつぶやいているような感じ。じゃあ壁につぶやけよという話もあるけど、僕には具体的な対象がなければつぶやくのも難しい、。もうちょっと脳内世界が充実して、ぐるり完結した人間になれれば良いんだけれども。
だからアップロードするつもりで下書ファイルに書き込むだけ書き込んで、結局そのままのも結構というかかなりある。ココを知っている(と僕が知っている)人への愚痴愚痴しいのとかは特に。あれやらこれやら。勢い余って出すときもあるけど、良いことではない。そこまで悪いこともないけどね。

ブログ論とかを守って読者をきちんと意識して楽しませるためにかくようなブログは個人的には良くやるなあと思う。プロの文筆業の人は直接反応が返ってくるのが面白いというのは分かるが、アマチュアの人間がそうまでアクセス、レスポンスを求めるというのは不思議だ。疲れないのかな。
まあ、疲れるからか、アクセス増えて消えていくサイトも多いのだろうけど。

お金にならない限り、あまり利他が強いと続かないと思う。
僕も最初の頃はもうちょっと読む人を考えなければいけないのかとか、アクセスやらレスポンスを増やすように試みた方が良いのかと思ったけれども、結局掲示板やらコメントやらにレスポンスがある方が面倒くさいし、アクセス数なんて見るのも馬鹿馬鹿しいと云うことに気が付いてから、ネットひきこもりが確定した。
リンクも消したし。
ココを見ている人はリアル知人でない限り、僕に連絡を取ることすら出来ない。ハハハハハ。いや、なんか問題があったとき用に電子メールアドレスぐらいは載せた方が良いんだろうけど。

文章を書くことでストレス解消なりなんなりなる人には、ブログというのは有用なモノだなと思う。ただ普通のブログサービスでは知らない人にアクセスさせるための仕掛けが多すぎる気がする。一方でSNSは閉鎖的すぎる。
もうちょっといい加減なサービスがあっても良いのにな。


脇にそれるが、ネットゲームでパーティ組んではまって引きこもるような人は、ひきこもり気質ではないと思う。というかネットで人と交流できる人間がひきこもり気質なわけがないよな。もしそういう人が面と向かって交流できないなら、それは単に技術的な問題だろうし。
昔のひきこもりはネットなんて無かったんだよな。
まあ、ちょっと。ネットでひきこもりとか言いながら2ちゃんねるに書き込むような人は、もうちょっと僕のような人間を見習ってですね、本当のひきこもり気質というのを学んで欲しい。


御多分に漏れず、ブログをやっていて凹むこともある。内容に対して嫌みを言われてやな気分になることもあるし。それは多分その人が僕の書いたモノで嫌な気分になったからだろうが。ざまあみろだ。
個人的にはやっぱり見られていると想定していなかった人から見られていたのはきつかった。具体的に云うと学科と研究室ですが。前は今より分かりやすく愚痴愚痴しい事を書いていたので、自分が誰かしらに悪感情を抱いているのを、その対象本人に読まれるというのは気分の良いものでもない。
相手はもっと良い気分でもないだろうが。ざまあみろだ。

まあ、ほかにも、いろいろ、あるん、ですが。
……

でまあこういうサイトだし、陰で読まれて笑いものになっていたらしいと云うことを、学科については二年後ぐらいに教えられて、ちょっと悲しかった。ただ学部三四年の頃は色々凹むことへの耐性が大分低くなっていたので、その頃には知らされなくて良かったとは思った。
実際の所、彼らに笑われて何か困ることがあるかといえば、別に認められて利益のあるわけでもなし、多少(あるいはかなり)凹むことを除けば何もないので、どうだって良いと云えばどうだって良いけど、どうしたって良い気分ではない。
ただ笑うなら、リアルで笑いものにされているのを耳にするのは、もっと良い気分でもないので、せいぜい僕の耳の聞こえないところで笑ってくれと思った。今も思う。
おかげで色々、考えることも多かったので、今となればありがたいと云えばありがたかったけど。

研究室についてはすぐに教えてもらえてよかったけど、あれですね、自分を知っている人が自分のサイトを知らないと云うことを前提に書くのは危険だと知った。こんなサイトでも。というわけで今ではこのサイトは会社の人にバレても全然平気。メンタル的な意味で。
具体的な悪意をあまり発揮しない限り、見られて平気、平気じゃないというのは気分的なものだし。
あと平気か平気じゃないかは自分の元気のバロメータになるので多少気にかけてはいる。恥の残量のバロメータかも知れないけど。

その辺にからむと過去ログとか。実際昔のを読んでみるとバカだなあとか恥ずかしいなあとか色々思う。特に本の感想とか、ネットで話題になっていることに偉そうに書いていることとか。しかし一度出してしまった時点で恥は取り返しのない形でさらしてしまっているわけですし、それを消すというのも、なんというか、嫌だ。
落ち込んでいるときに書いたモノとかは、もだえたくなるようなのもあるし、消す気持ちもわかるけど。なんかこう、積み上がった砂山を見ると価値が無くても崩すのは忍びない。

等と云いつつもよくないなあ、とか思うのはさりげなく消していますが。

ブログとかサイトとか、色々云われるような大仰な事が無くても結構良いものだと思う。実際このサイトがなければ内面的な意味で僕の六年は全く違ったモノになっていただろうし。良い方か悪い方かは知らないけど。
因みに大分前から思考が、このサイトに書くことを前提にしたモノになっている。このサイトを通じて誰かに語りかけるような感じでモノを考えている事が多い。実際にこのサイトに書くことはそれほど多いわけでもないけど。

というわけで読む人のことを考えないことについては自信のあるサイトではありますが、願わくば読んだ人が時間を無駄にして嫌な気分になるか、あるいは蛙のような声で笑ってくれると喜ばしいなあ。
そして同じような気分でサイトを作ってくれる人が一人でも増えると、世の中の有用につかわれる時間がまた減って、嬉しいなと思います。