2008年09月22日

このモヤモヤが晴れないうちに。

近所に評判の料理屋がありまして。毎日毎日、昼時夕時は長蛇の列が出来るほどの人気があります。

このあたりで名の知れた店はないかと聞けば、まずその店の名前が出てくるほどで、食に対する冒険心が北極だとすると、南極にいるような僕もさすがに多少は気になる程でした。気になるなら食べてみればいいじゃないかと云われるかも知れないけど、先ずご飯のために並ぶなどと云う冗談じみたことを出来るほどユーモアの感覚がないという問題と、その料理や、なんと主にラーメンしか出さないというちょっと変わった店だったので、躊躇してしまったというのがあります。

いわゆるラーメン屋(笑)というヤツですね。
「行列の出来るラーメン屋」という全存在で地雷を体現しているような店に、そうそう入るような勇気がでるわけもなく、気が付けば半年は経っていたのですが、本日たまたまずれた時間に云ってみると、なんと行列もなく、僕も空きっ腹で、よしじゃあひとつ、ここはラーメンでも久しぶりに食べてみるかと、思いました。
自分で思い返すと、なんと学習能力のない人間なのかと、イヤになります。

入ってみると、外見の割に妙に席が少なく、空間を贅沢に使っていると云えば聞こえは良いかもしれないけど、別に席と席の間に余裕があるわけでもなく、よく分からない不思議な構成のお店でした。今考えると、行列をなるべく屋内にやれるように空間を取っていたのかも知れません。それは、外から見ると一見行列が少なく見え、思わず入ってしまう人を増やすためなのか、客を暑さ寒さ雨から守ろうとしていたのかは知りません。行列が出来るほどの人気店なら、席数を増やして客を同時多量にさばけるようにしてくれた方がありがたいんじゃないかと思ったのですが、もしかしたらおそらく効率を下げることで、「いつも行列が出来る店」という形をとりたいのかもしれません。それなら行列は外に出す気もしますが。

さてそんなわけで一番ベーシックなラーメンを注文し、よしと思いまずはスープを一口食べてみたのですが、、ラーメンという料理に対して一片の期待すらしていない僕も、さすがにこれには唸りました。

ぜんぜん美味しくないのです。

とんこつにしては脂っこく感じられないのは個人的には嬉しいのですが、なんともいえない平坦な味で、インパクトもなければ味わい深さもない。三口喰えば飽きてしまうようなそんな味です。うん? と思い二口目を喰って飽きました。
いや、さすがにそんなはずは、と思い、麺を口にしてみたのですが、縮れ麺でなかったのは、さすがにもう諦めているので良いのですが、硬い割にはコシがない、これもやっぱりとても美味しいとは口が裂けても言えない代物でした。載っている野菜もそこそこ量はあるけど全く味はしみていないし、チャーシューも特にどうということもない。
もしかしたら、僕はラーメンという概念を何か勘違いしているのだろうかと、なるべく全く新しい食べ物を前にしているのだと念じながら、見たことも聞いたこともない食べ物を食べるつもりでもう一口を食べてみました。
もちろん、何かが変わるわけもなく、なんともいえないラーメンがただそこにあるだけでした。
僕は諦め、ただ栄養補給のためと割り切り残りの具を食べ、何時も通り油ものを多量に食べた後におこる頭の重さを抱えながら会計を済ませ、笑顔で「ごちそうさま」といって店を出て溜息をつきました。
そしてもう、ラーメンは数年間は喰わなくていいや、と思いを新たにしました。

僕はラーメンという食べ物をあまり好きとは言えないし、ラーメンを並んで喰うような人や、ラーメン狂いなひとたちを指を差して笑うことにためらいを覚えるわけでもないのですが、これには久々につよいショックを受けました。
味覚というのはそこまで幅のあるものなのか、と。
もちろん好き嫌いは人それぞれだし、蓼食う虫も好き好きという言葉だってあります。しかし万人が食べて美味しいと思う者はなくても、万人が食べて不味いと思う食べ物はあると思っています。すくなくとも美味しいと思わない食べ物はあるでしょう。

これは、それではないのか!?

美味しくなく経って不味くたって何でもかまわない。しかし、コレにどうして、行列が出来るのか。お金+余分な時間をかけてまで食べたいと思うのか。まあ、百歩譲って不味いとは云いません。美味しくないだけです。
しかしそれに並ぶ人がいる。昼の貴重な時間を割いて並んで食べようとする人がたくさんいる。こんな代物を進んで、安くはないお金を払って食べる人間が、たくさんいる。
奇々怪々です。
そういえば、こんな事を思ったことが前にもありました。研究室のほど近くにあるラーメン屋は毎日毎日三十分以上待たないと食べられないほどの行列が出来ていました。一度人といってみましたが、ただ値段の割に野菜と麺と汁が多いだけ。狭いのにも不衛生なのにも何とも云わないけど、それはともかく美味しくもないものを多量に食べるのは単なる苦痛です。しかしその店に行列が出来ない日はないようでした。
苦痛。

しかし確かに視点を変えれば納得できないことはないのかも知れません。世の中には苦痛を快感と覚える人たちもいます。それは必ずしも性的なことにのみ関わるわけではないので、マゾヒストと言って良いのかは分からないが、要はそういった人たちです。
そういった方々は苦痛の量に比例して快感を得るのでしょう。苦痛が大きければ大きいほど、それを味わっている自分に酔う。快感をかんじる。そういった方々が一定量いると考えれば行列の出来るラーメン屋の謎も解けます。
彼らは苦痛を感じるためにラーメン屋に行っているのです。
行列に並ぶ時間が長ければ長いほど、その果てにあるラーメンが不味ければ不味いほど苦痛は大きくなります。待っている時間は、なんで、俺、こんなに長く、不味い飯食べるために並んでいるのだろうと、悶々とするでしょうし、食べているときには、なんで俺、あんなに長い時間まって、こんな美味しくないもの食べているのだろう。そう思います。もちろんそういった性癖がない方にはそれは単なる苦痛以外の何者でもなく、よって一見さんは二度と来ることはないはずです。
しかし苦痛を快楽と感じる人間には、それもまた甘美な瞬間なのでしょう。ただ不味いものを食べるために多大な時間と、お金を払うというのは。

あえて、苦痛に身を投じることで、その中から無二の快楽を引き出す。そういった心構えは確かに見習うところはあるのかも知れませんが、お金と時間をかけるなら、少しは美味しいものを食べたいなあと思います。