2008年11月17日

だんだん短くなる。

■「犯罪不安社会」

これは、凄い。面白い、興味深い。
知り合い全員に読め読め読めといいたくなる本は久しぶり。

タイトルは「犯罪不安社会」。犯罪社会ではなく、あくまで"犯罪不安" 社会。先進国随一に安全であり、昔の昭和などと比べてもずっと安全になっている現在の日本で、なぜ「安全崩壊」神話が声高に語られ、そして広く信仰されているのかということを、統計という観点と、メディアなどの言説という観点から分析している本。

最初の章では、元法務相キャリアであり、刑務所の所長なども経験した筆者が、犯罪統計の読み方を述べている。
たとえば、犯罪の認知件数は2000年以降急激に増加し、一方で検挙率はガクンと下がっている。この統計を見ると、一見犯罪が急増し警察が対応しきれなくなっているように見えるが、認知件数と検挙率の背景を見ると実はそうではない。
認知件数は全犯罪のうち、警察が犯罪として認定した事件の件数であり、検挙率は認知件数のうちで検挙された件数の割合である。つまり、全犯罪が変わらなくても警察が認知する件数が増えれば、認知件数は増加する。一方で認知件数が増加すれば、検挙件数が変わらなくても検挙率は下がる。
2000年以降認知件数が急増した背景には、99年の桶川のストーカー殺人事件がある。事件で非難の矛先に立った警察は、被害届を積極的に受理するようになり且つまたより能動的に犯罪被害にあった人間に泣き寝入りしないよう呼びかけるようになった。
すなわち認知件数の急増は、犯罪の増加と云うよりは警察の努力の成果とも云える。
一方で検挙率が下がった理由としては、警察が取り扱う事件の種類も数も増え、限られたリソースの中で負担が増えたこと、窃盗犯など常習犯の過去の余罪を追及する余裕がなくなったことなどが上げられている。
一方で警察の努力に影響されにくい犯罪被害による死因を人口統計学により参照した場合、一貫して減少傾向にある。特に十歳未満の子供に焦点を当てた場合、80年代前半に比べて現在はかなり低い水準にある。
他にも少年犯罪の年齢を見た場合、低年齢化するどころか、むしろ高齢化する傾向にあるなど、さまざまな統計を丁寧に読み込んだ場合、犯罪の一般的な傾向について事実と信じられていることは、全く無根拠であることが見えて来る。
では、なぜ多くの人間は犯罪におびえているのか。というと、それは昔に比べて犯罪報道を目に、耳にするようになり、「犯罪が増加している」「凶悪化している」と言うメッセージをメディアから受け取るようになったからである。事実朝日新聞の記事を検索した場合"凶悪""犯罪"という言葉で語られている記事は九十年前後を境に増えてきている。また、"子供"と"不審者"という言葉で語られている言葉は、00年から急増している。
そういったマスメディアによる情報流通の変化、あるいは語り方の変化が結果として現実の犯罪統計を無視して、特異な事件を声高に語ることで犯罪不安が急増しているという現象を引き起こす。
それは、マスコミ報道によって作られ、市民運動家や専門家によってその対策が社会制度に組み込まれることで、忘れ去られることなく社会問題として定着する。
これらは犯罪被害者が社会に認知される

という感じで一章だけでも相当面白いけど、二章以下も読み応えが抜群である。

二章では社会学者である筆者が、マスコミの凶悪事件を語るやり方が、どう変化していっているかを述べている。宮崎事件は不可解な殺人事件の発端であると実際以上の過剰な意味づけをされ、様々な評論家に語られ見せ物として消費された。しかしこの時点では論者は加害者である宮崎勤へ大きな興味を持ち、それを理解しようとしていた。しかし、犯罪被害者が注目されるのと同期して、加害者は得体の知れないものとして理解することを拒否されていく。
犯罪被害者の"発見"が凶悪犯罪を見せ物としての娯楽から、誰にでもその身に降りかかりうる恐怖、セキュリティの問題として捉えられるようになった。犯罪被害者への同情を軸にした報道は犯罪不安を煽り、加害者の理解という観点は消える。結果、現在では犯罪によって語られることは、どう犯罪を無くするか。そしてそのための法制度批判、異常性への注目、セキュリティの強化になった。その背景にあるのは、たとえば、殺された幼子への同情、遺族の嘆きである。
結果として、社会は実情とは全く異なったいつでも犯罪に巻き込まれうる凶悪な社会という幻の中に引き込まれる事になる。

三章四章では、その結果として行われた地域防犯活動についてと、現在の刑務所について語られている。大切な幼い子供をまもる地域防犯活動は専門家の予想を超えて成功したが、その結果は必ずしも愉快なものではない。地域コミュニティの崩壊による犯罪増加という夢幻と、それへの対策は、むしろ地域コミュニティを破壊し尽くす。
そして刑務所に収監されている犯罪者を見れば、犯罪語りがいかに根拠のないものであるかがわかる。なんとほとんど老人、病人、外国人ばかりで、刑務所を成り立たせる労働が出来る人数は限られてしまっているという。

この本では一貫して科学的な証拠を重視することで、現在人口に膾炙している犯罪不安がいかに無根拠なものであるかを赤裸々にしている。更に悪いことに、もし犯罪が実際に増えたとしても、今行われているような科学的ではない、信仰によって支えられた犯罪対策は、犯罪を抑止する効果はない。筆者はエビデンスに用いた犯罪対策、犯罪不安対策をすることで、より良い国にすること、そして犯罪についてよく考えることを述べている。

他人を信用しないと云うことは、コストの増加をもたらす。犯罪不安に支えられた社会では、結果として大きなコストが社会全体にかかることになるのではないかと思う。一方どんな努力をしても、誰もがあるいは子供全員が犯罪に合う可能性をゼロに出来ない以上、そのようなコストは無駄なだけだろう。
現在のような無責任な犯罪語りは、実体のない犯罪不安で社会の不信を増加させ、無意味なコストを社会全体に負わせる結果になるのではないかと思う。
個人的には犯罪報道が激化するのは、犯罪が珍しいものになっているからではないかと思っている。なんにせよエビデンスに基づかない語りは、床屋談義と何ら変わるものではなく、視聴者が喜ぶとはいえ、識者と呼ばれるような人間がやるようなことではないはず。まあ、識者ったってほとんどはネットでグダグダ語っている人間以上のことが言えるわけではないんでしょうが。そういう人間を珍重するのもよろしくないんだろうな。

しかしこういう本を読んでいると宮台真司とかが居なければ、日本の様々な政策も少しはマシになったのではないかと思っちゃうね!

と言うわけで長いんですが、犯罪についてなにか思う際に、読んでおくべき一冊なのではないかと思った。戦前の少年犯罪あたりもあわせると本当にマスメディアは! とか云いながら愉快な時間が過ごせます。


実際は2、3冊読んだだけでどうこう言えるような話ではないとも思うけど、なんにせよここで提起されている問題を避けて犯罪を語ることは出来ないだろうなとは思う。
■「アフリカ・レポート」
1900年代後半に次々と植民地支配から独立したアフリカ諸国の今の現状のドキュメント。独立したとき希望に満ちていた国々が見るも無惨な現状になっていることに驚く。南アフリカが酷いことになっているという話や、ジンバブエの惨状は最近よくネットで話題になる。それを見ると、どうしてこんな事が起こるのだというほど、どうしようもない失政の結果なのだが、この本では現状と共にその原因をザックリと述べている。
要は指導者がどうしようもなくダメ、という話なのだが、何故アフリカの国々がそろいも揃ってこんな失敗国家になっているのか。
一つには部落の利益が国家の利益に優先すること、そして部落の論理を超えてまとめ上げるような外圧がなかったこと、が上げられている。他にもアフリカの資源を狙って利益を得ようとしている他国、過去の歴史の問題などもあるのだろうと思う。正直固有の事情にそれほど興味があるわけではない。
しかし、なにより国というものがいかに容易に崩壊するのかと云うことには衝撃を覚えた。
一体何が、国や社会を成り立たせているのだろうかと、物凄く不思議な気分になる。独裁者が国を簡単に崩壊させることが出来るというのなら、その権力を成り立たせているのは何なのかと思う。
別に独裁国家じゃなくて日本のような国でもこの社会の秩序は何によって成り立ち、どうなったら壊れるのか。いったい自分の住んでいる社会はどのていど強固なものなのか、気になる。
社会と云わず、お金や所有権と行った考え方が、当たり前のように成立しているというのは、思ってみると凄いことなのだろうなあ。特にお金などは一体何か、考えるとさっぱり分からない。ジンバブエなんかお金の価値がなくなっている。朝と夕でお金の価値が変わるのなら、その価値はいったいどうやって決まっているんだ。
電子データでお金がやりとりされるのも不思議だし、お札でものが買えるのも不思議だし、貴金属が価値を持つのも分からない。
だいたい価値ってなんだ。


■「イスラーム文化」
文庫本一冊のイスラム入門書。
全三回の講義をまとめた本で、それぞれイスラムの根幹であるコーラン、イスラム共同体、神秘主義の三つを割と分かりやすく解説している。
正直イスラム関係の知識は遙か昔に新書一冊読んだだけで馴染みもなく、読んだそばから忘れていったけど、なんとなく雰囲気は感じた。
コーランでは全てであること、生活の全てが宗教であることなどはどうも、自分の持っている宗教のイメージとはなんとなく違うなあと、と思った。なんだ、国の殆どの人が24時間戒律(?)に従って生きている、というと、そんなことがあり得るのかなあと思ってしまう。
一方でこう、やるべき事が明確に決まっているというのはそれはそれで心安く生きていけるのかなあとも思う。なんというか、色々自由になればなるほど逆に宗教というのは栄えるのかなと思うしし。自分の思想信条の土台が明確ではないというのも怖いのじゃないかと、んでまあ、信じるものがあればそういう不安もないの、かなあ。
しかし、なんとも、宗教はよく分からない。
宗教もよく分からない、か。


■「やせれば美人」
内容も面白いけど、とにかくタイトルで既に勝ちが決定している。
やせれば美人、こんなにもいろんな感慨を引き出すタイトルは、そうはないのではないかと思う。
そしてこのダイエット本、なんと
「妻はデブである」
という一文で始まる。なんという直球のつかみ。そう、これはデブの妻がダイエットするのを夫婦で協力していろいろな人に話を聞いたりしていく様を夫の側から書いたドキュメンタリーなのだ。
奥さんの不可思議な思考形態や、ダイエットをまつわる複雑な心理を男の視点から解きほぐしていくダイエット心理本という、なんとも変な、そしてとても面白い本。
「努力は美しくない」と言い切る奥さん。云っていることは無茶苦茶なのに妙に説得力がある。このおかしさは著者の上から視線、に全くなることもなく、むしろ下から視線という誠実と云えば聞こえは良いけど、なんとも情けない視線のおかげじゃないかと思う。結構端的で的を射ているし。
まあ、とにかく面白い。記録ダイエットのためにスリーサイズを測るところ、著者が大量のお肉のおかげでウエストの一が分からずに四苦八苦するところなど抱腹絶倒だった。
奥さんやダイエットに関わる人の変さや可笑しさを巧妙に描き出すような内容ではあるけれども、一方でそれを外から見る僕たちの変さも描き出されているようで、なんとも楽しい。そしてなにより文章から伝わってくる著者の愛情が、暖かい気分にさせる。
さらりと読めて、とても楽しい。そして幾らでも深読みできそうな、良い本だった。

■「はい、泳げません」
「やせれば美人」が個人的大ヒットだったので、同じ著者の水泳本を読んでみた。これもおもしろい。全く泳げない、顔に水を付けるのも怖い著者が泳げるようになるまでのドキュメンタリー。
相変わらずのとぼけた調子でするりと本質を描くような書き方は凄いと思う。読みやすく、単純に面白いのに、それだけではない。二冊読んで二冊ともエンターテイメント+αがキチンとある。残念ながら文庫で読めるのはこの二冊だけみたいだけど、他の本も買って読もうかと思う。
ちなみに泳げない僕はこの本読んで、泳げるようになりたいなあと、思った。泳ぐのってそういう風に楽しいのか! と言う衝撃を覚えたのです。

■「Fate / Zero」
うおおおお。おもしれー!!
Fateは文学、クラナドは人生、というネットの迷言で、いったい文学とはなんなんだろうという悩みの底に突き落としてくれる「Fate / Stay night」の前日譚、前回の聖杯戦争を語る虚淵玄の公式二次創作小説。
「BLACK LAGOON」のノベライズがやたらと面白かったので、こらえきれず手を出してしまったけど、うん、読んで良かった。
ぶっちゃけ本編より好きだ!

虚淵玄だけあって、熱い、とにかく、熱い。熱いんだけど、派手に燃えさかるように熱いのではなく、暗い情念のような熱さ。そこが「Fate / Stay night」と違う。
「Stay night」がハッピーエンドで終わるに対して、一巻のあとがきにもあるように、最初から不幸な最後が決まっている。聖杯は誰の手にも入らず、冬木市は多数の犠牲を出す災害に巻き込まれ、
登場人物がまた良い。一癖二癖ある連中がそろっているし、みんなろくでもないことになっていく。しかし、散り様がみんな素晴らしい、ゴミのように殺されるのも、信念に準じて雄々しく散っていくのもみんな清々しい。お見事。

久しぶりにFateをちょっとやりたくなって、勢いでやってしまった。

あ、どうでもいいけど、Fateに出てくる英霊がユーラシア大陸限定且つ西に方に偏っているのが気になる。他の地域、たとえば中国の英傑だっていくらでも面白い人いるだろうになあ。インディアンとかさ。

■「新訳アーサー王伝説」
Fate/Zeroを読んで、セイバーとランスロットの因縁がよく分からなかったので、読んでみた。いきなり「アーサー王の死」とか読むのもしんどそう(高いしね)なので、初心者向けに薄い文庫一冊に要約してあるこの本を読んでみた。読みやすかった。

ああ、この当時の騎士は、なかなかろくでもない連中が多かったのだなあ、と思った。だって、まず騎士の中の騎士みたいな扱いの湖のランスロットからして、主君の奥さんに手出しまくりです。悲恋とかそんなレベルではない。まあ、アーサー王もお姉さんとニャンニャンして子供作ってるしなあ。他の奴らにいたって……。別に今の価値観からどうこう判断するつもりもないけど、騎士道ってそんなんなの? という衝撃が。
読み物としては、まあまあ。
トリスタンとイゾルデとかアーサー王の死とかはさすがに面白かったけど、聖杯探索とかは、だからどうしたの? みたいな激しい疑問に捕らわれた。なにか大事な前提知識がないからかも知れない。
そのほかの部分については、もうちょっと登場人物とそれぞれの血縁関係とかが頭に入ればもう少し楽しめるかなあ。

そういえば「ヴィンランド・サガ」もアシェラッドがらみでアーサー王伝説がそれなりに関わってくる。この頃はまだアーサー王は歴史に地続きだったのかな。この本読んでいる限りすっかり空想の騎士物語というイメージが強いのだけど。

しかしアーサー王というと、甲冑着た騎士たちが〜というイメージがあるし、物語でもそう描写されているけど、5,6世紀だと鎖帷子だったという話を聞いてなんか凄いビックリした。
あとなんとなくアングロサクソンだと思っていたけど、全然全く少しもそんなことなくローマ系のケルト人の王というので、自分よくよくものを知らないなあと思った次第です。

あれ、セイバーって甲冑着てたな。まあ、ギルガメシュも西洋風の甲冑着てるしね。というかモルドレットが誰の子だよという話か。

アーサー王物語に関しては歴史的事実より物語がどう肉付けされていったのかという方が面白いのかな。
そしてモンティ・パイソンのホーリーグレイルがちょっと見たい。


■「サブプライムローン後の新資産運用」
投資信託でも買ってみるかと証券口座を開いたは良いけど、考えるのが面倒で放っておいたら、なんかいろいろ凄いことになっていて凄いからどうしようかなあ、むしろ買い時なのかなあとか思ったけど、面倒くさいのでやっぱり放置中なんですが、本読むのはまあ、別に面倒でもないのでどこかで話題になっていたこんな本を読んでみたんですが、僕の分かる範囲では、、
景気が悪いときは、現生(外貨預金含む)をもって、景気が良くなったら株を持とうね!! 景気の指標はこれだよ!!! このあたり見たら景気の転換点が分かるんじゃないかなー、頑張れば。
という本だった。
確かに勉強+情報収集は大事なんでしょうが、正直面倒……。
どうしたもんかなああ、と思うけど、思うだけ面倒なので、貯金してます。

金融工学に対する云々みたいな話もネットで見たりするけど、戦争が起こると医学が発達するように、大不況が起こると経済学が発展するのかなあと持っていたりする。

■「三国志」
小説漫画ゲームを含め三国志に関わるものは一切読んだことがなかったのですが、ネットでずいぶん評判の良かった北方謙三の三国志をのんびりと読んでみました。
北方謙三のは僕が三国志と聞いてイメージをする三国志演義、正史三国志をもとにしているらしい。その違いすら知りませんでした。

歴史物であり広い地域で多数の人間がいろんな事をしているんですが、描写が上手いのか、割とすっと頭に入ってきて、その時々全体がどうなっているのかというのが割と分かりやすく、読みやすかった。最初の方はさすがに諸侯が乱立して分からない部分も多かったけど。

皇帝に対する劉備の考え方などを見ていると、作者の天皇観がでているのかなあと思ったんですが、どうなんだろう。長く続く血筋を象徴として国をまとめ、政治をその時々の覇者がやる、というのはどれだけ一般的なのだろう。というか血に権威が宿るというのは一般的な考え方なのだろうか。
他の三国志は知らないですが、これに関してはこういう尊皇の考え方が大きな柱になっているのでちょっと疑問に思った。

全体としては相当面白かった。単純な英雄の活躍にならない戦争や、政治の描写とか、奇をてらわない魅力ある豪傑の尊斬カイとか。
三国志にどっぷりはまる人がいるのも分かる。小説としても歴史としても幾らでも深みにはまることが出来るもんなあ。

■「ソリッドファイター【完全版】」
古橋! 秀之!
ある意味では全く新刊ではないと言えるが、とりあえず新刊を読める幸せ! というか絶対続きは読めないと思っていたシリーズを、最後まで読めるという喜び!
十年ですよ、十年。細胞が小学四年生になるぐらいの年月です。
一巻読んで面白いと思い、続きを楽しみにしていたのに、それを、すでに全部書き上げているというのに、出版されないという、なんじゃそりゃという状態のまま放置され、何時しか完全に諦めてしまっていたんですが、グッズ扱いとはいえ、こうして自分の手に入ったのは嬉しい。

面白かった、期待以上。
ゲームが題材とはいえ古橋秀之がここまで真っ当な青春小説を描くとは思わなかった。一巻の段階では立ったキャラクターやおもしろおかしい描写からどうしてもコメディーとしての魅力が強かったが、二巻三巻と続くにつれ、どんどん熱い物語になっていく。格闘ゲームというゲームの中でもマニア向けであり難しく入り込みづらい世界の魅力を存分に描いている。端から見ればたかがゲームであるそれに、なぜそんなに熱中するのか。育てたキャラクターに一体どんな思い入れを持っているのか。
あるいは、好きだからゲームをやるということ、好きだからゲームを作る、と言うこと。プレイする人間と作る人間の燃えるような思いを存分に込めた傑作だった。

JUDGEとの対戦の描写は格ゲー小説史上に残る名シーンだと思う。そんなものがあるのか知らないけど。

ネットワーク対戦の格闘ゲームであるアルティメッド・ソリッドの設定は、十年後の今読んでも全然古さがない。むしろ先を行っている。行きすぎている。
QMAに限らず全国と繋がったゲームというのは今やそう珍しくはないのかも知れないが、ここまでキャラクターカスタムできるゲームはアーケードではないと思う。MUGEN以上のカスタマイズ性だもんなあ。
実際はそんなものではゲームを成り立たせるのが大変なんだと思うけど、夢を見てしまう。課金モデルは正直ないと思うが。

■「とらどら9!」
おーおおーーー、と読み終わった後叫んでしまった(誇張表現)。
スキー場で遭難騒ぎを起こした大河がお母さんにつれてかれたところで8巻が終わったわけですが、あの衝撃の告白からどうなるのかと思ったけど、さすが、竹宮ゆゆこは期待を裏切らないぜ。
というわけで、おわるものはおわり、おさまるべきものがおさまるべきところにおさまるかと、思いきや、こんな所に火薬庫が!! という感じ。あと亜美が実は一番ちゅうぶらりんだよなあ。もう一山あるかなあ。なんか亜美は全部自分の中に入れておしまいにしてしまいそうな感じもする。
続きが楽しみでたまらない。9巻は二ヶ月で出たけど、次はどうだろ。来年の年初にはでるだろうか。

電撃文庫は昔に比べて画一化しているというか、あんまり冒険しているのが少ない印象があるけど、こういう作品があるとそれも良いなあと思ってしまう。

アニメは、怖いので見てないですが、何処までやるかは気になる。と、思ってアニメの公式サイトのストーリーを見てみたら、なんだ、オリジナル展開でした。
まじ、どーでもいー。

■「火星の人類学者」
脳しんとうから突然色盲になってしまった画家、腫瘍から前向性健忘病になってしまったヒッピー、衝動的な動作をとめられない医者。手術で視力をとりもどした盲人などなど、脳にまつわる普通ではない話をまとめた医学エッセイ。

こういう脳に関する様々な障害などの記述を読むとむしろ不思議に思うのは、こんなにも複雑な構造を脳はもっているのに殆どの人は全く同じように発達する、と言うことだなあ。場所によっては少し障害が出来るだけで、"普通"ではなくなってしまうのに、そうなる人が全然いないというのは凄い。生物やっている人には当たり前かも知れないけど。
まあ、なんだろう、相手の云うことが理解できたり、相手の感情が想像できたり、小説を読んで楽しかったり悲しかったりできるというのはなかなか、当たり前といっていいのか。
そういう普通の不思議さというのを、普通ではない人たちの観察から浮き彫りにされているような気がする。

しかしサヴァン症の章については作者が自分の物人間らしい人間のイメージを、自閉症の人間から探そうとし続けているという感じがあり、どうにも気持ち悪かった。
僕の読みたいことに外れていたからかも知れない。
読みたいように読んでしまっているという話か。

■「心理テストは嘘でした」
血液型健康診断から始まり、ロールシャハテストや就職の試験にも使われるような定評のある心理テストが、いかに古く科学的でなく信頼の出来ないものであるかと言うのを、統計などを使って示している本。
まあ、血液型は問題外にしても、それぞれのテストがいかにアテにならないかと云うことには驚く。
ただこの本の題名で紛らわしいのだけど、有名なテストに駄目なものがある、と言うことをこの本で述べているが、全ての心理テストが役に立たないと云っているわけではない。だって、著者も心理テスト作ってるみたいだし。
要はエビデンスのないテストがまかり通っているんだけど、どうよ、と言う本でそこの所を読み違えると人間の心理は分類できないという本と勘違いしてしまうかも。

あ、あと定番だけどバーナム効果は押さえておくべきだよな。おもしろいよなあ、これ。多くの人に当てはまるような項目を挙げて、心理テストの分析結果として全員に同じ内容を配布したら、みんな当たっていると思ったという実験は笑える。
「テストの結果からすると、あなたはご飯を食べないとお腹がすくようです」と言うような実際なにも分析をしていない”分析”が当たっていると思われてしまう。
しかし周りの人と見比べられる状況ならともかく、なかなか、そうと見破るのは難しいと思う。

■「銃・病原菌・鉄」
なぜ、ピサロがインカ帝国を滅ぼせたのか。なぜアメリカ大陸の文明がユーラシア大陸を侵略しなかったのか。という歴史を学んだときに浮かぶかも、しれない疑問を、考古学から始まり様々な分野の研究結果をまとめ考察することで解き明かそうとしている本。

それはタイトルにある銃と病原菌と鉄をピサロが持っていたのだが、なぜあの時代にそれらを持つ社会と持たない社会に分かれたのか。あるいはそれは人種の差であるのか?

まあ、もちろん人種の差なんてものではなく、要約するとユーラシア大陸が東西に広がっているのにたいしてアメリカ大陸は南北に広がっていたから、及び人間が栽培可能な植物がどれだけあったかという植生の違い、飼い慣らせる動物が居たかという違いに集約される。
すがすがしいのは、ここでは偉人など個人の業績は出てこない。それらは環境の違いから来る確率の違いにだいたい吸収される。僕の持っていた事実の羅列という歴史のイメージはここには全くない。群を成した集合としての人類と社会が与えられた環境にどう反応し、どういう社会を形成していくかと云うことを、さまざまな証拠をもとに分析している。
すなわち、この本では歴史の根っこに一貫してある、この地球上の人類社会の成り立ちの普遍的な部分を分析している。ディテールに打ち負かされて歴史が苦手になってしまった自分には、とても興味深い本だった。

この本を読んで思い出したのはアシモフのファウンデーションシリーズにでてくるハリ・セルダンの心理歴史学だ。これは個人レベルでは行動は予測できなくても、集団が大きくなればなるほどその行動が予測しやすくなると云う観点から、歴史を統計的に分析することで、人類社会の行く末を正確に予測している。このシリーズ全体の中核をなす設定だ。
この本の非常にマクロな視点は、未来は予測していないもののこの心理歴史学のアプローチに結構近い気がする。
個人の業績は他の人の行動に打ち消されて、全体としてはマクロ的な要因を上回る影響を与えるのはまれである、と言うことかなと読んでいる途中で思っていたけど、後の方の中国の話で、大陸の形や気候、植生といったマクロ的な要素が、個人の意志というミクロ的な要素が社会全体に大きな影響を与える下地を作ったというのもあり、そう単純な話ではないのだろうと思う。

歴史というのはもっともっと面白いのかも知れないと思わされた。どうやれば歴史を楽しめるのかというアプローチを最近考えているんだけど、今一良い方法が思いつかない。
地理を先にやった方が良いのかとも思うが。

その前に「文明崩壊」でも読むかー。

■「詩羽のいる街」
作者にこれお前だろ、と云いたくなったのは僕だけではないはず!

ある地方都市を舞台に、他人に親切にすることを"仕事"としてクラス不思議な女性を軸にした四編を収録した短篇集。山本弘というのはもともと自分の考え方などを作品を通して語る、メッセージ性の強い作家という印象があったけど、この作品はその傾向が特に強まっている。現実にネットとかで起きているような出来事が作中で起きているのでその印象が更に強まっている。途中ブログで読んだような気がする事が詩羽を通じて語られていて、妙に既視感を覚えた。
というわけで妙な気分になりながら読んだ。なんというか、山本弘の正しさへの極端な志向というか、潔癖症的というかなんというか。なんだか自分が責められているような気分になってしまって、どうも。そう人間賢くなれないよと言い訳がましく思ってしまう。

あ、小説自体は凄い面白かったです。

■「PTA再活用入門」
川端裕人の自身のPTA体験と取材を踏まえた上での、PTAをどう再生していくかという提言。
へー大変なんだーという感想しかなかったりする。メンタルになる人もいるというのはビックリした。学校や地域ごとにずいぶんと違うようだけれども。

■「戦争における人殺しの心理学」
第二次世界大戦で、兵士の発砲率が非常に低いということが明らかになり、その後アメリカでいかに兵士に躊躇無く撃たせるかという研究がされたという話を前聞いたことがあった。
この本では戦場に立ち、殺す殺されるの状況に立たされた人間が、どう感じどう考えるのか。どういう人間が、あるいはどういう状況では抵抗なく殺せるのか。それらのストレスは、トラウマは、帰還した兵士はどうなる? などという戦争に関わる人間の心理を様々な観点から分析している点。
極限状態に置かれてさえ、人間がいかに人を殺せないかという事を知ると、何かしら希望すら湧いてくる。殺される方がまし、と言うような行動を取ると云うことも。
そういう人間の本能をごまかす技術の発展に関してはともかく。
想像力の及ばない範囲では人は幾らでも残酷になれるということでもある。サドの作品なんてそんな感じじゃね。
それはともかく。

想像力の及ぶ範囲での人間の他人を殺す事への忌避感というのは、これ程強力だというのは衝撃だったが、一方では実社会で人を殺す人間はどういう人間なのかという疑問が湧いてくる。

■「夜這いの性愛学」
かつて実際に夜這いを行っていた社会にいた民俗学者である作者が、昔の村や商家での夜這いなどの性に関する話を語っている本。信憑性は知らんし結構重複している部分も多くまどろっこしくも感じたが、なかなか面白かった。性に対する考え方が全く違うんだなあと驚く。実際作者が強姦を行ったこと(勿論そういう場であるとはいえ)などもあっけらかんと語られているのだから驚く。今の視点から表層を見れば性モラルが崩壊しているように見えるかもしれないが、その実結構決まり事が厳しいというのが目に付く。
つまり昔の日本が、生に開放的だったとか、おおらかだったとか云う話ではない。単に今と全く違った社会の中で、その中に適応した、全く違った性風俗があったと云うだけだろう思う。そういう意味では著者の昔と比較して現在を批判するのは全くと言って良いほど的外れだと思う。

実際の所どれだけ昔の社会の話を蒐集したところで、その記憶の正しさはどうはかるのだろうとか、地域ごとに相当異なるであろう民俗をどうやって集めるんだとか色々思っていたけど、現在の社会を相対化するのも民俗学を読む楽しさの一つなのかと、読んで思った。

■「ギルガメシュ叙事詩」
つまらん。
いや、別にこの本が悪いんじゃ全くなくて、こういう学問的要素が強い本を小説として楽しもうと思った僕が全く悪いんですが、お話として読もうとすると、かなりつらい。
叙事詩自体がどうこうと云うより、この本、実際の石版などの資料をなるべく正確に翻訳するというアプローチなので、文章の途中で容赦なく[ ]とか(以下数行破損)とかあって話が飛び飛びになる。
お話を楽しむならまた別の本を読めば良かった。

■「The ROAD」
終末世界の親子愛の物語。理由は分からないが完全に崩壊した世界で、日々を何とかしのぎながら生きている親子の絶望と絶望の物語。
守るものが大切であればあるほど他人を信用できなくなる。信用するというのは多かれ少なかれ賭なんだと思った。万が一にも失えないと思えば、かけることは出来なくなる。賭けないことはそれはそれで賭けなのだろうけれども。
アメリカでもこういう果てしなく陰気なお話が受けるんだー、とビックリした。世相を反映しているのかも知れないけど。

■「ねじとねじ回し」
道具におけるこの千年期で一番の発明は何かという本。タイトルが答えですが。
で、様々な文献を辿りながら、ねじが発明された瞬間を追い求めるミステリー仕立てになっている。正直道具全般的に馴染みが無くて今一よく分からなかったけど、DIYスキーな感じには、最高の本にも思えた。

■「津山三十人殺し」
八つ墓村のモデルとしても有名な津山三十人殺しの事件のあらましと犯人の人生についてのドキュメンタリー。鬱屈してはいるけど頭の良い人間だったのかと思わないでもない。どうだろう。しかし世間の価値観を内面化しつつ、そこにおいて自分が劣った人間であるという考えを抱いているというのは興味深い。
まあ、しかし一線を越える理由は一切分からなかった。なんだろうね、気違いと切り捨て居るのも、良くはないのかも知れないけど、この手の事件で犯人に共感するというのはどうかとも思う。アキバの事件でもそういうのみかけたけど。
踏み超える人間と超えない人間の差は、例えどんなに置かれた環境が似ていたとしても、絶対的なものなのではないかと思う。