2006年04月01日

桜を見たときの居心地の悪さ

もう四月ですね。新年度明けました。

ここ数日桜が実に見事に満開でいい感じで見頃な雰囲気を演出しているのですが、こう、なんというか、我が世と咲き誇る桜を見ていると僕はどうにも居心地の悪い気分を憶えてしまいます。去年どう思ったかは分からないけど今年は凄く居心地が悪い。居たたまれないというか。
いや、別に桜を肴に宴もたけなわな連中が憎い、憎い! とかそういう行動的な精神力は持ち合わせていないのですが、なんというか受動的に嫌な気分になります。意味が分からないですね。
つまりカップルを殺したり、桜の木を切り倒したりといった建設的な方向にわかりやすく負の感情が巻き起こるわけではなく、もやっとしたものが胸の中にもやっと浮かぶんですよ。
頭が満開になれるほど前向きな人間でもないので街中の桜を見ても前傾的な精神状態になるわけではないのですが、だからといって桜を見て多少でも後ろ向きになるのもどうかと思うので、こうその精神状態とその理由をがっつり消化して栄養にしたい。
で、とりあえず僕の中の結論ですが、桜の持つ時間制限付きの楽しみの精神的圧迫が何とも言えない気分にさせるんだと思われます。
わかりやすい例で言えば花見であり、ハッキリ言えば桜自体なのですが。
つまり、見頃の桜が放っている今楽しまなければ、一週間後にはもう楽しめないぞ、さあ、いま楽しめ、さあ、とそういうメッセージにたいして僕はどうも勘弁して欲しいなあと思ってしまいます。そもそも楽しむことにたいして時間的な制限をかけられるとなんか微妙な気分になります。何時までに楽しまなければ楽しめないとか。まあ、それを言ったら上映中の映画とかもそうなんだけど、桜とか花見は、普通楽しむもの、といったまた別種の強制力を感じるので居心地の悪さがさらに増します。なんだかなあ。自分が楽しむものは自分で決めますが、それでもそういうのはある程度気にしてしまうのは確かです。そういうのが気にならない人間なら僕も後ろ向きなんてならない。
何でこうなるのかなと考えると、多分自分が普段楽しんでいるものである漫画、小説とかが基本的に時間的な制限のない娯楽だからだと思う。まあ、絶版になる可能性はありますが、買っておけば何時楽しんでもいいわけです。実際僕は買ってから四年後に読むとか結構あるし。逆に図書館とかで本を借りても読む気になれない。二週間以内に返さなきゃと思うと、実に面倒くさい気分になる。
あーまあなんか時節の楽しみとかをしっかり楽しめるのは羨ましいというか。それだけですけどね。僕は自分からそういうタイミングをつかんで楽しむことが出来るほど行動的にはなれない。いすには根が生える。歩いて十歩もかからない玄関は実に遠い。暑くなれば夏、寒くなれば冬。それが季節感。
日本は四季の変化に富んだ国です。
そうですか、知りませんでした。