2006年09月03日

さよなら八月。

と、ふと気がつけば九月であり、目を覚まして窓を開けてぼーっとしていると僕の家の前の通学路からは学生の声が聞こえ、ああ、世間的に言うところの夏休みは終わったんだなあと感慨にふけりながら、結局ぼーっとしていました。
しかし、大学生の休みは、というか授業が始まるまではまだ一ヶ月ぐらいはあるのだなあと沈思黙考する。実に哲学的な思考である。
僕も今はやることはあるのでそこまでではないのですが、学部生の時の休みは二ヶ月も頭使わないので、新学期が始まると苦労しましたね。あと新学期は板書を取ろうとすると、字が書けなくなっているのがきつい。変に力が入るのか、一、二限ノートを取るだけで手が疲れるので。
そういえば先学期はパワーポイントの授業が殆どというか、全部そうだったから全然ノート取ってないなあ。パワーポイントは睡眠欲に対する強い親和性を発揮するので油断ならない。



三省堂本店に行ったら画集にビニールがかかっていなかったので、ぱらぱら見ていました。比較的最近出た山田章博のファンタジーアートワークスの中を見て、まあこれは買わないでいいか、と思っていたのですが、今日部屋を片付けているときに本棚にあるのを発見してしまいました。
……まあ、そんなこともありますね。それにしても買わなくて良かった。

どうでもいいけど山田章博の絵はカラーより白黒の方が好みなので、モノクロ画集もっとでないかなーとおもう。ラーゼフォンとか忍とかじゃなくて、挿絵画集がもっと出て欲しい。


昨日十二時ぐらいに、よし今日は早めに寝ようと思い立ったのですが、どうしてか部屋を綺麗にしてから寝れば朝起きたら爽快な気分になれるんじゃないかというよくわからない考えにいたり、片付け、掃除してから寝たら結局いつも通りだった。
起きたら朝じゃなかった。
部屋を綺麗にすると、こう、満足感に浸れるんですが、片付いた部屋を眺めるだけで何もする気が起きなくなります。あと床とかに転がったり。でもよく考えたら汚いなら汚いで何もやる気が起きないような気がするので、部屋の状態ではなく、もっと別の問題だと考えることも強いて言えば不可能ではありません。
と言うわけでとりあえず黙示の島→孤島→と言う思考の流れでミナミノミナミノ再読。一年半ぐらい経っているけど、続きでないなあ。それをいったらE・G(以下略


「さよならダイノザウルス」ソウヤー
素敵。
タイムマシンが出来たので、恐竜が滅亡する原因を探ろうと考古学者が二人、時間旅行に出かけたら、そこには言葉をしゃべる恐竜がいて……。
という感じの話。これより先を書くと、何を書いてもネタバレになりそうなので書けない! と思ったけど、ココ読んでいる人でこれから先この本読む人いないんだろうなあ、と思ったけど、一応書くのをやめよう。
この本では、恐竜は何故絶滅したのか、恐竜はなぜあれほど巨大化したのか、といった未だに明確な答えが出ていない(んだと思われる)いくつかの問題について、想像を絶する回答を用意してます。それをどう受け取るかは読者によるんだろうけど、とりあえず僕はよくもまあ、こんな事思いついたと思いました。
人間ドラマとSF的な仕掛け、センスオブワンダー、冒険小説的描写、等々様々な要素をどれにも偏りすぎることなく見事な娯楽小説になってます。この辺のバランスの良さというか、SFとしての斬新さを持ちながらここまで読みやすく無心に楽しめる話というのは凄いですね。
R.J.ソウヤーは4冊しか読んでいませんが、何といえばいいのか、著者の人柄の良さが感じ取れるような作品ばかりですね。ああ、いい人だろうなあと思わせる。


「グノーシス 古代キリスト教徒の<異端思想>」筒井健二
グノーシスとかよく作品中で見たりするので、多少は前提知識をつけと思ったので読んでみた。ほら、EDENとかハイペリオンとか、思いつかないけど他にも色々あるに違いない。と言うわけで、僕の好きな書評サイトで絶賛されていたので、グノーシスの平易な解説本を読んでみました。

研究者が書いた本なので、厳密さを保つため、著者がどういう立場で書いているかというのを、研究の背景などを含めてしっかり書いているので、多少読みにくいなあと感じたのは多分僕が歴史関係の本を全然読まないからでしょう。ただそうしてなおそれなりに分かりやすいのはさすが。それはともかく、もう歴史的経緯とかはいいから適当なスナップショットをバーンと出してくれと化短絡的に思ったのは内緒だ。
基本的にキリスト教グノーシスの最盛期である二世紀前後の主な三派の思想について述べ、それらと所謂正統派キリスト教会との関係、その前後の時代のグノーシス、といった感じで説明しています。
各派のグノーシスが大体満たしている要素は次の三つだそうで。
・反宇宙的二元論
・人間の内部に「神的火花」「本来的自己」が存在するという確信
・人間に自己の本質を認識させる救済掲示者の存在
なんだこりゃ。
善なる至高神と創造主は別であり、この宇宙は創造主が作った劣悪なモノである。しかし人間の中には至高神につながる要素がある。人間はその至高神につながる要素を認識(グノーシス)することで、至高神のところへ戻ることが出来るが、何もしないときがつかないので、至高神が啓示者を使わしてくれる。つー感じでいいんですかね。多分。
まあ、派によってこれに当てはまらない場合もあるみたいなので何とも言えないそうですが。
EDENに出てくるプレーローマとかアイオーンとかプロパテールとかそういうのはウァレンティノス派の用語というか、世界観らしい。プロパテールが至高神で、そのパートナーがエンノイア、そこから生まれてくる神格がアイオーン、最後のアイオーンであるソフィアがなんかしたので創造主が生まれたりなんなり。はあそうっすか。

キリスト教と言えば今のキリスト教になじみ(というほどのものでもないけど)がある僕らには変な事考えるなあと思ってしまうけど、むしろキリスト教の考え方をかなり理論的に詰めていった結果生まれたんだなあというのが驚き。また、それに反駁する形で正統派教会が理論的に教えを体系化していったみたいなことが書いてあったので、面白いなあと思いました。旧約聖書の創世記の所とか無からの創造という考え方がそもそも無いとか、なんとか。原始キリスト教から今のキリスト教ができる過程というのも読んでみると面白そうだなあと思ったけど、僕が読んでもわかるレベルの本なんてあるのかな。

うーん思想史とか哲学史とかにはまるのもわからんでもないなあ、と思った。そんなにはわからないけど。



小林泰三の「脳髄工場」ってチャンの「あなたの人生の物語」のホラー的な翻案と考えることも出来るなあ。と今ちょっと思った。というよりこの手の話って既にジャンルとしてあるのかな。SFに限らず考えつきそうと言えば、考えつきそう。まあ、後出し的にそう思うだけですが。
イーガンの「百光年ダイアリー」もそのバリエーションとも考えられるけど、アレはそれを崩すことでアイデンティティーを確率する話で、脳髄工場とは正反対の話だよなあ。うーん僕の狭い知識ではぱっと思いつかないけど、他にも多分あるんでしょう。意識して探したことがなかったのでよくわかりませんが。