2006年09月19日

投げやりな近況5

関東。


「スミレ16歳」
短期連載は16歳であり、連載は17歳であると、声高に主張した僕ですが、その実、連載は16歳であり、短期連載は17歳であった。けだし、「真実はいつも一つ」、である。


「ユリア100式」
好きずきなんじゃない?
何で買ったんだっけ。あ、そうか。


「カラスヤサトシ」カラスヤサトシ
作者の日常の変な行動や、昔の思い出や、周りの人間を、乾いていないジットリとした視点でギャグに仕立て上げている4コマ漫画。
面白い。僕の中で大ヒット。ギャグマンガでココまで声を上げて笑ってしまったのは久しぶり。
裏表紙に掲載されている4コマを見てプッと吹いてしまった人は、買って帰ると存分に腹筋と表情筋を鍛えることが出来るはず。


「塵よりよみがえり」レイ・ブラッドベリ

SF界隈でタイトルをつけるのが上手い人をあげろと言われれば、僕はP.K.ディックと、このレイ・ブラッドベリをあげる。ディックは「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」や、「流れよ我が涙、と警官はいった」など、数えることも出来ないほどパロディにされているものや、堕胎をテーマにした名作「まだ人間じゃない」、あるいは「パーマー・エルドリッチの三つの聖痕」等を見れば、いかに印象に残るタイトルをつけるのが上手いかわかる。ついでに言うなら、映画化されたタイトル数も、SF作家の中では多い方だとおもう。何か関係ないかなあ。
ブラッドベリも、ディックの奇妙な味わいを持ったそれとは違うものの、非常に印象深いタイトルをつける。例えば「ウは宇宙船のウ」、「火星年代記」、「華氏451度」、「太陽の黄金の林檎」。どれもシンプルでありながら、それ自体が既に一つの話となっているような、見事なタイトルになっている。「10月はたそがれの月」に見られるように、訳者が卓越しているのももちろんのことではあるけど。

というわけで「塵よりよみがえり」。これもいいタイトルだよなあ。レイ・ブラッドベリ「塵よりよみがえり」。でもう完成された物語になってると思う。レイ・ブラッドベリ、でこれまで読んできた彼の著作を思い起こさせ、「塵よりよみがえり」で、これから読む話への期待を存分に盛り上げてくれる。
という僕の思い入れはどうでもいいんですが。いいタイトルだなあと、ハードカバーが出たときから気になっていた。けど、あんまりお金がなかったので買わなかった。買っておけば良かった。

この本は「集会」、「四月の魔女」といったエリオット一族ものの集大成である。無数の短編集に散らばった一族の物語を一つに集め、いくつかの書き直し、書き足しを加え一つの長編にした、「火星年代記」のような形式の小説だ。
イリノイ州の片隅、荒野のただ中に経つ一つの巨大な屋敷。そこには<ひいが千回つくおばあちゃん>、ファラオの娘のミイラ、あるいは眠り続けながら、心を世界中にさまよわせている魔女、セシー、消して眠らない<霧と沼地の貴婦人>、塵からよみがえった者たちがいる。そしてただ一人の人間であり、屋敷の前に捨てられた少年ティモシーに<ひいが千回つくおばあちゃん>は屋敷がどうやって出来たのかを語り始める。
その次の日、万聖節に世界中に散らばった魔力を持った者たちが集会のために集まり始める。
元が短編であるため、一つの通った話があるわけではない。しかし、もともとは別々に、しかも五十五年もかけて書かれたいくつもの話が、多少の加筆はあるとはいえ、こうまで見事にまとまっていることには驚きを憶える。
しかし、ブラッドベリの作品に感想を書くのは馬鹿馬鹿しい気もする。この本にはブラッドベリの作品を読むといつも覚える、瑞々しい無数の感情と、新しさがある。それは例えば子供の頃に感じた何かへのあこがれであったり、ちょっとした事に覚えた喜びであったり、そういった普段なら思い出すこともないような感情の記憶に触れる不思議な言葉がそこにはある。
もちろん、彼の作品を読んだことのある人には言うまでもなく。

国の違い文化の違いという壁と、翻訳というさらに大きな壁を乗り越えても、読者に強く届くその驚くべき力を持った作品を、今なお彼が作り続けていることを知れるというのは、非常に嬉しいものです。


 祖母の家にブラザーの複合機を設置する。で、説明書を見ながら色々設定していたんだけど、なんというか、この手のモノが誰でも使えるようにはならないんだろうか、とちょっと思った。いや、ブラザーのは携帯電話的な考え方を導入した素性のいいインターフェースで使いやすいと思うんだけど、それでもなかなか単純というわけにはいかないし、祖母が一人で使えるかというと、まあ、ムリだろうなあと。
 僕だって説明書がなければしんどい。トライアンドエラーである程度どうにかなるだろうけど、それは僕がこの手の機械にはこういった機能があるはずだ、と、脳内モデルがあるからだし、全然知らない新規の機能については、いかんともしがたい。そして当然のように説明書は読みにくい。

あとPCもなあ。まあ、四年前のVAIOでありOSは悪名高いMEなので、精神的には心の底から、肉体的には腹の底から遅いと絶叫したくなる、とてもしんどいのだったというのは、さておきなんか色々思った。
PCは家電には、少なくとも今のところはなり得ないな、という話と言うかパソコンを誰でも使える家電と偽り、売ろう行為はあまりどうかなあと思う。ユーザの行動がOSベンダの想定内であり、かつまたパソコンの動作も想定内なら問題ないんだろうけど、パソコンというのはまあ、割とトラブルがあるモノだし、トラブルが起こると詳しくない人の手に負えない場合も多々ある。
保証期間内とかならベンダに持ち込むなりねじ込むなり問題ないんだろうけど、いやそうであってもまあ「周りの詳しい人」とかになんか不思議な質問がきたりするわけで。パソコンのトラブル解決なんか、下手したら一日なんて簡単にかかってしまうモノであり、知るかボケ、自分で調べろと言う気分になる、と言うのをネットで見るし、まあ、そう思うのもわかるなあとも思うが、それはでも詳しい人の理論であるなあと思ってしまった。あまり詳しくない者としては。
いや、まあ僕の場合は割と前から使っているというのと、兄が良くサポートしてくれたからと言うのがあるため、Windows等では日常生活に支障が出ない程度には知識もあるけど、Linuxとかで少しつっこんだことをやろうとするとよくわからない。というか、あまり積極的に学ぶ気がないというのが一番問題ではあるんだけど、それはまあ、PCに疎い人にとってのPCに対する態度と同じなんだよなあと思うと、そういう人に対してどうこう言うのは問題ある。所謂ハッカー的な興味は結局僕の中には全く存在しない訳で。環境的に恵まれていただけであり、特に資質があるわけでもない。というか資質がある人が僕と同じ環境だったら、腕の立つハッカーとかになっていると思う。
というわけで現状で僕が、Linux関係とかでは「周りの詳しい人」に多少は世話になっている以上、そして「自分で調べろ」での向上心もあまりない以上、教えて君的な人に対する攻撃的な感情を僕が持つのは適切ではないように思われる。
まあ、自分が使えないモノを使うなという事なのかも知れないが、それでも私語となりなんなり環境的に使わざるを得ない可能性はいくらでもある。もちろん聞く側の人間性の問題とかはあるんだろうけど、それは枝葉末節なのでさておく。

と言うわけで問題は、そんな問題の起こるパソコンとかだよなあ、と。
いや、昔に比べれば天国のように簡単になっているとは思うんですが、と言っても知っている昔はPC98程度であり、Configを書くのを兄にやってもらっていたんですが、それを差し引いても、今のMac、Windowsはずいぶん楽になっていると思う。Linuxだってインストールとかはずいぶん楽だし。

でも、なんでココまで枯れないのか、とちょっとは思ったりする。
思ったりするが、パソコンが万能計算機であり、何でも出来る魔法の箱であり、性能と機能向上が明白な運命である限りは枯れることはあり得ないので、仕方はない。まあ、性能機能が良くなるにつれインターフェースとかいろんな思想とかが変わっていくのは何だなあと思ったりはするけど。それも制作者側がより良くしようとしてやっているんだし。良くなるかどうかはともかく。

しかし現状パソコンがネット及びメール専用機になっている場合が多いし、何とかならんもんかなあ。音楽とかそういった部分については、iPodと言った特定用途の専用機があるし、他の機能についても専用機が出来ていかんかなあ。iTuneと同等機能(それ以上でも以下でもない)のあるメディアサーバとか? そういう機能を限定した多数の機械に逆戻りすることで、使いやすさを向上させていくのも良さそうだよなあと。金があれば。
で、ネットとかインターネットについてはどうなんだろう、とか思っていたら、この前のNintendoのWiiに関する発表を読んでて、コレWiiチャンネルでいいんじゃないのってきになってきたけど、メールは出来ないっぽいけど。

パソコンで何でもしようという感じのは貧乏人の発想になってくるのかなあ、と思ったり思わなかったり。パソコンでしかできないこともあるわけだけど、もちろん。それ以外については。


結構SFがおいてある古本屋を見つける。量はそれほどでもないけど、サンリオとか名前忘れたけどハヤカワの昔の新書サイズの叢書がおいてあった。値段は余りやすくなかったので絶版本、と思われるモノの中から4冊買った。一冊はサンリオなので確実に絶版なんだけど、創元SFとかで再版される可能性はある。あとはハヤカワ。
という感じだったけど、一冊は絶版じゃなかった。まあ、アシモフだもんなあ。冒険しなさ過ぎだな。功力が足りない。


といっても最近だとAmazonで買う方がよほど安く手軽に手に入るんだけど。
しかしネット経由だと、偶然入った古本屋で何年もなんとなく探していた絶版本を見つけたときの感動とかは味わえない。世の中にあれほどの感動はそうはない。


東京ドームの本屋に行ったら、野球や格闘技などスポーツと、競馬などギャンブルに関係する本が前面に押し出されていて面食らう。あと、サブカル系の本とか。こんな本屋見たことない。と思ったけどよく考えれば東京ドームだもんな。客層が知れて興味深い。


アルフィーのアルバム「Non Stop」を聞きながらiTunes7のギャップレス再生に感動する。多少ギャップがあってもそんなに気にならないよ、とか思っていたけど、こうしてギャップがないのを聞いていると全然違うなあ。聞いていて引っかかるところがあると、意識がそっちに引っ張られるので気持ち悪かったんだな。