2006年09月27日

もう近況じゃない

いや、近況は近況なんですがね。


「壬生義士伝」浅田次郎

タイトルにもあるように、新撰組の隊員を題材にした時代小説です。
僕自身は新撰組にも、そもそも時代小説にもあまり興味はなく、新撰組関連で読んだことがあるのは司馬遼太郎の「燃えよ剣」と「新撰組血風録」ぐらいのものです。前者は面白かったのですが、だからといって新撰組自体に興味が向くことはなく、これらを読んでいこうは一度も新撰組関連のものを読んでいませんでした。なので名前は聞いたことがあったとはいえ特に興味もなかったのですが、非常に進められて読んだのですが……
これは良かった。とても良かった。
元々涙腺のずいぶんと緩い僕とはいえ、ココまで目にゴミが大量に入ったのは久しぶりというか、初めてかも知れません。あまり”感動もの”に分類されるものは好きではなかった僕が、こうまで胸を打たれたのは歴史小説という実際にあった出来事を元にしたものだからか、あるいは主題によるものなのかはわかりませんが、何にせよあまり読む姿を人に見られたくないですね。

幕末、鳥羽伏見の戦いが幕府軍の敗北に終わった日、大阪の南部藩の屋敷に一人の新撰組の落人がやってくる。元は南部藩の武士であり脱藩して新撰組に入った吉村貫一郎は、故郷に戻り妻子に再び会うことを望むが、しかし幼なじみだった大野次郎衛に切腹を命じらる。
時代は下って大正時代。一人の取材者が、新撰組の生き残りの老人の所にやってくる。老人は彼に請われ、吉村貫一郎の思い出を話し始める。

この小説の形式は多少変わっていて、はじめの部分、主人公が南部藩の屋敷に来る下りをのぞけば、一つは取材者を対象に幕末の生き残りが昔の思い出を語る、と言う形式、もう一つは主人公が切腹をするまでに考えていること、という形式を取っています。さらに言えば取材者の言葉さえ一つもなく、それは語り手の言葉から推測されるのみとなっています。
そのため語られることは全て完全な主観となり、それがこの小説のストーリテリングの肝となっているように思います。一つの出来事が、一人の目からは表層的にしか見えないものが、複数の人間の目から見ることで、全く違った意味があり、意図があったことがわかる。同様に、一人の目からはつまらない人間に見えた人が、全て読みおわったとき、想像もしなかった全く違った人間がそこに見える、そんな小説です。
はじめ吉村貫一郎は風采のあがらない人物に見えます。学も武も並々ならないものを持ちながら、しかし金に意地汚く、身なりも整えず、武士道の一つの極北とも言える新撰組の中で、いわば武士道にもとる、矛盾した人間に見える。
しかし証言を重ね、なぜ藩校で学問も武術も教えていたほどの人間が脱藩したか。なぜ、新撰組にはいったのか。なぜ……と吉村貫一郎にまつわる不思議に答えていく中で、実は彼が一つの大きな考え方、生き方を貫いていたと言うのが見えてきます。

様々な物語の中には、様々な傑物がいます。名誉のために、あるいは家族や他人のために命を落とす人、僕もそういった物語に感動を覚えたことは何度もあります。しかし、多くの場合そういった傑物はそれがために人間を超越しているように思います。彼らの滅私の精神は、実在することを信じるのは難しい場合が多くあります。
「壬生義士伝」はしかし、そうではないと思います。人が人でありながら、どういった存在になりうるのか、あるいはならざるを得なかったのか。家族、友人、名誉、お金、命、国と言った大切にするべきもの、しかし全てを守ることの出来ないものなかから、どういう選択をしたのか。何故、しなければならなかったのか。そういったことを書いているのだと思います。
そして、それを読み知ったとき、武士道と理想化されたものではない、しかし有り得べきだった武士が、あるいは義士がどういうものなのかが、僕たちは見ることが出来ます。

激動の時代と恵まれない環境と恵まれた才能が形作った一つのすさまじい人生を、卓越した語りで読めるのは、本当に嬉しいことだと思います。


「そらとびタマシイ」五十嵐大介
「魔女」の続きが出なさそうなので買ってみました。んー「魔女」に比べると前だからなのかよくわからないけど、話は荒い感じもする。
絵は「魔女」と同様ものすごく上手い。上手い上に、もの凄く生々しい。異様な描写も生々しいもので、見ていて気分が悪くなったりもします。
良かったんですが、それはともかく個人的には魔女の続きはでてほしい。


「よみきりものの…… コオニライフ」竹本泉
竹本泉の感想は楽でいいですね。
いつも通り。

この安定感!!


近況というか。ダラダラと2chの家族にものを捨てられない人がいてこまる、という感じのスレッドを読んでいたら、なんかまたもー激しくモノを減らしたい衝動に駆られた。
とはいえ、断じて僕はものを捨てられない人間ではない。

で、何を処分できるか色々悩んでいたんだけど、とりあえず本は処分しないとすっきりしないと言うことは明々白々なので、そこから始めようと思った。段ボール一箱、特に大判の本とマンガをメインに処分しようと色々選んで、一応は一箱分選んで、さあコレいったい誰が古本屋に持って行くんだよという気分になっているんですが、それは本題ではない。

本題。
かたしている途中で青い鳥文庫版のレンズマンをつらつら読んでいたらなかなか衝撃的な描写が目に飛び込んだので引用。しようかと思ったけど、多少冗長なので創元SF版から対応する部分を引用。
「すでにあらゆる種類の気違いじみた団体が各所で名乗りを上げ、絶対主義から無政府主義にいたるさまざまな主張を喧伝しているし、奇妙な宗教が次々に生まれ、自由恋愛や切迫した世の終わりなど、常識外れの協議が幅をきかせ始めている。」
エ、自由恋愛ってそこに並列に入れられるようなモノなの? というより主人公とヒロインは自由恋愛でくっついていたんじゃないの?
うーむ。1950年代のアメリカでの自由恋愛観ってそんな感じなのかなあ。あとそもそも自由恋愛という言葉じたい、今や結構時代がかっていると思った。当たり前すぎるのか、いま使う人いないように思われる。


落書き。へ〜ほ〜。

d060926.gif