anticlimax
と、格好良くENGLISHで書いてみる。
今日の日記を、このサイトを見ている秒刻みでスケジュールをこなすエルィートのためのエグゼクティブサマリーとして一行で要約すると、審査がありました。以上。
発表はアレでしたし、質疑応答の応答の辺りもかなりアレだったんですが、その辺は、受験生時にセンター本番を除けば、模試も二次試験でも自己採点したことがない私としましては、過去は、振り返る物ではなく、忘れ去る物であるという原理原則真理に立ち返り、たった今忘れました。
今日何かありましたっけ?
さて、今日在った何かは良いのですが、昨日までの私はそれに向かって雄々しく駆けるバッファローのような存在でした。ただ振り返ることなく猪突猛進で走り続ける、レミングのような存在でした。
何かが終われば、そう、それさえ過ぎれば、何か変わるはず。この何ともいえない腹につもる澱を吹き飛ばす流れが僕の心にやってくるはず。そんなリリカルな信念を胸に、昨日の夜、不安感とたたかいながら、それだけを頼りにグースカ寝ていたわけですが。
そう「 」は、大変な物を盗んでいきました。
僕の解放感です。
我慢に我慢を重ねて駆け込んで用を足したというのに、あり続けるこの残尿感! ストレスを与えて、与えて、与えたというのにやってこないクライマックス。あの、心が空っぽになるような状態は、どこへいったの?
だめですよ、コレ。この一ヶ月を物語としたら、プロットとしてはバッテンです。及第点に達していません。読んだ人は納得いきませんよ。見た人も残念賞!! 時間の無駄でした。ああ、そうとも、ガッカリですよ。金返せ! 金を返せ! リターンマネー(返金してください)!!
そんな怒号が場内に響き渡りました。
ちょっとまってよ! お義理で良いから何かないの? 僕を解放してくれよ! スッキリさせてよ! なにもないのかよ!
解放感は? 安心感は?(金曜日までありません)
さて、ここで、プロットの問題点について語りたいと思います。これは、僕の熱い情念の時系列変化を理系らしくグラフで見ると、何処に原因があったか一目でわかります。
そう、大事なのは、この落差なのです。
ギリギリまで、ギリギリまで間に合うかどうかの不安になりながら睡眠時間を減らしタダひたすら液晶モニターに立ち向かう戦い。あと、十時間、あと六時間。刻々と迫り来る発表時間。いそがないと、いそがないと、ヤバイヤバイヤバイ、ストレスで胃はもたれ食欲もなく、睡眠不足で頭もくらくらしているが、しかし寝るわけにはいかない。今ココで寝たら、全ては終わり。もう一年、もう一年繰り返すことになる。そう、丁度一年前、研究室を休み、あまたの会社を巡り、ようやく得た内定。この数ヶ月、何とか形にしてきた研究も全てはなかったことになる。リセット。
振り出しに戻り、も、もう一度やり直し。
そんなのは嫌だ! 絶対に嫌だ!
あと三時間。論文は何とか形になった。アラはいっぱいあるけど、先生方もそこまでつっこんでは見られないだろう。次は発表資料だ。アウトラインだけは書いたが、まだまだ、スカスカ。一枚一分としても、最低25枚は埋めないと行けない。
背景
残り二時間半……
関連研究
残り一時間五十分……
提案手法
残り一時間二十分……
実験
残り一時間……
まとめ
残り五十分……
終わった! ついに準備が終わった! 発表練習は出来なかったけど、きっとどうにかなるはず。そうだ、僕は本番に強いんだ! ……ということにしておこう。
ううしかし、もう集中力も限界だ……。寝たい、一時間でも良いから寝たい……でも寝たら……寝たらおしまいだ。自力で起きる自信はない。いや、起きない自信しかない。そうだ、とりあえず、会場に行こう。会場で寝てしまっても、先生が、おこしてくれるはず……。
って、ああ!! しまった! 発表資料を印刷しないと!!
……結局、教室に着いたのはギリギリになってしまった、心の準備が出来ないが、当たって砕けろなんだぜ!!
終わった……。何とか終わった……。なんとか、だいたい25分だった。質疑応答も、まあ、川の流れのように時間は流れた。そうだ、もう終わったんだ。もう、審査まで時間がないと思うことも、どうしようどうしようと焦る必要もないんだ。
もう、おれは、自由なんだ。自由、
おれは、じゆうだあああああ!!!!!
ということがあれば解放感も感じるのでございましょうが、多少時間的に余裕がある状態で論文も発表の準備を終わらせることができたので、なんというか、心の情熱の落差がないのです!
落差の大きさの落差の大きさ乗が、カタルシスの大きさに比例するのです。前日布団の中で不安に駆られたぐらいの僕では、心の情熱の落差が小さすぎたのです。そのために解放感も感じず、日常の地続きとしての審査後がただ、ダラダラと続いているだけ。
僕はあまりに前々から不安を感じすぎました。心の情熱の盛り上げ方を間違えたのです。カタルシスを感じるための、タスクの処理配分も間違えてしまったのです。明日やれることを、今日やってしまう、そういう心の堕落が、僕をアンチクライマックスへと導いてしまったのです。
僕の解放感を盗んだもの、それはまさしく僕自身だったのです。
しかし思い返してみれば、最近の僕はそんなことの繰り返しでした。未来に存在する締め切り、発表。そんな物をあまりにおそれていました。直前に焦ることに、睡眠時間を削り間に合うかどうかと言う焦燥に駆られること、それ自体をおそれていました。早く、なるべく早くこなしてしまえば、不安も感じない、焦る必要もない、心安らかに、生きていける。そう信じて、僕はカタルシスを感じるための前提条件から逃げてしまっていたのです。
その結果がコレです。なくしてしまった、達成感、安心感、台風の後の雲一つない抜けるような青空、のような気分。
解放感。
いつからか、僕は感じなくなっていました。最後にそれらを感じたのはいつか、学部時代の試験期間後だったか、もうあまり思い出すことも出来ないです。趣味の漫画ですら、余裕を持って原稿を完成させてしまう始末。
僕は堕落してしまった!! 明日出来ることを今日やるような僕には、そのような熱い人間的感情には値しないのです。
ああ、もう、あの頃のような、揺れる心の振幅は、手の届かない頃にいってしまった。
僕も大人になってしまいました。
でもカタルシスなくて良いから、余裕持って終わらせたい。
率直に言ってそう思ってます。