2010年04月04日

電子本

iPadやその他の電子書籍リーダーが充実してきたということもあり、電子書籍についての言説をそこそこ見る。本好きで本が如何に歴史があるかという観点から、ハードウェアとしての本の完成度と、電子書籍リーダーを比べて本は無くならないという風に言っている人が居る。本の読みやすさというものは確かにそうであろうとも思うが、電子書籍の圧倒的な利点、省スペースであることや単一ハードでほぼ無限の書籍をアーカイブできること、検索できることその他と、ハードウェアの進化の可能性を考えると、普通の本はどんどん淘汰されていくと思う。在庫リスクが無く本が絶版しなくなるのは文化的にも大きな意味があると思うし、歴史的に価値のあるような本をデジタル化すれば、研究者だって喜ぶだろう。多分。本屋が楽しいのは事実だけど、本屋で手に取らないような本をAmazonのリコメンドで読む場合もある。まだまだ本屋の方が圧倒的に楽しいけど、サービスが良くなれば電子本屋もどんどん楽しくなると思う。そうなると僕の外出先が電気屋しか無くなるのが大きな問題ですが。物理的な本に愛着し本棚に並べるのは楽しいけど、鬱陶しいは鬱陶しいと思う。引っ越しとか大変だし。AmazonやらAppleやらソニーやらが色々やり合ってますが多分数年すれば、当たり前のように端末で本を読んでいるのではないかと思う。規格も収束していると良いな。そうなった場合個人的な悩みとしては、手には取らないけど思い入れのある本をどうするかがある。多分、こういうものは物理的に持ち続けるのではないかと思う。
もし全ての本が電子的に出版されるようになり、物理的な本が淘汰されてしまった場合、技術的な断絶の向こうの遠未来では、それ以降の歴史的資料を得るのが非常に困難になるのではないかと思う。本のデコードは文字だけの問題だけど、電子書籍はデータフォーマットなどいろんな問題があるし。電子データだけから情報を復元するなんて殆どムリではないかとおもう。
文字資料が現存する時代以前を先史時代というように、電子書籍以降の時代を後史時代と呼ぶようになったするのかねえと、歴史の本を読みながら妄想した。