2011年08月29日

高級オーディオについての解釈

今日本屋で中身を見ずに買ってしまった有名なオーディオ評論家のPCオーディオについての本の、少なくともPC側についてはかなり残念でガッカリしてしました。

ASIOとかWASAPIの話はともかく、HDDとSSDとRAM DISKでは音が違うとか、リッピングソフトをHDDに置くのとRAM DISK上におくのではリッピング結果が異なるとか二度読みしてからリッピングすると音質が変わるとかずらずらと書かれていて、これが業界で有名な評論家の書くことか!? と絶句してしまいました。
アナログ関係については僕は知識がないので何とも言いがたいです。ただ、PC周りのトンデモ具合と、オーディオの真実などの記事を鑑みるに、はっきり眉につばをつけています。

おそらくこの方は、「自分が聞いて認識した差」というものに絶対的な信頼を置いているのでしょう。そしてこの方が差を認識したと言うことを疑うつもりもありません。

僕もマニアに比べればたいした額ではありませんが、オーディオ周りの機器を二三度買い換えて、音が良くなったと確かに感じています。ただ僕自身としては、計測機器を使った結果か、せめて多数の被験者を用意した上での二重盲検法の結果でなければ、オーディオシステム自体の性能の差というのを認める気にはなれません。千円のスピーカーと10万円のスピーカーを比べるならともかく、一定以上の金額のシステムのについては、自分の耳も人の耳も信用できません。

たとえば高級LANケーブルに換えたら音が良くなったというのは、聞いている人間にとっては実際音が良くなっていると思います。ただそれが意味することは、人間は物理的な意味での音波を直接観測しているのではなく、脳が様々な形で情報処理した結果を意識が認識していると言うことにすぎないのだと思います。

同じ音楽を聴いていても、そのときの体調や集中力など様々な要因によって認識している音質は変わってくるのだと思います。セッティングの評価のために同じ曲を何度も何度も聞いたとして、それぞれについて聞く肉体人の状態が同じなんて言うことは考えられません。
そうした聞く側に起因する差異が意識に上がったときに、その差異がどんなモノであるかと解釈する根拠を、オーディオマニアはオーディオ機器側に求めるのでしょう。そしてそれがLANケーブルだったり、USBケーブルだったり、オーディオケーブルだったり、インシュレータだったりアンプだったりなんなりするのだと思います。

オーディオ機器のハードウェアよりは、聞き手というウェットウェアの状態のほうがよほど変わりやすいものです。スピーカとかを大々的に入れ替えたならともかく、プラシボ的なセッティングの変更に、曲の量感の差異を感じたり、まったりしてたりこってりしてたり違って聞こえるのは脳みそなり肉体なりの状態が変わっているからと考える方が、よほど理にかなっていると思います。

ただそういった差異感じたときに、それを肯定的に受け止めるための条件というモノがあります。オーディオシステムにたいする知識です。

それは、前のセッティングなり元々のシステム構成に比べて、「高級で性能がいい」といわれてて「良い評価を得ている」はずのモノを使っている、あるいは、あの著名なオーディオ評価者が言っているように、RAMDISKに曲や再生ソフトを入れているから。「みんなが音が善くなると言っている」CDの二度差しをしているから。
「まろやかな音になる」といわれているロスレスのコーデックを使っているから、まろやかな音になっている(ように聞こえる)。

事前にそのシステムに対する肯定的なインプットを入力することで、音が良く聞こえるように脳というウェットウェアをセッティングする。つまるところ高級オーディオのエコシステムはほぼすべて、聞く人間の脳を整えるという一点にのみむけて作られているんですよ。ただそれだけのために。

だって、百万円もするアンプが鳴らす音が、悪いわけないじゃないですか。