誕生日
家を買った人のところに、ブルジョワジー!ブルジョワヌー!とか叫びながら遊びに行ったんだが、ちょうど家主が誕生日だという話だったのでケーキも買っていくかと途中のケーキ屋でホールケーキを購入。せっかくだからメッセージも入れとくかと同行者が書いてもらうメッセージを決めたんだが、出てきたケーキを見たらなぜだか知らんが自分の名前も並記されていて唖然とした。
四度見ぐらいしたんだが、何度見ても自分の名前だった。
聞いてみると、え、20日誕生日だったんでしょ、せっかくだから一緒に祝っておこうかと思ってと言われてさらに目を白黒させた。
どうも遙か昔にmixiに適当に入力しておいた誕生日が9/20だったために、もうすぐ誕生日ですよというお節介メールがmixiから飛んでしまったために、僕の誕生日が20であると思ってしまったらしい。
mixiは知り合いの日記を見るためのツールという認識でしかなかったために、当然ダミーの誕生日を入れていたことは憶えていなかった。非公開にしておけば良かったんだろうけど、おそらくその当時は公開必須だったのじゃないかと推察する。
あるいは、世界の無駄情報の増加に貢献したいという意思に基づく故意の行為かもしれない。
というわけで無駄な罪悪感を憶える羽目になったので、ニヤニヤしながらすみませんねえとか謝りつつ、誕生日は非公開にした。
あんまりSNSに正しい情報を書くべきという意識がなかったんだけど、よく考えたらそれを見た人間はとうぜん正しいと思うわけだよな−、という当たり前の事実に直面し、まともなSNSユーザとの距離感の違いを認識してしまった。僕はもう少し人の立場に立って考えた方が良いんだろうな。
しかしSNSなどインターネットによる人とのコミュニケーションの潮流に確実について行けない感覚がある。じゃあ昔ながらのアナログなコミュニケーションが得意かと言えばそうでもないが。
あとIT技術を用いた記憶の外部化というのを今更ながらに実感した。この誕生日の件に関して言えば、そもそも知らなかった情報を思い出したとも考えられる。
まだまだヒューマンインタフェースが発達していないからそれほどでもないが、GoogleGlassなどよりウェアラブルな形になってくると、いつかアッチェレランドの主人公のようにコンピュータの力と人間の思考の境目がつかなくなってくるようになるんだろうな。
未来人類は眼鏡を外すと痴呆状態になる。